第27話 きさらぎ駅と撤饌の巫女 その1

 次の日の朝、目覚めるとヴェールヌィはもういなくなっていた。


 ベッドの中には彼女のお日さまとミルク臭が混じったような、心地よい幼い体臭だけが残されていた。シーツに潜って、深呼吸する。すー、はー、すー、はー。


 いつもならごろごろと惰眠をむさぼっているはずの二匹の黒猫姉妹が、何か心配そうにこちらを見つめていた。『わたし』は手を伸ばし、ケイトとラゴの頭を柔らかく撫でてやった。黒猫姉妹は目を閉じてそれを受けていた。


 浸食されている。浸食している。浸食されている。浸食している。


 混ざりあっていく。


 誰が誰に? 誰と誰が? 僕達が。


 僕達、とは? 僕とわたし。わたしと僕。


 お昼休みの部室。文香の機嫌が少々ナナメになっていた。


 朝一番に僕の体臭を嗅いで、


「わたしのケイちゃんから、知らない女のニオイがする……っ」


 恐ろしい話である。宣言通りヴェールヌィは僕が眠るベッドに潜り込んできた。たぶん彼女は僕に特段の行為はしていないし、僕も彼女に粗相はしていない。


 しかし文香にとってはその時点でギルティらしかった。とはいえ相手は混沌の神の顕現体である。どうにもならないことは、世の中にはたくさんある。なので如何ともし難く、それで彼女は機嫌が悪いのだった。


「アレや矢矧ッち。ヴェールヌィはアレやで、概念とか現象とか、そういうモンに喧嘩を売るようなもんやから大目に見たってや」


「うう……ケイちゃん……ケイちゃん……」


 まるで自分の体臭を擦り込むように文香は僕に抱きついてきた。


「それよりかは、おめでとう。『戦乙女ヴァルキリー』という二つ名がお前さんについたらしいな。これで生徒会OBが主催する、なんや伝統のあるネームド連盟に加入やで。俺はまあ例外としても、高一の時点で異称がつくのってマジで珍しいらしいぞ」


 別称、もしくは異称。二つ名とはこの学園独特の文化で、主に著名人や有名人に自然的につけられる一種の名誉称号にして異能者の証明だった。


 今回の文香の称号授与はもちろん『放課後の殺人鬼』事件を根底としており、誰が何をしても止められなかった謎の殺人鬼を物理的に圧倒したことにある。


 これにより怪現象の根本解決を成し遂げた立役者として、六代目第七駆逐隊の皆さん――パティシエ部兼園芸部の四人 (文香の熱烈極まるファン達)によって話を格段に広めていったためのものだった。


「そんな勇ましい二つ名なんていらないのに……」


「締めくくりを任せてしまってこんな結果ですまんな。せやけど学園内の女の子には学年を問わずモッテモテやで。凛々しくて勇敢で格好いいって。憧れるって」


「同性にモテてもちっとも嬉しくない。犬先輩だってガチムチお兄さんの大群に、ウホッ、いい男。とか男汁をたぎらせつつ群がられるのってどう思うの?」


「尻穴がキュッと締まって全身におぞけが走るわい」


「わたしにとってのそれが、今なのよ。ねえケイちゃん、今から女の子になってわたしにショーツの上から悪戯させてくれない? 大丈夫、うん、大丈夫。絶対に怖くないから。むしろキモチイイから。白いの、出してもいいよ」


「それ、もう完全に性的な犯罪案件ですよね? ダメですからね?」


「じゃあ乳首をクリクリさせて?」


「男の胸なんか弄って何が楽しいんですか……」


「男の娘の乳首は特別なのよ? ぺろぺろもしちゃう」


「機嫌が悪かったのではなかったのですか……」


「男の娘イタズラワードでなんだかテンションが上がってきちゃった」


「えぇ……」


 ともかく。僕は話を打ち切った。それよりも今後の活動についてだった。


 探索部とは、野外活動を良しとし、桐生学園、ミスカトニック校区を中心に必ず起こるであろう不思議や異変を実地調査、研究、可能なら解決を目指していくアットホームでエクスプローラーな部である。


 後半のブラック企業臭はよそに置いて、なぜこのミスカトニック校区で不思議や異変が起きると犬先輩は断言できるのか。冷静に考えてみよう。


一、由緒正しき古の都ありし大和の地だから。

二、この学園の名前が、ミスカトニック校だから。


 うん、イマイチ説得力に欠ける。


 古都なら京都にもあるし、ミスカトニックの名前だけで怪異が現れるのも、そんなもの理由にならないだろう。


 併せて『極東の三愚神』なる聞き捨てならない新ワードが。


 それは目覚めた新しきアザトースを迎え、新しき宇宙を生成するための三柱の神々を指すらしいのだが。しかもなぜか僕も少なからず関係しているという。その辺りも踏まえて色々と考えていきたい話だろう。


