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他者の痛みを共感できる。
それが、克己の持つ特殊能力だった。
「共感、っていうと、人が受けた痛みと同じ痛みを受けるってこと?」
「そういうことだね。まったく同じかって言われると、微妙なところだけど、同じだと思う」
痛み、すなわち痛覚は、数値化など客観的基準を定めることが難しい感覚だ。例えば、同じ人差し指を骨折したことがある人でも、それに対する痛さの度合いはそれぞれ異なる。痛みとは、本来共有できない、非常に主観的な感覚だと言える。
だからこそ、怪我や病気における痛みの場合だけならば、克己が他者と共有したものがまったく同じであるとは証明できない。
「同じだと思う、っていうのはどうして?」
「それは、僕が共有できる痛みは、体だけじゃなく心もだから」
克己は自分の左手を胸に当てた。
「心の痛み、精神的苦痛って言うのかな、それは怪我や病気による痛み以上に、その人独自のものでしょ?共感するのが怪我や病気とかの体の痛みだけなら、僕が同じことを体験したときに受ける痛みの可能性もあるけど、心の痛みの場合は、その痛みの要因も痛みそのものの度合いもすべてその人だけのものだから」
「つまり、心の痛みを共有できるってことはその人独自の痛みを共感してるってことだから、体の痛みに関してもその人が受けた痛みと同じものを受けているはずだ、ってことね」
「そう、そういうこと」
自分の力について人に説明することが初めてだったから上手く説明できるか不安だったが、智佳は納得してくれたようだ、
と思った矢先に、胸に置いた左手に鋭い痛みが走った。
「いっつ……!何してるの……?」
「ほら……、百聞は……って言うでしょ」
智佳は自分の左手の甲の皮を、右手で思い切りひねり上げていた。口を一文字に結んで、苦悶の表情を浮かべながら。
智佳が左手から手を離すと、克己も痛みから解放された。
「どうやら、本当みたいね」
「いや、だからってそこまできつくやらなくても……」
智佳が自分でつねった箇所は、その痛々しさを表すかのように赤くなっていた。
「真岳くんの手は、赤くならないのね」
智佳は克己の左手を見て言った。智佳のものに比べて、克己の手の甲はなんの痕跡も残していない。
「そうだね。痛みの感覚だけだから、実際に怪我したりはしないかな」
「それじゃあ、もしトラックに轢かれて即死した人の痛みを共感したら、どうなるの?」
「やったことないけど、たぶん痛みでショック死するんじゃないかな……」
ていうかやめてよ、そんな怖い例え。
「でもこれで、信じてくれた?僕の共感する力」
「まぁ、そうね。結局のところ、真岳くんが共感している痛み自体もあなた独自の感覚だから、よくわからないってのが本音。強いて言うなら、とても不便な力だということは伝わったわ」
克己はがっくりとうなだれた。あまり納得してもらえなかったうえに、ネガティブなものとして捉えられたらしい。
「もちろん、不便な面もあるけど、悪いことばかりじゃないよ。人の痛みがわかるってことは、それだけ人を傷付けずに済むわけだし。コミュニケーションとかにも役立つから」
「ドMなのね」
「どえっ……、えっ?」
突然自分の嗜好を決めつけられて思わずうろたえてしまった。いや、痛みを気持ちいいと思っているわけじゃない!
