第43話 ボヘミアンラプソディ その3

「お待たせしました、矢矧さん」


 一人がけソファーの文香は、はい、と短く返事した。響は三人がけソファーにダイブし、ひょい手を伸ばして僕のスカートのすそを引っ張ってきた。


 慌てた僕はメイド服のスカート部分を守るように響の隣に座った。彼女のセーラーワンピースの尻部分はめくれ上がり、手塚治虫氏タッチの不死鳥アニメプリントがされたお子様パンツが丸見えになっている。僕はそっと尻部分の裾を正してやった。ひと息遅れて黒猫姉妹が、僕の周りに寝転んで侍ってきた。


「メイド服の男の娘と、甘える銀髪幼女と、黒のにゃんこが二匹……」


「うふふ。写真に撮りたいですか?」


「えっ、そ、その。大丈夫です。それに、このユニフォームだと写真は」


「旧来のフィルム式のカメラなら、フラッシュさえ焚かなければ撮れますね。すべて手動でしないといけないので扱いは難しいと思いますけれど」


「あっ、そうか。デジタル撮影じゃないから」


 以前にも書いたように、このメイド服には微弱な妨害電磁波を発信する特殊機能があり、半径10メートル内のデジタルカメラやビデオの回路を狂わせてピントを合わせられないように作られている。


 おまけにエプロンにはフラッシュを過剰光反射する対パパラッチ用特殊生地『ISHU』を使っているので、こと写真撮影に関しては旧来のフィルムを使った光学カメラによる全手動撮影以外受けつけない。


 ネット時代の対抗処置である。許可なしに勝手に画像をネットに流されては、それが原因で犯罪に巻き込まれかねないし、そもそも肖像権の侵害でもあった。


「話を戻して、記憶を曇らせる一件についてですが、実はお昼過ぎに犬先輩と会う約束をしているのです。そのときに問い質してみようかと思っています」


「この世界の犬先輩と、愛宕くんのいた世界の犬先輩とは違うような気が」


「本質は同じですよ。何せ同一人物ですから。きっと彼なら、十分に満足のいく答えを引き出してくれるでしょう。僕は、犬先輩を信じたい」


「……そう、ですね。よくよく考えればあの突拍子もない性格の人が、世界が違う程度でまるで別人みたいになるなんてちょっと有り得ないというか」


「あはははは……。それ、僕もそう思います」


 以上で、ひとまずは話は終了したと見てもよさそうだった。


 文香は、それではこれで、と立ち上がろうとした。彼女の用事は終了したと見るべきだろうか、それともこれ以上踏み込むのは僕に失礼だと遠慮してのものか。


 僕は立ち上がった彼女の顔を見上げた。文香は、このまま帰りたくない、と言わんばかりに表情に陰りを表していた。彼女は僕を気遣ってくれているらしかった。



僕は、これまで苗字で呼んでいた彼女に、親しみを込めて名前で声をかけた。


「あのですね、この後すぐ、食料品の買い出しに行こうかと考えているんです。お米は結構あるのですが、冷蔵庫の中が清々しいほど空っぽなので……」


「……はい」


「車は父が出してくれますので、どうでしょう、せっかくですし僕達の買い物につき合ってもらえませんか? お昼は僕が作りますので、一緒に食べてはどうかと」


「えっ。い、いいの?」


「もちろんです。リクエストがあれば、なんでも言ってくださいね?」


 僕は笑顔を文香に向けつつ響の口を柔らかく押さえた。


 不満の声を上げかけた響は押さえられた口のまま、むぐぐ、と唸った。恨めしそうにこちらを見上げている。ああ、そんな目で見られるとゾクゾクするよ?


 僕は手を放して彼女の頬を撫で、耳元をくすぐり、頭を撫でた。顔を近寄せて額にキスをしてあげる。扱いは、子猫のように。響は目を閉じ、もっと撫でてとせがんできた。この邪神幼女ちゃんの取り扱い方がわかってきた気がする。


「あの、一つだけ、聞いてもいいですか?」


「一つとは言わず、答えられるものであればなんなりと」


「あなたの世界のわたしは、愛宕くんとは、ど、どういう関係、でしょうか?」


「……あ、はい。その……勘づいているかもですが、僕は文香さんとつき合っています。いわゆる、恋人の関係です」


「おお、恵一の雰囲気からして疑っていたんだが、やっぱりそうなのか!」


 これまでキッチンのチェアーで黙って様子を眺めていた父が、素っ頓狂な声を上げた。目の前の文香は、顔を真っ赤にして俯いた。そしてぽそりとこぼした。


「いいなぁ……愛宕くん、あっちのわたしの恋人だなんて……」


 その後、三人と一柱は葛城市南方の新庄区域にあるスーパーマーケットへ、父の運転するセダンに乗って買い物に出かけた。


 空になった冷蔵庫を父が必要とする分だけ満たす。男一人で暮らすだけなので量自体はそれほど必要としない。買い物の内訳がほとんど冷凍食品なのは仕方がなかった。父はこれまで家事をほとんど息子と娘に任せ切りだったのだから。


 余談になるが二人のメイド服姿の少女(一人は僕だが)と、見た目は10歳にも満たぬ銀髪碧眼の稀なる美、そしてやつれた顔の中年男という組み合わせは衆目を集めないはずもなく、なぜ父がわざわざ市の南方の遠い店を選んだのか、よくわかる結果になったとだけ書いておく。


