第26話 銀髪碧眼のボッチ幼女 その4
『弱くてもお手伝いはできるもん。もうすぐ新しき宇宙を創る、目覚めたわれらがアザトースがご生誕なさる。わたし達は偉大なる主をお迎えするのよ』
「あの、凄まじく不味い話のような気が」
ヴェールヌィの語りは止まらない。対する犬先輩はというと……ニヤニヤとした笑みを再び浮かべている? なぜ? 彼の心境の具合が読めない。
『われらが新しき主にとって、正気を保っている人間なんて邪魔なだけなの。なので『冷静さを残したままSAN値を削り』、『日常生活のできるSAN値ゼロの人間を量産する』テストケースが今回の、あなた達の言う『放課後の殺人鬼』なわけ』
「これが、試験的なもの……?」
『さてわたしの新しいお友達、ハーフジェミニちゃんに質問ターイム。今あなたがいる、この場所の話ね。ここは一体、どこでしょうか?』
「強制お友達認定ですか……」
相手は幼い女の子の言動ではあれど、行ないそのものは人類にとって災厄そのままの邪神ナイアルラトホテップが一顕現体である。
目覚めたアザトースの生誕とは。
新しき宇宙を創るとは。
それは世界レベルで人が知るには荷が勝ち過ぎる情報ではなかろうか。
特殊性癖をバラされて顔を手で隠した可愛そうな文香を見る。
彼女には悪いが邪神サマの御前である。今はそれどころではないので後でしっかり慰めてあげるとして、彼女よりもずっと奥へ目を向ける。
そちらの方角には二上山らしき山が鎮座していた。名前の通りフタコブラクダのような雄岳と雌岳で構成されている。かの山は万葉集でも歌われた山でもあった。
だが、おかしい。仮に今見ている山が二上山としよう。
それならば、なぜ自分達の立つこの場所に、ミスカトニック校がないのか。
ここはどこだ。このほうれん草畑は、一体。葛城市ではないのか。
自己を起点に西の方角と仮定した二上山から南方へ視線を移す。
全面セピア色の風景の中、田畑を抜けて枯れた建物群に目を凝らす。
寺らしきものが見える。
麻呂子山と思しき小山のふもとに、奈良時代に建立されたといわれる當麻寺らしきものが見える。国宝指定の、東西の三重塔のようなものも見える。
東に目を向ける。
国道168号線らしき道路が――いや待てよ、ずいぶんと西寄りの位置で南北に伸びているのはなぜなのか。
そうか、学園がないので東へ迂回する形を取らなくて良くなっているためか。
それにしてもずいぶん寂しい街並みである。
田んぼ、畑、休耕田? 寂しいというより、寂れている? 僕はミスカトニック校が存在しない葛城市と仮定して、地理を頭に思い浮かべてみる。
ここから見て北の二上神社駅と東の當麻寺駅周辺および當麻寺への参道には街並みが比較的集まってはいる。ただし、それ以外になると田畑と林と山のふもとにある小学校と幼稚園、まばらな住宅くらいしか見当たらない。
『わからない、かな?』
「ミスカトニック校そのものが存在しない葛城市だというのは、おおむね」
『おおむね、ね。ここは発展できなかった北葛城郡當麻町のままの土地。葛城市に改称すらできなかった街。だけど、わたしはそんなのどうでもいいの』
「それはヒントと考えていいんですね? 今、あなたが喋った内容は」
『うん。ついでに言うと『放課後の殺人鬼』とあなた達が呼称する現象、それが終わった直後から遭遇者は急激に興奮や興味を削いでゆく理由にも繋がっている』
怪現象に遭遇した生徒や職員は、現象が消えてなくなった直後から、視聴していた映画やテレビでも見終わった後のように、急激にその関心を失わせていた。
まるで『あれは虚構、現実ではない』とでも言うように。
いや待て、ならばなぜ今の僕はその怪現象に関心を寄せている?
