第23話 銀髪碧眼のボッチ幼女 その1
翌日の放課後、探索部部室。
三人は備えつけのパイプ椅子に座り、ミーティングテーブルを挟んでこれまでの怪現象の経緯を書き記したタブレットを中心に顔を突き合わせていた。
文香の様子が変だった。いやまあ、ある意味いつも変ではあるのだが。
それは登校して朝の挨拶を交わしたときに気づいた。つまり朝一番で気づいた。僕を見る、または視線が合わさると、そのままふっと視線を逸らすのだった。
こちらとしても昨日はずいぶんと激しく気を放ったため、それも彼女を主に
その上で文香のその態度。どうしようもなく不安を感じてしまうのだった。なんだろう、前も後ろもハッスルしたことがバレてしまったのだろうか。
現在、部活動中の僕と文香は、つかず離れずと絶妙な位置取りで座っている。
「……」
「……」
無言が重い。いつぞや文香に屋上に呼び出されて以来の息苦しさがある。
何気なく、紙コップに茶を注ぐためペットボトルに手を伸ばす。
主語を抜いたのはわざとだ。僕と文香が同時にそのお茶に手を伸ばしたためだった。図らずも右手と右手は互いの指先と触れ合っていた。
二人してびくっと震えて手を引っ込めてしまう。
特に僕は昨日の驚異的な気の散失を思い出し、それで彼女のたおやめな手を汚してしまった気持ちになっていた。顔と耳が、猛烈に、熱い。不思議にも、文香も同じく胸に手を抱いて、顔を真っ赤にして俯いているのだった。
「青春してんなぁ……」
犬先輩は膝に愛犬を乗せ、両腕を回して抱き寄せてやっていた。セトは喜びを全身で表して彼の顔をべろべろと舐めてはもたれかかり、とても幸せそうだった。
「そ、それで今日はどうします? 基本は怪現象待ちではあるんですけど」
「せやなぁ」
目を閉じて愛犬の頭を撫でつつ、犬先輩は思案する態を作った。
「ほんまはラブコメさせてたほうが青春の一ページとして面白いんやが、しゃあない。部活する前にとりあえずキミら、お互いに右手で握手しようか」
僕と文香は目を見張った。まるで授業中に眠気で舟を漕いでいるところを、教師に不意打ちで注意を受けたかのように。高校生になってからはそのような生徒は見なくなったが、中学生時代には勉学にやる気のない生徒が半睡しているところなどをよく見たものだ。彼らが注意を受けて驚いて目覚めた顔が、まさにそんな感じだった。
「「ど、どうして?」」
二人の声がシンクロしていた。嫌な汗が流れてきそうだった。
「元凶は俺やし、まあ、すまんな。せやけど自己弁護させてくれ。キミらウブ過ぎやねん。矢矧ッちとか、女の子のケイにいつも逮捕事案のイタズラしてるやん。ケイもそうや、受けの悦び、知ってるやろ? いわんや、ケイの中身の半分はオンナノコやで? 今更ちょっと
「「こここ、恋人とか」」
「なんや、違うんか。お互いがお互いを想って、若さを発散したんやろ?」
「「あ、あの。その……」」
絶句した。犬先輩に昨日の行為を見透かされていたことではない。この流れから察するに、文香が、僕を想いつつ、色々と発散したと?
逃げたいと思った。が、犬先輩の異様な気配が足をすくませて動けなかった。目を開いた彼は、いつものニヤニヤした顔ではなく珍しく真剣な表情だった。文香も同じく、犬先輩の気配を察知したらしく動けないでいるらしかった。
「ええか、よく聞けこの
僕と文香とは、共犯者関係である。
共犯者とは何かしら後ろめたい隠し事を共有している一点を差す。友人でもあり、同級生でもあり、秘密は共有して、互いに約束を取り決めて。
異質な関係。僕は文香を見た。文香も僕を見つめた。
僕と文香は、相手を伺うように右手を伸ばし、やがて、握手をする。
「「ごめんなさい」」
二人して同時に謝罪しあった。何が何をとは、あえて言わない。
しかし同時に、自分でも明確なほどある種の緊張が解けていくのが分かった。代わりに湧き上がるのは、ああ、これは、甘酸っぱいようで股間がモジモジするような、胸の鼓動が早くなり微熱を纏ってなお溢れんばかりの気持ちは。
猫科の大型肉食獣を思わせる文香の瞳も、柔らかく視線を緩ませている。
「「お互いに、仕切り直しましょうね」」
結果的にまだ少しぎこちない部分は残れど、この握手を以って二人の間に漂う不穏な空気はほぼ解消されていた。絶妙な位置取りでつかず離れずだった距離感は、心情面だけでなく実質的なパイプ椅子の距離としてもこれまでの通り『犬先輩と、僕と文香』の関係に戻っていった。むしろ僕と文香の距離は密になっていた。
「はあ、やれやれやで。キューピッドって辛いわーマジ辛いわー」
そうして、まるで様子を見ていたのかと勘繰りたくなるほど絶妙なタイミングで犬先輩のスマートフォンに連絡が寄越された。
愛犬に下顎をべろべろと舐められながら、電話に出る犬先輩。二、三内容を聞き、僕達に無言で目配せする。僕はタブレットにペンタブで書き込む準備を、文香は立ち上がりホワイトボードの地図に印を打つ準備に回った。
「……盲点突かれてた。油断も隙もねえわ。そういう意味やったんか!」
通話を終えた犬先輩は今の連絡で怪現象の何かを掴んだらしい。彼は僕と文香に現場座標となる点の位置を言った。
新たな怪現象の場は、二階、生徒会室だった。
