第29話 きさらぎ駅と撤饌の巫女 その3
「次はきさらぎ駅……。きさらぎ駅でございます……」
しわがれた老人のようなか細い声で、アナウンスがおりてきた。
ざわっ、と犬先輩は総毛立った。
きさらぎ駅だと? 彼は呟いた。あの都市伝説の?
犬先輩は嘘つきジョージと人喰いクロエを交互に見た。彼ら二人は都市伝説の知識はないらしくポカンとしていた。しかし情報は収集できる。
彼らは犬先輩と能代よりも奥の車両にいたのだった。もし最後尾や最前列にいたのなら、当然いるはずの人々について尋ねたい。すなわち――、
「ジョージさんとクロエさんは、この列車の乗務員の確認しはりました?」
「このうらぶれた無職デブに敬称なんて必要ないよ、キミヒラくん。ぼくはここより四つ向こうの最前列にいたんだけれどね、運転手は……あれはどう言ったものか、黒い影のような怪物が座っていたよ。昔のジャパニメーションでナントカ鉄道スリーナインというのがあっただろう、あの車掌みたいなのが、ぼんやりと」
「たぶんそれは銀河鉄道999ねぇ。わたしは三つ後ろの最後尾にいたんだけど、ちょうどジョージの言う通りの怪物が立っていて、話しかけようにも怖くて」
二人の証言の同一性からひとまず真実と考えよう。
確実に言えるのは、自分を含む四人と犬一匹だけが乗客で、助けを求めるべき乗務員は当てにできず、しかもかつてネット上の都市伝説オカルト板で散々話題になったあのきさらぎ駅にもうすぐ到着するということだった。
「もし、次の駅が本当にきさらぎ駅ならば、下車したら死ぬ可能性があります」
「なんと」
「都市伝説やし、信ぴょう性は皆無なんやけど、この状況。絶対に降りたらアカンパターンなのはわかる。なので駅に到着してもスルーを推奨したい」
「そうなのー?」
列車は減速を始め、やがて駅に停車した。
扉が開く。
外から晩秋の冷気が入り込んでくる。潮気が強い。むっと来る。
と同時に、一瞬、背中をひやりと撫でるような寒気がよぎる。
やがて、扉が閉まった。
沈黙。かたずを飲んで発車を待つ四人と一匹。
しかし――、
なぜか、列車は、動き出さなかった。
「なんだ? なぜ動かない」
腕を組んだまま警戒していた能代は苛立たしげに疑問をこぼした。
列車の扉が再び開いた。
そして、犬先輩たちは、駅構内に立たされていた。列車は、消えていた。
唖然とした。腐ったような磯の香りが足元から這い上がってくる。
クロエが頭を抱えてしゃがみ込んだ。
小刻みに呼吸を繰り返して唸っていた。過換気症候群。突然の異常事態にSAN値が急激に減少し、一時的狂気に見舞われたらしかった。
犬先輩は慌ててこの食人鬼の背中に回り、鞄からセト用のエチケット新品ビニール袋を取り出して袋口を女の口に当てがった。併せて背中をさすってやる。この元男性が正気を失うのは特に危険だった。
「うう、このビニール袋、なんだかくさい気がするよぉ」
「エチケット用やが、新品やから汚くないぞ。いいから口に当てて深呼吸せえや」
「うううー」
クロエは半べそを掻いた。三十路近いはずが子どものようだった。犬先輩は彼女の背中をさすってやりつつも、体内の酸素濃度減少のため袋に口をつけて深呼吸するよう厳命する。そして再度彼女の名前を尋ねる。いつぞやの精神分析である。
「だから、わたしは通称でクロエって呼んでって……」
「うん、オーケーや。名前が言える、それだけ気持ちがしっかりしてたらもう安心。気を強く保てよ。いつも対処してくれる人がいるとは限らへんからな」
「あ……うん。そう、そっか。ありがとうね。イヌガミの少年くん」
ここでいったん話を切って、僕達三人と一匹のいる探索部の部室の中、真向いの犬先輩は僕と文香を交互に見つめた。
いつものニヤニヤとした道化顔ではなく、彼は薄く冷笑していた。
まさかとは思うけれど、テーブルの下のこちらの痴態に気づいたのか。
僕と文香は彼の話に耳を傾けつつもお互いの脚をくっつけ合って、肌の温かみを感じ合っていた。それは非常に穏やかな性行為だった。
重ねた脚は熱を帯び、薄く汗をかいていた。恋人繋ぎにした手は、あるときは僕の膝の上で、次は文香の膝の上でと、熱っぽく移動を繰り返していた。
犬先輩は自己の体験をまとめたファイルから、数枚の地図と10数個の男女人物フィギュアをテーブルに用意する。
地図は山に囲まれた、小さな漁村の態を結んでいた。
