第50話 決闘、奉納、闇の底 その1

 神の奇跡の人類活用化はいずれ人の身で生まれる目覚めしアザトースに任せるとして、星間移動を済ませた僕達は全員、土漠のような大地を踏みしめていた。


 アルスカリのメイド達は忙しく立ち巡り、星間移動の際に乱れたお茶会のテーブルを整え直している。


 僕は横抱きにしていた響を降ろそうとしゃがんだ。が、響は甘えた声で不満を漏らし、むずがって降りようとしなかった。逆にしっかりとこちらの首に腕を回してしまう始末。そのうちにテーブルが整ったので僕は彼女と一緒に席に着いた。


「ここがユゴス星……ですか。空は暗いのに星そのものがじんわりと輝いているおかげで、まるで夜でありながら昼間、あるいは夕方のようにも見えますね」


「とても神秘的。昼間なのに夜って、皆既日食の中にいるみたい」


「ああ、文香さん。ちょうどそんな感じです」


「て言うか矢矧ッちって、この状況でもめっさ平常運転なのな……」


「だって犬先輩。わたしの理想の男の娘がここに。一巡先の自分が妬ましい」


「お、おう。これはこれ、それはそれ、か。相変わらず力強く生きてるなぁ」


 犬先輩から聞くところ、ユゴス星とは海王星の公転の遥か外方にある、太陽系の軌道面に垂直な公転を持つ地球よりも一周り大きい岩石惑星だという。


 はっきり言って、有り得ない星である。特に、公転軌道が太陽系軌道面に対して垂直というのが。しかし、絶対にないというのは、絶対にないのだった。


 そしてこの星、ミ=ゴと呼ばれる神話生物の基地としての役割も担っているらしかった。太陽から最も遠い九番目の惑星ではあれど、そのミ=ゴなる神話生物の科学技術で品種改良したヒカリゴケの変種にて星全体がほんのりと発光していた。


 普通に立っているところから分かるように呼吸は苦しくない。気圧および身体にかかる重力は地球よりわずかに重いと感じる程度。気候は温暖で、空気はこの一帯が土漠地帯――実はこの土くれこそヒカリゴケの変種であり、光量の他に酸素と気温及び湿度調整なども行なっていて、適度な湿潤のある快適な環境を整えていた。


 見回せば、今現在僕達は一本の川を臨む平原の、わずかに隆起した丘、と表現するのも若干おこがましいが、ともかくそんな場所に位置している。


 前面に流れる川はコンクリートらしきもので補強された、明らかに誰かが大規模に手を加えた人為河川で、その川幅は少なくとも300メートルはあった。これもまたミ=ゴなる神話生物の手によるものなのだろう。


 さらに犬先輩から聞くに、沿岸部へ行けば暖かな塩の海が広がっており、黒く窓のない塔が屹立する大都市や、人類未解明の鉱物の大鉱床もあり、長大な橋のかかる、ここよりも数百倍規模の、想像を絶する河川などもあるらしかった。


「何か、いる……?」


 ちょうど視界の片隅で複数の人影らしきものを捉えた。


 それは紙やすりみたいなくすんだサメ肌で、魚のヒレが変形してできたような薄羽を背中に生やす、象の鼻に酷似した器官を頭部に持ついわゆる異形だった。


 さらによく目を凝らして見れば彼ら異形は人間の首を、もちろんそれは恐怖に歪んだ形相で絶命しているのだが、まるで蹴鞠でもするように、ポン、ポーンと蹴り上げては仲間内でパスしあっているのだった。


「あー、あれ。アリスちゃん的には、さて、いかがかしら」


「殺された人間がどこからやってきたかはともかく、不愉快ですね」


「それじゃあ、女神の機嫌を損ねた、あれら愚物どもを処断しておくわねー」


 ナイア氏がひと言、朽ちよ、と呪いを発した。


 するとその言葉は実体をなし、黒い霞のような何かを伴って空中を突き進み、象鼻の異形たちを取り囲んで有無を言わさず砂に還した。


「念のため、ここを中心に半径100キロくらい消毒しておくー?」


「お任せします」


「はいよー」


「け、恵一くん。今キミが了承したことでこの一帯に棲む神話生物が丸ごと」


「人間の首を弄ぶ彼らより、犬先輩や文香さんたちの安全を優先させます」


「お、おう……」


 ナイア氏はふわりと10メートルほど宙に浮かび上がり、両腕を水平に広げてぐるりと横に一回転した。一瞬、禍々しく粘液に濡れる触手がその両腕より発現する。そうして先ほど見た黒い霧のようなものが横軸に360度放射されていった。


「ご苦労さまでした」


「いやいや。この程度なら、なんでもないねー」


「そういえばシュブ=ニグラスには、何かこう、あまり凶悪ではなくそれでいて頼りになりそうな眷属はいないのでしょうか?」


「まずは呼んでみて。そうすれば該当する眷属が喜んでやって来るはずよ」


「ここに、ですか?」


「地球で唯一神を僭称する真祖の吸血鬼、自称神聖四文字は自らの経典でこんなことを放言しているわ。曰く、わたしは言葉であると。言葉とは元来、現象を切り取るナイフなの。日本では言霊信仰があるわね。そんな感じで眷属を呼べばいいわ」


