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 ホームルームが終わると同時に、由利が智佳に話しかけた。それに乗じるように何人かの男女が智佳の周りを取り囲んだ。言ってしまえば、由利の取り巻きグループのようなものだ。

「どこから来たの」「こんな時期に転校なんて珍しいね」「包帯痛そう」など由利が話を振り、智佳がそれらに端的に答えると、取り巻きが他愛もない感想を述べる。それがこのグループのいつもの会話の流れだった。会話と言ってもいいのか悩ましいほどに、由利を中心に話が繰り広げられた。

 克己はつまらなさそうな顔をしたまま、頬杖をついて智佳たちの方に背中をむけていた。転校生が自分の隣に来たこと自体を嫌がっているわけではないが、その場所とそこに集まる連中が克己にとってはあまり面白くなかった。ただ、複数人に囲まれても気圧されずに淡々と質問に答えている智佳の堂々とした姿勢に感心もしていた。

 智佳の教科書がすべて揃っていないことから、授業によっては克己が教科書を見せることになった。智佳が克己の方に机をくっつけて距離がより近くなると、包帯から消毒薬のような匂いが漂った。近くで見たら思ったよりも綺麗な包帯だったので、きちんと毎日巻き直しているのか、もしくは今日に合わせて新しく巻いたものだと思われた。

 克己も人並みには個性的な転校生に興味があったので、机をくっつけて距離が近くなったことをいいことに、改めて智佳を観察した。

 うなじを露わにした黒のショートヘアー。病弱に思えるほど透き通るような白い肌。包帯のインパクトが強かったからぱっと見では気づかなかったが、よく見たら整った顔をしている。包帯無しだときっとなかなかの美少女としてもてはやされていただろう。

「なに?」

 不意に智佳と目が合った。さっき目が合ったときもそうだが、克己は智佳の包帯よりもその目に強い印象を受けた。大きくてぱっちりと開いた瞳に、どこか強い覚悟のようなものが見えたような気がした。

「いや、なんか、ごめん」

 克己が変に智佳のことを見つめていたことは事実なので、謝るほかなかった。智佳はじろじろ人に見られることに慣れているのか、なにもなかったかのように視線を前に戻した。やり返すように、今度は智佳から克己へ視線を向けていた。

 智佳は全身を包帯で覆っていて、無口で冷静で、どこか負けず嫌いのような強さも持った美少女。それが初対面で智佳に対して抱いた克己の印象だった。


「緒美音も初日でまだまだ慣れてないことも多いだろうから、困ったことがあったら先生でもいいし、真岳とかクラスメイトに遠慮なく聞いてな。真岳、任せたぞ」

「えっ、あ、はい」

 帰りのホームルームで國村に突然名指しで任されて、克己はとりあえず肯定した。克己はクラス委員長でも、世話係というような立ち位置でもないが、ただ単純に隣の席で机をくっつけて教科書を見せたりなど手助けをしていたからという理由だった。

 克己としても否定しづらい状況だったとはいえ、智佳は初日の印象から人に頼るようなことはしないだろうから気にする必要はないと高を括っていた。少なくとも質問攻めなどに合うことはないだろうと。

「真岳くん。クラスの人たちを紹介してもらっていい?」

 その日、ホームルームが終わって放課後に入った瞬間に、智佳が克己に話しかけた。克己はまだ席を立っていなかったものの、獲物を逃がさない猛禽類のような鋭さを感じていた。

 即座に話しかけられたことだけでなく、依頼内容にも戸惑いを隠せなかった。

 紹介ってなんだろう。合コンでもするつもりなのか。

「えっと、紹介っていうと……」

「今日一日見てた感じ、このクラス変な人多いでしょう。だから、どういう人たちがいるのか教えて欲しくて」

 それを君が言うのか、とツッコミを入れられるような距離感ではなかった。そもそもボケているつもりもなさそうだ。

 智佳もまた変人の一人であることを置いておいてもなかなか尖った言い分ではあるが、むしろ克己は腑に落ちた。確かに智佳の指摘通り、この二年三組には、個性的と言えば聞こえのいい、変人が多いのだから。

 すでに教室内の生徒は三分の一程度に減っていた。ほとんどの生徒は帰宅するか部活動に向かっており、残っているのは教室内で歓談しているか、帰りの準備にもたついている生徒だけだ。

 ありがたいことに、克己が紹介しようとしている変人たちは、すでに教室内に残っていなかった。陰口というわけではないが、さすがに本人の前で変わっているところを他人に紹介するのは抵抗がある。

「それじゃあ、まず、誰が一番気になったとかある?」

「なんか、ずっとボールペンで自分の手をつついてる人いるでしょ。あれはなんなの」

 もはや口調だけでなく、智佳の表情からも嫌悪感がにじみ出ていた。

 克己は、教室の一番後ろにある、その人物の席を見ながら話した。

「彼は夜井よるいくん。正直理由は僕もわからないけど、見ての通り、ボールペンとか色ペンとか、いろんな色のペンで自分の手の甲を突いて色をつけるのが好きみたい。でも安心していいよ。優しい人だから、そのペンで人を刺したりはしないし」