彼が言うには旧インスマスの如く超がつくほどの閉鎖的気風かつ限界集落で、しかも少しだけきさらぎ駅の謎を種明かしすれば、怪しげな土着の宗教がその土地を支配しているとのことで、この宗教こそ異変の元凶だった。
そんな場所に放り込まれた四人と一匹は、北の谷あいにある駅構内にいた。
これは地図を見ながら体験談を聞く現在の僕達の視点での話で、当時はまだ自らの現在位置はおろか方角すらわかっていないと注釈を加えておく。強制的に列車から降ろされてしまったのは先立て語った通りである。
風化した時刻表。錆びて朽ちかけた屋根つきの支柱。
掠れて読めなくなった文字。頼りなくか細い駅構内の明かり。
塩気の腐ったような、むっとする独特の磯の香。未だ鼻が慣れない。
犬先輩は、判断に迷っていた。
このまま留まってやって来る当てのない列車を待つか、駅を出て元凶となる何かを探索し解決に向かうか。どちらを選んでも危険性は高い。
極道の妻と人喰いとスパイと自分である。『ミスカトニックの悪戯者』の彼が言うのも奇妙な話だが、それぞれが何をしでかすかわかったものではなかった。
「ん? どうした、セト?」
犬先輩は愛犬があらぬ方向を向いていることに気がついた。そちらへ顔を向ける。太鼓や笛の音が、かすかに聞こえる。どこか遠くで祭でもしているのか。
「あ、あれを見て!」
決断は強制的に可決されていく形になった。それは一時的狂気からどうにか復帰できた人喰いクロエのひと言だった。
「向こうから車らしき明かりが近づいてくる!」
指さした先、駅より遥か向こうの暗闇。ひんやりとした風と腐ったような潮の香りと共に、確かに一台の車らしきライトが二点チラついていた。
四人は顔を見合わせた。犬先輩の足元で犬のセトが鼻を鳴らした。
やがて四人と一匹は、無言のまま同意した。誰もが口を閉じたまま駅を出て、周囲の茂みや建造物を使い、慎重に身を隠す。
なぜ隠れるのか。
それは実際僕自身が彼らと同じ現場にいればそうするだろう行動だった。が、ひとまずそれは置いて話を進める。
やってきた車は軽トラだった。男が一人、いささか乱暴に車から降りてきた。
空が低い。雲が頭上一面に立ち込めている。夜の闇は途方もなく広がり、駅周辺のか細い明かりの元、その男は少なくとも70歳は過ぎた老人に見えた。
犬先輩は隠れた他の三人に目配せする。暗くても目を凝らせば辛うじて見える。
嘘つきジョージと能代は彼の意図に勘づいて小さく頷いた。
人喰いクロエはビニール袋を再び口に当てがっていた。
犬先輩は、遮蔽物の影から姿を現した。ほぼ同時に老人は彼に気がついた。
「おう、どうしたキミ。この時間、もう最終の電車は出ちまったぞ」
「そうなんスか」
「わしは終電で帰る家族を迎えに来たんだが、乗っていなかったみたいでな」
「そうなんスか」
「どうだキミ。行くところがないならわしのところに来んか。ちょうど村では秋祭りの真っ最中でな。夜通し行なうもので、ご馳走をじょうに用意してあるぞ」
「そうなんスか」
ああこれは確定だ。まごうことなき、確定事項となった。
犬先輩はニヤニヤと、いつものお道化た笑顔を老人に向けた。
この老人は、悪意と害意を内に秘めた、敵だ。
「ちょうどええわ。お前さんから情報収集な。洗いざらいゲロしろや」
「――なっ?」
忍び歩きで迂回していた能代とジョージが、老人の背後から襲いかかった。
特に能代の動きは目覚ましかった。
蛇が走るが如く低姿勢で駆け、まるで巻きつくように老人の体を両腕で捕縛、膝関節に重心を置いて後ろに転倒させ、その状態から首に腕を回してグッと締めた。
本当に瞬時の出来事だった。
抵抗らしい抵抗もできずに老人は失神し、ついでに失禁もした。
ジョージはいくらか遅れて、鈍重な体を揺らしながらどこから持ち出したのか重量物用の強化ストラップで手足を慣れた動きで完全に捕縛してしまう。
鮮やかな手際で、事情聴取の準備段階は、ひとまず完了した。
「能代さんスゲェな。妙齢の女性にこんな表現をしていいのかわからんけど、まるでテレビとかの武術の達人でも見るみたいやったわ。それはなんていう格闘術?」
「お褒めに預かるよキミヒラ少年。これはうちの家系で伝統になっている古武術で、阿賀野流戦国太刀組討術という。一族は男女を問わず、必ず修めるのさ」
少しだけ誇らしそうに能代は答えた。
そうして四人と一匹は、増援が来られても困るので早々に軽トラを徴発し、能代は運転、人喰いクロエは助手席、荷台には犬先輩と犬のセトと嘘つきジョージ、そして気絶中の捕縛老人を載せて別な場所に移動することにした。
