3

 バラバラになった智佳を発見した翌日、克己はいつも通りの時間に朝食の席に座っていた。今朝は、トーストとサラダを添えた目玉焼きという、真岳家におけるスタンダードな朝食だった。

 食卓に着いてすぐ、幸衣が口を開いた。

「そういえばさっき、ゴミ出しのときにお隣の新橋しんばしさんに会ったんだけどね」

 新橋と言えば、克己の暮らすマンションにおいて地獄耳おばさんとして有名で、どこから仕入れてくるのか新鮮な噂話を近隣住民に提供していた。克己も会うたびに高校生活について聞かれたりするが、もしかすると自分より朝影高校について詳しいのではないかと思わされるほどだった。

 食事中にする話じゃないかもしれないけどと前置きをしてから、幸衣は続けた。

「なんか、見つかったんだって……」

 歯切れの悪い幸衣に対し、克己は催促することなく耳を傾けながら次の言葉を待った。

「その……、バラバラの、死体が――」

 ガチャン、と甲高い音が鳴った。その音を聞いて、克己は自分がフォークを皿の上に落としたことに気付いた。

「あっ、ごめんね。やっぱりこんな話するんじゃなかったね」

「いや、こっちこそごめん。続き聞かせて」

 克己はフォークを持ち直し、平静を装った。幸衣は申し訳なさそうな顔を見せながらも、話を続けた。

「といっても、これ以上はそんなにないんだけどね。なんだか昨日の夜辺りから警察の人たちが動いてて、それがどうも、バラバラになった死体が見つかったっていう通報が入ったかららしくて」

 緒美音さんだ。

 ゴミステーションで見た光景がフラッシュバックする。

 思わず込み上げて吐きそうになり、克己は手で口を押さえた。

「克己、体調悪いの……?」

 幸衣の声には、心配とともに訝しむような響きがあった。

「いや、本当に大丈夫だよ。なんか変な反応しちゃってごめん」

 克己はなんとか体裁を取り繕ったものの、その後の朝食は味をあまり感じられなかった。

 食事中、克己は食器棚の隣の壁に貼られている、一枚の絵を見つめていた。それは、幸衣が色鉛筆で描いた真岳家の絵だった。

 幸衣は学生時代美術部に所属しており、卒業後も趣味で鉛筆画を続けていたことから、非常に絵が上手い。風景など様々なものをスケッチブックに描いているが、家の壁に貼られているのはこの一枚だけだった。

 五歳の頃の小柄な克己が笑顔でピースサインをしている。その横には、克己より頭一つ分ほど背の高い当貴が、克己の肩に両手を乗せて立っている。克己の後ろに立っている幸衣は、陽気な春のような温かな微笑みを浮かべている。そして、幸衣の右隣に、厳格そうな四角い眼鏡をかけた男性が、白い歯を出して笑っている。

 その男性こそが、克己の父親である、善文よしふみだった。


 あっという間に土日が終わり、月曜日になった。

 その日の登校は、憂鬱だった。

 克己の気分を表したかのように、空は分厚い灰色の雲で覆われていた。克己はそんな空模様が目に入らないほどに俯いて歩いていた。

 克己の気分を重くしていたのは、智佳が死んでいたことや智佳のバラバラ死体を見たことではなかった。あんなに凄惨な、この世のものとは思えない光景を目にしてそれが頭に焼き付いて離れなかった。それにも関わらず、克己はあの日帰宅してから今日に至るまで、これまでとほとんど変わらない日常を過ごしていた。金曜日に借りた映画ももちろん観て、その内容のあまりのつまらなさから借りなければ良かったと後悔までした。本来ならご飯が喉を通らなかったり、寝付けなかったりしてもおかしくないはずなのに、そんな自分の図太さというか間抜けさに、克己は嫌気が差していた。

 しかし克己がそこまで冷静になれることには理由があった。土曜日に幸衣からバラバラ死体が見つかったという噂を聞いたあと、克己は改めて自分が見た死体を思い浮かべた。現場から離れたせいもあるかもしれないが、考えれば考えるほど克己にはそれが現実のものとは思えなくなっていた。なぜなら、人間をあそこまでバラバラするためには、それなりの労力と時間が必要だからだ。それでは長い時間をかけてバラバラにしたかというと、それはその直前まで智佳を尾行していたことにより否定できた。すなわち、あそこで見たバラバラ死体は智佳ではない、または、分解されたマネキンか何かだったかもしれない。

 しかし一方で、時間を掛けさえすれば、あんな切断が果たしてできるのだろうかという疑問も生まれた。そもそも、どんな手段を用いれば、断面図を隠した状態で切ることができるというのか。切ったあとに皮で覆ったのか。それならそれはなんのために――