「……でもそれじゃあ、戦うときなんの役にも立たないじゃない」
ドMではないことを主張しようとしたところで、智佳がぼそりとつぶやいた。
「戦うって、誰と……?」
「ああ、ごめん、忘れて」智佳はハッとして、ごまかすように続けた。「要は、その力のおかげで、南戸さんが罪悪感を受けてないってわかったわけね」
「そう、だね……」
智佳の戦うという意味深な言葉が気にはなったが、智佳が触れてほしくなさそうなのでそれ以上は追及しなかった。
「罪悪感も痛みとして共感できるのね」
「明確に罪悪感による痛みか分類できるわけじゃないけどね。これも本当に感覚の話になるんだけど、ずーんっていうような重しを乗せられたような、圧迫される痛みなんだ。その感覚とそのときの状況から、罪悪感を受けてるんだなって判断してる」
「それで、手村くんが学校を辞めたって聞いたときに、他の人とは違って、南戸さんはその罪悪感特有の痛みがなかったってわけね」
「うん。それどころか、南戸さんからは一度も痛みを感じたことがないんだ」
克己が由利と同じクラスになって話すようになったのは一か月前からだが、由利の評判から一年生のときにはすでにその存在は知っており、その容姿だけでなくいつも周りに人が集まっていることもあって目を引く存在だった。そのうえでなお、克己は由利の痛みを一度も共感したことはなかったのだった。克己の経験上、そんな人はこれまで一人もいなかった。
「確かにそう聞くと、不気味な人ではあるわね。ニコニコしてて楽しそうだなってくらいのイメージだったけど、違う風に見えてしまいそう」
「とはいっても、まだ僕が痛みを受け取っていないだけかもしれないからね。付き合いが長いわけでもないし」
今更ながら、克己は少し後悔していた。勝手に人の心を読んで、その内容を他人に漏らしてしまっているというようなことをしていることに、今度は克己が罪悪感を覚えそうになっていた。
「まぁ確かにそうよね。なにかしらストレス解消してるのかもしれないし、それだけ心が強い人とも捉えられるものね」
智佳も克己の意図を感じ取ったのか、由利の印象を悪くしたわけではなさそうだった。克己が由利を警戒しているのは事実だが、必要以上に貶めたいわけではなかった。
「真岳くんの、その痛みを共感する力ついて、もう少し聞いてもいい?」
「うん、いいよ」
智佳は想像以上に克己の力に興味を持っているようだった。克己としても、自分のこの不思議な力のことを人に話すのは初めてだったから、まるで悩みを打ち明けるときのように、聞いてもらえることが嬉しかった。
「真岳くんのその力、範囲とかはどうなってるの?さっきの私の痛みを共感したところからすると自動で受けてるみたいだったけど、常に周りの痛みを自分の意志に関係なく共感してるの?」
「範囲としては、自分の視界内に入った人ってことになるのかな。だからさっきのトラックに轢かれた人っていう例で言うと、目を逸らしたり閉じたりすれば、ショック死することは避けられる。あ、あと、共感できるのは人間の痛みだけみたい。犬とか猫みたいな動物の痛みは感じたことはないかな」
「もし蟻が踏みつぶされるのを見てショック死したら大変だもんね」
智佳はふふふと小悪魔のように笑った。智佳の笑うところを見るのは初めてだったが、克己としては想像するだけで悪寒がするような話なので、はははと苦笑いで返すしかなかった。
「真岳くんのその力は、いつから使える、って言い方も変かな、いつから感じるようになったの?」
「いつから……」
せっかく自分の力について話せる貴重な機会なのだからどんな質問にも答えるつもりだったが、早くも言葉に詰まった。答えたくないわけではなく、正確な答えを出すことができなかった。
「いつからだったかな……。正確な時期はあまり覚えてない、かな。いつの間にか人の痛みがわかるようになってて。幼いころにはもう出来てた気がする……十年前くらいには」
ほら、もう十年になるでしょ。
今朝聞いた、幸衣の言葉が克己の頭の中で反響する。
そういえば、兄さんが生きていたときは、この力を持っていただろうか―――
「十年前、ね」
智佳もまた、十年前という言葉に思うところがあったようだが、それ以上掘り下げようとはしなかった。
「それじゃあ最後の質問」という智佳の言葉を聞いて、克己は記憶の掘り起こし作業を中断した。
「さっき、自分の力はコミュニケーションとかで役に立つ、みたいなこと言ってたけど、もしその力を治す、つまり消すことができるとしたら、どうする?」
「消さない」
先ほどとは打って変わって克己は即答した。智佳だけでなく、克己自身もまた、思ったよりも自分の意志が強いことに驚きを隠せなかった。まるで自分じゃない誰かが、勝手に自分の口を動かして言葉を発したような気さえした。
「私からしたら不便な力にしか思えないけど、真岳くんからしたら、手放しがたいものってことなのね」
「そうだね。今では体の一部というか、それが当たり前みたいになってるしね。無くなったら無くなったで、困りそうな気がする」
克己は冗談っぽく言って笑ったが、智佳は真顔のまま克己をじっと見つめていた。
「何か他に、変わった力を持ってたりしない?」
「えっ、いや別に、ないけど……」
「そう。まぁ、そうよね」
そう言って、智佳は席を立った。克己も合わせるように立ち上がると、智佳は指先まで包帯が丁寧に巻かれた右手を、克己に差し出した。
「これからよろしくね、真岳くん」
克己は戸惑いつつも、教室内を見回して、今残っているのは自分と智佳だけであることを確認した。そして、智佳の右手を自分の右手で握った。包帯越しでもわかる、華奢で細い手だった。
「こちらこそよろしく、緒美音さん」
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