第2話 模倣
「ニアちゃーん、オレ、ちょっと頭が痛いんだけど」
“ニア”の持ち場は医務室だ。
現在この部屋の主たるドクターは休憩に入っているので、体調不良のクルーは当然“ニア”のところへやってくる。しかし頭痛を訴えてやってきたカイルはどこから見ても体調が悪いようには見えなかった。
こういった事態は、過去に幾たびも繰り返されていたらしい。呆れ、喜び、不安、緊張、さまざまな感情が一瞬で浮かび上がる。
さて、どうしたものか。
「見たところ調子は良さそうですけど」
と、首を少し傾げてカイルを見上げた。
少し疑わしげに、でも愛嬌は失わないように。そうやっておどけてみることが“ニア”の処世術だったらしい。
「えっとじゃあ、念のためメディカルチェックに入ります?」
「いやーそれほどのことでは。少しだけここのベッドで休ませて欲しいな、なんて」
「はあ……、また誰かから逃げてきたんですね?」
何度も言うが、現在“ニア”の記憶は完全に網羅している。おおむね模倣できていると言ってもいい。
ゆえに、この男を“ニア”がどう思っていたのかも把握している。しかしヒトの思考というのは幾重にも複雑に入り組んでいて、一言では表しにくい。つまり、無駄が多すぎるのだ。
わかっていることをまとめよう。
カイルはこの宇宙船に、整備士として乗り込んでいるクルーだ。仕事はできるし、機械全般に強い。個人の評価としては口が上手くて快活、頭が良いが調子も良いよく言えば社交的、悪く言うなら八方美人。さらに顔立ちが整っているので、かなり広範囲にモテている。
特に操縦士のレイナと航海士のキナミは、突出して彼に好意的だ。
「さすがニアちゃん、話がはやい。ね、ちょっと休ませて?」
「仕方ないですね」
休ませる6、追い出す4くらいの葛藤はあったが、“ニア”――つまりあたしは結局カイルの願いを受け入れた。あたしだって別に、カイルが嫌いなわけではない。むしろ二人きりになると不安になるくらいに好意的に意識はしている。
あれ? なんか矛盾しているか?
ともあれ、誰にでも優しいというのは、別に悪いことではない。それが思わせぶりにみえたとしても、半分くらいは受け止める側の問題だという判断がある。
「サンキュ、やっぱニアちゃん話がわかる!」
「はいはい、奥のベッドへどうぞー」
「恩に着るよ」
カイルがカーテンの向こうに滑り込んだのを確認して、安静・使用中のランプを灯した。
この調査船が地球に戻るまであと7日。
3日後の最後のショートカットで、火星軌道付近まで飛ぶ予定だ。開発初期よりは格段に負担が減ったとはいえ、超空間飛行が体力を削るのは間違い無い。だから今は細心の注意をはらってクルーの健康を維持しなければ、と“ニア”――あたしは考える。
さて、それはそれとして。
二人きりの今なら“カイル”を捕食すること自体は簡単ではないだろうか。健康そうで“ニア”よりも大きく、“ニア”の記憶を取り込んだおかげでグロテスクにも感じない。
「どうしようか」
唇を動かして、ほんの小さな独り言。
しかしあと7日で母星に帰還するとわかった今、この宇宙船で危険を冒す必要性はぐんと減った。無事に地球に辿り着けば、好きなとき好きなだけ食べ放題だ。やるとしたらもっと疑われない時、ひとりふたりをつまみ食いすればいいだろう。
乗務員の定期的なメディカルチェックに目を通す。
と、同時に困ったことに気付いた。この船では3日に一度、交代でメディカルチェックがあるらしい。担当しているのは当然医療スタッフであるあたしと、医師のグレイルだ。
「うーん、困る」
またも独り言。これは“ニア”のクセなのだ。人口密度が低いぶん、大きな独り言が増えてしまうのは仕方ない。
しかし本当にまずい。今、ドクターにこの身体をチェックされたりしたら、たちどころにヒトではないことがバレてしまう。
――いっそグレイルから食ってしまおうか?
そう考えた瞬間、ガンと頭に衝撃が走った。
「いたっ、」
今度は大きな声が出てしまう。
あたしの声に驚いたのか、奥のベッドからカイルがひょいといぶかしげな顔を出した。
「どうかした――って、ニアちゃん?」
声とともにカイルが素早く駆け寄ってきて、バランスを崩し椅子から転げそうになるあたしをギリギリで支えてくれた。おかしい、頭が割れるように痛い。
「大丈夫?」
「……へいき、だい、じょうぶ」
「んなわけない、顔が真っ青だ。今ドクター呼んでくるから」
「駄目、ダメ、平気! 本当に大丈夫だから、お願い」
まずい。
今ドクターを呼ばれたら、絶対にメディカルチェックだろう。そうなったらもう全員食ってしまうしかない。しかしその場合、地球まで無事たどり着ける確率が20%ほど低下する。
この宇宙船に乗っているヒトの何倍も、何十倍もしかしたら何百倍もの食料を逃すような危険を冒したくはなかった。
しかし、この痛みはなんなんだ。まだこの身体に慣れていない、いや、取り込んだ記憶がなじんでいないのか? むしろ昨日よりも調子が悪くなっている気さえする。
「だいじょうぶ、だから」
と、あたしはどうにかカイルを見上げて微笑んでみせた。
「ドクターは今、お休みでしょ。無理して欲しくないし、心配かけたくないんです」
“ニア”の気持ちを伝えてひとつ深呼吸をすると、どうやら痛みが和らいできた。椅子に座り直して、体勢を整える。カイルはあたしの身体を支えながら、困ったように小さく笑った。
「ニアちゃんはホント、ドクターが大好きだな」
「違います! あっ、いえっ、ドクターのことはもちろん尊敬していますけど!」
「尊敬かぁ……ホントに?」
「もう、からかわないで下さい。ドクターはお仕事いっぱいで大変だから、お休みの日くらいはちゃんと休んで欲しいっていうだけ!」
べらべらと勝手に舌がまわる。何故こんな言い訳をしているのだろう。
どうやらドクターへの好意は本当だが、カイルに妙な誤解をして欲しくないという感情が強いようだ。心なしか顔が暑くなってきたような気がして、手のひらを頬に当ててみた。よくわからないが、ニヤニヤしているカイルの顔がいたたまれなくなってくる。こいつ、やっぱり食ってしまおうか……いや、今ここではまずいな。ニアの身体が全力で拒絶している感覚があった。二人ぶんの擬態をするには、まだこの身体に馴染み切れていない。
「んー、じゃあ、ニアちゃんがベッドで休みなよ」
「え?」
「ここの留守番はオレがしてるから。何かあったら起こすし、安心して休んで」
「えっと……」
「でないとドクターを呼んできちゃうよ?」
「それは」
それは困る。
困るのはどうしてだろう。そうだ、ドクターに身体を診られたら、あたしがあたしでないことがバレてしまうかもしれない。
少し迷ったが、あたしはカイルを見上げて小さく頷いた。
「じゃあ、少しだけ休んでいいですか?」
「よしよし、良い子だ」
頭を撫でられたので、勝手に頬が緩んだ。
子供扱いされている気がしたが、この船では年齢も一番下だし妥当な扱いなのだろう。言われたとおりベッドに潜り込むと、疲れていたのかまぶたが重くなってきた。
なるほど、ヒトという生き物は不便な身体を持っている。
そういえば、昨日読んでいた本をどこにやったっけ?
眠りに落ちる寸前、“ニア”はそんなことを考えていた。
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