「はあ……。じゃあ、ボディーガード的な、それでいてモフモフと愛らしく、大きくて頼りがいのある何か、なんてものがいるのを期待して呼びますか」


 僕はあいまいな表現で特に眷属を限定せず、おいで、と単純に呼んでみた。


 ずぅん、と地の底から這い上がるような重い地響きが。


「おっとと、これはまた……」


 こんなにもあっさりと召喚がなるとは。


 確かに注文通りボディーガードになりそうで、それでいてふわふわモフモフと愛らしく、非常に大きくて頼りがいのありそうな眷属が召喚された。


 しかし、これをどう表現すべきか僕は言葉に迷う。陸上機動要塞とでも呼べばいいのだろうか、ドーム球場くらいの規模を持つ、超巨大な黒山羊のような何かなのだった。それは、メケケと山羊らしく嘶いて、主人の僕に向けて深く頭を垂れた。


「あらら、これもシュブ=ニグラスの黒い仔山羊なのかしら」


「少なくとも仔山羊ではなさそうですが……。普通に大きい山羊というか。まあ、可愛いです。顎下の山羊ヒゲが思いの外長いなぁー」


 なんでもないように腰に手を当ててナイア氏は見上げた。その横にいた十三氏は、口につけていた紅茶を吹いて激しくむせていた。

 犬先輩は愛犬のセトを抱き上げて数歩後ずさり、文香は、おお、とひと言感嘆してそのまますたすたと席に着いた。平常心。彼女の神経は無敵であるらしい。響は僕に抱きついて顔を胸に埋めてたまま、眷属には一切興味を示さなかった。


「さあ、上へ参りましょうぞ」


 ぐっと力強く掴まれるような浮遊感を覚える。


 僕や他の面々、テーブルやメイドのアルスカリも同時にふわりと重力に逆らって宙を浮き、巨大な黒山羊の背中へと誘われた。


「おお、ふわふわ。もっと硬いイメージがありました」


 その背中はまるで高級な絨毯の上にいるようだった。しかも懸念した獣臭もなく、高さからの視界の良さに感動すら覚えるほどだった。


「こんな感じでよろしいですかな?」


「孫七郎さんが登らせてくれたんですか。ありがとうございます」


「お褒めに預かり光栄です。では、そろそろ始めさせてもらっても?」


「はい、いつでもどうぞ」


「了解を。必ずや、勝利をわが手に」


「さてさてどうなるかしらね。それじゃあ、ぼくもこいつを相手にやりますか」


 二人は互いに向き合ったまま飛び退った。ナイア氏は左へ、孫七郎は右へ。星の磁力線を調べると、彼らはちょうど西と東に分かれる形となっていた。


 軽く数キロは離れているだろう、二人は遠目に見える位置まで移動してゆく。


 そうして彼らふたつの混沌の顕現体は、見る間に人工河川を挟んだ土漠状のヒカリゴケ変種の平原に、四つに分かれた歩兵軍団を召喚せしめた。軍団の前面は右、中央、左の三軍、その後ろに顕現体を含む本体の一軍となっていた。


「三愚神ナイアルラトホテップ決戦様式や。三愚神に確定した顕現体に異議を申し立てるとき、最悪の場合は戦闘で雌雄を決することになる。ルールはこんな感じ」


一、戦闘する顕現体は軍を指揮する指揮者とする。指揮者、二名の戦いとなる。

二、兵は各自二万五千体用意する。出力のない顕現体には戦闘資格はない。

三、勝敗は、顕現体のいずれかが先に正体を現したほうを敗北とする。

四、指揮者の飛び道具は禁止。指揮者の敵軍への直接攻撃も禁止。

五、指揮者は降伏できない。指揮者の逃亡は許されない。

六、ただし軍が完全壊滅し、単独となった場合は四と五は適応外とする。


 隣に座った犬先輩はやや醒めた声で教えてくれた。


 さらに彼が言うに、三つの軍団と一つの本体の内訳は――、


 右翼が独立種族のアルスカリ。

 中央が奉仕種族の忌まわしき狩人。

 左翼が奉仕種族のシュゴラン。

 本体軍は蛙の胴にイソギンチャクみたいなの頭の、ムーンビースト。


 で、構成されているという。


 ナイア氏と孫七郎はシャンタク鳥という飛行怪物に乗って全軍の指揮を執る。彼の目算では前面の三軍は一軍につき五千体で計一万五千体、本体軍は一万体であり、合わせて二万五千体、両軍で五万体の大軍団であるらしかった。


「奉仕種族のシュゴランって、さっきの」


「オカマが塵に還したあの異形やな。象鼻で背中に魚のヒレみたいな羽、特徴的やろ? 奴らの装備は小剣に投石紐スリングらしいが、この土漠地帯で使えるかね?」


「中央に軍団を編成する忌まわしき狩人とは、あれって蛇の異形ですか」


「クサリヘビの異形やな。体長は10メートル、ぬめっとした黒い粘液が全身を覆っていて、背部には蝙蝠のような片翼が特徴になる。可変性が高く、蛇のくせして手足を疑似的に作り、簡単な作業ならこなせるほどや。知能は高いが顎部が人間とは大きく異なるから、会話はできても非常に聞き取りにくいな」


「そんなのが五千体も」


「……せや、な」


 やがて、しん、と静まり返った土漠の平原は、より一層緊張感に満ち満ちてくるのが分かった。待っているのだ。僕の、戦闘開始の合図を。


「黒山羊さーん、ひと鳴きしてくださいーっ」


 僕は命じた。超巨大な黒山羊は、ひと呼吸して上を向き、メエエエエッ、と天を衝くように嘶いた。同時に両軍から悲鳴のような雄たけびが上がった。


 両軍、武器を構え、前進する。


「始まったか」


 犬先輩はうめくように小さくこぼした。

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