「別にそんな心配はしてないけど……」

 おぞましいとでも言うように、智佳は自分の手の甲をさすっていた。さっきの包帯が綺麗だという件と合わせて、潔癖なのかもしれないと克己は思った。

 夜井健道たけみちは、お洒落な癖毛と中性的でハンサムな顔立ちをしていることから初めこそ女性陣からの人気が高かったが、その奇怪な行動のせいですぐに誰も寄り付かなくなった。あまりしゃべらないこともあって危険人物扱いされることが多いが、克己は夜井が人を傷つけようとはしない優しさを持っていることを知っていた。

「じゃあ次は、あのメガネの委員長っぽい女の子」

「ああ、河岸さんだね」

 河岸あやみは、二年三組のクラス委員長の一人だ。三つ編みポニーテールを大きなリボンで結んでいることと、丸眼鏡が特徴である。基本的に真面目で、ホームルーム中に國村に助けを求められる程度に頼りになる存在だが、自己主張が変に強い一面も持つ。休み時間に黒板でフランス語の勉強をするという目立ったことをしておきながら、そのことについて尋ねられるとすぐにその場を立ち去ってしまう。

「承認欲求が強いのね」

「そうなのかな……。自己表現が下手なのか、それとも全部天然なのか、ちょっとわからないけど」

「さっきからわからないばっかりね」

 はぁっと、智佳は露骨にため息をついた。

 いや、そんなにがっかりされても……。

 教えてあげている側なので克己が下手に出る必要はなかったが、有益な情報を与えて感心させたいという気持ちが芽生えてきたため、改めて教室内を見回した。そこで、克己の前にある由利の席で目が留まった。

「南戸さんには、気を付けた方がいいよ」

「南戸さんって、真岳くんの前にいる美人の子よね。あなたが鼻の下伸ばしてた。どうして気を付けた方がいいの?」

 別に鼻の下なんて伸ばしていないけど。

「ちょっと説明が難しいんだけど、その前に、今緒美音さんが座ってる席には、もともと違う人がいたことは知ってる?」

「ああ、なんか欠員が出たから私が入れた、みたいな話は聞いたような気がするわ。それを抜きにしても、こんな教室の真ん中の方の席が空いてるのも変だしね」

「そう、そこにはもともと手村てむらくんって人がいたんだ……」

 手村とおるが学校を辞めたという話を聞いたのは、連休前最終日のホームルーム、すなわち智佳が転校してくるという話と同じタイミングだった。

 手村は唐突に学校を辞めたわけではなく、クラス替えで二年三組になってから十日ほど経ってから学校に来なくなった。そして二週間ほど不登校を続けた後に、学校を辞めたのだった。

 その手村が不登校になるきっかけとなったのが、由利だった。

「今日も南戸さんが緒美音さんに話しかけてたけど、あの人はそんな風に、気になった人には誰にでも気軽に話しかけられる人なんだ」

 今自分がよく話しかけられるのもまた同様だと、克己は考えている。


「手村くんて、普段なにしてんの?」

 二年三組にクラスが決まり、四月の間は出席番号順に座ることとなった。そこで偶然、手村と由利は隣同士になった。由利はどういう理由か手村に興味を持ち、始業日の翌日から話しかけるようになった。

「えっ、えっと……」

「話すの苦手なの?」

「えっ、あ、いや……」

 ただでさえ極度に口下手な手村が、学校一の美人といっても過言ではない由利に話しかけられて、吃り具合に拍車がかかっていた。普通であれば手村がうまく話せないことを察してこれ以上話しかけることをためらうものだが、由利の追撃は止まらなかった。

「じゃあさ、わたしが話の練習相手になってあげよっか」

 由利が満面の笑みで言うと、もはや手村は声を発することもできなくなっていた。

 そんな由利の提案につられて、取り巻き達がわらわらと手村の席を取り囲んだ。

「なんだよ手村、話しかけて欲しかったんならそう言えよなー」

「手村くんって全然喋らないからなに考えてるかわかんなかったんだよねー」

 四、五人の男女に囲まれて、手村は焦燥から顔に血が上り、汗が吹き出ていた。

「あはは、手村くんタコみたい」

 由利が笑うと、取り巻きたちも釣られて笑った。

 その日だけ見れば美少女とそのグループにいじられるという見ようによっては微笑ましい状況だったが、翌日からそのは次第にエスカレートしていった。

「手村くん、消しゴム借りていい?」

「い、いいよ」

 翌日からある程度耐性がついたのか、手村は由利に話しかけられても返事ができるようになっていた。しかし由利に話しかけられたときの手村の嬉しそうな表情が、取り巻きグループの癪に障った。最初に手を出したのは取り巻きの一人であり、バスケットボール部として人気のあった松木まつきだった。

