第39話 父と息子。ママになった男の娘。その3

「さっきから気にはなっていたんだが、その子は? というかケイ、お前男なのに女王様って呼ばれていないか? そういう風に聞こえたぞ」


「本当は知らないほうがいいんだけど、ある程度は仕方がないかな……」


「んん? どういうことだ?」


「ええと……彼女は、貧困ビジネスというか、集金機関としてのみ機能する宗教上の力弱き神ではなく、力を以ってして実存する神の一柱なんです」


「実存するって、金だけとって後は知らん的な詐欺師どもの神ではなく?」


「見た目はこんなに可愛らしい女の子。でも、中身は全然違う。僕を別世界に飛ばした混沌の神の、無貌がゆえに千の貌を持つ、その貌の別な側面なんです。これだけだとさっぱりですよね。だけどそれで納得させてください。神様って、いろんな側面を持っているって。ああ、名前は響ちゃんって言います。僕を女王様と呼ぶのは、ふふっ、なんででしょうね? 十中八九、知らないほうがいいと思いますよ」


「……よくわからんが実存する神様か。えらく可愛らしい女の子の姿をしているが、亡くなったはずの恵一が生きているところからも、それは本当なんだろうな」


『それでね、あのね、聞いて聞いて女王様ぁ』


「うん、聞いているわよ、響ちゃん」


 響はわが父には微塵も関心がなく、僕だけを見つめていた。なので僕は彼女に続きを促した。次の瞬間、それは大きなミスだと気がついた。


 彼女が紡ぐ言葉は、人が知るには負担を強いる類の、こちらが立てた推測に大きな修正を加えるものだった。


 慌てて僕は父の精神強度を守るべく、胸の中のわが父の頭を少々きつく抱きしめた。ぐっと胸に詰めたシリコンパッドと、確実に膨らみを帯びた地の胸に圧力がかかる。そうすることで自分の中にある『何か』が庇護するように思えたのだ。


 そしてそれは実際に効果があった。


 僕を中心に、不可視のヴェールのらしきものが展開されるのを感じ取った。


 以下、響が語った内容を記す。


『人間には魂はないので、分岐した世界のどこでも同時存在できます。人間だけに限らず、魂なきものは、すべて。でも、わたしや女王様のように魂を持つ『外なる神』は、あまねく可能性世界の中で、たった一つしか存在し得ない。女王様のさっきの言葉でやっと気づいたの。この世界は女王様基準で言えば『宇宙が一巡する前の世界』または『宇宙が一巡した後の世界』のどちらかと思うの。さすがに複数以上の宇宙を越えるのは、副王のヨグ=ソトース様か、ティンダロス最強の一角と言われるミゼーアでもない限りかなりキツいと思うし……』


 可能性世界とは中心観測者アザトースに選ばれなかった世界である。僕は思い違いをしていたのだ。まさか、宇宙そのものをたがえていただなんて。


「僕が元いた世界のヴェールヌィちゃんと、この世界の響ちゃんは同じ千の貌の一柱だけど、宇宙そのものは別なので別神格として扱われる、というわけなのね」


「ご明察なの。可能性世界は分岐により広がる木の根なら、巡回宇宙はバネで出来た螺旋のようなモノ。三次元立体で、上から見ればX軸とY軸が重なって同じ場所のように見えて、実は横から見ればZ軸がまるで違う場所にある、なの。別なたとえを上げると、巡回宇宙は合わせ鏡を覗き込んだように重なって見えるけれど、実はそれは一つ一つがまったく別な宇宙である、となるの』


 言って響は背中から僕にひしと抱き着いた。甘えているらしく、肩口から鎖骨にかけて顔を密着させ、深呼吸を繰り返してくる。彼女はまるで幼い子どもが母親の体臭を嗅いで安心するように、僕の体臭を嗅ぎ取ろうとしていた。


 曰く、すべての母なる豊穣とサバトの女王である。さらさらと輝く銀髪を撫でてやり、僕は彼女がしたいようにさせてやった。


「ケイ、理解できているなら要約してくれ。俺はまるでわからん……」


 父は話について行けないらしい。むしろ話についてこられては宇宙的真理による精神強度被害が心配なので理解できないほうが父のためなのだが、横たわり僕の胸に抱かれる父は、それでも端的にであれ知りたがった。


 僕は逡巡し、言葉に注意を払って口を開いた。


「要するに僕は異世界人なんです。この世界の僕とは、同一でありながらもまったくの別人。それが証拠に、バネの螺旋を見るように、または合わせ鏡を覗き込むように、世界はほぼ同一で、しかし起こった出来事に差異が出ています。僕の世界では忘れもしない3月22日、『一人で買い物に出かけた恵』は、あの忌まわしい暴走スポーツカーにはねられて」


