第19話 放課後の殺人鬼 その2 + 幕間 文香と一緒にお菓子作り 上

 さて、怪異の現場となったであろう家庭科室について少しまとめよう。


 今し方に触れたようにお菓子を作るための材料がすべてぶちまけられていて、それは部員の三人が驚いた拍子にやらかしてしまったものなのだが、『他に特筆すべき点が無い』ことが『逆に特筆すべき点』となっていた。


 彼女ら三人の証言では、確かに『放課後の殺人鬼』はこの教室に出現したらしかった。そして次に書く惨事を経て、影よ煙よ幻よと、初めから何事も起きなかったかのように渦中の殺人鬼は立ち消えていた。


 当学園で密やかな噂となっているくだんの殺人鬼は、ミスカトニック校の学区内限定で起こる怪現象だった。


 それは学区内であれば教室やグラウンド、廊下、部室、体育館、はたまたトイレの中でも、場所を問わず始まる凄惨な、適切だが表現が露悪的だと知った上で言うなれば『視聴者強制参加型、殺人劇場』なのだった。


 今回の出来事で例えるなら――、


 尋常でなく膨れ上がった殺意。囚われた、哀れな被害者。

 フードを目深にかぶった、顔の見えない殺人鬼。

 被害者、緊縛された身を刃物らしきもので滅多刺しにされる。

 苦痛に悶えながら死にゆく被害者の絶命を。

 さらには顔の見えない黒いローブにフードを被った殺人鬼の荒い息遣い。

 血濡れの凶器、はみ出た内臓、充満する糞便と鉄錆の臭気。


 すべてを一括りに、かつてない悪意の下で繰り広げられるのだった。輪をかけて恐ろしい話、聞けばその殺人鬼は、実際に『触れる』こともできるという。


 つまり、殺人鬼には、実体が、ある。


 そしてここからが異常さの本質だった。惨劇の後すぐ、そんなものは初めからなかったと嘲笑うが如く殺人鬼も被害者も血だまりも鉄錆も便臭も、何もかもがすっぱりと消えてしまう。もう一度書く。本当に、何もかも、消えるのだ。


 しかし先ほど述べたように、現象は実際に起こっているのである。


 普通に考えるならこの恐るべき殺人劇場に遭遇した不幸な人間は、その恐怖で精神強度を大きく削り、犬先輩が以前言ったアイデア判定なるものを通して各種狂気状態へ、下手をすれば精神が著しく摩耗して即廃人も十分にあり得た。