確かに調査対象ではある。が、これまでは伝聞に任せて間接的に知るだけのものであり、今回のように目の当たりにはしていないのだ。
それがなぜこれまでの伝聞と同じく、実際に遭遇した後も関心を継続できるのか。それでは道理に合わなくはないか。
そのとき、僕の脳裏に電流が流れた。脳神経の束が何かと接続した感覚。人間視点でものを考えてはいけない。ヴェールヌィ、あれは外なる神なのだった。
「この世界は、並行世界。厳密には、観測者に選ばれなかった可能性世界かと」
『ふむふむ。ではそう推論づけるに至った経緯はなあに?』
「量子力学では並行世界の存在を証明しています。たとえば今僕が一歩足を踏み出すとして、この時点で右足を先に出した世界と、左足を先に出した世界の二つに分岐します。可能性世界とは僕達が本来存在していた世界の、未選択世界とも言い換えられます。その主たる観測者は、眠れるアザトース。『放課後の殺人鬼』はこの世界で創られた、僕達の住む世界とは違う住人。種族名はアルスカリでしたっけ。そしてこの未選択世界は、
『どうぞ、続けて』
「僕らにとってはこの可能性世界はテレビや映画、小説や漫画などの架空を見るようなもの。どれだけ感動しても、怒っても、悲しんでも、笑っても、結局は虚構に過ぎない。何せなかったことにされた世界であり、それゆえにすぐに気持ちが冷めてしまう。記憶には残りますけれどね。今、僕が薔薇の温室で起きた儀式に関心を強く寄せられるのは、気持ちが冷める前に、彼らの現実たるこの世界に移動したためでしょう。これを悪用したのが『放課後の殺人鬼』現象。僕達の世界に彼らを移動させて儀式を行なう、それを誰かが目撃する、しかし存在しない世界からの出来事ゆえに架空のものとして記憶だけ残る、けれども実際には殺人は起きているんです。この衝撃的事実は関心は薄れても根底では消せない。冷静なまま、SAN値はどんどん削れていく。あなたが求める日常生活のできる狂人が量産される。それは新しき目覚めたアザトースを迎えるため。そんなところでしょう」
『推測に推測を固めた上に端折りすぎているけれど、それでも要点はきちんと押さえているので及第点をあげる。わたしの新しい友達だし』
「邪神の友人とか本当に勘弁してください」
『ひっどーい。絶対に友達だからね! 夜になったらベッドに潜り込むから!』
「不意打ちの恐怖に怯えながら眠れだなんて、僕に試練を与え過ぎでしょう」
『じゃあ今晩行くと宣言するから。手塚治虫っぽい火の鳥プリントパジャマを着て潜り込んじゃうし、ぎゅっと抱いて寝ちゃう。色んなとこにキスもしちゃう』
関わりたくないと散々言っているのに聞きそうにない。さすがは邪神。いや、余裕を見せている場合ではないのだけれども。しかしこの様子だと、どこに隠れても絶対に現れそうなので諦めるしかないようだ。人間、諦めも肝心である。
それよりもヴェールヌィは――正確には邪神ナイアルラトホテップの一顕現体は、わざわざ可能性世界まで持ち出してまで練り上げた策謀を台無しにされてもまったく気にしていない点がやはり意外だった。
犬先輩の説明では彼に構って貰えてしかも僕と邂逅できるからというが、外なる神を名乗りながらたかが人間に阻止されるなど、屈辱の極みではないか。
『うふふ。たかが人間だなんて。わかっていないハーフジェミニちゃん、可愛い』
耳元で囁かれた。子どもが出すにしては、こう、ねっとりとまとわりつく言葉尻で、悪戯心の塊のようでもあり、妙な色香を醸して捕食せんと嗤うかのような。
ハーフジェミニ。ヴェールヌィが先ほどからずっと口にする名称。
その意味は? 半分の双子。意訳して失われた双子。僕と、恵?
ともかく僕のことらしい。犬先輩も何か関係している?