「……ここにいる俺のケイは、俺の息子でありながらこの世界の人間ではなく、そもそも生き返って来たわけではないと? そして、恵はお前のいた世界でも」


「僕がこんな格好をしている根本は、片割れの恵が亡くなったためで、それはもう一人の自分を失ったのと同じで。僕は事実に耐えられず一人で二人を演じて……」


「そうか……。いや、しかし、有り得るのだろうな。夢を見ているわけでも俺が死んだわけでもなく、現実問題として、神様まで従えた俺の息子がここにいるとは」


「本当に、ごめんなさい」


「お前は悪くないさ。むしろアレだ、ケイ。お前はどこまでも俺の子だよ。俺の弱い部分までそっくり。しかしこう言っては何だが、お前は本当に女の子みたいだな。見ろ、腰から脚にかけての繊細な身体のラインを。後頭部に当たる固い感じは美容コルセットとかいうヤツか? だがそれを着用しただけでここまで顕著にはならないだろう。まさか、婦人科に通って女ホルでも打っているのか?」


「女性ホルモンはさすがに。家にいる間はせめて恵が生きているようにと彼女を演じていたら、なんだかそんな風に身体がどんどん変化を」


「その、向こうの世界の俺は何も言わなかったのか? いや、俺のことだ、何も言わなかったか。肝心なところでヘタレるのが俺ってヤツだからな……」


「何も言わなかったけど、理解はしてくれていました。恵の恰好で、恵の声そっくりに真似て、お父さんって呼んでもビクッとなったりしないし」


「ま、まあそこまで徹底してやられたら、逆に腹が座るよな」


「目はなかなか合わせてくれなかったけど」


「前言撤回。自分で言うのもアレだが、半端にヘタレで言葉尻に草まで生える」


 元世界の父曰く、未成熟な少年と少女だけ持ち得る独特の魅力をかけ合わせたような僕の女装姿にドギマギすると。暗喩的には、ともすれば近親相姦的な危険な感情すら芽生えそうだったために目をそらしていただなんて、ちょっと気の毒過ぎて言えないので黙っていてあげた。事実を知らないとは、本当に幸せなのだった。


 父と笑いあっていると、スマートフォンに着信が入った。


 この世界で誰から? 間違い電話? いや、そんなはずは。


 僕は父に断りを入れてスマートフォンを取り出して耳に当てた。


 電話の相手は、自分にしてみれば、希望そのものだった。


「こちらは南條です。初めまして、やな。キミは、恵一くんか?」


「い、犬先輩!」


「おっと、やっぱしその二つ名で俺を呼んでくれるんか。今し方、やっとこさ時間が空いて留守電を聞いてな。すまんが少し話をする時間を作ってくれるか」


「犬先輩はこの世界の同一かつ別人の僕を信じてくれるんですねっ?」 


 思わず叫んでしまった。電話向こうで柴犬のセトがわんわんと嬉しそうに吠える声が聞こえる。あの犬は本当にどこであっても犬先輩の傍にいる。


 僕は彼が電話をかけてきてくれて闇夜に光が差したように嬉しかった。父を前にしてもずっと不安だったのだ。


 静まりかけた気持ちが再び高ぶって、僕はまた涙が溢れてきた。


 そして、文字通りわあわあ泣いた。


「お、おい。なんで泣く。俺が泣かしたみたいやんけ。ていうかマジに恵一くんか? 喋りは全然違うけど、声が完璧に恵ちゃんなんやけど」


「だって、一番どうにかしてくれそうな人が僕を信じてくれて、嬉しくて……。声については、その……テレビ電話に切り替えてください……」


「えっ、ああ、おう? テレビ電話ってかビデオフォン機能にやな?」


 僕はスマートフォンを耳から離して内カメラが自分を映すよう腕を伸ばした。同時にメイド服のジャミング機能を一時的にオフにする。これを切らないと、カメラにまともに僕が映らない。涙を袖で拭い、無理にでも笑顔を作る。


「――うお。恵一くんやなくて、恵ちゃんやんけ。えっ、どっちやねん。声は恵ちゃんやし、姿も恵……いや、待てや。魅力値が人の限界の18やんけ。恵ちゃんの素のAPPは16やで。双子の恵一くんもクリソツらしいからこっちも16。なんのこっちゃかわからん? ええんや、俺はキミについてもっとわからん。それで申告では恵一、と。なあ、マジで? 恵一くんのフリをした、恵ちゃんとしか」


「魅力値なんて時代に左右する曖昧なものはどうでもいいです。僕は、恵の双子の兄の、恵一です。確か犬先輩はきさらぎ駅の一件から人物評を第三者的にテキスト体で見られるんでしたっけ。でもそれって、悪戯好きの混沌の邪神が仕込んだ酷い罠スキルですよね。最後の最後に混沌の顕現体たる響ちゃんを『見てしまうと』破滅するという。それはともかく、僕は、僕なんです」