 だが、そのような深刻な事態になった生徒及び学校関係者は一人もいない。不謹慎を覚悟で言わせてもらうに、心的外傷も辞さない惨劇下で、それはないだろう。


 さらにおかしな点がある。殺人劇場に遭遇したとして、時間が経つごとに怪現象に対する認識熱が、言い換えれば興奮が、累乗加速的に冷めていくのだ。


 お分かりいただけるだろうか。この有り得ない様相を。


 僕としても現場に乗り込んで知れたことに、彼女らパティシエ部の三人は恐るべき惨劇に直面して間もないはずが、今はケロリとしているのが不思議でならない。

 いくら犬先輩の精神分析が大成功だったとしても、そんなに簡単に気持ちを流せてしまえるものなのか。


「……納得できない。人の意識と認識はもっと繊細のはず」


「ケイちゃん、どうしたの? 顔色、悪いかも」


「うん、ちょっとね。でも大丈夫。ありがとう文香さん」


 僕は遠巻きに、楽しげに会話をしながら掃除をしている犬先輩とパティシエ部の三人組を観察した。怪現象が起きた、ではなく現在進行形で今も怪現象中だ。


 しつこいほど繰り返すが、先ほどの出来事などなかったかのように、あるいは記憶の改ざんでも受けたかと疑いたくなるほど、彼女らは平静を取り戻していた。


「ううむ……」


 思うに学園側の対応はかなり誠実なのだった。運営上の思惑はもちろんあれど、事態をちゃんと重く見て調査に乗り出そうとしていたのだから。


 ただ不運にも、桐生の『姫君プリンセス』の横槍に屈し、あろうことか僕達探索部にお鉢が回ってきた事態を除けばだが。


「ねえねえ、ケイちゃん。先輩方のエプロンってとっても可愛いと思わない?」


「えっ、ああ、とてもガーリッシュで良いセンスだと思いますよ」


 あらかたの清掃が終わり、ふうと息をついたそのときだった。目を細め、まるで甘える猫のような動作で文香がこちらに擦り寄ってくる。


「ケイちゃんはお菓子とか、お料理とかは上手なほう?」


「親は夜遅くまで働いていますので、基本的に食事は僕が作ったりしていますね。お菓子は……そうですね、意外と簡単で美味しいレアチーズタルト程度なら」


「レアチーズタルト……っ。いいなぁわたしも食べたいなぁ。何よりも、ケイちゃんのエプロン姿が見たいなぁ。裸エプロンとか」


「さすがに裸はちょっと」


 文香はマイペースだった。この事態でもまったく動じずに自らの趣味に照らし合わせられるとは、皮肉でも嫌味でもなく、純粋に尊敬モノだった。


「じゃあいつか機会があったら、うちで一緒に作りませんか」


「本当? いいの? うわあ、これは是非ともパティシエ部の先輩達からどこでそのエプロンを手に入れたのか聞き出さないといけないわね。うふふふ」


 言いながら彼女は目の色を紫色に変えた。


 そして僕の耳元に、文香は他の誰にも聞こえないよう声を潜めてくすぐってくるのだ。発情でもしたかのような、欲望渦巻く少女の甘い香りと共に。


「もちろん女の子のケイちゃんでね。ふふふ。ね? わかる、でしょう?」


「あ、はい……」


 ここでNOと言えないのが、女装の弱みを握られた僕だった。共犯者とはいえ、これではいけないとつくづく思う。


 ならば、いっそ文香には男装してもらってはどうかと考える。


 女装の僕と男装の文香。歪な関係。抱き合う僕ら。


 一緒にお菓子を作って、食べて、お茶を飲んで。それから? 色々あって最終的には? どんな格好であれ中身の僕は男だ。思春期の男子。勢い余って文香を押し倒す。逆に押し倒されるのがオチか。でも、それもまた……僕は何を考えている?


「――むっ」


 思わず自分の口元を押えた。危ない危ない。


 文香に押し倒されて、強引にキスを迫られるシーンを想像してしまった。僕は顔を赤らめて言葉の上では抵抗しながらも、女の子のように唇を受ける。


 しかもそれを良しとする自分がいて驚いたのだった。実際の文香は、二人きりになるとなぜか照れてしまうのでそういう行為には至らないと思うけれど。


「ケイちゃん、どうしたの?」


「う、うん。一緒にお菓子を作るの、楽しみだなーって」


「そうなんだ。わたしも、とっても楽しみよ、ケイちゃん」


 しれっと僕は嘘をついて、これ以上は考えないよう努めた。受け身もほどほどに、こういう歪な男女関係こそバランスが大事だろう。


 その日はパティシエ部の掃除を手伝い、ついで捜査のための情報を仕入れ、そして時間も遅くなったのでひとまず解散となった。


 帰りしな、私服姿の『幸運ラッキーガール』女史とハルアキさんを見かけた。


 二人は手を繋いで歩いていた。


 ただそれだけなのに幸せそうだった。僕は声をかけずにそっと見送った。

 

 機会があればとあえて期限を決めずにおいていた文香とのお菓子作りは、思っていたよりも早くやってきた。


 校内で話題の『放課後の殺人鬼』事件は、放課後に起こるとはいえ何時どこで起こるか正確に予測できないため、つまるところ事件そのものに遭遇出来なければ探索部としての本格活動に移れないのだ。なので、想像以上に難航していた。