三人は雁首を揃えて地図を見た。これまでに出来上がった二重丸に、思いもしない文字が浮かび上がったのだ。それは――。
「つまり、その。これは『@』マーク?」
二重丸の右下に一点。それを線で繋げると、外丸の中にちょうどアルファベットの小文字のаと思しき文字が浮かび上がってくる。○とаが加わり『@』である。
「まだ完全な形ではない。やけどこいつの最後の出現場所はもうわかる。遊んでやがる。これに魔術的な意味はない。ケイの推理の通りやった」
「僕の、あの五つのアレですか」
「せや。さらにこの舐めくさった文字を回りくどく作らせた莫迦モンの正体もわかった。ケイの言う通り『@』マークは、自分が誰かを示すものやった。そういやあの寂しがりのアイツは、暇潰しによく遊んでいたな……」
今日は珍しいものがよく見られる日だった。
真剣な表情の犬先輩が次に見せた表情は怒りの姿だった。と言っても以前見た憎悪混じりの怒りではなく、どう表現すべきか、そう、発言からもわかるように彼に近しい者がしでかした悪戯に対しての後始末を逡巡するかのような……。
「……言葉尻からして、もしかしてお知り合いの方か何かですか?」
おそるおそる僕は尋ねる。犬先輩は目頭を押さえ、二度ばかり深呼吸を繰り返した。しばし間をもって、彼は申し訳なさそうに口を開く。
「ケイは、ローグライクのゲームをしたこと、あるか?」
「チュートリアルで人肉を食べさせようとする鬼畜な緑を、どうかして手に入れた核爆弾でまず最初に自爆討伐するのが真のチュートリアルというゲームなら」
「それはローグライク風ってやつやな」
「そうなんですか? では風味づけされていない、犬先輩の言うそれは一体?」
「初期に開発されたローグライクのゲームとはフルテキストの、つまりすべてをテキスト体でもって世界を表現したもので、1980年のコンピューターRPG黎明期に発表された『ローグ』というダンジョン探索型コンピュータRPGの亜種のことなんや。前置きがえらく長くなってすまんが、それでこの『@』マーク。こいつはテキストでの主人公たるプレイヤーを示すマークなんやな」
ここで犬先輩は言葉を一度区切った。膝上の愛犬を下におろしてやる。名残惜しそうに主人を見上げるセトをよそに彼はホワイトボードに@マークを書いた。
「俺とあの大莫迦は、このテキスト体に親愛を込めてこんな別称をつけていた」
『混沌の大渦』
「ローグライクのゲーム世界はクエストをこなすのが基本になる。その舞台は怪物に襲われた街だったり、要塞を作る目的を持ったドワーフの集団だったりするんやが、注目すべきは、世界はプレイヤーが手ぇつける前から一個の世界として成り立っているという一点になる。ちょっとわかりにくいか。そもそもこの手のゲームは『世界は初めから完結していて、すでに秩序は成り立っている』んやな。プレイヤーがクエストをこなすとは、いわば世界秩序の破壊行為や。それは混沌の使者の如く、結果、世界は有りようを無理やり変えられてしまう」
まるで噛んで含めるように犬先輩は僕達に解説を続けた。それは却って分かりづらくなるほどに。普段の簡潔さがないのは相手が混沌の大渦だけに動揺が彼の中で渦巻いているのかもしれない。何せ身内がやらかした事件でもあるから。
「今一度言うが、クエストクリアとはゲーム世界の秩序の破壊行為なんや。いやまあ、今の時代に出ているRPGも、俺の見識ではすべてにおいてそういうことなんやけどな。ゲーム的には世界が収束したように見せかけても、しかし初期の状態を秩序とするなら対極は混沌やから。ゆえに世界は、混沌に呑まれてしまう。そのカオスの中心でひたすら渦巻くのが、プレイヤーたる『@』マーク」
「なんだかとても嫌な予感がするんですけど。まさかその莫迦者って」
「ケイならこれら解説だけで考えが繋がると思ったよ。そう、莫迦は陰秘学的にはこう呼ばれている。混沌の邪神、ナイアルラトホテップ、と」
「……」
「無貌にして千の貌を持つ、這いよる混沌。最強の土の精。外なる神。愛すべき大迷惑。あれは回りくどい嫌がらせが大好物でな。今回この『@』マークを仕掛けた顕現は『憑依体、響』というねん。見た目は十歳にも満たない美少女風で、白い肌と銀髪碧眼が特徴のボッチにして俺の妹分や。アリスコンプレックスを患っている
「邪神とはいえ神様と知り合い――というか妹分って、もはやカオスしか感じないのですが。しかもボッチって。以前、会わせてやるって言っていた方ですか?」
「いや、俺が紹介する予定でいるのは性別不明の
「あの、そんな風に前フリを着けられると非常に気になるのですが……」
「すまんな。憑依体の響についてはいつか話すだろうきさらぎ駅での邂逅話にでも絡めるとして、行動に移るで。生徒会へ行こう。受け取りたい物もあるし」
犬先輩は行くで、と残して足早に部室から出ていった。彼の愛犬も爪の音を鳴らしながら駆けていく。彼らの後ろに、僕と文香も合わせてついていく。
それにしても、と僕は思う。
きさらぎ駅って、まさか都市伝説のきさらぎ駅なのか、と。
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