第16話 対決、メガネくいっ。 その1
数日が過ぎた放課後。
部室へ文香と誘い合わせて訪ねると、すでに犬先輩は部室で待っていた。
本日の6時限と7時限は教室移動のある選択授業だった。内容は音楽・美術・書道のいずれかの科目を受講する形となる。ここだけの話、僕や大半の生徒達にとっては息抜きの授業だった。口さがない生徒曰く、別に無くても良い教科、とのこと。
そしてその授業の間は決まって犬先輩は公欠扱いで欠席した。彼は学園のメインたるミスカトニック大学へ出向き、特別講師として大学生へ教鞭を執るためだった。
異称で『天才悪魔』と呼ばれるだけあって、僕のような凡愚とは根本から世界観が違うというか。年下の美少年くんからやたらと癖のある似非関西弁で物理科学――主に微分子工学の講義を受けるとは、基本的に年上のはずの大学生達の気持ちはいかがなものだろうか、などと性格の悪い想いに駆られてしまう。うふふ。
悪い、で言えばいつもお道化ている犬先輩の機嫌が物凄く悪かった。
幼い子どもみたいに感情を顕わにムスッとしていて、ただし稀に見るほどの美少年であるがゆえにそれはそれで愛嬌があって、しかもこう……なんだか、エロい。
単純な外見としては良い意味で趣のある様子に思えるのだが、さて。
だんっ、と犬先輩はミーティングテーブルを右手で叩いた。主人をおもんぱかる柴犬のセトが、彼の足元でぴくっと顎を上げてぴぃぴと鼻を鳴らした。
「探索部、第二の活動を発表する」
本気と書いてマジと呼ぶような、いつもとは違う雰囲気で彼は宣言する。
「その前に、二人とも中間テストの準備は万全やろうな? 今日は月曜日やで。そんで、ちょうど一週間後にそいつが待ち構えてるんやが」
「毎日きっちり予習と復習をしていますので」
「ケイちゃんと同じです」
さすがに当学園は進学校だけあって授業内容はハイレベルで進行速度も驚くほど早い。さらには毎週小テストが必ずあるので予習復習は絶対に欠かせなかった。
ただ、代わりに考査の主体となる中間や期末のテストは予習復習と小テストのおかげもあって、教科をきちんと理解さえしていれば取り立てて準備をする必要がなかった。当たり前である。毎日毎日、丁寧に学習を積み上げているのだから。
「ふむ」
犬先輩は低い声で唸るように頷いた。
「探索部の次の活動は、中間テストの十教科、英語、数学二、数学B、現代文、古典漢文、生物、化学、物理、世界史、日本史、以上の総合点で、俺とケイと矢矧ッちの三人は、学年順位のトップスリーを取ることに決定する」
沈黙した。
犬先輩は折り畳みパイプ椅子から勢い良く立ち上がり、大仰なポーズで、ああこれどこかで見たことあるなあと思ったらいつだったかに有名動画サイトで見た第三帝国の独裁者、アドルフ・ヒトラー総統の演説の真似だ。うふふ、マインカンプ、してますか? 彼の口元にサインペンでちょび髭をぴぴっと書き足してやりたい。
そんな現実逃避を通り過ぎて――。
「「はああっ?」」
僕と文香は、素っ頓狂な声を上げた。
「トップスリーって、何を言っているんですか。A組とB組は特進クラスで、お勉強マシーンな彼らは僕らとは違い部活も遊びもかなぐり捨てて、旧帝大ですらすべり止めにして桐生のミスカトニック大学を狙うか海外の有名大学を狙い、行く行くは国政の中枢や国の研究機関、もしくは桐生グループ本社に入社を狙う連中ですよ?」
「ケイ、自分を卑下すんな。たかがお勉強マッスィーン如き、遊びも部活も不純異性交友も不純同性交遊もせずに毎日机に向かって、どこぞの某アグネスもビビるような二次元ロリっ子ケモミミくぱぁハァハァ画像でマスかいてる極度のオナニストどもに俺らが負けるわけないやろ。そんなの、お父さんは絶対に許さへんからな」
「お父さんて……」
絶句する。というか、ちょっと息が止まりかける。
ここで少し注釈を入れる。当学園高等部には、大きく分けて三つの区分がある。
一、A組とB組の特進クラス。通称、エリート。
二、C組からF組までの一般クラス。通称、普通科。
三、G組からJ組のスポーツ特待生クラス。通称、脳筋組。
若干スポーツクラスに侮りがあるが、しかし実際肉体派で、すべからく筋肉で解決しようとする傾向にあるのであながち間違っていない。
「実は今日、俺が受け持っている微分子工学科の講義にA組とB組のエリートの連中が混じってきやがったんやわ。いうて俺は放送室を通してネット講義するから、なんや、こう、授業に混じるというのも珍妙な感じやが」
「一種のオープンキャンパス的な?」
「そんなところ。まあ混じる自体はどうでもいい。誰であれ知識を欲する者には分け隔てなく教え育むってのが教育ってやつだろう。しかしやなー」
「しかし?」
「講義が終わって、奴らの一人が俺に寄ってきてこうアホを垂れやがった。名は
「うわぁ……」
