第51話 決闘、奉納、闇の底 その2
東軍の孫七郎は堅実に三軍を進め、本体軍は温存方針らしい。
打って変わりナイア氏の西軍は、軍全体が何かおかしかった。前進したはずの軍がどよめき、動きそのものが鈍い。
「えっ」
西軍の三軍、いきなり後退をし始めた。兵が逃走を図ろうとしている? ナイア氏はシャンタク鳥を駆り、統制を取ろうと必死になっているのが見えた。
これを目前にする孫七郎擁する東軍は好機と受け取ったのだろう。温存するはずの本体軍も東西軍を分断する河川を渡河せんと突っ込みをかけた。
この河川、幅は広いが深さはそれほどでもないらしい。東軍の三軍が川に入った。隊列を組んで、どんどん行く。
しかし東軍に勢いがあったのはここまでだった。
浮遊移動する左翼のシュゴラン軍以外の二軍、中央の忌まわしき狩人と右翼のアルスカリの動きが明らかに鈍くなったのだ。
「なんでしょう、急に肌寒くなってきたような」
「あのオカマ、川全体を冷却しやがった。やはり自軍の混乱はブラフってことか」
「先ほど聞いたルールだと『四、指揮者の飛び道具は禁止。指揮者の敵軍への直接攻撃は禁止』ではないのですか?」
「飛び道具は使っていない。魔術で川を冷やしただけ。直接敵軍を殴ってない」
「ルールは尊重する。ただしそれは法の網の抜け穴を探す意味で、と?」
「他にも拡張解釈やの縮小解釈だの、法律屋もかくやの勢いやな」
「ではこの、今冷やされた二個軍の兵達は」
「第三者視点ではオカマの演技に騙された孫七郎の軍は渡河しようとして、寒さで兵は機動力と体力を的確に奪われたって形になるわな」
「この構図、どこかで見聞きしたような。いえ、魔術は別としてですが」
犬先輩はここでやっとニヤリとした道化顔になった。
「世界史の余談で歴史大好き狭霧のウンチク爺から聞いたんちゃうか? たぶん一巡した恵一くんの世界でも狭霧の爺さんも同じ話題をしていると思うし」
「それです。あの先生って歴史の余談を図解つきで絡めるのを好みますし」
「それでキミが気になった構図は、たぶんこれ。カルタゴの名将ハンニバルがローマの執政官ティベリウスと戦った第二次ポエニ戦争、紀元前218年12月18日、イタリア半島のプラケンティア近郊、トレビア川の戦い。……違うか?」
「ええ、まさに。早朝にトレビア川の西川向うに布陣した将軍ハンニバルは、少数の騎兵を使ってローマ軍を散々挑発した。これに釣られたローマ軍は真冬の川を渡河してしまう。そしてかの将軍は、寒さで動きの鈍ったローマ軍を叩いた」
「戦術は大事やね。真正面から殴り合うだけではアカンねん。しかも将軍ハンニバルは配下の武将に数千の兵を与えて林に隠し、無理な渡河を押して戦うローマ軍の背後に回って挟み撃ちにしてしまう。両側面からは機動性の高いヌミディア騎兵の投げ槍やで。完成した包囲網にてローマ軍はカルタゴ軍にボコられ、大敗北した」
「とすると、これは」
「さーて、どうやろな。この戦いは人間視点でモノを考えたらあかんで」
ナイア氏の軍はいつの間にか統制を取り戻していた。否、あれは
ナイア氏の中央の軍、片翼の蛇の異形、忌まわしき狩人たちは疑似的に作り出した手に投げ槍を持ち、渡河中の敵軍に容赦なく投擲する。その凄まじい力で投げられた槍は優に千メートルは飛び、豪雨の如く敵軍を串刺しにしてゆく。
対する孫七郎の軍も応射しようとする。だがこちらは足場の悪い水の中。しかも、あれも見た目通りの変温動物なのだろう、体温を下げられた蛇の異形は身体の自由が利かず、槍は全然射程を取れていなかった。となればどうするか。強行軍である。この槍の嵐の中を、無理にでも川を渡り切らねばならなくなった。
「軽く、地獄の風景ですね」
「ま、殺し合いやしな」
撃ち込まれる槍、串刺しで絶命する蛇の異形。川は一気に血でどす黒く染まる。このわずかな間で孫七郎の率いる片翼の蛇は半数を失った。一方ナイア氏は自軍の蛇兵士を後退させ、ちょうど半数ずつ二手に分かれて両翼の軍の側面に位置するよう移動させた。そして空いた中央に本体のムーンビースト軍が収まっていく。
前進、前進、前進。
