第44話 アリスのお茶会 その1

「先に紹介しとこうか。右手をご覧ください。はい、これが俺の右手でーす。ムラムラしてオナるときの恋人の手でもあります――って、なんでやねんな!」


 犬先輩は一人でボケて突っ込みつつ右側のスーツの男の紹介を始めた。


「これなる線の細い、オールバック銀縁眼鏡な切れ者オジサン。その正体は桐生グループ系列の演算マシン全般のOSを手掛けるカオスシード社の社長シャッチョさんや。名前はかなーり特徴的で、七七七ヨロコビ十三ジュウゾウさん。苗字は漢字一文字じゃなくて三つ七を並べてヨロコビな。名前はゴルゴとは違う勢いで、ジュウゾウさん。昔は一三と書いてヒトミとも呼ばれていたらしいが、さーてさて、昔の話やら」


「……犬くんの紹介に預かります。ヨロコビジュウゾウと申します。異世界の愛宕恵一くん、どうぞよろしくお願いします。しかし、よもやこのような稀有な美少女が実は男の子だなんて、誰が思うでしょうか」


 さらに犬先輩は、左手を美貌の青年に向ける――割とぞんざいに。


「こっちのオリエンタルな青年風の、褐色肌で性別不詳ファッ金髪クソオカマは、ナーセル・トート・ナイア。千の貌の一つ、化身アヴァターラタイプの混沌邪神ナイアルラトホテップや」


「……いくらなんでもその紹介は酷過ぎない? ファッ金髪って何よ? オカマだってちゃんと市民権あるんだから。それはそうとよろしくね、三愚神の恵一くん。いや、恵ちゃんかな。あなたはぼくの上役にあたる方だけど、ぼくは形成時からこーんな性格なの。うふふ。失礼しちゃって、ごめんねー」


「ちなみにそいつも恵一くんと同じ三愚神の一柱や。千の貌の顕現体、その候補者の中では、一番本体の出力に近い存在でもある。さすが化身いったところやな」


「下げてから持ち上げるのね。褒めてもお尻くらいしか貸せないわよ」


「んなもんいらんわい。十三パートナーさんと精々仲良くしてやがれ」


 かなり個性的な人達(?)のようである。そういえばいつか会うとか元世界の犬先輩が言っていた混沌の邪神は、この顕現体を指しているのかもしれない。


「まずは皆さん、こちらへどうぞ。昼食はすでに済ませて来られたかとは思いますが、せっかくの薔薇園なのでテーブルとチェアーを持ち込んでお茶会風にしてみたのです。ああ、学園の方にはちゃんと許可はもらっていますよ。実はわたしもこの学園の卒業生で、それでちょっとした伝手がありまして」


 十三氏は僕ら三人と一柱を誘った。


 薔薇園の中央部。いくつかの瀟洒な薔薇のアーチを抜けた先。そこには白いクロスのかかった円卓と、六つのチェアーが用意されていた。卓の上には台を埋め尽くす数のポットとカップ、三段重ねのプレートが所狭しと並べられている。僕は床に零れ落ちたトランプのカードを拾い上げた。ハートのクィーンだった。


「そういうわけなのよ、わが上役にして男の娘のアリスちゃん」


 なるほど、これはルイス・キャロル著作の不思議の国のアリスに出てくる気違いのお茶会がモチーフらしかった。確かにここにいるのは、いずれもが人外や人であることを逸脱した天才や異才ばかり。これほどの似合いの場もないだろう。