さて、彼らが取った今しがたの行動の理由と根拠を解説しようと思う。
犬先輩曰く、
「得体の知れん場所で、しかも得体の知れん力で強制的に留まらされる。まあ、異常事態やな。それでこの現象を待っていたかのように誰かが着てかつ、最悪にもその誰かが友好的なら、そいつこそ元凶の一端か元凶そのものや。だいたい夜中に正体不明の来訪者が一人佇んでるってかなーり怖いぞ。俺が村人やったら絶対に警戒する。なんらかの悪意でも持ってない限り、普通やったら近寄らんやろ?」
能代の運転で谷あいの山の奥へ車を走らせ、四人と一匹は『敵』の老人を尋問した。最初に猿轡を噛ませ、小川が流れていたのでそこに顔を突っ込ませる。
老人は屠殺前の豚のような悲鳴を上げて気絶から復帰した。次いで煌々と光る軽トラの正面ライトに老人の顔を押しける。
尋問役は、能代が受け持ってくれた。
「吐け。全部だ。どんな意図でやってきた。目的はなんだ。精々感謝するんだな。わたしはとても優しい。吐くまで、指折り待ってやろう。丁寧に、指折り、な」
猿轡のままうーうー唸る老人。
能代は後ろ手に手首を固定された彼の手を取り、人指し指を第二関節から不自然な向きに曲げてぼきりと折った。流れるように中指もぼきり。
「よし、理解できたな? 指折り待つぞ。理解できぬというならもう二本行くが、どうだ? ああ、ここで叫んでも無駄。誰も助けは来ない。なら、早く楽になれ」
上半身を小川でずぶ濡れにした老人は、涙と鼻水とよだれの中、必死で頷いた。猿轡を解いてやる。彼は荒い息を何度も吐いては吸った。
彼はカシイコウゾウタと名乗った。ステータスを読み取って知るに、漢字で書けば香椎巧三汰となる。なので今後はカシイ老人と表記する。
このカシイ老人。当初、駅周辺の頼りない電灯の下では少なくとも70歳よりも上と踏んでいたが、実際は意外にも少し下の68歳。彼は、必死の形相で押し付けられた軽トラのハイビームから目を潰さぬよう瞼を閉じていた。
尋問は続く。
供述するカシイ老人の
ここまでは良かった。ここから先が実に忌まわしくも呪われていた。
神社に招待した迷い人には、儀式で捧げられた
そうして眠らせた『生贄』を、村民全体で密かに崇め奉る海神『くとうるさま』への追加の捧げものにする。
専用の斬首台にて斧で首を切断し、ヘブライ神族キリスト教系新約聖書のサロメが望んだ洗礼者ヨハネの首のように、銀皿に乗せて並べ立てる。
この『くとうるさま』とは、犬先輩の知識を借りれば『クトゥルー』が酷く
邪神信仰の祭の生贄としてその日に迷い込んでくる人間たちを、ただし年頃の女性がいれば一定の年齢まで老人たちの性の慰み者兼子孫繁殖用にする。どこまでも低劣にして邪悪。胸の悪くなる村ぐるみの伝統的神事だった。
しかもそれは最低最悪にも、閉鎖的環境がゆえにかあらゆる外部干渉からも秘匿し、そうやって500年以上も取り仕切られてきたという。
この人の皮を被った悪鬼の所業。
呪われた習慣を良しとする土地の名前を吐かせてみれば『名古屋県のきさらぎ村』と、息絶え絶えにカシイ老人は答える。
名古屋県、などという県は当然ながら21世紀現在の日本には存在しない。
戦前に廃案された26府県案ならその名は存在するが、つまるところ、この村は『可能性世界の26府県案が可決された日本』であるらしかった。
さらに尋問は続く。能代は犬先輩に声をかけ、地図を描くように指示を出した。次はこの村の詳細な土地情報の収集だった。
口頭での作図は困難を極めた。
それでも何度もくどいほど確認し、痛い痛いと煩わしいので別な部位に新たな痛みを与えればそちらに神経が行くだろうと、トンデモ理論で失禁した股間の一物をその辺に落ちていた棒切れで思い切りよく叩き潰して聴取を続行する。
一見酷いようにも思えるが、この老人は伝統的神事を理由に捕らえた女性を絶対に慰み者にしているのである。強姦魔は去勢が順当。情けは無用だった。
そうして完全に心と股間を潰されたカシイ老人から、かなりの精度の村の見取り図を聞き出すことに成功した。
犬先輩一行は徴発した軽トラに乗って移動を始める。
カシイ老人は捕縛状態のままその場に捨ててきた。能代はカシイ老人にそのまま死ねと吐き捨てた。軽トラの荷台には毛布が載っていたので、男としてはすでに終了したがせめて肉体は晩秋の寒さで死なぬよう、念入りに簀巻きにしておいた。
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