第21話 放課後の殺人鬼 その3

 次の日の月曜日、そのお昼休み。


 晴れ渡った天気が気持ちいいので、犬先輩と二人で例の屋上で昼食を摂った。残念ながら文香はクラスの用事で来られないでいた。


「んんー、こうまで良い天気やと、なーんか良いことあるかもしれへんなー」


 カスタードクリームサンドメロンパンにかぶりついて咀嚼し、調整豆乳をズズーッと音を立てて飲む犬先輩はかなり上機嫌だった。彼の愛犬である柴犬のセトは、彼の膝元でずっとおこぼれが来るのを今か今かと顎を上げて待っていた。


 と言っても『放課後の殺人鬼』捜査に進展があったのではない。


 前回の事件の首謀者たる鈴谷ありさの容体が、順調に良くなってきていると担当医から連絡を受けてのものだった。


 部の活動記録では『魔界のピンボール事件』とタイトルづけられたあの出来事のすぐ後、犬先輩は鈴谷ありさのアフターケアに回っていた。


 どういう説得や言いくるめを彼女に使ったのかは僕は知らない。が、ともかく桐生系列の病院に検査入院させて心療内科医に診せたのだという。


 原因はやはり犬先輩がやらかした魔導書暗唱事件による心因性疾患にあった。それを踏まえた上で、慎重に心のケアを重ねることによって徐々に問題の失禁癖は改善されているとのこと。検査入院は三日ほどで、現在は通院を週に二度ばかりとなっている。ちなみに、かかった費用はすべて犬先輩持ちになっているらしかった。


「言うても一度開かれた性癖の扉は二度と閉まらんで。彼女も人生の上級者になっちまったな、わははっ。それはそれで良いものや、前向きに楽しんでくれ」


 彼の言う人生の上級者とは鈴谷ありさが図らずも開眼してしまった『人前でオムツの中に失禁し、その羞恥心から被虐的な快感を得る』性癖を指している。


 さて、食事も済ませて本来の目的『放課後の殺人鬼』についてだった。


 犬先輩は犬用のおやつクッキーをポケットから取り出して、愛犬のセトに食べさせてやる。パクっとほとんどひと呑みで食べるセト。もう一つ、食べさせる。パクっと食べるセト。犬先輩、セトの頭を撫でてやる。気持ちよさそうに目を閉じるセト。やがて、甘える彼の愛犬は、膝に身を乗り出して主人にべったりと寝そべった。


「むっふっふ。可愛いやろー、俺のセトはー」


「ええ。ここまで懐かれると想いもひとしおでしょうね」


「ここだけの話。柴犬ってのは狼の因子が濃い犬種で、飼い主とその家族以外には基本的に懐かん。せやけど、ケイだけは例外。セトはケイにもめっさ懐くんや」


「そうなんですか?」


「せやで……ああ、いや。ほんなら本題にかかろか」


 何かを言いかけて、途中で犬先輩は話題を変えてしまった。セトの頭を撫でてやりつつ、犬先輩は空いた手で器用にノート代わりのタブレットを開いて画面を僕へと向ける。本題。『放課後の殺人鬼』についてだ。


「この怪現象はその名の通り放課後のみに発現し、内容は目深にフードかぶった顔の見えない殺人鬼によって、人が惨たらしく殺される救いのないものや」


「ええ、そうです。意味不明という観点からも」


「しかも殺人ショーが完結すると、すぐさまそれ自体が悪夢であったかのように、殺人鬼も被害者も飛び散った血までもがすべて消失する」


「一応は遭遇者の記憶に残りますけれどね」


「まるで他人事みたいな、醒めた記憶としてやけどな……」


「それでも色んな現場で遭遇者に聞き込みしたところ、たまにいるんですよね、妙に勇敢な人が。たとえば殺人鬼の顔を覗き込もうとした猛者とか」


「残念なのはその猛者も顔は見れなかったと聞く。まるで墨を落としたような影の中、淡い緑色の光点だけが見えたとか見えないとかハッキリせん」


「他にも凄まじい人はいて、たぶんスポーツ特待生クラスですよね、筋肉で問題を解決しようとしているし。その殺人鬼の腕を掴んで制止を試みたとか」


「脳筋とはいえ、その勇敢さは認めたいところや。だが、万力のような力でものともせずに殺人ショーは完遂されてしまい、最後は例によって殺人鬼も被害者もその他諸々もふっつりと消えた。後に残ったのは、彼が掴んでいた腕の感触のみ」


