第17話 対決、メガネくいっ。 その2

「人に言いふらさないと約束できるなら、知らせておいたほうがいいかもな」


 わからない回答である。どういうことなのか見当もつかない。


「ケイちゃん、あのね、これは犬先輩の言う通り秘密のお話なの。いい?」


「わかりました。聞いた内容は僕の中で固く守りましょう」


「じゃあ、まず。ええと、『幸運ラッキーガール』さんとハルアキさんは、つき合っています」


「そりゃあ二人は一緒に暮らしているんだし、当然のような気が」


「あれ? 通じてない? えーと、なら言い方を変えるね。実は『幸運ラッキーガール』さんとハルアキさんは、互いが互いを深く愛しあう恋人同士です」


「へ? 恋人? 親友じゃなくて? 女の子同士で?」


「そうなの。なので、ある意味同志みたいなものだから隠さなかったの」


 言われてみれば『幸運ラッキーガール』女史の僕への代名詞が『彼と書いてカノジョ』だったり、文香の代名詞が『彼女と書いてカレシ』だったりした。


 他にも僕の女装を自然と受け入れたり、むしろ推奨するそぶりを見せたり。


 女生徒姿の僕に興奮する文香を優しく見守っていたりしていたが。まさかそういう背景があったとは。しかしどうやってそれを知り得たのだろうか。


「最初は軽い違和感だったの。二人の立ち振る舞いに友人以上の雰囲気がね」


「そう意識して思い返してみれば、確かに不思議な部分はあるにはありますが」


「わたしも当初、二人はとっても仲の良い、いわゆる親友なんだろうなと納得しかけたんだけど、すぐ後に取られた行動で違和感は確信に変化したの」


「怪物耐性の低いハルアキさんの代わりに『幸運ラッキーガール』さんが出向いたり?」


「愛しい人のために体を張る行為も確かにそうなんだけど、もっと身近な面で見て欲しいかな。あの二人、互いに髪の毛を自然に触れさせていたでしょう? ちょっとした乱れを整えてあげたりとか。あれは相当の関係でないとね、無理。女の子同士って仲が良くても、不意には髪をいじらせないし。ほら、女の髪は命、みたいな?」


 その手の趣味に理解があり、かつ、女性だからこそわかる事実なのだろう。言われてみればあの二人、不意に髪に触れられても平気でいたり、頭を撫でたりしていた記憶がある。なるほどそれでなのか、と納得する。


「なんで宝くじを高額当選できたか。なんであの二人がマンションで同居してるのか。それはハルアキが恋人たる『幸運ラッキーガール』に愛の巣を求めていて、『幸運ラッキーガール』は恋人たるハルアキの想いに応えたというわけやな」


 と、これは犬先輩。


 言われれば言われるほど納得がいく。それで、ある意味では同好の輩として、文香は自己の性癖をかの二人には隠さなかった、というのか。


「衝撃的でした。でも頷ける話でした」


「内緒にしておいてね」


「はい、併せて僕の秘密も内緒でお願いします」


「ケイちゃんは可愛いから、わたしはもっともっと堪能したいなぁ。はぁ、うふふ。この、男の子にあるまじき柔らかくて、スベスベで、ぷにっと弾力のある頬っぺたとか。そうよね、男の娘だものね。ああ、ケイちゃんを逆レしたいなぁー」


 横から僕に抱き着いて頬ずりする文香だった。というか、逆レってアレですよね。成人向け作品内でしかほぼ生息しない、女が男を性的にがっつり襲う行為。


「ダメですからね? 節度を持ちましょうね?」


「えぇー」


 不満げながら彼女はより強く僕の腰に腕を回して密着してくる。そんなにくっつかれると、自分が骨抜きになってしまいそうだ。文香の中身は残念でも、見た目はとても良いのだ。ああ、女の子って、どうしてこんなに柔らかくていい匂いがして気持ちいいのだろう。もう、ドキドキしっぱなしだよ。


