第30話 きさらぎ駅と撤饌の巫女 その4

 向かった先は村の東側、香取阿求次かとりあくじと呼ばれる村人の自宅だった。ここに昨年拉致した少女が囚われていると、尋問したカシイ老人より情報を得ていた。


 異様に暗く細い夜道。枯れた雑草溜まり。

 錆びて打ち捨てられたドラム缶。廃燃料の黒い染み。

 ときおり建っている住宅は、ほぼ廃屋。

 空気が重い。寂れた漁師村。いわんや、限界集落。

 耳をすませば南方より笛と太鼓らしい音色がかすかに届いている。

 濃密な潮の香り。磯の腐敗臭。空は雲が低く垂れ込めて星が見えない。


 軽トラは目的の住宅の100メートル先からライトを落とし、さらに50メートル先で念のため車を止めた。慎重に下車する四人と一匹。


 人喰いクロエは車から離れたくなさそうだったが、他の全員が住宅へ向かうので渋々ついてきた。彼女は犬先輩の手を握った。潤んだ目で、お願い手を繋がせてと、元男性の食人鬼は懇願した。犬先輩は無言でその手を握り返した。


 平屋の木造住宅である。窓の一つに明かりが灯っていた。


 四人と一匹は忍び足で玄関を素通りし、勝手口を探した。それはすぐに見つかった。呼吸を絞り、薄暗い扉向こうの気配に神経を研ぎ澄ます。状況クリティカル。勝手口向こうの部屋は確実に無人とわかった。


「ここはぼくにお任せを。軍にいたときに少しばかり腕を鳴らしましてね?」


 黒の革手袋をいつのまにか装備していた嘘つきジョージが、懐より針金の束のようなものを取り出した。キーピックだった。


 そのうちの二本を勝手口の鍵穴に突っ込み、ものの数秒で開錠する。


 そして蝶番のある側の隙間に、おそらく潤滑剤なのだろう、小さなスプレーを一筋噴き込んで音もなく扉を開けた。


 彼は、土足のまま中へ侵入した。残る三人と一匹もそれに続く。


 そこは台所だった。常夜灯の下、うす暗い六畳部屋、ステンレスの洗い場の蛇口から漏れる水滴の音がぱたり、ぱたりと小さく響いていた。


 四人と一匹は沈黙を保った。

 犬先輩の見立てではこの木造住宅は三部屋一台所に風呂便所で、村総出で邪神を崇める祭りの真っただ中、現在この家屋には幽閉された少女のみと踏んでいた。


 嘘つきジョージや能代も同意見で、ジョージは右へ、能代は左へ。犬先輩は愛犬セトとクロエと共に待機と役割を分担する。


「――イヌガミの少年くん。あなたって、とっても優しいのね」


 二人と一匹で待機する間、手を繋ぐ人喰いクロエは犬先輩に体をすり寄せて囁いてきた。晩秋の冷涼さにもかかわらず、繋いだ手はしっとりと汗ばんでいた。


「わたしはあなたを愛する資格なんてないかもだけど。それでも、あるいは、もしかしたら。あなたのような人だったら愛し、愛されたのかもしれないわぁ」


「事情は皆目知らんが、俺が思うにはクロエはもっと自分を大事にするべきや」


「ほら、優しい。もしかして、わたしのコト、見えてる?」


「なんのこっちゃ。お前さんはそこにいるやんけ。俺としっかり手ぇ繋いでるし」


「ふふふ、イヌガミの少年くんの手、とても温かくて安心するわぁ」


 そう、囁きあった直後に能代が戻ってきた。首を横に振る。いないらしい。次いで小太りの割にはまったくの無音で嘘つきジョージが戻ってくる。


 嘘つきジョージは、三人と一匹に向けて無言のまま手招きした。


 廊下を右に進み、突き当りの部屋のふすまをすっと指さす。見ればうっすらと光が漏れていた。犬先輩と能代は音をたてぬよう注意を払いつつ隙間に目を当てる。


 そこに、一人の少女がいた。


 くすんだロングの黒髪に、人間的な感情をすべてそぎ落とし視界に何も映していないような虚ろな瞳。どこの学校だろうか、異臭がしそうなほど汚れたブレザーにスカート。よく見ると右足首には鎖と鉄球が。まるで明治時代の囚人だった。