 十三氏にそつなく座席を引かれ、勧められるまま僕は椅子に着席する。

 右に響、左に文香。

 真正面は犬先輩ではなく混沌の化身たるナイア氏。

 彼 (彼女かも?)の右隣には十三氏。左に犬先輩が陣取っていた。


 どこからか冷気を含んだ風が、ゆったりと頬をないでいく。


 この温室の中央部には切株と表現するには違和感のある超巨大古代杉の成れの果てがあり、そのウロの部分から地下深くまで続く自然洞穴が広がっているのだった。


 その深さ、何度か調査団を編成して調べてみたところ、最深部へ至るには十キロ以上歩かねばならないらしい。しかも枝分かれが物凄いことになっていて、遭難を始めとする危険防止のため基本的に入場禁止措置がなされていた。代わりと言ってはなんだが、季節に限らず一定の温度を保つ深部から天然の冷気を汲み上げて、薔薇の温室の室温調節に利用していたりする。温室なのに、冷房がよく効いているのだった。


「まずはお茶をどうぞーってね」


 ナイア氏は僕に微笑みかけながらパチンと指を鳴らした。


 するとどこに待機していたのか、メイド服を着た大柄なフードの人影がずらりと並び立ち、一斉に給仕を始めるのだった。


 異様な光景である。彼女 (彼?)らは粛々とカップにお茶を注いでゆく。香りからしてアールグレイのようだ。メイド服で、頭は目深にかぶったフード。しかも僕が着るそれよりも実用的で地味なハウスメイド衣装だった。


 フードを覗き込もうとすると、それは畏れを抱くように引き下がり、片膝をついて腰が折れる勢いで頭を垂れる。どうも覗き込みはご勘弁であるらしい。しかし僕は見た。緑色に輝く光を。あれには見覚えがあった。


「……アルスカリにメイドをさせるとは、なかなか斬新ですね」


「ムーンビーストだと体がごつ過ぎて謎のメイドガイになっちゃうのよねぇ」


「恵一くん。この、わたし達みたいな恰好のアルスカリって人、何者?」


「外なる神ナイアルラトホテップを崇拝する、単眼が特徴的な独立種族ですね。僕の世界の文香さんは日本刀を片手に、裏飛竜からのコンボで斬首しましたが」


「えぇ……向こうのわたし、アグレッシブ過ぎない?」


「おお怖い怖い。まあ気に障ったら、好きにやっちゃってもいいけどさー」


 ナイア氏の一人称は『ぼく』であるらしい。

 十三氏は『わたし』だった。

 ちなみに僕は『僕とわたし』『わたしと僕』である。


 違和感が広がるも、これら人称はパートナーという意味合いにかかってくるのだろう。なるほど私生活が透けて見えるようだ。


「さて、そしたら何から話したらええかな」


 一口、紅茶に口をつけた犬先輩は、慣れ親しんだ元の世界の彼と同じくしてニヤニヤとした道化顔になった。その顔を見ると、不思議と僕は安心するのだった。


「そうやな、俺についてから話そうか。恵一くん、向こうの俺は、いや違うな、宇宙が一巡した先の俺は、どこまで自分について語っていた?」


「イヌガミに関係するとだけ。すみません、それに付随して気になることが。この世界は僕視点からすれば一巡前なんですか?」


「そう、この世界はキミ視点では一巡前となる。が、それはまだ置いておこう。これから話す内容はどれもが重要になろうさ。落ち着いて一つずつ解決しようや」


「え、ええ。では続きを。彼は自分について語るのは好みませんでした。同一人物の前で言うのもなんですが、口にし難い大きな秘密を抱えていたようです。例えば42億回の生と死なども。しかしいつか話すと約束してくださっています。自分を信じてくれと。僕は犬先輩を信じました。信頼できる人だと思ったので」


「42億のくだり、向こうの俺はキミに詳しく内容を語ったんかいな?」


「いえ。きさらぎ駅での探索話を回想してくれたときにわずかばかり触れただけです。何せ向こうのヴェールヌィこと響ちゃんにもきつく口止めするほどですから。しかし、この世界の響ちゃんはそういった口止めはなされていませんでした」