互いの軍は距離を詰め、肉薄してゆく。
孫七郎側の忌まわしき狩人は後退し、その空いた中央軍に本体のムーンビースト軍が入り込む。違う、忌まわしき狩人たちは後退していなかった。
彼ら蛇の異形は、真っ直ぐに突撃していた。
僕は見た。爬虫類の独特の無表情さに、克明に恐怖と絶望が浮かんでいることを。表情筋など無いはずの、その顔に浮かんだ死の切迫を。
大半は待ち受けるムーンビーストの槍で無残にも突き殺された。
が、それだけでは終わらなかった。
巨大な蛇は不自然に『へこみ』、どんどん『へこんで』ゆく。
やがて、まるでカートゥーンアニメの車に轢かれた描写みたいにぺしゃんこになった。そして、爆裂した。しかもそれはただの爆裂ではなかった。
へこみの正体は、超圧搾だった。
限界まで圧搾され、一気に開放する。反動で飛び散る。剃刀のように鋭くなった、超高圧の肉や骨、血液が、まるで榴弾のように、爆発四散するのだった。ナイア氏のムーンビースト軍は、この一撃で、壊乱状態となった。
「あれも、まさか」
「孫七郎はバンザイアタックを命じたんやな。指揮者自ら敵兵を直接攻撃してはならないが、味方の兵は好きに攻撃してもいい。もちろん暗黙のルールが付随して、明確な理由なく味方を殺してはならないってのはある。で、今回は『敵方へ突撃させるため味方を攻撃』した。その副次的な被害が相手軍に及んだ形になる」
「つまり、ルールの穴を突いた」
「せやで」
やがて両軍はがっぷりと組み合って、直接戦闘が始まった。
ナイア氏側の両翼に分かれた忌まわしき狩人たちは、右左翼の軍と連動して敵軍を側面から投げ槍をひたすら投擲している。対して孫七郎側の左右翼の軍は、十字攻撃を受けて劣勢に立たされている。
ただ、真正面でのムーンビースト同士の戦闘は孫七郎側が圧倒的に優勢だった。つい先ほどのバンザイアタックの混乱がまだ収束していないのだった。
「うーむ。トレビア川の戦いに通ずるものがあるな。ならば背後を突くには?」
「まだ何かするんですか?」
「やらん理由がないからなぁ。一緒に考えてみようや。孫七郎軍の背後にあるものは? 川があるだけや。ん? 川? というか水? うわ、嫌な予感」
戦闘は継続している。と、川の中から蛇の姿が。にょきりにょきりと立ち上がっていくのが見えた。どうやら嵐のような槍の投擲から傷つき倒れたが、生き残った者もいるらしい。果敢にも戦闘に加わるつもりらしかった。
いや、僕はいぶかった。
それにしては数が多い。蛇に表情はないが、あまりにも虚ろで不安定に頭を垂れ、攻撃を受けて水没したはずの蛇の異形達は不吉そのものに見えた。
「これは、どうにもマズい感じが」
「うむ……」
不吉な予感は的中した。孫七郎が擁する本体を、背後から、攻撃を始めた。これにて孫七郎の軍は完全に包囲されてしまった。
「マジか。水に何を混ぜたんか知らんが、オカマのやつ死体を操ってやがる」
「こ、これも?」
「死ねば敵も味方もない。なので何をしようと勝手という拡張解釈やな。川の中で倒れた蛇をゾンビ化させて味方につけたんや」
進退窮まる孫七郎の軍。瓦解は目前。しかしシャンタク鳥に騎乗するナイアルラトホテップの顕現体、鈴谷孫七郎の表情は軽やかな笑みを浮かべるばかりだった。
「……まあ、そうなるわな」
「……?」
僕には犬先輩の納得を帯びた頷きが理解できなかった。もはや孫七郎の軍は瓦解していた。四方八方を囲まれた彼の軍は皆殺しにされてゆく。残るはシャンタク鳥と孫七郎のみ。しかし、それでも、彼は優雅に飛ぶばかりで焦りの欠片もない。
「――ッ!」
孫七郎が何かを叫んだ。同時に、なんと彼は、シャンタク鳥を自ら殺してしまった。これで残るのは、孫七郎のみ。彼は神気を操って宙に浮き、そして――。
「恵一くん、魔術『被害をそらす』や! 早く!」
「は、はい!」
僕は素早く演算し、魔術をかける。範囲は巨大黒山羊の周辺含む自分達全員。
一瞬、冷たい風が頬を撫でた。
それは、極限まで凍らされた土漠の『槍衾』だった。
視界の行く先のすべてが槍状の鋭い刃に変化し、10数メートルまで突き上げた