 平和な時間だった。これで僕の女装さえなければもっと良かったのだが。そんな取り留めもない気持ちでいる、誰もが隙を突かれるであろうひととき。


 コンコン、コン。と部室の扉がノックされたのだった。


 気遣うように文香はこちらを見た。僕も彼女を見て、犬先輩を見た。


 堂々としていればいいと彼は言うが、緩んだ気持の間隙を突かれた僕は動揺が激しかった。犬先輩は無言で苦笑しつつ親指で奥を差した。


 衝立の陰に隠れるといい、なのだろう。僕は素早く身を屈めて隠れる。


 犬先輩はゆっくりとした動作で、はいよぉーちょっと待ってなぁーと間延びした返事をしつつ愛犬を伴って部室の扉を開ける。


「おっとと。どしたん。忙しかろうにわざわざこんなところまでご足労いただくとは。珍しいやん『姫君プリンセス』と『近衛騎士ロイヤルナイツ』とか」


姫君プリンセス』って、桐生のあの人だよね? 衝立の陰でうずくまる僕は、密やかに目を見開いた。えっ、本当に? そんな人がどうしてここに?


 国内だけでも正規従業員が百万を超える冗談みたいな怪物企業、桐生グループのほぼ確定された総帥候補。この学園の誰よりも影響力を持つ支配者側の人間。桐生葵きりうあおい。そんな超大物が、こんな校舎の隅っこの部室にやってくるとは。


「新しく部を作るというから許可を出したんだけど、ちゃんと運営できてるかなと様子を見に来たの。色々と情報が入って来てて面白そうだったし」


姫君プリンセス』は涼やかなアルトボイスで来意を告げた。


 今の会話内容だけでいくつかの疑問が湧いたが、女の子の格好で隠れていてそれどころではないので、あえてどこがとは書き込まない。


「もう帰るところで大したことは出来んけど、せっかく来てくれたんやし、パイプ椅子で良かったら座ってくれ。ペットボトルのでいいならお茶も出るで」


「ありがとう、いただくわ」


 スタスタと足音がして、きしっと椅子がきしむ音がした。『姫君プリンセス』は犬先輩に勧められてパイプ椅子に座ったようだ。


 同時に、文香が席を立って紙コップを用意し、勝手に備えつけた冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出して注ぐのがわかった。


 先ほどから無言でいるが、『姫君プリンセス』の後ろには『近衛騎士ロイヤルナイツ』の双子兄弟が控えている気配も伝わっている。


「今日はアレやで、試験対策に勉強会をしてたんや」


「あら、羨ましい。『天才悪魔』と科学系学会と宗教界のすべての面々から恐れられた、本物の天才から勉学を教われるなんて」


「おいおいそんなに乗せんなや。俺、照れくさいわ」


「ふふふ」


 犬先輩の異称の一つ『天才悪魔』とは当学園内だけでなく、世界的にも知られた二つ名だった。ちなみに対外的には『ラプラス』と呼ぶらしい。


 彼は研究者を瞠目させる数学証明をいくつも発表していて、例えば『ヤン=ミルズ方程式と質量ギャップ問題』、『ナビエ=ストークス方程式の解、基本的性質の証明および滑らかな解の証明』など、いわゆる数学界の七つの難問――百万ドルの懸賞金のかかったミレニアム懸賞問題などもすべて回答を出していた。


 ああ、少しだけ訂正。ポアンカレ予想は先に回答がなされていた。ただ、数学証明式としてより美しく証明し直したのは、彼だった。


 もちろんそれだけでは天才に悪魔の称号まで付随しない。


 噂によると犬先輩は数学研究者の中では禁忌と恐れられ、その存在自体が神への冒涜とも嘯かれる謎の問題を解いたとか解かないとか、そういう黒い話がある。


 またあるとき、犬先輩は某有名科学雑誌社にこんな論文を投稿していた。


『生命全般における魂の在り処、量子的数学証明』


 端的に解説するならば、古来より生命に宿るとされる『魂』を、量子力学的視点から数学を用いて証明する論文だった。


 この証明により、例えば世界中でこぞって開発中の人工知能は、現状ではどこまで精巧に作ってもそれは絶対に哲学的ゾンビの領域を超えられないと明言されるようになり、また、最大の争点となる『魂』の在り処については――。


