第18話 放課後の殺人鬼 その1
6月は衣替えの月だった。
男子の夏季制服は単純にブレザーを脱いでカッターシャツにネクタイ、スラックスが基本となる。必要ならブレザーとセットになっているベストを一番上にしてもいい。ベストはチェック柄のいかにもデザイナーが力を入れている一着で、たとえ暑くても我慢して着るお洒落志向の強い男子生徒が相当数いるほどだった。
女子は女子でこれまたブレザーを脱いで、カッターシャツとリボンタイ、スカート、必要ならニットベストが基本になる。特筆すべきは、男子とは違いカッターシャツの襟の部分に細やかな刺繍の入った夏季専用シャツに変化することか。
そしてこの女生徒用カッターシャツこそプレッピーながらもガーリーで可愛いと当校・他校を問わず女子達に人気があり、噂によると社会人なのにこのシャツを欲しがる人までいて、それに伴いネット転売で高額商品化しているとも聞く。
それは、ともかく。
中間テストの下剋上騒ぎも落ち着いた6月初旬の放課後、僕ら探索部の面々は『
今更になるが桐生の姫君とその取り巻きの存在が強烈すぎて、あの一派が生徒会役員なのをすっかり失念していた。『
「――実は部活に関しての、ちょっとした依頼があるの」
こういう役員からの『ちょっと』とは、大抵が非常に面倒くさい内容だと判断するべきだろう。特に生徒会が桐生の『
「と言っても生徒会は仲介役で、長門校長先生と三笠先生からの依頼なのよね」
夏季制服に衣替えしている『
今話に出ていた、長門校長と、担任の三笠先生だった。
教師が、生徒を通して依頼してくる。記憶違いでなければ三笠先生は僕らの部の顧問ではなかったか。これだけでもわかる巨大企業の桐生グループの跡取りと、桐生系列の学園とのパワーバランスだった。
「学業に部活にと、精力的に学園生活を送っているようですね。葵さんと顧問の三笠先生を通してあなた方の活動は良く伺っていますよ」
長門校長は物腰の柔らかさと意志の強さが同居した、背筋のピンと伸びた上品な女性だった。歳は還暦間際らしいが、僕の主観では十年は若く感じるほどだった。
「それで、部の活動内容から、最近になって頻発している奇妙な出来事への校内対処権限を探索部にも与え、解決への一部に充てようと決定したのです」
ここまで言って長門校長はスッと三笠先生に目くばせした。
「はい。では、ここからは自分が。南條、お前に頼まれて部活創設を顧問として手伝ったが、まさかこんな展開になるとはな。さて、諸君らは学園内でこんな噂を耳にしたことがあるんじゃないか。そう、『放課後の殺人鬼』なる怪現象の噂を」
三笠先生は僕に視線を向けた。この40代半ばの先生、ついこの間までザビエル先生もしくはティーチャーザビエルなどと陰であだ名されていたのだった。由来はもちろん安土桃山時代の絵画に出てくる、日本人なら誰もが知っているあの布教で心の折れたイエズス会宣教師のことであり、すでにお分かりだろう、先生の頭頂部はかの絵の如く非常に寂しくなっているのだった。それが、今や。
「ぼ、僕はまだ遭遇してはいませんが、そ、それに関係する噂なら……」
答えつつ、僕は思う。全力で笑いを取りに来るのは卑怯だと。
とめどなく込み上げてくるこの笑気、もはや拷問。
というのも――、
現在、三笠先生の頭髪は限りなくアフロっぽくなっているのだった。良く言えばかつての刑事ドラマ、故松田優作氏が扮する太陽にほえろのジーパン刑事のもじゃもじゃヘアである。悪く言えば、ただの不審者おじさんである。そして三笠先生の場合、失礼ながらビジュアル面からして不審者おじさんへの軍配が強かった。
「どうした? 具合でも悪いか?」
笑気をこらえる僕に、三笠先生は尋ねてくる。文香が後ろ手で僕の尻の辺りをぐっと掴んだ。彼女の手も震えていた。笑いを我慢しているようだった。
「三笠センセ、今日の帰りにでも散髪屋に行ったほうがいいんちゃう? なんというか、アフロっつーか、えらい勢いでもっさもさやで」
「南條のおかげで嬉しくて、こう、なんじゃこりゃあ! ってな」
もうだめだ。我慢が決壊する。部屋中にこもった笑いのエネルギーは、なんじゃこりゃあのセリフでぽんっと弾けた。