しかし関係があるとして、一体、何が。
その後、ヴェールヌィの元で居候していた朧ヨウコを救出し――むしろまだそこに居たがる彼女を園芸部の面々によって説得、渋々ではあれど帰ってこさせた。
彼女も変わり者である。それが何かとんでもない存在だと勘づきながらも、それでも独りぼっちのヴェールヌィのために、一緒にいてあげたのだから。
ちなみに、理由は以前に朧ヨウコが言った通りだった。
『信頼できる子が寂しがっているから』
ヴェールヌィ。ロシア語で『信頼できる』という意味。
混沌の顕現たる存在に信用も信頼もないだろうと漫才的なツッコミを入れてやりたい気持になるが、それは口に出さない。まさに不毛である。
こうして『放課後の殺人鬼』事件はひとまず解決となった。
第七駆逐隊、いや、パティシエ部兼園芸部の四人は揃って帰宅した。犬先輩は探索部を代表して生徒会へ報告へ行った。
そして僕と文香は。
秘密をバラされて傷心の文香は引きずるように僕を部室へ拉致し、それで何をやらかすかと思えばまんじりとして、そういえばこの子はこういう娘だったと僕は文香を優しく抱き寄せて静かに慰めてあげた。その後、女生徒にも変装した。
夜、就寝間際。以前からずっと宣言しているように、僕は自宅にいる間だけでも双子の妹の恵は生きていることにするべく日々を送っていた。
なので可能な限り、在宅時は双子の兄の僕が妹の恵に成り代わり、なるべく恵らしい行動と思考をトレースして動き、生活していた。
そういえば最近、父の態度が少し変化した。僕を呼ぶとき、恵一、恵と、二人分の名前を呼ぶようになったのだ。それは父なりの心の落としどころらしかった。
僕は恵のパジャマを着て、恵の部屋で二匹の黒猫姉妹と眠りにつく。
絶対に行くとか言っていた混沌のヴェールヌィは結局来ないみたいだった。常夜灯の薄暗い部屋の中、ベッドの中の黒猫姉妹は甘えて僕にすり寄ってくる。
懐かしくもいい匂いがする。お日さまとミルク臭が混じった、まるで幼い子どものような。……子ども? まさか? 僕はその肢体をまさぐった。
肉づきのない尻。ペタンコの胸。緩やかな曲線の腹部。抱き着いて満足そうに息を吐いたそれは、にゃあっ、と小さい声で反応した。
『ハーフジェミニちゃん、お兄ちゃんと違って女の子に積極的なんだね』
「……うわ」
『来ちゃった。うふふ。もっともっとわたしのこと触っても、いいのよ?』
「い、いえ。間に合ってるから、その、ありがとう」
『うわ、奇麗な女の子の声。そっか、そか。ハーフジェミニちゃん、今は恵ちゃんだものね。でも性格はだいぶケイちゃん寄りなのかな?』
薄闇の中、それでもさらさらと輝く銀髪が。
長い睫、憂いを帯びたような碧眼、神か悪魔が――否、邪神が自らを祝福と共に造形した、一人の美少女が僕に抱き着いていた。
可愛い。えっ、こんなに可愛いの? これでボッチ? 何もしなくても誰もが放っておかないと思う。僕は世に蔓延るアイドルなるものを一度も可愛いと思ったことがない。あんなものどこがいいのだ。可愛さなら恵の方が万倍上を行く。そんな愛する妹よりも、奇跡の塊のような美形幼女が、ここにいる。
これが、憑依型のナイアルラトホテップ顕現体、ヴェールヌィ・ウラジミーロヴナ・ナボコワ。小学生低学年辺りの、10歳にも満たない幼女の姿の邪神。
なんとなく美の有りようが犬先輩と似通っているのは気のせいだろうか。それにしても庇護欲を掻き立てる幼児を模るとはさすが邪神サマ。これを邪険にするのは相応の罪悪感がつきまとう。気がつけば、色々と構ってあげたくなる。
「宣言通り、本当にベッドに直接潜り込むのよね……」
『約束したら絶対に行くし。でもハーフジェミニちゃん、あまり驚いてない感じ』
「今日は色々あり過ぎたから。気持ちが疲れてもう何も言いたくないわ」
『素敵な部屋よね、この、あなたの部屋は』
「恵の部屋よ。今となっては
『だから、あなたの部屋でしょう?
「え?」
『むむっ。恵ちゃんってば、ちゃーんとナイトブラつけているんだ? パッド入りなの? じゃあ下は? おおお。ちゃんと女の子用のショーツを履いてるんだね』
「ちょ、ちょっと。んっ、触っちゃダメってばっ」
『だから、あなたは、恵ちゃんだし。ハーフジェミニちゃん』
「わたしは、恵?」
『
「……うん」
『これ以上はキミヒラお兄ちゃんに嫌われるから言えないけど、もっと深く自分が知りたいなら今日会った薔薇の温室へいつでもおいで。そう、別に今宇宙でなくてもいいの。わたしはハーフジェミニちゃんのお友達だから。ただし、他の顕現とは違うわたしだけの大切な助言。本当の意味での復活は、あなたの認識次第よ』
「本当の意味での復活。わたしの認識……?」
『そうなのよ。さてさて、じゃあ、今日はもう眠りましょう。とっても眠りたそうな顔をしてるし。わたしが守ってあげる。頼りない黒の使い魔どもより確実に』
「……うん」
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