 凡愚の僕には彼の数学はとても理解に及ばないので、結論だけ、書こうと思う。


 曰く、すべての生命は、魂なるものを内在させていない。

 当然、人間には、魂は、存在しない。


 彼が利用した数学によると、簡明完璧な美しい数式による誰にも反論ができない超高度な説得力で、それが証明されてしまったのだった。


 この数式証明を理解した科学研究者の大半が、人類が知るにはあまりにも重すぎる宇宙的真理に精神強度を大いに揺さぶられ、その狂気に頭を抱えた。


 犬先輩の友人となり、色々と知っ僕ならこう表現できよう。これはもはやただの論文ではない。純然たる魔導書だと。まさに『天才悪魔ラプラス』の偉業だった。


 だが、しかし。


 魂がないのなら人間が人間たる意識はどこに宿るのか。


 それは、回りくどいたとえ話を多用しなければならないので先に謝るに、仮に、僕が眠っていて、何か夢を見ているとしよう。その夢には妹の恵と犬先輩と文香の三人が出てきた。僕は、自らの主観で彼らと会話を交わす。


 ここで質問。


 会話を交わした恵と犬先輩と文香の根源となる意識はどこにある?


 答えは、夢を見る僕自身にすべて帰属する、である。


 夢の中の恵や犬先輩、文香の三人の意識はもれなく本体の僕に接続されていて、それが脳を通して意思へと変化し、自己を形成しているのだった。


 実に分かりにくい解説だと自覚している。


 要約すればこの世界には夢を見る存在X、もうその正体は分かっているのでアザトースと呼ぼう。かの存在が見る夢の中に出演しているのが僕達であり、世界そのものだった。すべてはアザトースの脳の中で繰り広げられる幻でしかない。


 しかし、生きとしモノには、これが現実世界なのだった。


「そういえば宗教関係の問題はもう大丈夫なのかしら? あの論文で世界中の宗教関係者に宣戦布告したようなものでしょう? この詐欺師ども、って」


姫君プリンセス』と犬先輩との会話は続いていた。


「力弱き神々の守護者、という結社に依頼したらすぐ解決やで」


「その結社、そんなに影響力があるんだ?」


「社員数は一柱にして千人いるんやわ。あと、兵隊は蟲の数ほど」


「巨大な結社なのね。いずれわたしもお世話になるかも?」


「まあ魂の存在を否定されたら、自分らの教義の矛盾とかいろいろボロが出て、集金機構に重大な影響出るしな。宗教は第三次産業の最たるもの、いわゆるサービス業やから。別側面では貧困ビジネスとも言うけどなー」


 くすくす、と『姫君プリンセス』は楽しそうに笑っている。ふと、声の気配がこちらへ向いているような気がした。それは、気のせいではなかった。


「そろそろ出てきて素敵な姿を見せてほしいなぁ、ケ・イ・ちゃん?」


 バレていた。それも無理からぬことか。何せ鞄から筆記用具から、すべて机周りに置いたままなのだから。


「やっぱしあんたには速攻でバレるわな」


「もちろん。こんな楽しい話、わたしが見過ごすはずないし」


 僕は衝立から顔だけ、そっと出した。


姫君プリンセス』と目が合った。ふわっとした巻きロングヘアの上品な顔立ちに、涼やかに微笑まれた。うわあもうだめだ、逃げられない。


 文香がこちらへやってきて姫君の従者のように手を差し出してくる。今書いた姫君とは、桐生の跡取りではなく僕を姫扱いしての行為だ。僕は彼女の手を取るしかなかった。もう、どこもかしこも自分の女装がバレている気がした。