 捜査は、怪異の足跡を辿って被験者から事情を伺うに留まってしまう。


 それもパティシエ部の面々からも知れたように、一定の時間が過ぎればまるで喉元の熱さが過ぎたが如く、情報源として頼りなくなるのだった。


 三日過ぎた日曜日、お昼過ぎに僕は文香を自宅に招待していた。


 彼女はVネックカットソーに荒ぶる虎の刺繍入りスカジャン、ヴィンテージジーンズパンツにスニーカーという、一見すれば実に男勝りなだった。


 小脇にはピンクの包装紙にホワイトリボンで装飾された、嫌な予感しかしない贈り物らしき長方形の箱が。


 不吉な予感を払うように僕は文香に目をやる。


 相変わらずの凛々しい顔立ち、長手のポニーテール。スレンダーで背筋の伸びた美しいモデル体型。滅茶苦茶格好いい。男装がこれほど似合う女の子も珍しい。


 僕の前では想像もつかないが、当人曰く、他の人の前では寡黙さを保っているらしい。このまま街でも歩けば色々と勘違いした女の子が入れ喰いしそうだ。


「うふふ、来ちゃった。可愛いあのエプロンも用意したよ。楽しみだなぁ」


 ところが第一声がである。


 硬派な姿からこの言動、ある意味でギャップ萌えも受けそうではあるが、目の色が実に妖しい紫色に染まっていて、僕としてはすでに及び腰である。


 もしかしたら招待したのは早まった行為だったかもしれない。


「さ、ケイちゃん。お着換えしましょうねぇー?」


 もはや文香を止められる者は誰もいない。わが家は一気に無法地帯と化した。

 ひゃっはー。新鮮な男の娘だー。イタズラさせろー。


 自宅には僕以外いないことを知るや否や、彼女は欲望全開で、さっそく恵の姿になるよう求めてきた。ハアハアと鼻息が荒い。なんだか怖い。


 しかしこのままされるがままなのは男として癪なので、以前より気にかかっていた質問を僕は彼女にぶつけてみた。


「文香さんは僕ばかり可愛らしい恰好をさせるけど、自分ではしないのですか?」


 確か共犯者の契約では、一緒に可愛らしくなるとのことだったはず。


 ところが文香は、ふふんと鼻を鳴らして言うのだった。


「わたしは誰にも気づかれずに内面を磨くから、その辺りは完璧に大丈夫。ケイちゃんはわたしの良いお手本になってくれるし」


 男を可愛らしさのお手本にするのはどうかと思う。本当に、どうかと思う。僕の自身の矜持に関わる大事なことなので二度ほど繰り返し思わざるを得ない。


 とはいえこれ以上この場で可愛らしさに言及するのは不毛の大地を歩くようなものなので、僕は文香に追及するのを諦めた。


 彼女が特に求めてくるので、繊細な刺繍が襟に施された他校の女子にも人気の名高い女子生徒用夏季カッターシャツに袖を通した。


 これに制服のスカート。書く順序が逆になったが下着はユニセックスショーツにスポーツブラ、白の靴下、胸と腰にシリコンパッドを忘れずに。恵が生きていればきっとこんな格好だろうなと想像しながら、僕は変装する。


 その上から、数日前に見たパティシエ部の彼女たちがつけていた、フリル全開のロリチックなフリルエプロンを装着する。


「うん、良く似合ってる。ふふふ。しかも化粧なしでこれだけ可愛いとか、世界中の女の子に喧嘩売っちゃってる。いい匂いもするし、すーはーすーはー」


 御満足いただけて大変よろしく思います。僕は胸のうちでそっと漏らした。


 ところで着替えの場は妹の恵の部屋を使わせてもらっていた。幾度も言うように、せめて在宅中は恵が生きているようにと、彼女の遺品を僕が着ているためだった。ああ、遺品だなんて。恵はまだ生きているのに。そう、僕の中で。


 ドレッサーの前で、双子の片割れである僕が慣れた手つきで自分にメイクを施している間、文香はベッドに腰かけて静かに目を閉じていた。


 そしてひと言――、


「いつか、ケイちゃんの、妹さんへの気持ちが受け入れられるといいね」


 文香は、その性癖は少々、かなり、独特ではあれど、その本質は僕には眩しいほど清らかな精神を持っているのだった。腐ってはいるけれど、性根は聖女。


 僕は、メイクする手を止めて、うん、と頷いた。


 恵への気持ちを本当に受け入れられるようになるためには、いくつかの障害を越えねばならなかった。まずは復讐だろう。これを成さずして僕の人生は始まらない。妹を殺し、あまつさえ逃げ、未だのうのうと生きている犯人には必ず凄惨な死の報いを受けさせる。ふはは、涙も枯れ果て、絶望ですら朽ち果てる報いを、絶対に。


 この、漆黒のような感情は、誰にも止められない。


「大丈夫? ごめん、わたし余計なことを言ったかも」


「あ、うん。平気だよ。。それに、文香さんや犬先輩、他にも皆もいてくれるから」


「ケイちゃん?」


「よし、メイク終わりっと。女の子って、大変よね。じゃあ、タルトを作ろっか」


「う、うん。ケイちゃん、無理しないでね?」


「大丈夫大丈夫。ほら、行こっ」


 無理なことなど何もない。僕の中では、恵は生きている。


 僕と恵で、二人で手を取って、自分達を殺した犯人に、必ず、復讐を。僕ら二人で奴の墓穴を掘り、僕ら二人で、本懐を遂げるのだ。

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