第20話 幕間 文香と一緒にお菓子作り 下
レアチーズタルトは作ると失敗の少ない、簡単で見栄えの良いお菓子だった。
材料は以下の通り。タルト台は24センチのものとする。
タルト生地用材料。
小麦粉180グラム、バター80グラム、砂糖40グラム、アーモンドプードル20グラム、塩1つまみ、卵黄1個。
レアチーズ用材料。
クリームチーズ150グラム、砂糖40グラム、生クリーム100ミリリットル、レモン汁小さじ1杯、粉ゼラチン5グラム、ゼラチン用の水大さじ3杯。
初めはたどたどしかった文香もやがてはお菓子作りに没頭し、いい感じに二人でレアチーズタルトを作り上げていた。
僕も作っている間に、僕の中で息づく妹がある瞬間からまるで遠慮するようにふっとなりを潜めてしまっていた。文香と目と目が合う。女の子と一緒にお菓子を作っている事実に、今更になってドキドキとし始めるのだった。
しかし二人の恰好は、文香はスカジャンを脱いではいるもののVネックカットソーにヴィンテージジーンズパンツというほぼ男装で、対する僕は学園のパティシエ部の彼女達と同じく女生徒の制服に三角巾、フリルのエプロン姿だった。
さて、この二人。第三者の目ではどんな風に映るだろうか……。
作り終えてやれやれとエプロンを取ろうとすると、そのままで、との文香が希望するので何かと思えばカシャリとスマートフォンで写真撮影されてしまった。
僕としてはこの姿を写真に残されるのは好ましくない。
けれど、どうしても欲しいのだと彼女たっての願いに押し切られる形で、また一枚カシャリと写真を撮られてしまう。
「ちゃんとその写真は管理をしてくださいね?」
「うん。宝物にする」
そして、レアチーズタルトが出来上がる一時間ほどの冷蔵の間、僕達は何をするでなくリビングのソファーに深く腰かけ、肩を寄せ合って待つのだった。
わが家の二匹の黒猫姉妹がふらっと現れて、こちらを見て真っ直ぐ近づいてくる。僕はそっとエプロンとスカート越しに膝を押さえた。
文香は今日はジーンズパンツなので特に心配はいらないだろう。黒猫姉妹はガードの堅いスカートに不満げな様子を見せつつ僕の膝に乗りかかってくる。
この子達には良くない癖がある。何がそんな風にさせるのか、スカートの中に潜り込むのが大好きなのだった。犬先輩が初めてわが家に来たときも、女生徒姿の恵に変装中の僕を狙ってきたので膝上に誘導していた。
猫は狭いところが好きと聞く。が、何もこんなマニアックな部位に顔を突っ込みたがらなくてもいいではないかと思うのだけれども……。
「ほほう。猫とケイちゃんと来ますか。黒猫ちゃんが二匹にオンナノコな美少年。なんという夢コラボ。これは、地獄の果てまで写真に撮らなければ……っ」
良くない癖と言えば文香さんの業染みた性癖も、何もそこまでしなくても、というレベルである。一度その性癖に至った経緯を詳しく伺ってみたいものだ。
やがてお菓子は出来上がり、二人でゆったりと午後のお茶を楽しんだ。
途中、父が昼間休憩で一度自宅へと戻ってきた。父は県内の路線バス会社の乗務員だった。ゆえに基本的に朝はとても早く、長い昼間休憩を挟んで、夕方からのラッシュ時間帯で乗務員業務に従事していた。
父はこちらの様子を見るや、これまで親として僕に見せたことのない妙に深みのある表情を浮かべた。驚きと困惑と、あと何か。そうして文香に軽く挨拶だけして、ゴソゴソと自室で何かをして後、すぐにまたどこかへ出かけていった。昼寝目的で帰ってきたはずなのに、寝なくてもいいのだろうか。
文香が帰宅し、夜、珍しく父に呼び止められた。何事かあったのか、父は真剣な表情で恵に扮する僕の薄い両肩を掴んでこう言うのだった。
「ケイ、お前が可愛いのは親としてわかっている。しかしお前自身はコトの重大性にまったく気を払っていない。今、お前は少年だけが持つ魅力と少女だけが持ち得る魅力を両方取り合わせた、奇跡のような容姿をしていると気づけ。
なんとこれまでずっと最小限の視線しか僕にくれなかったのはそんな理由からか。僕が奇跡のような容姿を? この姿は、あなたの娘の姿ですよ。
父の話は、まだ続いた。
「お前のその格好はもちろん色々と思惑のあってのものなのだろう。特に、恵の、な。俺としては息子が娘になるというのは言葉にし難い気持ちだが、それでも可愛い息子のために認める。だがな、その、さすがに男に手を出すのはどうかと思うのだ。お前はアイドルみたいな、ああいう男の子が好みなのか?」
お父さん、違います。
文香さんは言われる通り下手な美男子よりもはるかに恰好良いですが、女の子です。趣味や嗜好はかなり歪んでますけれど、とてもいい子です。
説明すれど父は信じない。そんな女がいてたまるかと。
なので言葉を尽くし、先日の中間テストのもう一人の二位の子が彼女だとなかば説得と言いくるめを足して二で割ったような説明までした。それでも疑いが晴れないので彼女とのなれそめまで話して、ようやく信じて貰えたのだった。
父はポケットから小箱を取り出し、そうか、と感慨深く呟いて僕に中身を見せた。それは亡くなった母が大事にしていた、プラチナ製の指輪だった。
「いや、それでも、その男が……いや女の子だったから問題ないのか。とにかくお前が息子を辞めて娘として生きたいというなら反対はすまいと覚悟して、ひとまずこれを渡しておこうかと思ってだな。お前の指なら細いから入るだろうし」
父の混乱具合がよくわかった。昼間自室でゴソゴソしているかと思えばそれを探していたのか。しかし母の大事な指輪を僕に渡してどうするのだ。そりゃあ僕の指も細いので指輪は入るだろう。でも、よほど衝撃的だったのだろうとしても、色々と思考が一足飛びになっていはいないか。僕は呆れてものが言えなくなった。
なんなのだろう、この気持ち。ドッと疲れる。
父の頓珍漢な気遣いに腹立たしくもあり、しかし親としての優しさも理解できなくもなく。このモヤモヤ感はなんだ。僕はどういう反応を見せればいいのか。
ちょっとわけが分からないので、夕食はワガママを言って父の財布からデリバリーピザを注文し散々食べ散らかしてみた。そして心配する父を無視して黒猫姉妹をベッドに呼び、さっさと就寝した。もう知らない、お父さんの、莫迦。
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