 僕は犬先輩にこれら疑問をすべてぶつけてみた。


 彼は、重要な何か掴んでいるはず。飛び級でアメリカはマサチューセッツ州アーカムのミスカトニック大学にて微分子工学と陰秘学を修めて博士となり、豊富なオカルト知識を持ち、最新の科学技術を駆使する天才。人類の遥か枠外の邪神にまで知己を持つ、謎の美少年。僕の友達であり、大切な理解者の一人。


 ところが、だった。彼は伸ばした手にパッと手品のようにブラシを持ち出し、柴犬のセトの毛並みをフラッシングし始めて何も答えようとしなかった。


 無言、無言、無言。


 見つめる僕に、犬先輩は頭を掻いて、耐えかねたように口を開いた。


「いや、わかってるんや。ケイに伝えなアカンことはようけある。ただ、日取りが悪い。自分でお願いするのも恥ずかしいんやけど、俺を信じてほしい」


 真面目な顔だった。いつものニヤついた道化顔ではない。つまりよほど重大な何かを知っているという証左であり、彼を信じてもいい根拠だと僕は感じた。


「わかりました。何も聞きません。代わりにアレは僕の勝ちでお願いします」


「アレって、アレかー。原因が身内やったし。一人っ子やのに妹がいるとか日本語おかしいよなあ。じゃあデートするか。最後はラブホでメイク・ラブな」


「男同士でメイク・ラブなデートとか、僕としてはあり得ませんからね?」


「何々、ケイちゃん、どんな勝負をしていたの?」


「文香さん」


「はい」


「これは女の子から見れば本当につまらないかもしれないけれど、男子としてはこのくだらなさこそが男の本懐なんです。なので、秘密にさせてください」


「ケイちゃん、ちょっとだけ男らしい」


「ちょっとだけですか……」


「うん。男の子の恰好でもほぼ女の子みたいな外見だし、言葉遣いは丁寧で性格も優しいし、むしろ受け手ネコだし。だって、わたしのケイちゃんだもの」


 思わぬ拍子で事実を言い抜かれて僕は変な具合にショックを受ける。まあまあと犬先輩に慰められた。どうにもこうにも、如何ともし難い。


 そんなこんなで、お昼休みは終了を迎えた。


 放課後、本日の部活動は、座学だった。


 フィールドワークを良しとする探索部としては意外だった。


 が、犬先輩曰く――、


「探索対象のない合間を利用して、経験者からの生の知識を得るのもいいもんや」


 とのこと。確かに予備知識があれば憂いも無くなりそうだ。


 そういう次第もあって、思わぬ巻き込まれ強制探索対策として犬先輩が経験した本家ミスカトニック校のあるマサチューセッツ州アーカムや日本の各地での探索をまとめたメモ帳、シナリオノート、紙面地図、写真、登場人物用の駒、なぜか取り出した各種サイコロというアナロギックな教材を使って聞かせてもらう流れとなった。


 彼がこれまでに探索した回数は、なんと13回にも及ぶ。いつから用意していたのか、それらはテーブルトークRPGシナリオリプレイ形式で書き込まれていた。


 いずれも興味深い内容だった。


 しかし僕はどの体験談よりもまず、以前耳にした『きさらぎ駅』での出来事に意識が向いていた。それは混沌の邪神ナイアルラトホテップの憑依体、銀髪碧眼ボッチ幼女のヴェールヌィとの邂逅話でもあった。文香もかの邪神幼女には何やら思うところがあるらしく、それでいいと同意した。


 きさらぎ駅、というのは日本の都市伝説の一つで、存在しない架空の駅の名称であり、決して駅に降りてはならない異世界への迷い込み系オカルト話だった。


 インターネットの某巨大掲示板で一時期騒がれたネタ話でもある。


 というか、僕はこれまでそう思っていた。


 さて、犬先輩である。


「先に断わっておくと、こいつは俺にとってはバッドエンドやった」


 それは昨年の11月初旬の出来事だった。


 アメリカから日本へ帰国したばかりの犬先輩は、さっそく桐生学園ミスカトニック大学から特別講師のオファーを受けていた。


 しかし彼は、少なくとも来年の3月末までは大阪府千早赤阪村にある桐生先端医療ミスカトニック大学病院で客員研究者として所属することを希望した。


 というのも、そのとき一緒に帰国した西博士ドクターウェストと呼ばれるロボット工学と脳科学と陰秘学の三つの博士号を持つ、犬先輩曰く『俺よりも遥かずっと変わり者のオッサン』『ちょっと有り得ないほどのマジモンの天才キ〇ガイ』『アニメキャラみたいな真性のマッドサイエンティスト』と、とある研究を進めていたためだった。