「わあ、本当にケイちゃんなの? ちょっとないほどの美少女じゃない。実はケイちゃんって女の子だったとか、そんなことない?」


 うっとりと『姫君プリンセス』は感想を述べた。僕は諦めて姫の御前に立った。


「ご期待には沿えず、生まれてこのかた、ずっと男です……」                   

「まあ、声まで女の子。わぁ、もう、可愛いなぁ。食べちゃいたいくらい可愛い。ああそっか、矢矧さんのその男物のネクタイ。あなたが彼女カレシでケイちゃんが彼氏カノジョなのかしら。二人はつき合っているんだ?」


「「ええっと……」」


 僕と文香は互いを見つめあった。そして完璧にシンクロしながら、


「「とっても仲の良い共犯者です」」


 抱き合って答えた。『姫君プリンセス』は、あらまあ、と嬉しそうにほころんでいる。


「共犯者って謎めいてて素敵なフィーリングね。それにしてもネクタイの交換はいいアイデアね。正義、正直、どちらかわたしのリボンタイと交換しない?」


 振り返って自らの騎士達に姫は訊ねる。朏正義と朏正直は一卵性双生児で、瓜二つ過ぎて僕にはさっぱり区別がつかない。学園の支配者たる『姫君プリンセス』に随伴するだけあってなかなかのイケメン、犬先輩とは趣を違えた、精悍な美男子達だった。


 彼ら二人の騎士は突如じゃんけんを始めた。双子だけに考えがダブるのか同じ手がなんどもなんども続く。やがて、勝ったほうがガッツポーズを決め、負けたほうは露骨に落ち込んだ。繰り返すがどちらがどちらなのかちっとも分からない。


 そうして勝利した彼は自らのネクタイを外して恭しく『姫君プリンセス』のリボンタイと交換した。余談になるがこのネクタイ交換はカップル証明の一環となり、やがては当学園の生徒たちに深く浸透した伝統として受け継がれるようになるのだった。


 その後、上機嫌の『姫君プリンセス』に振り回される感じで歓談し、無言が基本かと思っていた『近衛騎士ロイヤルナイツ』たちは意外と気さくで話しやすい人達だったりと、楽しく過ごしてやがて下校時間になった。


 そんなこんなとハプニングも多少起こるも、次の日からも犬先輩主催の補講は予想を大きく上回って成功を収めていった。


 まるで乾燥したスポンジが水を吸収するが如くの学習と理解。


 こんなに上手くいくものかと逆に不安になるほど捗り、万全の対策を立てた中間テストの結果は次の通りになった。


 一位、1000点、南條公平

 二位、998点、愛宕恵一、矢矧文香

 四位、997点、山城篤胤


 これは百点を満点とした十教科の総合得点である。かつては学生掲示板に張り出していたらしい発表方法は、現在ではスマートフォンにインストールされた学生コミュニティアプリ機能にすべて任せられていた。便利な時代になったものだった。


 犬先輩の宣言通り、学年トップスリーを僕ら探索部エクスプローラーが占める結果に終わった。なお、二位は二人いるために三位は飛ばされて次点は四位からとなっている。


 この圧倒的な結果を前に、なんだかズルでもしたような気持ちではある。


 しかし、犬先輩曰く――、


「俺は目的に向けて走るケイや矢矧ッちの横で伴走しながらメガホン持って応援していたに過ぎんで。はて、せやろ? テストを受けるのはキミら自身やんけ。ちゅうことは結局は自分で学習を深めないと意味がないんやなこれが。今回の結果は、キミらのまっとうな努力の賜物。どこにもおかしいところなんてあらへん」


 なるほど言われてみれば確かにその通りである。


 犬先輩は上機嫌で愛犬と校内を練り歩き、対する憐れ標的となった山城篤胤は彼に背後から右手でポンと叩かれ、そのニヤニヤした道化笑いに臍を噛むのだった。


 以降、三年間に行なわれたすべての試験のトップスリーを僕ら探索部が容赦なく席巻し、その度に山城篤胤は犬先輩に背後からポンと肩を叩かれ続け、最終的に彼には『背後からライトハンドフロム右手ビハインド』という不名誉称号が贈られるのだった。

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