大爆笑。さながらダムが決壊したかの如く。いやもう、本当に吹き出した。
それこそ『
たぶん犬先輩のことだ、顧問を引き受けさせる代わりに微分子工学の粋を集めた毛生え薬でも差し出したのだろう。ああダメだ。あっはっはっはっ。この手記を書いている現時点でも、酷い思い出し笑いに襲われる。うっふっふ。あっはっはっはっ。
小さいころに芥川龍之介の『鼻』を読んでから、人を嘲笑するのは犬畜生にも劣るとして絶対にしないでおこうと決めたのに、あんなの反則じゃないか。
「よし、ジョークはこの辺で〆ようか。問題はだな、『放課後の殺人鬼』の噂が、単なる噂ではないところにある。実際に出くわしてしまった生徒がいるのだ。ただ不幸中の幸いにも物騒な名称にもかかわらず、誰かがケガをした、またはケガをさせられた報告は入っていない。しかし噂自体はかなり独り歩きしていて、ミスカトニック高等学校としては大変よろしくない状況になっている」
三笠先生の話が結構長引きそうなので、依頼内容を要約するとこうなる。ついでに、以降の生徒会室での先生の会話は面倒くさいし、とめどなく笑いが込み上げてくるのですべてカットさせていただくとする。
一、怪現象が起きたとされる正確な場所、目撃者、内容を詳細に調査して欲しい。
二、放課後の名の通り発生は夕刻限定である。その、発生推移も調べて欲しい。
三、危険を感じたらすぐ身を引くこと。校長または担任に報告を忘れずに。
四、この件に関しては、あくまで情報収集のみの活動とすること。
話は終わり、探索部の面々――三人と一匹は部室へ向かっていた。
「校長センセも大変やな。ザビエルから不審者アフロマンにクラスチェンジしたティーチャー三笠はずっと変なテンションやったけど」
だから、笑わさないで。腹筋が鍛えられてしまう。
「そ、そうですね。放課後になると顔のない殺人鬼が幽霊みたいに現れては消えるだなんて、わけがわかりませんし」
「それも大変やけど、そうやなくてだなー」
「違うのですか?」
「校長センセとしては、立場上、ああいう頼み方しかできんちゅうことや。あれは桐生のお姫さんの意向を汲んで、俺らに事件解決をやってくれって遠回しに依頼しているんやで。まあ大人の事情というヤツやな。ほんまやったら大事な生徒にそんな危ないこと、校長センセの立場やったら絶対にさせるわけがないし」
そういえば長門校長は最初にこう言っていたのを思い出す。
『それで、部の活動内容から、最近になって頻発している奇妙な出来事への校内対処権限を探索部にも与え、解決への一部に充てようと決定したのです』
なるほど、この言い回し。思い返してみれば、僕達生徒のあずかり知らぬところでも別件の怪現象は起こっているらしい。教師陣も大変だ。併せて生徒会室での会話や情報を鑑みるに、探索部を強く推したのは桐生の姫君以外になさそうだった。これを信頼と受け取るか、遊ばれていると受け取るかは微妙ではあるが。
「要するに、お姫様のワガママなんですね、これって」
「そういうこっちゃ。だからこそ校長センセと三笠アフロマンは、建前の活動は情報収集のみ、危ないと思ったらすぐに身を引くように、と言ってきたんや」
つまり、課せられたタスクにやっかいな修正が入るわけで。
五、
最重要案件。世界の桐生を敵に回したくないなら、必死になれ。
ところで、ここまでわざと詳しい内容に触れないようにしていた、くだんの『放課後の殺人鬼』についてだけれども。その名の通り――。
悲鳴。
三人と一匹は顔を見合わせ、次の瞬間には駆けだしていた。
「どこや? どっから聞こえた? ケイ、わかるか?」
現在、僕達三人と一匹は部室棟へ向かう渡り廊下の途中にいる。
目星をつけるため、走りを緩めて僕はざっと周りを見回す。
幾人かの文科系部活動の生徒達が部室から顔を出して、同じく周辺を見回している。廊下を歩いていた生徒もきょろきょろしている。
人の探知能力などどれだけ頑張ってもすぐに限界に至る。ならば自分一人の目で探すよりも、たくさんの目を利用すべきだろう。
さあ、皆が注目するであろう一点は、どこだ? 僕に、教えろ!
