第24話 銀髪碧眼のボッチ幼女 その2

 生徒会室は想像していた以上に落ち着いていた。


 それは怪現象への関心がすぐに薄れるという不可解な干渉の影響なのか、国内だけで百万の正規従業員を擁する超巨大企業の桐生グループ、その後継者としての統率力あってのものなのか判断がつきかねた。きっとどちらもなのだろう。


 僕ら三人と一匹を出迎えた『姫君プリンセス』と『近衛騎士ロイヤルナイツ』の三人は、まるで面白いものにでも出会えたかのように上機嫌で、用意されたソファーに座るよう勧めてきた。


「あれが今話題の『放課後の殺人鬼』なのね。一生懸命でしたね?」


 さすがの『姫君プリンセス』と言ったところだろうか。まったく動揺がない。巻きロングヘアの上品な顔立ちがたおやかにほころんでいた。


「あんまし余裕かまし過ぎたら手痛いしっぺ返し喰らうから注意な。護符、見せてみ? たぶん真っ黒クロスケやで。新しいのと取り替えとくわ」


「あらあら。いつぞやのあなたの魔導書事件もこれで助けられましたものね」


 生徒会の三人はそれぞれポーチや財布やそのままポケットから紙切れを取り出した。それはまるで焦げたように真っ黒になっていた。


 犬先輩は胸ポケットから名刺帖を取り出して、中から薄い半紙状の、円に星と目が書き込まれた護符を数枚ずつまとめて彼らに配った。後で聞くに、それはエルダーサインという旧神の守りの呪符らしかった。


「校長と担任の分もそろそろ交換やけど、先に部活動として捜査のご協力を」


「もちろんです。正義マサヨシ正直マサナオ、探索部の皆さんにお茶をお出しして」


 僕達は出された紅茶を飲みながら『姫君プリンセス』が語る怪現象の一部始終を伺った。それはこれまでの事情聴取とほぼ同じで、内容に変化はなかった。


 犬先輩は、うん、と頷いて明らかに高級品のティーカップをそっとテーブルに置き、タブレットを生徒会の面々に見せた。


「見てわかるように点と線を繋いでいくと『@』マークが出来上がるんやな、これが。で、最後の一点になるだろう場所は、аってアルファベットから予測するに、薔薇の温室があるんやってな、この学園」


「ええ、ありますね。園芸業者の方ではなく、昨年から園芸部の四人が活動なさっています。部員は、潮ナツミ、漣ハルカ、曙ヒカリ、朧ヨウコ」


「その四人組って、パティシエ部やなかったっけ」


「掛け持ちでやっているのよ。週に一度だけパティシエ部、残りの5日間は園芸部と。家庭科室は料理部が主に使っていますから。……にしても最後の点が判明したとして、今にも怪現象は始まるかもしれないのに余裕たっぷりなのね?」


「黒幕はもうわかっているし、たぶん今の会話も聞いてると思う。あれは愉快犯やから事件を追う俺らが現場に着くまで絶対に動かん。それこそ火サス火曜サスペンスの残り15分でなぜか風光明媚な崖っぷちで事件のあらましをすべて語るレベルでな」


「あらあら、まあまあ。信頼なさっているのね。それで、その黒幕とは?」


「邪神ナイアルラトホテップの一顕現、憑依体の響。俺の……義妹や。すまんな、身内が迷惑かけてからに。……ほんまは知らんほうが人として健全に生きられるんやけど、姫さんは未来の桐生そのものやから、その神の名は知ってるやろ」


「混沌の神様が悪戯なさっていたのね?」


「ああ。この世のどんな神よりも、輪をかけて面倒くさいやつやで……」


「あの、それ以前に義理とはいえ犬先輩の妹とか……」


「たとえ義理でも妹は妹ですから、ね?」


「いつもニコニコ這寄る混沌やで?」


 なんで普通に受け入れられるの? え、僕がおかしいの?


 彼の足元で愛犬のセトがぴぃと鼻を鳴らした。周囲に何とも言えぬ間が降りた。犬先輩はそんなセトの頭を撫でてやり、犬用のおやつクッキーを食べさせた。


姫君プリンセス』は僕へ優美に微笑みかけ、じっとこちらを見つめた。察するものは十分にあった。それは、つまりアレでしょう? なので僕はこう答えた。


「あれは、その、犬先輩に必要性を説かれる形で着替えただけで、普段はしませんから。どうかご理解のほどを」


「あら残念。それで彼が説いた必要性とは、一体なあに?」


「わたしのやる気を出させるためです」


 ここまで無言を保っていた文香が、口を挟んだ。


 秘密にしておきたい趣味ではなかったのか。僕は慌てて彼女を見た。文香は僕の右手を取って、あろうことかその指先に口づけをした。


「わたしとケイちゃんは共犯者。その上で犬先輩には良くしてもらっています」


 上手く言う。条件については曖昧にした上で理由らしいものを口にするとは。


 文香の聞き心地の良い声は毅然として、拒絶せずに拒絶するという離れ業も同時にやってのけていた。こと趣味や性癖の領域になると彼女の思考は大幅に上昇するらしかった。よくよく考えなくてもとんでもない能力である。


