第47話 アリスのお茶会 その4

「シュブ=ニグラスについては、わたしも多少なりの知識があります。かの偉大なる神性は多産と豊穣の女神であり、数いる『夫』の中でもアザトースの副王たるヨグ=ソトースは、彼女の『第一の夫』でもあります。ならばその妻の特性を生かして、分御霊の副王陛下に、交渉事は可能でしょうか?」


「えっと。話の筋が見えないので、どうにも答えかねます……」


「ああ、すみませんわたしとしたことが。先ほどにも少し触れましたが、実はわたしも生と死を繰り返す存在として、この世界を生き抜こうと必死になっています。強くてニューゲーム。わたしを庇護するナイアはそう茶化しつつも、赤子からやり直すとはいえ記憶を保たせたまま機会を与えてくれます。そして毎度その生に死の刃を立てるのは、話題になっている目覚めたアザトースの少女――いや、幼女」


「……どうぞ、続けてください」


「寛大な御心に感謝を。彼女はヨグ=ソトースより全因果律の支配者たる祝福を受ける際に、自己の脳スペックを最大限に生かすため6歳で年齢固定化し、人間であることを脱却してしまいます。なぜならそうしないと、彼女の頭脳は人の身でありながらも宇宙規模の量子コンピューターと同義で、ただし人の子を続ける弊害というべきか超高性能であるがゆえに経年劣化も早く、数年後には痴呆症状が現れ、最長でも18歳で、脳の萎縮が原因で亡くなります。さて、彼女には6歳の幼女らしくない恋い焦がれる男性がいました。22も年上の、しかも法律的には兄にあたる人物です。微妙な言い回しですが、二人の間に血の繋がりはないということです。先に申し上げたように、彼女は副王の祝福によって事実上の不死身にして不老不死となり、頭脳を恒久的に守る代わりに、身体の成長を諦めざるを得なくなりました。しかし精神こころは成長するんです。日々恋い焦がれます。けれど、肉体は、未熟なまま」


「その彼女に、嫉妬でも買いましたか?」


「まさにその通りです。当初、わたしは女として生を受けました。病弱でしたが必死で学問に打ち込み、上手く桐生グループに拾われ、気づけばプログラム開発のカオスシード社のCEOにまでなりました。が、何かにつけ問題の彼女の兄とは関わりが生まれ、そしてわたしはすぐに彼女の嫉妬と恨みを買い、殺されてしまいます。幼女のまま、愛する男を自分に保持させるのは並大抵ではないのでしょう。社会的にタブーですらありますからね。兄妹の関係であることも、幼な子の姿的にも。しかし彼女は超高度な知能を持つため、邪魔者はすべて自然な事故に見せかけて、余人には決して気づかれぬよう巧妙に始末できるのです」


「あなたには気の毒な現状ですが、その少女も悲しい業を背負っていますね……」


「肉体と精神のちぐはぐさが生んだ特異点みたいな恋愛感情で、どうにも制御が難しいようです。話は変わって、わたしとナイアとは初めての生からのつき合いで、恋人ごっこをする関係だと思ってください。ちなみに夜も恋人ごっこをしますよ。もちろんナイアの正体は存じています。それでもナイアは、わたしに根気よく機会を与えてくれます。生と死を100数える頃、ならば性別を変えてしまえばと、現在では男として生を受け直し何とか生き延びようと努力をしています。もっとも、すでに二度の男性としての生で、彼女の怒りを買い、殺されているのですが」


「……根本の解決策として、問題となる目覚めしアザトースの彼女とは関わらないようにするのはダメなのですか? 国外に行くとか」


「関わらないと別な要因で死ぬのです。交通事故だったり、病気だったり」


「ふーむ。だからこそ、僕にヨグ=ソトースの分御霊と交渉を」


「お願い、出来ませんでしょうか……っ」


 席を立ち、一歩下がってほとんど直角の勢いで頭を下げられた。


 犬先輩の42億回の生と死に比べればなんのことはない。とはいえ、犬先輩と十三氏とでは存在のステージがまったく違うのだった。たかが人の身で100回以上の人生のリトライは、さすがにキツかろう。よく精神が参らないものだ。


「……わかりました、犬先輩の一件で交渉するつもりなので、そのときにでも」


「ありがとうございます。重ねてお願いします。この御恩は成功如何に関わりなく、ご実家への様々な社会的サポートという形でさせていただきますので」


「元は女性で、繰り返しの末に男性に生まれ変わるとは、その人生を全うさせたい熱意に胸を打たれます。僕なんて青臭く甘ったれで、しかも女装子ですし」


「滅多にない美少女にしか見えないところが、なんとも」


 今ならわかる。シュブ=ニグラスたる恵は僕に共時性を求めていたのだ。彼女にとって男女の差など些細な問題。のだった。


 そしてそれは現在、自身に内包される宇宙的神性によって染色体のモザイク化を起こし、女性化を進行させていた。そりゃあ恵は女の子だもの。日本語表記がおかしくなるをあえて書くに、『僕の身体は恵』なのだ。