「聞き込みをして現場を図に表していくと、今のところミスカトニック高等学校の敷地内のみであり、大学まではその影響は伸びていないようです」


 そして奇妙なことに気がついた。パティシエ部の一連以降の怪現象である。


 次の犬先輩の発言に注目。


「現場の図の点を線で結んでいくと『大きな円』が出来上がる。俺らが部活動捜査を始めた初日の家庭科室が、奇しくもその『外円陣の完成の日』やった」


「みたいですね。その後、円陣の内側に当たる場所にさらに怪現象が起きた。今のところ二か所。これがその後どう動いていくかはまだ分からない」


「星形に動いたらエルダーサインってわかるんやけどなー。でもあれは魔除けみたいなものやし、うーん、違うよなぁー」


 二人でタブレットに顔を突き合わせ、思考を巡らせる。


「……んん?」


 ふと、僕の脳裏に電流が一筋、走った。点と線が繋がる感覚だ。


 もしかしたらこれは、愉快犯なのではないか、と。


 小説や漫画などの創作物では、愉快犯はその自己顕示欲からか、犯行場所を線で結ぶことによって自身を特定させるヒントをわざわざ作ったりするものだった。もちろん現在ミスカトニック高等学校に起きているこの怪現象は現実の問題であって、架空の出来事ではないのはわかっている。だが、しかし……。


 柔軟に考えてみよう。


 伏線とは物語を面白くする暗示のことだ。ただ、現実は物語かくうではない。ゆえに現実にはそんなものは滅多にない。


 


 このぐるりと円を描くように点で結ばれた犯行場所を見ると、どうしても犯人の自己顕示という考えがもたげてきて仕方がないのだった。


 さらに僕は想像を逞しくしてみる。仮に、視聴者参加型殺人ショーを人に見せて驚かせるそのものが最大の目的であり、手段でもあればどうか。


 目的と手段が同一ならば、殺人鬼の奇妙な行動に納得がいくようになる。学園での怪現象遭遇者には一切物理的危害が及んでいない理由である。


 殺人鬼の目的はその名の通り、人殺しだ。


 となればこのくだんの殺人鬼、不幸な遭遇者も一緒に凶刃を立てたほうがショーはより凄惨な深みを持たせられるのではないか。通常ならそう考えが行く。


 しかし実際は、遭遇者はいないものとして完全に無視をしていた。行為を果たせば、初めから何もなかったといわんばかりに霞と消えてしまう。


 この殺人鬼の目的は、殺人現場を第三者に視認させることにある?


 ただどう考えてもわからないのは、遭遇者の記憶には出来事はきちんと残っているのに、時間の経過とともにまるで喉元を過ぎれば熱さを忘れるが如く急速に出来事への関心を失ってしまうところだった。