 文香の昼食リクエストはオムライスだった。


 本日のコノハナサクヤの賄いがちょうどそれなので、せっかくだから僕に作って欲しいとのこと。彼女とはすでに友人関係レベルにまで打ち解けあい、言葉遣いも欲求も元いた世界の文香とほぼ変わらなくなっていた。


 それにしてもわざわざあの気まぐれ裏メニューに対抗させるとは、この世界の文香も結構な嗜好の持ち主らしかった。


 というのもこの賄い、店員の食事兼先着人数限定で客にもお出しする隠れ名物なのだった。昼食時、黒板メニューに書き出される内容はこんな感じである。


『日替わりメイドさん。先着十名様限定。新人アルバイターメグちゃんの作る賄いオムライス。作った本人が持ってきてくれます。ただし味の保証は致しません』


 一見すると風営法に引っかかりそうなグレーゾーンを行くギャンブル性を持った、しかして客 (主に男子学生)の心を掴む裏メニューなのだった。


 お客さんに出す際には『今日は自信あるかもです』『今日はちょっと失敗しちゃったかも』などのコメントをつけるのがメイド賄いの作法になっていた。


 とはいえここで働く女の子達はみんな料理上手ばかりなので、まず失敗作は出ないし、たとえ失敗しても愛嬌で乗り切る購買競争率の高い商品筋であった。


 僕は手早くオムライスを四皿調理した。手慣れたものである。


「今日はちょっと自信あるかもです。ふふふ」


 ひと言コメントをつけることを忘れずに、出来立てのオムライスを並べる。


「「「美味しい!」」」


 どうやらお気に召したようで、父、文香、響の二人と一柱は大変喜んでくれた。こんな簡単なものでも料理冥利あるなあと思った。


 昼食を終え、後片づけをササッと済ませる。

 締め括りの手を洗い終えた直後、折よく犬先輩からの連絡が入ってきた。


「南條です。酢豚のパイナップルは当然、赤飯の甘納豆もギルティ。その上で潮崎の渦潮揚げに噛りついたらなんかホッとするな。そう思わんか恵一くん」


「あ、はい。よくわかりませんけれど」


 この世界の犬先輩もたいがいな変人のようだった。だがそれが妙に安心感を誘ってくれる。ちなみに潮崎の渦潮揚げとは『幸運ラッキーガール』女史の本家筋、水産品加工で東証一部上場に連ねる潮崎水産株式会社の、その看板練り物商品だった。


「それで恵一くん、昨日からの約束やけど、今から時間取れるか? ミスカトニック高の薔薇の温室まで来て欲しいんやけど。そう、響がボッチってた場所な」


『もうボッチじゃないし! キミヒラお兄ちゃんの意地悪ぅ!』


「愛してるよ、響。可愛い俺の義妹いもうと


『えっ、あっ、わ、わたしも、お兄ちゃんのこと大好きだけど』


「ふはは」


 つき合いが長い分、犬先輩の響への扱いの上手いこと。それはともかく、僕は二つ返事で犬先輩に今すぐ薔薇の温室へ向かうと伝えた。


「ではお父さん、行ってきます。どう進展しても必ず一度は戻ってきますので」


 僕は心配気な父に微笑みかけ、極力なんでもないそぶりで出かける旨を伝えた。文香は自分もついて行っていいのか迷っている様子だった。なので同伴をお願いすると、喜んで頷いてくれた。響は僕の手を引っ張って早く行こうとせがんだ。


 この世界の犬先輩との邂逅が、元の世界へ帰還するための天王山となるはず。南條公平。世界をたがえど、基本的にこの世界の彼と元世界の彼は同一存在である。彼がひた隠しにする秘密事やその能力、すべてつまびらかにさせてもらおうではないか。


 黒のエナメル靴を履き、玄関を出る。途端、容赦ない暑さが強圧をかけてくる。


 僕は熱気に対抗するように、大きく一歩を踏み出す。強烈な真夏の陽光が、目の奥をギラギラと照りつける。


 つば広のコサージュハットをどこからか用意した響は、その幼い見た目の通り元気よくぴょんぴょんと飛び跳ねていた。うふふ、やっぱり小さな子って、可愛いよね。彼女は元々は裸足だったため、買い物に行く際に与えたサンダルを履いていた。それは幼少時の恵のお気に入りサマーサンダルだった。


『ママ、行く場所はわたしの隠れ家の薔薇の温室でいいの?』


「ええ、そこへお願いします」


「……恵一くん、どうしたの? 行かないの?」


「いえ、直送です。気を強く持ちましょう。SAN値も直葬されかねません」


 返事を待たず響は僕と文香の手を取った。響は手を繋いだまま僕にぴったりと身を寄せた。めまい。そして薔薇の温室内に立っていた。


「えぇ……」


 文香は嘆息した。が、予想通り特に動揺した風でもなかった。瞬間移動という異常事態でさえ、この世界の彼女も精神構造は超合金でできているらしかった。


「おっとと、もう来たか。お早いおつきで」


 犬先輩がこちらに気づいて手を上げて近づいてくる。足元には柴犬のセトが。


 さらには彼の傍らには怖いほどの美貌だが性別がいまいち判然としない金髪褐色肌の青年(?)と、三十路過ぎだろう、髪を几帳面なほど綺麗にオールバックにした線の細い眼鏡のスーツ男がついてきていた。

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