「われ思う故われあり、か。ちょっと意味合いが違うか。ん、ん。ちょい待ち、ちょい待ち! マジで恵一くんやったら、別に男声でもいいんやで?」


「女の子に変装した際は自然と恵の声になるよう、恵から厳しく訓練を受けたもので。それに今となっては、喉が変調したのか元の声を出すほうが辛くて」


「も、もしかして『D'ARK+ダルク・プログレス』の夜間ライブに外出するために、恵一くんを恵ちゃんに仕立て上げて身代わりとしたとか、そんなサムシング?」


「ご明察です。恵の圧倒的熱意に押されてわがままを訊いたらこんなふうに」


「ま、まあその辺は把握した。なんちゅうかこの夏一番の衝撃やわ。なんでコノハナサクヤのユニフォームを着てるのかもちょっとどころでなく疑問やけど」


 それならと僕は、現状を詳しく説明しようと思い、口を開きかけたのだが――。


「すまん、この電話は確認のためにかけたんもあってやな。今、俺は北海道の旧帝大にいるねん。まあ北大やな。西博士ドクターウェストに朝っぱらから拉致られて、わが輩の主催する機械知能工学シンポジウムにおまいも出るんじゃあっ! 拒否権はぬぁい! とか言うて。『完全機械互換による新人類の創生』ってな。アンドロイドについて、なんか適当に見解をぶっちゃけろとか無茶振りしてからに」


「犬先輩の専門ってナノマシンを扱ったりもする微分子工学ですよね? むしろ生体科学系かと思ってました。この世界で身近かつ最も精密な機械は、生体内分子機械で構成されたわれわれの肉体だとかで。確かに人間の身体も電気で動いてますし」


「そうなんやけどなー。俺の出した論文のせいで、って証明されたのがムカついてるみたいでな。魂がないんやったら、わが輩が手塩にかけてハアハアぺろぺろしながら魂の一個や二個、作ったるわああってエレキギターかき鳴らして。やっこさん、つるぺた合法ロリヰタなアンドロイドを作りたいんやってさ……」


「えぇ……」


「悟りと書いて小五ロリと読む、みたいなのを目指すってよ」


「うわぁ……」


 なんとも言えない沈黙が。男とはいつまでたっても中身は子どもで、世間様的にも自分史的にも黒歴史な妄想や夢を抱くものだと、僕はなるべく好意的に解釈することにした。でもロリっ子アンドロイドはさすがにどうかと思う。


「なんにせよあと5分もしたらまた檀上でテキトーに喋らなあかんくてな。恵一くんは今どこにおるん? 自宅? 言っちゃ悪いがあのゴミ屋敷やな? そのちらっと見えるボッチは義妹の響か? そいつ、見た目は可愛いけど超面倒くさいから気をつけるんやで。コミュ障でボッチで、ヤンデレストーカー気質もあるから」


「響ちゃんはちゃんと良い子にしていますよ?」


「キミヒラお兄ちゃんの意地悪! べーだ! もう知らないんだから! わたしはもう、優しい女王様の娘になるもん!」


「あはは。そいつは人の優しさに平気でつけ込んでくるからなぁ。でまあ、せやな。まずはゴミ収集車と超優秀なプロお掃除部隊を桐生経由でそっちに派遣させるが、いいか? ほんまは今すぐにでも帰りたいんやが、すまんな。なんせこちとら北海道やし。明日の朝一には帰ってるから、お昼過ぎに会おうや」


「場所はどうしましょう?」


「会う前に連絡送るわ。俺も聞きたいこと一杯あるし、落ち着いたところがいい」


 その後、二、三言葉を交わして犬先輩との通話を終えた。


 僕は胸に抱いたままの父を見た。父は力なく微笑んで、そうか、あの天才悪魔くんに比べたら俺じゃ頼りにならんわなと妙にしょげていた。


「お父さんは、もう十分過ぎておつりがくるほど頑張りましたからね」


 失礼とは思えど、わが親ながら可愛いなあと思い、ぎゅっと胸を顔に当てた。


「なあ、ケイ、この胸って本当にパッドなのか? 感触がまるでおっぱい」


「ふふふ、息子のニセモノおっぱい、モミモミしてみます?」


「お、おう。なんだか娘の胸に触れるような、得体の知れん罪悪感が湧くな」


 その後、僕の胸を存分にモミモミしたのは、響の小さな手だった。


 小一時間もしないうちに桐生グループ系列の清掃業者がワンボックス車で家にやってきた。彼らの後ろにはゴミ収集車も控えていた。


 ボックス車+ゴミ収集車、計九名が犬先輩の派遣したお掃除部隊だった。


 プロの仕事を邪魔するつもりはないので、親子二人と外なる神、使い魔の猫二匹はリビングのソファーでお茶を飲みつつその仕事ぶりを眺めた。


 清掃は想像以上の捗りを見せ、約二時間ほどで完了してしまった。


 そうしてお掃除部隊は、押し寄せた波がサーッと引くように去っていった。家は、まるで新居のように、見違えていた。

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