 犬先輩と能代は同時に左右のふすまの引き手を開け放った。スタンッと小気味良い音が。感情のない目で少女はこちらへ向いた。しかし、それだけだった。


「この少女の安全を確保して、それからこのクソッタレな村から脱出する」


「ふむ、キミヒラ少年よ。具体的にはどうするつもりでいる? あの謎の列車は必ずしもやって来るとは限らんぞ」


「俺の推測では、能代さん。結局のところ祭が原因で生贄として呼ばれているなら、それ自体をにすれば役目を失って脱出も可能になると踏んでます」


「なるほど、つまり戦争だな」


 会話中、犬先輩は少女のステータスを読み取っていた。


 水無月翔子みなつきしょうこ2001年6月6日生まれ。17歳。女性。

 2017年11月初旬にきさらぎ駅に迷い込む。

 村の心無い老人らに囚われ、一緒に連れ立っていた友人たちはその日のうちに生贄となり、見目の麗しい彼女だけが残される。

 現在は2018年11月。彼女は老人たちに拘束され、殴られ、蹴られ緩急を絡めて脅しつけて救いの希望をことごとく粉砕され、その上で老人たちの性処理のための奴隷として生かされている。受けた強姦の回数は――。


 犬先輩は読み取るのをやめた。


「何があったんかは想像に難しくないが、仮にカシイのじじいが言ってたのが本当なら、ちょっとここの年寄りどもの『男』を破壊して回るのもアリかもしれん」


「奇遇だな。わたしも同じことを考えていた。カシイに続いてこの家の主の『男』も是非潰さねばとな。老年になってからの性転換もオツなモノだろうよ」


「うひひっ、過激だねぇ。まあ気持ちは凄くわかりますけど。じゃあしょぼくれた爺どもの老害金玉でも潰して回りますか。一種の根切り作戦ですな」


 そのときだった。玄関口のほうから、ガチャガチャと鍵を開ける音が。四人は顔を見合わせた。素早くふすまを閉め直してその死角へと移動した。


「カシ公、来てるのか? なんであんなところに車を放置する。お前は贄を迎えに行ったんじゃねえのか。ったく、したいならしたいって先に言えよ」


 聞くだけで不快になる酷いダミ声だった。十中八九、この家の主だろう。囚われの少女、水無月は無感情なままぼんやりと座っていた。足取りは迷いなくこの部屋にやってきている。乱暴にふすまが開けられた。ダミ声の主は一歩前に出た。


 そのときだった。


「なっ」


 香取阿求次かとりあくじと思しき老人は声を上げようとして、強制的に中断させられた。


 能代だ。彼女が突進をかけたのだった。虎のように身を低くしゃがませて、姿が一瞬消えたかと見れば老人をさかさまに半回転、頭から床に叩きつけていた。後で聞くには天地返しという投げ技であるらしい。次いで馬乗りとなり、端から見てもわかる重い拳を、老人の顔面に容赦なく連続でめり込ませる。


「多少きつめに無力化しておいたぞ。大丈夫だ。人間、この程度では死なん。脳を激しく揺らしたので知能的に甚大な後遺症を残すだろうが、どうでもよかろう」


 何ごともない風に能代は立ち上がった。老人への視線はまるで害虫でも見るかのようだ。まあ、実際に虫けら未満の存在ではある。


 犬先輩は痙攣する老人のステータスを読み取った。


 間違いなくこの家の主、香取阿求次だった。70歳。漁師。女衒紛い。チンピラ。その他の情報はあまりにも下劣な人生なためにここには書かない。


 嘘つきジョージは抜かりなく結束バンドで手足を固定した。併せて猿轡もきっちり噛ませた。そして、にやり、と彼は意味深に笑みを浮かべる。どこで見つけてきたのか、彼はゴルフの七番アイアンを水無月に手渡した。