 共犯者としての僕と文香との厳密な条件は『二人で可愛くなる』だった。


 けれども実情は、弱みのある僕は文香の要求を呑まざるを得ず、文香はそんな僕を、紫色の瞳で愛でる毎日だった。まずもって事案レベルの変態である。


 彼女曰く『内側より可愛くなる』関係であるらしい。歪にもほどがあろうものだ。が、ここでは黙っていようと思う。


 聡明な『姫君プリンセス』は、もっともらしく答える文香の思惑に当然気づいている。しかし笑顔を絶やさずに、がんばってね、と僕達二人に向けて応援してくれた。


「それでやな姫さん、頼んでいたアレ、用意できてるやろか」


「ええ。日本史の資料の名目で購入しておきましたよ」


 言葉を待っていたように『近衛騎士ロイヤルナイツ』の双子兄弟のいずれかが、剣袋に入った一振りの刀らしきものをテーブルに置いた。細長い得物は見た目以上に重量があるらしく、ゴトッと重い音を響かせた。


姫君プリンセス』は文香に向けて頷いた。それを手に取れ、なのだろう。


 文香は剣袋の封を解き、異様に滑らかな動きで袋から得物を抜き出す。


 中身はやはり刀だった。いや、厳密には太刀、か。


 阿賀野流戦国太刀。流儀名が示すように、太刀遣いのための剣術である。彼女は鯉口を引いて刃を確認、鋭い眼光、ややあってぱちりと元の鞘へと戻す。文香の視線は『姫君プリンセス』に注がれ、向かう桐生の姫は泰然と受けて座っていた。


「ここで事件解決のための作戦を伝えとく」


 犬先輩は静かに宣言した。


「めっさ単純な話や。矢矧ッち、介者剣術で手に慣れたその肉厚幅広の実戦刀で、殺人鬼が行為を終えた直後、ヤツが消えるまでの数秒の間にヤツを斬ってくれ」


「わかりました。では、ケイちゃん。鬼退治に向かいましょう」


「えっ、えっ? そんなに急に手を引っ張ると」


「お、おい。ちょい待ち。矢矧ッち、気が早すぎだっつーの!」


 思い切りの良さ、というものがある。が、犬先輩のなぜ斬らねばならないか説明のない作戦指示で文香はあっさり首肯、早速行動に――むしろ出陣だろうか。


 ともかくそれはどうかと思うのだ。しっかり僕の手を繋いでいる点も見逃せない。間違いなく僕が巻き込まれています。剣士って、怖い。


「――だって桐生のお姫さま、わたしのケイちゃんを本気で気に入りそうだもの」


 二人で廊下を歩くさ中、文香は憮然と答えた。だから『姫君プリンセス』の居城たる生徒会室からさっさと立ち去りたかったと。


 僕はしっかりと握られた右手と、文香のやや気恥ずかしげに上気した横顔を交互に見て、胸の内で今の会話の一部を反芻させた。わたしのケイちゃん。これまでにも何度か耳にしたセリフ。僕は、黙って彼女についていくことにした。


 犬先輩を放置したまま、文香と僕は薔薇の温室へ向かう。


 彼女の手には肉厚幅広の、戦国時代特有の鎧武者を斬り伏せるための実戦刀が。他方ではまったく戦闘向きでない、むしろお荷物の僕をしっかり手に繋いで。このアンバランスさ、どう表現したものだろうか。


「おいっ、ちょい待てや! 矢矧ッちがまさかいきなり討伐に出ていくとか、俺もさすがにビビるで! 普通は作戦の、詳しい説明を受けてから行動やろが!」


 一度生徒用昇降口へ向かって靴に履き替え、二人して薔薇の温室へ向かうさ中に、やっと犬先輩とその愛犬が追いついてきた。


「まったく、姫さんが吹き出してたぞ。わたしを女としてライバル視してるって」


「あの人は危険です。ケイちゃんは絶対に渡しません」


「その辺は必ず因果を含めとく。せやから作戦の詳しい説明をさせてくれや」


 犬先輩曰く、連日学園の放課後を騒がせる『放課後の殺人鬼』、その正体はアルスカリと呼ばれる邪神ナイアルラトホテップを崇める独立種族であるらしかった。


 フードの闇間から見えると証言された緑色の光は、巨大な単眼から発せられる催眠効果を含んだ瞳の光であるとのこと。


 体つきは人間より少し大柄で肌は灰色がかった病的に白い肌をしている。知的生命体ではあれど、その性根は邪神の手先であり、人類との親和性はまったくない。


 少々乱暴に言い切るなら、人類と敵対している倒すべき怪物なのだった。黒幕が誰かが分かった時点で、芋づる式に判明したという。


 そして肝心の討伐方法だが、まずは基本的に『放課後の殺人鬼』は『憐れな殺害対象』を殺す行為そのものが儀式の核であり、殺害が完了するまでは決して阻害されないよう邪神によって無敵染みた加護がなされているらしかった。