 時間が経つにつれてゴミステーションで見た光景の記憶が薄れていき、考えれば考えるほど、雲をつかむような気持になった。結局のところ、もうすでに警察が動いているならば自分にはやることはないと開き直り、克己にできることはあれが智佳ではなかったと祈ることだけだった。

 当然のように朝影高校全体でバラバラ死体の噂は広まっており、二年三組もその例に漏れなかった。河岸が黒板を使って多言語の勉強をしていないうえに、松木もバスケットボールで遊んでいないという、他のクラスにとっては日常なことが、二年三組における非日常を表していた。

「真岳くん、噂、聞いたかい?」

 克己が教室の後ろから入ると、一番後ろの席の夜井が話しかけてきた。その顔は異様に青ざめていた。

「噂って、もしかしてバラバラ死体のこと?」

「ああ、やっぱり知ってるんだね。あれは、本当だと思うかい?」

「本当なら正式にニュースになるだろうし、ガセの可能性もあるんじゃないかな」

 克己の中では答えが出ていなかったので適当に答えたが、夜井は頷いて納得した様子を見せた。

「そうかい、確かにそうだ。警察の言うことを信じるしかないか。きみは冷静だね……」

 夜井の手の甲には、いつものようにボールペンの痕がなかった。そこで判断するのもどうかと思うが、それだけ動揺しているようだった。

 警察の言うことって、なんだろう。

「ちっ……」

 引っかかった夜井の言葉の意味を聞こうとしたところで、夜井の隣からわかりやすいくらいの舌打ちが聞こえた。舌打ちというより、文字通り「ちっ」という言葉をそのまま口から発しているだけなのだが。

 克己がそちらに目を向けると、眩しいくらいに綺麗に脱色された金髪の大男が、腕を組んで椅子にふんぞり返っていた。

「ごめん、間土まづちくん。うるさかった?」

「別にうるせぇわけじゃねぇけどよ。どいつもこいつもくだらねぇ話題で盛り上がってんなって思っただけだよ」

 間土慎二郎しんじろうは、その不真面目な見た目に反して、授業は真面目に聞きテストの成績も良く、さらには新聞を読むのが好きでよく自分の席に新聞を広げて読んでいるという、二年三組を代表する個性的な生徒の一人だった。そんな間土が朝から新聞を読まずにただ座っているだけということは、おそらく話題の噂について話したいのだろうと克己は察していた。

「間土くんも気になる?バラバラ死体の噂」

「気になるっつぅかよ、親父が仕事の邪魔だってうるせぇんだ。ほらてめぇは知ってんだろ、俺の親父が土木系の仕事やってるって」

 父親が土木工事の監督をやっており、間土もよくバイトとして手伝っていると聞いたことがある。

「ああ、そういえばそうだったね。でもそれと今回の噂は関係あるの?」

「なんだよ、そんなことも知らねぇのか」間土は小馬鹿にするような笑みを浮かべた。

 きっとこれから話すことが、間土が誰かに聞いて欲しいことなのだろうということまで、克己はなんとなくわかっていた。

「噂の死体は板滝山で見つけたらしぃんだよ。それで土日に警察が山全体で捜索してたんだけどよ、その日はもともと親父たちが伐採工事するはずだったところを、警察に止められたとかなんとか愚痴ってたよ」

 板滝山は、標高800メートルほどの山で、朝影高校からその姿が見えるほどの距離に位置しているため、校外活動という名の遠足で定番の場所だ。その麓にある板滝山寺はパワースポットとして親しまれており、初詣のときには朝影市中から人が集まってくる。

 死体が見つかったのが板滝山ということは、つまり、ゴミステーションで見つけたあれはそのあと持ち出されたということだろうか。

「つぅかよ、てめぇはてめぇでビビり過ぎなんだよ」

 間土が夜井をにらむと、夜井はわかりやすいくらいに委縮していた。

「間土くんも、真岳くんと一緒で冷静だね。頼もしい限りだよ……」そう言って、まるで温めるかのように自分で自分の体を抱きしめる。

「ったく、いつもは元気にボールペン振り回してるくせによ、今日に限ってはぶつぶつぶるぶると」

「別に、普段からボールペンを振り回してなんかいないさ。ただペンの先を手に当てているだけで」

「そもそもそれがおかしいんだっつぅの!」

 夜井と間土の掛け合いを聞きながら、克己はそっとその場を離れた。

 間土とは一年生のとき同じクラスだったので、親の職業の話を聞いたことがある程度には面識があったが、夜井とは今年初めて同じクラスになったということで付き合いが浅い。そのため間土もまた夜井とは知り合って間もないはずだが、思ったより仲が良さそうだなと克己は少し意外に思った。