 水無月の足の拘束はすでに解放されていた。空気を読んだ犬先輩と能代は、気を失ったカトリ老人を股を開かせた状態で跪かせる恰好を取らせた。


 少女は、ゆっくりと、立ち上がった。膝を立てたとき、彼女はショーツを履かされていなかったらしくちらりと秘所を覗かせた。


「……くたばれ」


 少女は恥部晒しなどお構いなく、おぼろげな表情のままアイアンを握りしめ、予備動作も身構えもなく、下から抉り込むように老人の股間を狙い打とうとする。


 一発目は不発だった。老人の下顎をかすめて天井に当たった。二発目はぎこちなくもちゃんと構えて、再び下から抉り込むように彼の股間を狙い打つ。


「ぎうっ」


 カトリ老人は声にならない悲鳴を上げ、息を吹き返した。


 もう一撃。

 さらに一撃。

 さらにもう一撃。

 さらに、さらに、さらに。


 ゴルフスイングは振るうごとに威力が増していった。

 少女の目にある種の力が戻っていた。

 それは復讐の炎だった。漆黒のほむらがその身を焼かんとするが如く。

 老人は泡を吹き白目をむいた。異臭がする。

 失禁に加えて脱糞もしたらしかった。汚い虫けら。

 少女は荒い息を吐き、アイアンを老人の顔面にめり込ませて泣き崩れた。


 犬先輩と能代は、虫の息のカトリ老人を打ち捨てる。


「あんた、名前は」


 しばらく泣くに任せ、落ち着いてきたころを見計らって犬先輩は話しかける。


「みなつき、しょうこ」


「俺らと一緒に村人の男の部分を破壊して、村は放火して、脱出せえへんか?」


「男の部分をすべて破壊する。村は焼く。炎に包まれる。無に還る」


「せや。人の皮を被った悪鬼を根切りにする。ためらう必要はない。ここは異世界や。ゆえに俺らに法は無意味。男だけで足りないなら、女もやればいい」


「わたし、行く。すべてを刈り取る。復讐するは、われにあり……っ」


 虫の老人が漏らした屎尿臭がきつくなってきたので、部屋を移して作戦会議の時間を取ることにした。


 嘘つきジョージは目星で何かを発見したらしく、はい失礼とまるで日本人みたいに手刀を切りながら奥に進み、細長い固定キャビネットを開錠する。


 そうして取り出したのは、一丁のオート式散弾銃だった。


 どうやらあの虫老人は漁師であり猟師でもあるらしい。散弾銃は薬室に一発、装填に二発の計三発が撃てる構造だった。


 嘘つきジョージはこれを水無月に手渡して使い方を丁寧に教え始めた。


 なるほど、あれで村人の股間を撃ち抜かせるつもりのようだ。彼らを横目に、犬先輩は手書きの地図を取り出して作戦を練り始めた。


「俺としては車を使う突貫方式を提案したい。幸運にもまだ俺らの存在は村内に知られていない。なのでなるべく隠密を保って車で移動、そのまま神社を強襲、可能なら追突攻撃で儀式を破壊、村人を跳ねまくり、その後の根切り作戦へと繋げる」


「わたしの運転技能がモノを言うと。しかし忠告しよう。速攻もいいが、宗教ってのは実に厄介だぞ。思わぬ行動に出るのが莫迦と子どもと狂信者だからな」


「能代さんの危惧はわかります。そのときは、とっておきを使いますんで」


「切り札があるのか」


「ええ、死んだほうがまだ楽なレベルの、とびきりのものが」


「なら、その切り札に加えてぼくも一案を。乗ってきた軽トラをください。幸いこの家には日用品に漁具から農工具まで揃っていますので、燃焼の効率性も踏まえて色々と作れます。焼くんでしょう、村を。忌まわしきものを灰燼に還すのでしょう? ぼくが騒ぎ立てる間に、あなた方は神社へ強襲をかけるといいですよ」