 考えをまとめてみる。まとめたところでどうというわけでもないが。


一、大前提として、愉快犯の犯行と仮定して考えを進める。

二、犯行トリック不明。ゆえに怪現象と呼ばれている。犯行時間帯は放課後のみ。

三、目的と手段は同一化していて、不幸な遭遇者を驚かせるためにやっている。

四、愉快犯は自己顕示欲が旺盛。円を結ぶ動きは自身を特定させるヒント。

五、いずれ円陣図から愉快犯の正体は露見するだろう。そう、放っておけばいい。

六、ただし正体が分かる代償に、予感だが、何かが手遅れになる恐れがある。


 僕はタブレットに自分の考えも軽く加えてペンを走らせた。犬先輩はそれを読んで、ふむ、と頷いた。そして彼も自分の考えを箇条書きに走らせた。


一、犯人は魔術師。円は魔術的な陣を組むための基礎であり、魔法陣である。

二、怪現象は生贄を捧げる儀式。これをもって魔術的な何か意味を持たせている。

三、遭遇者は観測要員である。儀式の完遂を第三者の観測により確立させる。

四、ゆえに遭遇者を害するのは好ましくなく、殺人鬼は彼らに手を出さない。

五、観測した事実『だけ』が必要。それはその後の無関心さにも直結している。

六、当怪異現象は観測させるのが目的ゆえ、土日祝日や無人の場には発現しない。


「こいつをどうやって、どの莫迦がやっているかはまだわからん。時間が経つにつれ急速に関心を失わせるメカニズムも不明。まあ、おかげで騒ぎは最小限やが」


「推理に魔術をベースに展開するって斬新ですよね。でもこれを読むとそんな気がするのもわかります。納得できる筋道が通っていますし」


「でもなー、ケイの手段こそ目的っていうのも、なーんか的を射ている気がしてならん。単純に驚かせるだけとか、誰も考えないようで、意外とあり得そうな」


「そうですか? 僕としては犬先輩の魔術師犯行説を推したいのですが」


「矢矧ッちだったらどんな推理するやろか」


「彼女はあまりそういうのは好きそうじゃないので」


「戦闘一点特化型だしなぁ。3人パーティ。オールラウンダーであり、精神分析ヒーラーの俺。目星と状況判断と推理がピカイチのケイ。ほとんど戦乙女の矢矧ッち。探索者としては、役割分担はきっちりできてるしなー」


「皆してクセモノですけれどね。ふふふ」


 僕と犬先輩は含み笑いあった。僕ら三人は、自分で言うのもなんだが、一癖も二癖もあり過ぎた。小説ならば誰を選んでもキャラがすぐに立つ程に。


「はい、俺から提案!」


 びしっ、と犬先輩は手を挙げた。それに合わせて柴犬のセトが、顎を上げて嬉しそうにわんっと鳴いた。


「どうぞ、犬先輩」


「賭けしようぜ、賭け。どっちの推理が当たっているか、はたまたどっちも見当違いか。結果の近いほうが相手に命令できる王様ゲームっぽいやつを」


「ええーっ、それ僕のほうがかなり不利なんですけど……」


「男は度胸、何でもやってみるものさ」


「そんな背後に危機感を覚えそうな某漫画のセリフを言われても。ちょ、何ですかその怪しげな手つき。制服にツナギのジッパー的なものはありませんよっ。そ、それなら先に勝利時の命令内容を宣言してから勝負というのなら、賭けに乗りましょう。ちゃんと手加減してくださいよ、僕のほうが圧倒的に不利なんだから」


「よっしゃ賭け成立な。どうせ捜査もなかなか進まへんし、モチベのためにも軽い気持ちでやったらいいんやで。それでケイが勝利時の王様宣言は、なんや?」


「じゃあ……犬先輩の女の子の姿が見たいです」


「えっ、マジで?」


「いつも何かと理由をつけて僕に女装させるから、今度は僕が噂に聞く犬先輩の可愛い姿を見たいです。ついでにその格好でどこかに遊びに行きましょう」


「きっついところ攻めてくるなぁ。よし、ケイが勝ったら女子寮の面々の性癖をもれなく歪ませた俺の女子力を見せてやろう。ちなみに俺の女子力は53万あるぜ。そして矢矧ッちみたいな男の娘大好き腐女子を大量生産してくれる。ふははっ」


 大した自分の容姿への自信である。それもそのはず。繰り返し言及するように犬先輩は黙ってさえいれば、奇特な行動さえなければ印象は180度変わる。


 芸術の神か美の悪魔か。黄金比に祝福されたような優雅な顔立ち。

 若干華奢ではあれど無駄のない肢体。すらりと長い手足。

 その立ち振る舞いは、誰もが見初める上品さ。

 総じて、まるで貴族や王族のそれ。

 希少宝石ですら嫉妬する、絶世の美少年なのだった。


「そしたら俺はどうすっかなー。うーん……せやせや。国道165号線の道の駅から柏原方面にちょいと行った途中にウナギの飯屋があるやん。そう、あのどこぞのゴルゴっぽい強面の大将の。あすこの特上うな重を俺に奢るってのはどうや。もちろん単に奢るんやない。ケイも一緒に食べて俺と唱和してもらおうか。『このウナギ、ごっつ旨いな! まるでアナゴみたいやで!』って。うひひ、こいつは楽しみやな!」


「うわぁ……」


 まさかそうくるとは。特上うな重もたいがいな財布への打撃だが、ウナギをアナゴみたいと強面職人の前で宣えとは。


 こういう突飛な言動さえなければ完全完璧な美少年だというのに。さすがに異称の一つに『残念なイケメン』とつくだけある。恐るべし犬先輩。


 約束したがために賭けに乗らざるを得なくなった僕は、してやったりとひときわニヤニヤする犬先輩の両ほっぺたをでつまんで、もうっ、とため息をついた。

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