 席に着く前に、隣の席を見たが、やはり智佳は来ていなかった。

 また、空席になってしまうんだろうか。

 手村に続き智佳まで来なくなってしまったら、自分の横の席は呪い扱いでもされるんじゃないかと、克己は乾いた笑いを浮かべた。

「おはよー真岳。例の噂聞いた?さっきから皆が話してるやつ」

 教室に入った由利が、席に着くなり克己に話しかける。やはり今はその話題は避けられないだろう。

「おはよう。板滝山でバラバラ死体が見つかったって話だよね」

 由利はそれを聞いてにやりといたずらっぽく笑い、口に手を当て内緒話の体を装った。

「その様子じゃあ、それ以上のことは知らないみたいだね。聞きたい?」

「いや、うん、まぁ……」

 聞きたくないと由利の提案を無下にすることに抵抗を覚えただけでなく、克己もその先の話が気になったので、渋々首肯した。由利もまた頷き、声を潜めて顔を克己に近づける。

「なんと、まだ見つけられてないらしいんだよね、警察」

「まだって、捜索し始めたのは金曜の夜って聞いたけど、今日になってもまだ?」

 克己は背中を反らして、由利の綺麗な顔から距離を空けた。

 相変わらずこの人は、人目を気にするということを知らないんだろうか。

 すでに周りの男子からちらちらと見られていることを気にする様子もなく、「そうみたい」と由利は続けた。

「だからバラバラ男が帰ってきたーって声を大にしてる人もいるけど、実際いたずらなんだろうなって感じ。わざわざこの町でそんないたずらするなんて、質悪いよねー」

 バラバラ男の伝承、すなわち十年前のバラバラ殺人事件のことは克己の世代はほぼ全員知っているので、それも相まってクラス中が異様なざわつきを見せていた。

 いや、いたずらではないんだ、南戸さん。なぜなら僕は、バラバラ死体を見たのだから。

 克己は横目で再び智佳の席を見る。やはりまだ来ていない。

 由利の話を聞いて、さっきの夜井の話にも合点が行った。由利は内緒話のような体で話したが、おそらく夜井や間土だけでなく板滝町中に警察がまだ見つけられていない件も出回っているのだろう。

 いや、でも待て。警察が見つけられていないだって?

 それじゃあ、僕が金曜日に見たあれは、今はどうなってるんだ?

「見つからないといえば、うちの犬もいまだに帰ってきてないんだよねー」

 由利がため息混じりにつぶやいたので、克己も視線を戻した。

「それこそ、警察に連絡したりしてないの?」

「うん。賢い子だしそのうち帰ってくるでしょーって思ってたんだけど」

 由利は悲しそうな顔を見せたが、その痛みの度合いから、克己にはどうしてもそれが可哀想には思えなかった。

 早く戻ってくるといいね、と月並みな言葉を述べているうちに、チャイムと同時に國村が教室に現れて、朝のホームルームが始まった。


 國村もバラバラ死体の噂に言及していた。ここまで大々的に広まっている以上、無視はできないというのが学校側の判断だろう。國村からは、バラバラ死体は噂程度の話だから過度に不安になることはない、それと同時に噂にすぎないと油断せず人通りの少ない場所はなるべく避けるように、とだけ伝えられた。

「あれ、緒美音はまだ来てないのか」

 一通りバラバラ死体の噂に触れてから、智佳の席が空いていることに國村は気付いた。学校を辞めた手村の席に座っていた智佳が、バラバラ死体の噂とともに欠席しているということで、教室内はざわついた。もしかして智佳がバラバラ死体なのではないかと直接的なことを口に出す者はいなかったが、そういった類のことを多くの者が思い浮かべているということは想像に難くなかった。

「静かにっ」と國村が一喝すると、教室内は一瞬で静まり返った。やはり見た目が見た目なだけに、少し大きな声を出しただけでも迫力があった。

「おかしいな。休むって連絡はなかったはずだけど――」

 國村の言葉を遮るようなタイミングで、教室の戸が開いた。皆の注目を集める中、額に包帯を巻いた少女が平然とした表情で教室に入る。

「すみません、保健室に寄っていたので、遅れました」

 國村も一瞬呆気にとられていたが、「ああ、そうか。まぁなるべくホームルームには遅れないようにな」と言って、着席を促した。

 智佳は小さく頭を下げて、席に着いた。

 朝のホームルームが終わると、教室内からは安堵の声とともに、やっぱりただのいたずらかと落胆している野次馬たちの声も漏れ出ていた。

 由利もまた、「智佳ちゃん体調悪いの?」と心配の声を掛けていた。

 智佳が登校してきたこと自体に驚きを隠せていなかったのは、克己だけだった。

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