 もっと可愛く、もっと女の子らしく、可憐に咲き誇れ。APPは18に。たぶん彼女を完全に受け入れたそのとき、さらに魅力値は上昇すると思われる。


 十三氏との話は終わった。僕は犬先輩に向き直った。そして告げた。会話と同時進行で僕は自分にかけられた魔術の解除を試みていたのだった。


「記憶を曇らせる魔術の解除はすでに終わっています。お待たせしました」


「お、おう。それでどうやった?」


「……あの日、あのとき。僕と恵は喧嘩をしていました。兄妹だからこそ、喧嘩は毎度のことでして。もちろん、すぐに仲直りしますけれどね」


「うむ」


「ただ、この日ばかりは僕は、頑として譲らなかった」


「というと?」


「古鷹店長の従妹さんは『D'ARK+ダルク・プログレス』という、男装のやたら格好いい女性だけのビジュアル系インディーズバンドを組まれていますよね」


「おう、古鷹ナギサがヴォーカルやってるな」


「恵はそのバンドの熱烈なファンなのは知っての通りです」


「ファンが高じて大学区内のコノハナサクヤに忍び込むほどやったな」


「そうですね。僕はこの夏のアルバイトまで、コノハナサクヤには近寄りもしませんでしたけれど。それで、恵です。妹は『D'ARK+ダルク・プログレス』に入れ込むあまり、あの子もバンドの売りの一つでもある男装をするようになりました。ただ、これにはもう一つ意味があって、夜のライブに行くには男である必要があったためです」


「つまり恵一くんになる必要があったと」


「父は兄の僕にはあまりその辺りはうるさく言いませんでしたが、恵には僕とは違い夜間の外出を禁じました。女の子の夜の外出は男よりも遥かに危険が伴いますからね。なので恵は僕に変装するため、僕には自分自身に――恵になるようにお願いしてきたのです。もちろん自分としては抵抗感が凄かったですよ。妹と入れ替わって父を騙すとか。ですが、あまりの熱心さに気持ちを動かされて……」


「それが現在に至ってはこんな愛されメイドな姿に」


「こ、これはその、向こうの文香さんの願いであって僕の意思では。ともかく、あの日、僕は『不安』だったのです。このまま恵の言いなりに女装なんてしていていいのかと。この格好、恥ずかしいんですが本音を言うと、結構、その、癖になっているんですよね。ほら、変身願望っていうのですか? それが満たされるようで」


「まあ、わかる。俺も気分転換で女装して街に繰り出すし」


「犬先輩、そんなことしてるんですか……」


「いやほら、俺、学園外だとスパイな大作戦みたいなのにマークされるから変装をな。アレやで、自分で言うのもなんやが男の娘にも自信あるねん。それが証拠にめっさ野郎どもに声かけられる。ほんで地の声で俺、男やねん言うてやるん」


「犬先輩の女の子姿は、有名ファッション雑誌に載ってもなんら違和感ありませんからね……。うわぁ……性癖が歪みそう……」


「歪んだヤツもおるやろなー。もう男の娘ケツマンコしか愛せないとか。うははっ」


 いやいや、ちっとも笑えませんからね。


「あの日、恵にしてみればとても重要な日でした。というのも『D'ARK+ダルク・プログレス』がメジャーデビューするとかしないとかの節目のライブがありまして、結局メジャー化はまだもう少し先になったようですが、いずれにせよ妹にとって必ず参加したい夜のライブがあったのです。しかし、僕はあの日、兄妹入れ替わりを――」


「頑として断ったんやな?」


「……です。それはもう、かつてない喧嘩になりましたよ。ただ、当たり前ですがそんな状態でも日々の生活はあるんです。あの事故の当日は、食料品の買い出しに行く予定日でした。たとえ大喧嘩しても、必ず二人で行く。でないと数日分の量を確保できませんので。しかし、僕はあの日に限って、行かなかった。頑として、ね。これをワガママと感じたのでしょう、恵はそれはもう激怒して、僕の財布を奪った上でタクシーに乗って一人で買い物に行きました。……僕はあのとき、一本の電話を受けていました。それは番号非通知で、自称、霧島さんからのものでした」


「ああ、それは俺やな。霧島と、あとは榛名ってのは偽名でよく使うんやわ」


「偽名って一体。いや、まあ、いいです。犬先輩ですものね」


「それで納得される俺もたいがいやなぁー」

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