 西博士が心血を注ぐ研究とは、人間と同等かそれ以上の人工知能を持つ、機械の体で代用された人間の創造なのだという。


 わかりやすく言えばアンドロイドの創造である。


 しかし犬先輩の論文『生命全般における魂の在り処、量子的数学証明』により人間には魂はないことが数学的に証明されていた。


 創造者の人間に魂がないなら当然被造物の人工知能は、現状、どこまで進歩しても哲学的ゾンビに過ぎず、ならば証明者のお前が責任を取れと意味不明の情熱で西博士に引っ張られて彼は強制的に研究チームに組み込まされていたのだった。


 とはいえ犬先輩に不満はなかった。


 潤沢な資金に、優秀な人材、最新の設備。


 特筆すべきは桐生先端医療ミスカトニック大学病院には桐生グループ傘下のOS開発会社、カオスシード社が創り上げた史上最高の演算マシン、すべてのスーパーコンピューターを嘲笑う七七七ヨロコビ式量子コンピューターが実装されているのだから。


「めっさ充実してたで。大学の講師寮に寝泊まりしてやな、ほんで毎日俺専用の送迎で千早赤阪村の桐生病院へ通って、研究を進めて。最高の演算マシンを自由にいじっていいとか科学者としてロマンやんけ、なあ?」


 犬先輩はニヤニヤと端正な美少年面を道化顔にほころばせた。やんちゃな子どもに最悪の玩具を与えてしまったような顔つきだった。


「せっかくやし、西博士も知らんトップシークレットを教えたろ。実は、人工知能自体はすでに第7世代の神の頭脳アビスウォーカーまで出来上がってるねん。そいつは現在、桐生の量子コンピューターの中でブイブイいわせてる。はははっ、世間では未だ第3世代の疑似人格クソAIやのにな。もちろん第3世代正当進化種の賢者サピエンスと呼ばれる第4世代、突然変異な情報生命体スピリットの第5世代、天使メタトロンの第6世代も揃ってるで。本来、これらができるのはもっと後なんや。なんせ作った子は、まだ産まれてもいないしなー」


 何やら時空パラドクスが起きているようなので、僕も文香も変なツッコミを入れるのは避ける。というか本能的に危険を感じて口を閉じた。


「いずれにせよ悪戯はさほどせんかった。超々高精度天気予報システムを構築し、地域別に秒単位で天候が分かる天気予報会社を一個作ったくらいで。あっ、そうや。知ってるかもしれんけど自宅は学園のすぐ近くにあるねん。なのに俺が大学の講師寮を使っているのは理由があってだな、ケイ、わかるか?」


「犬先輩が立証した論文で世界的著名人になったからですね。自宅なんかに居たらマスコミやその他が煩い。ならば一種の聖域でもある学園内にいたほうが」


「ケイ、ドンピシャリで大当たりや。そんなにも俺を理解してくれているとはなぁ。愛してる、一生キミのこと大事にするって誓うから俺と結婚して」


「同性結婚は、日本ではまだ実装されていません……」


「米帝やったらいける。俺、特例でグリーンカード持ってるし。いっぱい子ども作ろうな。サッカーチームができるくらい」


「男同士で、何をどうするつもりですか……」


「めっさ頑張ったら行けるかもしれへん」


「無ー理ーでーすーっ」


「ケイちゃんと犬先輩が同性結婚。そういうのもあるのか」


「文香さんも孤独な美食家のゴローちゃんみたいなこと言わないで」


「うっはっはっはっはっはっ」


「うふふ、うふふふふ」


「もー、この二人は。本気なんだか冗談なんだか……」


 ツッコミを入れる。不本意にも二人はとても満足そうだった。柴犬のセトが何が嬉しいのかわんわんと楽しそうに尻尾を振りながら二度鳴いた。


「悪い悪い、脱線した。きさらぎ駅の体験話やな」


「お願いしますよ、もう」


「ときは昨年の11月初旬。俺は愛犬のセトと一緒に研究員として朝から桐生の大学病院へと車で送迎されていた。学園寮から大学病院へは、桐生グループの厚意で本社役員用の軽装甲セダンを出してくれてな。ああ、うん。アレやで。リアクティブ複合装甲板に防弾ガラス、対化学兵器用車内気密、防刃防弾タイヤに対地雷装甲、米帝で言うたら大統領専用車両のビーストみたいなバケモン車。ほんでここからが本題やが、俺はそんなアホみたいなスゲー車で送迎されとったんや。だが一人と一匹は、次の瞬間には、闇の中をひた走る列車の中にいた」


 それは本当に瞬間的なものだったらしい。朝ゆえにうとうとと微睡んでハッと目を覚ますとそこは無人の列車の中。それも一般的な横座席の乗客用車両だった。

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