「手村―俺にも消しゴム貸してくんない?」

「え、あ、いいよ」

 手村は由利から返された消しゴムを松木に手渡した。松木は消しゴムを受け取ってすぐに、教室の後ろにあるゴミ箱に消しゴムを放り投げた。「ナイッシュー」と松木が言うと周りの男子たちが盛り上がった。一部始終を目にしていた手村は何が起きたのかわからないかのように戸惑った表情をしていた。

「あの消しゴム汚れてたから、捨てといたわ。新しいの買った方がいいよ」

「えっ、あっ、そっか……」

「納得すんのかよ!」

 松木たちが爆笑した。手村は愛想笑いを浮かべながら、動けずにいた。

 手村が戸惑っている様子を見た松木は、ゴミ箱の中に腕を入れて、手村の消しゴムを取り出した。消しゴムに付いていた汚れを軽く手で払い、手村に手渡した。

「悪い悪い、ちょっとやり過ぎたわ」

「いや、いいよ別に。気にしてない、から」

 手村は本当に気にしていないわけではなかった。怒りという感情は確かに芽生えていたが、それを外に出してうまく表現する方法がわからなかったのだ。

 それを知ってか知らずか、周りの男子たちがさらに煽り立てる。

「おい手村、怒っていいんだぞー」

「そうだよ、昨日見せたタコモードはどうした」

 松木たちはひとしきり笑ったが、それでもなお手村が意思を示すことはなかった。

 克己はその様子を、手村が突然キレたりしないだろうかと冷や冷やしながら見ていたが、松木たちがそれ以上いじろうとはしなかったので、安心していた。


「それからは、松木くんたちもその時以上に手村くんをからかうことはなくなった。たまになにか用があるときにタコくん呼びされてたくらいで。そう呼ばれても手村くんは笑ってたから、いつの間にかタコくんって言うのが公認のニックネームみたいになってた。そして突然、手村くんは学校に来なくなった」

「え、それだけで?」

 ここまで話を聞いていた智佳は、肩透かしを食らったかのように驚いた顔を見せた。

 確かに、この話だけを聞いていたらそういう感想になっても仕方がないだろう。実際手村が不登校、さらには学校を辞めたと聞いたとき、二年三組の大半がいじられていたこととは別の理由があったんじゃないかと考えたのではないだろうか。

 しかし、克己はわかっていた。松木たちからいじられ、クラスメイトからタコくん呼びされるたびに、笑顔を見せながらもその中には確実に痛みが蓄積されていたことを。

「手村くんはテストの点とかも良くて、頭のいい人だったんだけど、性格は控え目でもともとあまりいじられたりするタイプじゃなかったみたいだから、そういうことに耐性がなかったんだと思う」

「つまり、プライドが高かったわけね」

 克己が言いづらかったところを、智佳が一言でまとめた。

 つまりはそういうことなのだろうと、克己も考えていた。プライドが高いこと自体は悪いことではないが、手村の自尊心はむき出しのまま、守る術を持たなかったのだろうと。

「で?」智佳がぶっきらぼうに聞いた。

「で、っていうと?」

「手村くんって人が学校を辞めちゃった理由はなんとなくわかったけど、それでどう南戸さんに気をつけろって話につながるの?今の話だけだと、むしろ警戒すべきなのは松木くんとかじゃない?」

「ああ、それは……」

 智佳の疑問はもっともだった。どう答えたものかと悩みつつも、克己は精一杯の回答を絞り出した。

「松木くんとか、手村くんのことをタコくん呼びしてた人たちは、手村くんが学校を辞めたって聞いたときに少なからず罪の意識を受けてたんだけど、南戸さんだけは、そういう罪悪感みたいなものがなかったから……」

「なにそれ。真岳くんって人の心が読めたりでもするの?」

 しどろもどろになっていたところを智佳がにらみつけるので、克己は思わず目をそらした。

 いや、心を読めるわけじゃないんだけど、部分的にはそれも間違ってないというか……。

 何も返答できない克己をにらみつけながら、諦めて智佳は小さく息を吐いた。

「ま、いいけど。それじゃあ、真岳くんは?」

「真岳くんは、っていうと?」先ほどと同じように克己が聞き返す。

「この二年三組には個性的な人が多いってことは、今日一日だけでなんとなくわかったわ。私も含めてね」

 あ、そこは自覚あったんだね、とはもちろん克己は口に出さなかった。

「それじゃあ真岳くんは、って話。あなたもなにか尖った個性を持ってたりするの?」

「僕、は……」

 つまり、自己紹介ということだろうか。他己紹介のあとにやるというのも順番が逆になってしまった気がするが。

 ただ、智佳が求めているのは、克己の好きな食べ物や趣味の話などではないだろうということは、克己も薄々気付いていた。さっきの心を読めるという話ではないが、克己はなにかそれに近いものを持っているんじゃないかと踏んでいるのだ。

 克己としては、転校してきたばかりで親しいわけでもない女子生徒に話す必要はなかった。しかし一方で、全身に包帯を巻いた得体のしれない彼女だからこそ、話を聞いて欲しい気持ちもあった。

 少し逡巡した後、克己は、今まで誰にも明かしたことのない秘密を智佳に話した。

「僕は、人の痛みを共感できるんだ」

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