第3話 同化
目を開くと、あたしはさらにヒトに近づいていた。
骨、筋肉、臓器。それらを模した器官が着々と成形され、ヒトだった“ニア”に近づいている。もちろん強度や運動能力、生存能力は格段に今のほうが上だけど、もう少しすれば簡単なメディカルチェックくらいは通るかもしれない。
それはつまり、この船の中で生きていくために、“ヒト”の形が一番適しているということだろう。
「ん……、」
小さくのびをしてみる。違和感は特にない。
だけど、ヒトへの擬態精度が上がったということは、弱点ができたという意味でもある。ないとは思うけれど、もしも正体がバレてこの身体で外に追放でもされたらかなりダメージをくらうかもしれない。
気をつけよう。あたしはニア、ニアだ。
「目が覚めた?」
自分に自分が自分だと言い聞かせていると、カーテンの向こうからカイルの声が聞こえた。
「あ、はい」
慌てて身体を起こして、ベッドから降りる。
カーテンからひょいと顔を出すと、カイルは私の椅子に座って頬杖をついていた。その表情が優しかったので、心臓がトクンと跳ねる。“ヒト”の身体というのもは、感情によってかなり影響を受けるらしい。効率が非常に悪いと感じたが、対策は後で考えるとしよう。
「おはよ」
そう言われたので、時計を確認する。ベッドに入ってから1時間が経過していた。
もしかしてあたしが起きるのを、ここでずっと待っていたのだろか。
「あの、あれからずっとここに?」
「うん、そう約束しただろ」
それは気まずいな、いや、恥ずかしい……待て、なにが恥ずかしいんだ?
「ごめんなさい。少しだけ休もうと思って横になったら眠っちゃった」
カイルだって手持ち無沙汰だっただろうに、一時間もここにいてくれたのか。
申し訳ないような、微かに嬉しいような。嬉しい? 『恥ずかしい』よりもさらに不可解な感情に戸惑う。
「いいのいいの。もともとオレ、ここに避難させてもらったわけだし」
「あ、そういえば……、」
一体誰に追われていたのか聞こうとした瞬間、ドアがプシュッと音を立てて開いた。
「ああ、カイル! こんなところにいた!!」
甲高い声でわめきながら現れたのはキナミだ。どうやらカイルを追いかけていたのは彼女らしい。カイルは一瞬だけ瞑目してから、すぐに人好きのする笑顔になった。
「あー、ごめんごめん、キナミ」
「ごめんじゃないわよ! 一緒に映画を見ようって約束していたのに、どうしてレイナも誘ったわけ!!」
あー、なるほど、そういうことか。
キナミとレイナがカイルに少なからぬ好意を持っていることは、乗組員みんなが知っている。時々それで険悪になったりして、カイルのほうは少し持て余している感じだ。どちらか一方と仲良くするとバランスが崩れるから、両方をたてようとしたか、二人きりになるのを回避したかったのか。
それにしても反目している二人を同時に誘うのは悪手ではないだろか。
「レイナも映画を見たいって言ってたからさ。休憩時間は限られているんだから、皆で楽しんだほうがいいだろ?」
「先に約束してたのは私! 相談もなしにひどくない?」
これは頭に血が上っている。
困ったな、と少し思った。ここは医務室だし、できれば静かにして欲しい。どうしようかと考えていると、今度はキナミの背後から、絶対零度の声が聞こえた。
「医務室で騒ぐなんて、常識を疑うわね」
その声に、詰め寄っていたキナミと詰め寄られていたカイルが同時に振り向く。
二人の視線の先、ドアの前には噂のレイナが腕組みをして立っていた。レイナはカイルやキナミより少し年上で、スタイル抜群の美女で、この船の操縦士のひとりだ。
「そんなんじゃカイルに逃げられるのも当然だわ」
と、レイナは赤い唇の端をあげて挑発的に笑った。
ああまずい、すごくまずい。
「はあ? 私はカイルと話をしてるの。すっこんでなさいよ!」
「あら、カイルと約束があるのはわたしも同じだわ」
「こっちのが先約だから。いい年齢して若い男に色目使わないで!」
「ふふ、年齢でくらいしかマウントを取れないのかしら?」
「なんですってぇ!」
一触即発、キャッツファイトで乱闘が始まりそうな勢いだ。二人とも身体能力が高いので、喧嘩になったらマジになってしまう可能性が高い。
駄目ダメ、ブリッジもまずいけど、ここだって薬とか端末とか壊れものがたくさんあるのに。
「落ち着いて、二人とも。映画なら3人で見ればいいだろ」
「絶対イヤ!」
「お断りだわ」
それはそうだろう。
特に今、カイルが何を言っても火に油だ。あたしは慌てて立ち上がった。
「ま、待ってください、二人とも!」
声をかけて駆け寄ると、二人が同時にこちらを向く。うう、正直言って少し怖い。
「あらニアちゃん、いたの」
「どうしてニアがベッドで休んでんのよ……まさかカイル、ニアにまで手を出したんじゃないでしょうね?」
「待て待て、語弊のある言い方は止めろ。オレは誰にも手を出してはいないからな」
「カイルがはっきりしないのが悪いんでしょ!」
「わかってないわねぇ、カイトは優しいのよ。迷惑だなんて言ったら誰かさんが傷つくもの」
「は? じゃあ今ここで白黒つけてもらおうじゃないの!」
「お、落ち着いてくださいってば!」
本当にここで暴れて欲しくない。それに、カイルだって困っている。
二人を止めようとして、あたしは一番できあがっているキナミの腕をぎゅっと掴んだ。
「イタッ!」
ああ、しまった。
咄嗟のことで力加減を間違えたかもしれない。そう気付いて力を緩めた瞬間、ものすごい勢いで振り払われた。油断していたあたしは、バランスを崩して後ろに倒れる。
ガツン、と頭に衝撃があった。
イタイ、痛い。
ぷつりと目の前が暗くなる。
意識を手放す寸前、カイルの声が『ニア!』、とあたしの名前を呼んだ。
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