串刺しにされ絶命する数万の兵。かつてのルーマニアの
ナイア氏が擁する全軍が、ただの一発で、皆殺しにされた。あの瞬間、彼はこう叫んだのだ。イッツ・ショータイム! と。
「指揮者の敵軍への直接攻撃は……ああ、そうか。『六、ただし軍が完全壊滅し、単独となった場合は四と五は適応外とする』でしたっけ。指揮者は単独になれば逃走および降伏が許可され、その間の抵抗も可能になる――」
「恵一くん、それは実に人間的な考えや。今まさに無差別攻撃を見たやろ? この戦いの神髄は、『戦闘に於いて、いかに早く自軍兵をすり減らし、指揮者自身を単独に持ち込むか』にある。その気になった混沌の顕現体、特に化身タイプは、五万どころか五億、五京、五垓であっても鼻くそにもならんほど神気出力を持つんや」
「でも、ナイアさんは戦術を駆使して孫七郎の軍を」
「アレや。かつてローマのコロッセオでは、剣闘士の戦いを見世物にしていた。観客がより興奮するように、地面を白い砂で覆いつくして流血がより生えるよう工夫した。剣闘士自体にも高カロリーなもんを喰わして脂肪を着けさせて生命力を向上、多少の流血では死亡しないようにさせた。当時の殺し合いは単なる娯楽でもあるからな。戦い自体も高度化し、かつての会戦を再現させたものも多々ある。凄いのはコロッセオに池を作って海戦の再現とかな。もうアホやろ」
「え、ええ」
「俺が言いたいのは、この決戦の本質は三愚神の座をかけた戦いであれど、同時にシュブ=ニグラスたるキミに捧げられた供物でもあるということなんや。なので、わざわざ人間的な戦術を取り入れている」
「……」
「人間の感性では測りにくい感覚ではある。ただ、皆、キミのことが大好きなんや。ナイアルラトホテップにはナイアルラトホテップなりの愛の伝え方がある」
「ナイアルラトホテップの、愛の告白?」
「せやで。そこで恵一くんの偽乳に顔を埋めて耽溺しているボッチも、単純に甘えているようで、実はキミを愛したゆえのもの。伊達にママ呼ばわいせんで」
「響ちゃんも」
「もちろん俺もキミのことを愛している。大地母神の祖。魔女どもの大いなる女王。すべての母。始まりの闇。いいや、違う。違うんや。俺は、シュブ=ニグラスだからキミを愛しているわけではない。鈴谷孫七郎を笑えんな。キミら兄妹には勝てん。恵ちゃんもそれはもう好みやったけど、昨日ビデオフォンで会話した瞬間から、俺は恵一くんに心を奪われてならんねん。ずっと、ドキドキしっぱなしや……」
犬先輩は僕の頬を両手で包み、顔を寄せ、優しくも深く唇を吸った。
ほんの数秒の出来事。燃えるような混沌の恍惚。
唇を離したとき、漏れ出た涎が顎を濡らした。僕は彼の口元を追うように首を動かした。文香は息を呑み、目の色を紫に変えて凝視していた。
「せやからこそ恵一くんのために、俺はあえて苦言を申し上げねばならん」
「……うん」
やってしまった。いつかこうなる気がしていた。なんて、心地良いものか。このふわふわした気持ち。僕の中に混ざる恵。彼女の意識が単純に浮ついた気持ちにさせているのか。否、僕自身、彼との接吻には元から嫌悪感を持っていなかった。
男の僕と女の恵。二つの性別。二つの側面。
遺伝子が恵一から恵へと改変され、染色体が男女モザイクとなる。
見た目は恵、中身は僕と恵。その心は――?
それでも、結局は自分は自分であり、それは僕自身なのだった。
なぜならシュブ=ニグラスとは女神でありながら『千の雄羊をつれた雄羊』という別称があり、それは男性神としての側面を表すものだった。二つの意識が混ざりあう、今の僕達こそ本来あるべき『人間、シュブ=ニグラス』なのである。
シュブ=ニグラス。女神たる恵が求めたのは、完全なる男女合一。
陰と陽。太極。男と女。
その存在に、性的な役割の違いはあっても、性による立場に上下はない。ただしそうだからと言ってなんでも均等平等でいいわけでもない。何事もバランスである。行き過ぎた平等の叫びは必ず不協和音を起こす。弾圧、迫害、破滅である。
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