「おお、なるほど。ときに、向こうの俺はキミとの肉体関係は?」


「ウホッ」


 と、これは文香。もはや条件反射のようだ。業が深い。


「主に受け的な意味でのお誘いなら、幾度か。もちろん冗談……の、はず」


「ふむ。ちゃんとキミのために精神の均衡まで考えていたと。お誘い自体は冗談と言えば冗談やし、あえて頷いてみるのも、それもまた一興やと思うね」


「さすがにそれは……。でも精神の均衡とはどういう?」


「俺がネコなら恵一くんはタチ。受けは女役。攻めは男役。俺なりに恵一くんのメインとなる自我を男と認識させ、恵一くんの中の大切な妹、恵ちゃんとの精神の均衡を取らせていたと思われる。きさらぎ駅の話を知っているなら話は早い。。ゆえに俺がキミに、または行為にはすべてに意味があり、守護のため一切の無駄を取らなかったと考える」


「……」


 僕は圧倒されて黙った。犬先輩はなぜそこまでして、僕を守ろうとする。


「よし、恵一くんの中で疑問が渦巻くのはわかるとして、どんどん話を進めてしまおう。次の話題。イヌガミが関係するってか。その通り、俺の母方の家系はいわゆる犬神筋やねん。1800年前からわが呪術の家系は土佐の国に住んでいた。が、500年ほど前、呪力の強さゆえに当時の支配者、長曾我部に忌まれて土地を追われ、一族は西日本を中心に散り散りになった。その後、関ケ原の合戦の前段階時、東西いずれかに与しようとする老いた長曾我部元親を呪縛し、判断力を奪い、決断を鈍らせ、結果西につかざるを得なくした。敗北側につかせたんや。俺の先祖は徳川勢が勝つと知っていた。で、一族の住処を奪った憎いヤツに報復を成した」


「なぜ東側の勝利を知っていたんです?」


「あー。その答えは後回しにさせてくれるか。で、母の実家。家名はあえて言わんけど四国で犬神筋っていうたらあすこやろってくらい有名でな。けど母には犬神に関する呪術その他を使役する才能が皆無やった。本来なら母から娘へと一子相伝させる伝統的まじないを、男なのに才能があるってんで孫の俺に継承させたわけや。これが俺が12歳の出来事。その結果が、ここにいるセト。この子の正体は、柴犬ではなく犬神の化身みたいなもの。普段は、柴犬のを着せられているだけ。……俺とセトは単純にいつも一緒にいるわけではない。セトは俺に憑いているから、結果的に一緒にいる形になっている。まあそない言うて中身は異形であっても俺も犬は大好きやから普通に可愛がっていて、おかげでセトとの関係はごっつう良好やで。代わりにヨグ=ソトースとは、めっちゃ仲が悪くなってるけどな……」


「犬神筋についてはネットのオカルト情報で多少は知っています。呪術的に畏れられた家系で、現代ではともかく、その昔はかなり大変だったとか」


「まあな。ただ、父方の南條家は犬神筋と密約を結んだ家系の一つでな。そもそも南條家は結構な家格の武士の一族で、それが時代の変遷でやがては軍人の家系となっていくクッソ旧い家やねん。ほんで戦争に行っても死なん強力なまじないを受ける代わりに、犬神筋に外の血を与える一種の共生関係をやっていた。で、そのまじないっていうのは『事象の変化の度合いを作用させる』そういう類のものやった」


「わかりにくいんですが、人の概念における時間そのものに作用すると?」


「いやいや、わかりにくいも何も理解してるやん。一応解説すると、時間ってのは人間独自の勝手な概念でしかなく、本当のところはこの宇宙には時間なんてものは存在しない。なら時間に相当するものは何か。それが『事象の変化の度合い』というやつや。その変化の最小単位が、人間の概念的単位では10京分の1秒。ついでにいうとこいつは水の流れの如くミライからカコへへ流れる性質をそもそも持たない。点在する事象を、人の脳みそはアザトースの夢見の演算をもってして都合よく繋げているに過ぎない。……さて、時間と事象の変化の度合いと、犬神との関係についてやな。ティンダロスの猟犬って、向こうの俺から聞いたことないか?」