 簡易的に焼夷剤を作り出し、村内を放火して回ると嘘つきジョージが提案しているのだった。この男の正体はCIAのパラミリ――準軍事部隊員なのだ。


 犬先輩は能代と人喰いクロエを交互に目をやった。


 能代は良いんじゃないかと嘘つきジョージの案に賛同した。人喰いクロエは、イヌガミの少年くんの判断にすべてお任せします、と犬先輩に囁いて、カトリ老人の一件で自然と離れた手を再び繋いできた。


「そしたらジョージ、村全体にデカいのかましてやってくれ」


「軍でのぼくの異名はミスターダウトファイアですからね。お任せあれ」


「最終の集合場所は、あの駅ってコトで」


「オーケーオーケー、了解ですよ」


 ここで嘘つきジョージとは一旦別れ、犬先輩は愛犬のセト、極妻の能代、人喰いクロエ、そして散弾銃を装備した復讐の水無月翔子が新たに加わり、忌まわしき邪祭を執り行なっている神社への襲撃を整えるのだった。


 ジョージの提案では囮になるには軽トラが必要とのことなので、他の車両を用意する必要がある。


 しかしそれにはまったく心配はいらなかった。田舎の人間の足は基本的に車であり、ならばカトリ老人の車を徴発してしまえば良い。


 果たして家の前には横づけされた古臭いセダンがあった。車の鍵は刺さったままですぐにでも動かせる。三人と一匹、そして水無月はこれに乗り込み、念のためライトをつけず神社へ向かって移動を始めた。


 明かりもつけない暗がりの中、能代は安全のためにゆっくりと車を運転する。その移動の間、水無月は一つお願いがある、と申し出てきた。


「響さまを助けてあげてほしい」


 と。響さまとは、かのポンコツ邪神のヴェールヌィに相違ないが、この時点ではまだ彼らはその正体を知らない。水無月はゆっくりと言葉を続けた。


「響さまは撤饌の巫女と呼ばれ、少なくとも500年前から続く悪習の、永遠無垢の象徴としての小さな女の子なのです。邪祭の期間中、『くとうるさま』にこの村に迷い込んできた村の外部の人達を生贄として捧げ、それから神からの下げ渡しとして撤饌の巫女、響さまを村人共は滅茶苦茶に乱暴する。無垢なるものを汚す行為こそ、崇め奉る神が喜ばれるからと。まったく、どこまでも、邪悪極まりない……ッ」


 撤饌の巫女は不思議にもずっと10歳にも満たない幼体のままでいるという。もちろん現在の僕達は彼女の正体を知っているので何も不思議を感じない。


 ただ、巫女としての彼女の意識と神気は、なんらかの方法で大部分を封じられているため、結果、日常生活は介助なしにはとても送れないとのことらしい。そんな彼女は村ぐるみで囲われて『大切に』保護されている。祭への重要な要員として。やっていることは幼児の略取と幽閉、虐待と罪深い業にまみれているが。


 水無月はこの村へ拉致されて、他の仲間たちの生贄現場を無理やり見せつけられた。彼女の脱出への意思をへし折るために。この村人共の、脳の髄まで腐らせた穢れの塊よ。絶望の強要はただの少女にはさぞ効果があったことだろう。


 神饌として上げられた生贄は、儀式が進んで形が変容する。撤饌は巫女の役目となるのだった。神からの酒食の下げ渡しが、撤饌である。様式上は献饌した供物を、巫女を通して神から撤饌を受ける、ということらしいが。


 実態は撤饌への巫女への性的虐待である。紅白の巫女衣装を着させられた銀髪碧眼の幼女、響を村の男どもが代わる代わる強姦する。


 幼女は虚ろなまま男を強制的に受け入れさせられ、汚される。


 ふと、幼き巫女は水無月を青水晶のような瞳で見ていることに気づいた。


 唇がかすかに動く。助けて、と。だが水無月にはどうしようもない。神々に祝福されたかのような美しい幼な子が乱暴を受けている。しかし自分にはどうしようもない。むしろそれどころではない。その後の己への扱いに絶望が先立つ。


 ただ、それでも、自分よりはるかに幼い女児が醜悪な汚物共によって穢されるのは、ずっと心残りになっていた。助けてあげたい、と。

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