「どうやら校舎の二階、あの教室辺りみたいです!」
「あすこは、なんの教室やったっけかっ」
「家庭科室ですっ。悲鳴は部活中の料理部かパティシエ部の面々かとっ」
「ケイちゃん、犬先輩、急ぎましょう!」
全員が全力で駆けてゆき、目的の教室に飛び込んだ。
果たして家庭科室には、三角巾とエプロンをつけた女生徒達がいた。
ある者は恐怖に震えながら立ち尽くし、ある者は泣きながらうずくまり、ある者は中身をぶちまけて空っぽのボウルを盾に目をつむっていた。
散らばった調理器具。
飛び散った小麦粉とグラニュー糖。
チョコに生クリーム。
潰れた生卵。倒れて中身をぶち撒く牛乳パック。
ほのかに甘い香り。バニラエッセンス。
どうやら料理部ではなく、パティシエ部の部活動であったらしい。
「大丈夫そうやが、大丈夫とちゃうな。例の一件と捉えて間違いなさそうや」
犬先輩はぽつりとこぼし、混乱状態の三人の女生徒へ慎重に近づいた。
「もう安心やで。別におかしいところはないやろ? 深呼吸しな。ほら、ゆっくりと息を吸って、ゆっくりと吐くんやで。吸ってえー、ほい、吐いてえー」
彼は甘やかに語りかけるのだった。
震えながら縋るように犬先輩を見つめ、彼女らは意外なほど素直にそれに従った。思うに、これは彼の視覚効果に依るものが大きい。
犬先輩は珍奇な行動や言動さえなければ、稀に見るほどの美少年だった。
人は、まずは見た目が九割。否。十割。
認めたがらない方もおられるかもしれない。だがこれはゆるぎない真理だった。彼の、変な異称がつくほどやらかした変人行為ですら、この瞬間だけは美形が勝る。ネットスラングで言う、ただしイケメンに限る、という独自の条件である。
「どうや? 落ち着いてきたか? ……よし、キミら、名前はなんて言うん? 知ってるかもやけど、俺は
「え、えっと。潮ナツミです。パティシエ部の部長をやっています。えっと、メンバーは四人で、しかも全員二年生で、おまけにクラスも同じでF組です」
「わ、わたしは、曙ヒカリ……です……犬先輩」
「漣ハルカです。今日は欠席してるけれど、朧ヨウコちゃんも部員でいます」
「ほほう、その苗字、合わせると旧海軍六代目第七駆逐隊の皆さんか」
何をしているかというと、精神分析という行為なのだった。深呼吸させ、自らの名を名乗らせる。そうすることで落ち着きを取り戻し、自分自身を取り戻す。もっともこの方法が有効なのは分析者がイケメンである必要があるかもしれない。
「せっかくやし俺らも片づけを手伝ったるわ。セト、お前は教室の外で待て」
「えっ、そんな、悪いですよっ」
「いいよいいよ。代わりにやな、無理しなくていいからここで何があったか教えてくれると嬉しいんやけど。これでギブアンドテイクが成立するやろ?」
犬先輩は部長の潮さんにいつもの道化顔ではなく、自身が持つ最上質な容姿を完璧に理解した笑顔でウインクして見せた。
効果は抜群だった。
まるで心の弱った人間にカルト宗教が忍び込むように、あっさりとパティシエ部の面々は精神面での陥落を見せた。
「詐欺行為ってああいう風にもやれるのかもしれない」
「ケイちゃんの犬先輩が……」
「なんだろう。文香さんの妄想で僕と犬先輩が酷い目に遭っている気がします」
それはともかく、色々と台無しになった家庭科室の掃除だった。これも誰に咎められることなく自然に現場を情報収集するためである。
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