 なぜならそれは、そもそもが儀式を誰かに確実に『観測』させるのが目的で、そうしないと自己顕示の塊である『@』マークの点と線が完成しないためだった。いくつか証言で出てきた、殺人を阻止しようと動いた勇敢な生徒らの抵抗がことごとく失敗に終わったのは該当の加護によるものである。


 ならば加護の隙間を縫えば良い、というのが犬先輩の立てた作戦だった。


『放課後の殺人鬼』が『憐れな殺害対象』を儀式通りに殺害する。これについてはどうしようもないので諦める。混沌の神の加護で無敵なのだから。


 ただ、同時にそれは『殺人鬼自体の役目は終了する』という意味合いを持つ。そしてここからが法則の網の目を潜るカラクリで、全体俯瞰すれば『まだ視聴者参加型殺人は終了してはいない』のだった。この差異、お分かりになられるだろうか。


 遠足は家に帰るまでが遠足、という言葉がある。


 そう、ご想像の通り『劇場が開演』して『殺人鬼そのものが消え失せる』までが、一連の儀式なのだった。


 殺人鬼が儀式の担当する区分は殺害部分のみ。


 言い方を変えれば『確実に成すべきを成すための邪神の加護』とは『コトを果たせば失われる』となる。


 となれば、殺人鬼が消え失せるまでのわずかな間はどうなるか。混沌の神の加護は、消えている。無防備、なのだ。この数秒の隙を突く。


 まるで重箱の隅をつつくような一瞬が、果たして有効たり得るのか。


 すると犬先輩は答えた。


「それはそういうもんなんや。いくら外なる神でも法則からは逃れられん」


 大前提では、儀式とは数学と同じで、一度設定した取り決めに沿って行なわなければ、求める解が得られなくなるという。


 大まかには次の条件になる。


一、初めに設定した『@』マークの点となる座標に観測者が存在していること。なお、マークは二次元平面で考えるため三次元的高低差は考えに含めない。

二、『@』マークそのものに魔術的意味はない。それは黒幕たる犬先輩の義妹の自己顕示欲である。重要なのは、儀式の回数と被観測回数である。

三、ゆえに万難を排して黒幕は殺人儀式を観測者に観測させねばならない。当儀式は、生贄を殺して空間座標から殺人鬼が消失するまで、ずっと継続している。

四、『放課後の殺人鬼』の役目は、その名の如く『殺害する』のが目的であり、逆に殺害されてはならない。儀式の完了時には、必ず生存していなければならない。

五、この儀式がそもそも何を目的としているかは分からない。が、ロクでもない目的なのはその内容からして分かろうもの。犬先輩の義妹から聞き出せばよい。


 くどいが『殺害が終わって、殺人鬼が消えるまでの数秒間』が、今回の怪現象を解決させる鍵となっている。儀式を各坐させ、完了を阻止する。


 そこで介者剣術なる古武術を修めている、文香の出番となるのだった。


「ナイアルラトホテップは基本的には面白ければそれで良しとする気質がある。なので今回の儀式が失敗に終わっても、かの神の怒りを買うことなどあり得ない。義兄の俺に構ってもらえて、しかもケイと邂逅できる観点からすれば、あの大莫迦タレとしては十分に目的を達成されたものと感じるだろうよ」


 犬先輩が意味深な発言を吐き捨てるようにこぼした。そうして彼は端正な顔を僕に向け、すっと近寄り、あろうことか右左と頬にキスをした。


「巻き込んでおいてアレやけど、というかこそ、俺にとっての大渦の中心『@』なんや。絶対に守ってやるからな。ケイ、そして恵ちゃん」


 熱い吐息に僕は絶句した。


 犬先輩が聞き捨てならない発言をしたようだが、まさかのキスでこの瞬間からの思考がすべて吹き飛んでしまった。


 文香も驚きに満ちた表情をしていた。そして小さく、なんというわたしへのご褒美、と独りごちた。ちっともブレない娘だった。


「さあ、行くで」


 犬先輩、文香、僕の順で薔薇の温室へ入っていった。


 静かだった。室内には誰もいなかった。


 しかしよく見れば園芸用品がそこかしこに置かれ、肥料らしき土と如雨露に断ち切り鋏、先ほどまで人が歩いていたとわかる幾人もの新しい足跡が残されている。


 パティシエ部兼園芸部の三人は、生徒会の指示で退避させられたようだ。


 文香はようやく僕から手を放し、しかし一瞬だけ抱擁を、耳元へは頑張るから見ててねと囁いてきた。そうして、手慣れた様子で彼女は剣袋から太刀を取り出す。


 瞬時に彼女を覆う気配が鋭く冷たくなっていくのを感じる。そして納刀したまま左手で刀の鞘を持ち、ふっ、と短く息を吐いた。


 と、そのとき。

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