「いえ、初耳です」


「まあ俺のセトのことやねん。猟犬とは人の概念でいう時間作用に関わる、いわゆる尖った時間の存在。南條家のモンが戦争行くやろ? 呪術で守護するやろ? 戦場で、事前に何が起きるかを教えたり、敵とかヤバいときは変化の度合いを極限まで引き延ばして、要は時間を止めたりする。俺ら犬神筋は猟犬を使役するんや」


「そんな強力な呪術が使える猟犬を、人の身でよく使役できますね」


「そこや。人間では、普通は無理。でも母方の家系には住人の血が混じっているんやな。住人とは何か。ティンダロスの住人のことや。この世界は曲線の事象の変化の度合いを持つが、住人の世界は尖った事象の変化の度合いを持つ。意味が分からんやろうが、近いたとえでは『いつでもタイムリープとザッピングを足して二で割ったような現象がまかり通る世界』や。ヨグ=ソトースの支配の外、アザトースの夢の世界の外。虚数空間に住まい、この世界の法則とは違う理で成り立つモノ。事象を連続体へと繋げさせず、変化の度合いを保たせられる、そんな世界」


「要約すれば、この世界とは異なる法則の元で生きる、異世界人ですね?」


「そのざっくり理解力、俺は大好物やで。ティンダロスの住人はそんな認識世界に、文字通り住んでいるわけや。さて、関ケ原の合戦で東の徳川方が勝つと知っていた理由はもうわかるな。そりゃあもう条件をつき合わせてその事象の変化の先を覗いてきたら、結果なんて普通にわかる話やで。テストの答案を、答え見ながら書き込むようなもん。欠点はネット検索と似ていて、あまりに漠然としたものはNGなんやな。できる限り具体的に、可能なら5w1hレベルで調べると良い感じになる」


「犬先輩の語り難い部分はわかりました。ですが、僕はしっくりしない。なぜそこまで力のある一族なのに、犬先輩は42億回も生と死を繰り返すのでしょう」


「……恵一くんって、推理小説の序文を読むだけで大体の物語の筋が読めてしまうタイプなんかね? 世界の副王、ヨグ=ソトースは、ティンダロスそのものと敵対関係にあるねん。そして俺は、特にあの副王に睨まれている。立場をわきまえない愚か者としてな。事の発端は、俺が最も旧き、かつ、新しきアザトースを暗殺しようとしたことにある。依頼者は、否、命令者はアザトースやった。わけがわからん? さっきからそればっかり? アザトースがアザトースを殺せとかどうなってんねんと」


「それは科学的観点から説明すれば、宇宙は親宇宙から子宇宙が生成されて、さらには孫宇宙へと、どんどん代を変えて拡張する現象によく似ていますね」


「恵一くん、ビンゴ。それなんや。そして俺はアザトースには逆らえん立場にある。不幸にもわれらが主は、俺にあの幼女ぶっ殺して来いと命令してきた」


「……犬先輩、まだ何か言いずらい部分があるんですね?」


「すまん、生まれが込み入り過ぎてな。犬神一族を選ぶとか悪意マシマシ過ぎるねん。しかも人間とか。なあ、化身のナイア。憑依体の響。お前ら、どう思うよ」


「ぼくは面白いと思うけどね。最低ニンゲンを知るがゆえに最高ケイオスを楽しめるだなんて」


「わたしはキミヒラお兄ちゃんのこと大好きだよ。ママの娘になるまでは、お兄ちゃんのお嫁さんになるつもりだったし。それでいっぱい子どもを産むんだって」


「これだからな。まるで他人事甚だしい。響に至ってはその性行為はただの自慰行為にしかならんことにまったく気を止めてもいない」

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