「そんなもん俺は俺として、どうにもならん。才能と性格は必ずしも正道に一致しないのは歴史に残る偉人どもを見ればわかるやろ。どいつもこいつも超一級の変態、異常者、または性格破綻者ばっかりや。例えば万有引力で知られるニュートン。あれは童貞のボッチ嫉妬マスクや。なんせ自分より出来るヤツを政治力を使って抹殺し、死体蹴りまでする真性のうんこマンやからな。ヤツの行ないに口を出したり、恥をかかせたりしたらずっと敵認定。しかも敵の友は敵とかいうて関係ない奴まで攻撃。ライプニッツ、フックなんて被害者も最たるや。ほんであのうんこは晩年はさらにキ○ガイを加速、錬金術に傾倒する。アホか。金は化合物じゃねえよ。死ね。ああ、死んでるか。で、まあ、アレよ。山城の野郎はメガネをくいっと上げるんやなこれが!」
「……」
ニュートンはともかく、山城篤胤と言えば特進クラス、А組の秀才だった。
もっとも入学試験 (犬先輩視点では編入試験)の九教科はすべて満点の犬先輩に並ぶことができず、これがきっかけでライバル視をしても全然おかしくない。
しかも一般的に新入生代表挨拶は試験結果のトップが立つが、犬先輩は一日遅れた編入でおまけに事件まで起こしたのは以前書いた通りであり、代理に山城が新入生の挨拶をしたとあれば、彼がそれを屈辱と受け取るのは考えに難しくない。
「いや、俺についてはどうでもいいんや。俺は、どうあっても俺やから。しかしアイツは触れてはならんことに触れた。あのボケナスはこう言ったぞ。『キミに振り回されるあの二人、そう、愛宕と矢矧だ。彼らはさぞや迷惑を被っているだろう。せっかく国内最高の進学校に入学できたのに、キミのせいで学業に支障が起きかねない』ってな。それで、メガネをくいっとやりやがる……っ」
犬先輩には悪いが、山城の言わんとすることはわからないでもない。彼に関わると今後も何かしら突飛な出来事に巻き込まれる予感は大いにある。
まだ数日にしろそんな短期間に僕は秘密を暴かれ、いつの間にか彼の友人となり、部活動に引き込まれ、怪物の捕獲をし、そして今ここにいる。
繰り返すが彼と関わってまだ数日である。なんと濃密な関係か。
「僕は迷惑とは思ってませんけれどね。犬先輩のこと、わりと好きですし」
「なんと、ケイちゃんが遠回りに犬先輩に愛の告白を」
「意味合いが全然違います、文香さん……」
「ありがとうな、俺はケイのこと愛してるぞ。矢矧ッちのこともな」
「二人は相思相愛なのね」
「文香さんも、この愛のグループに入ってますからね?」
くくく、と犬先輩は笑った。
もちろん冗談で言っているのである――冗談、だよね? なんだかとてつもない不安が。いずれにせよ犬先輩は僕や文香に話が波及したため怒っているらしかった。
「なんにせよ山城のメガネがウザくてな。くいくいウゼェ。あのビッグなお世話マンは手酷く打ち負かす必要がある。ちゅうわけでテストまでの一週間はすべて補講に充てる。目指せオール満点。三人が一位を占めたら問題ない。そんでもってヤツのくいくいメガネを、一週間使い捨てのコンタクトレンズに変えてくれるわ!」
それこそ大きなお世話だろう、と僕は胸の内でツッコミを入れた。
なんだかんだで、犬先輩の特別補講が始まった……の、だけれども。
「――ちょっと、なんでこの格好なんですか僕はぁ」
さっそく中間テストに向けて頑張ろうと思った矢先、犬先輩は部室の奥に新たに設置された衝立からおぞましいものを持ち出してきた。
それは女子寮潜入に使用した、あの女装セットだった。
僕はあれよと奥に引きずり込まれ、下着から制服まですべて女子仕様に変更、今回はウイッグは無しに、淡い化粧を施した女生徒に変装させられてしまった。
「矢矧ッちのやる気ゲージをマックスにするにはこれが一番やねん」
「ありがとうございます、ありがとうございます」
文香が僕に手を合わせて拝んでいる。ドン引きだ。
こんなの、誰かがこの部室に訪れたら僕の社会的生命が死亡確定ではないか。
と、文句を言おうとしたら、先んじて犬先輩曰く、
「堂々としてたら誰も気づかんやろ。そこにいるのは俺以外女の子だけやぞ」
再度、絶句した。今度は数秒間、完全に息が止まった。死ぬかと思った。
文香はいそいそとタブレットを取り出していた。彼女のやる気は満々だ。そんな光景に目まいを覚えるも、文香の気勢を削ぐのもどうかと思い直し、僕はもはやこれまでと諦めてタブレットを取り出した。まったく、どうしてこうなった。
始まりはともあれ、いざ補講となると犬先輩の教え方は類を見なく上手かった。
たとえば英語など、こんな芋っぽい文章、今どきのメリケンの奴らは読みも書きもしねえよとぼやきつつネイティブスピーキングで構文やそれに伴う文法、ちょっとした小話とその応用など、気がつけば自分も英語でものを考え、英語で会話しているレベルで学習ができてしまうのだった。
次いで、実は僕は古文が少々苦手で、千年以上昔の不健康に下膨れたブサイク貴族の話など微塵も面白くないと思い込んでいたのだが、ちょうど試験の範囲になる源氏物語の一編などは犬先輩の手にかかればゴシップ的かつ民俗学的に、あの時代の貴族男は通い婚で昼間は仕事して夜は意中の女とドスケベしまくる忙しい生活を送っていてな、とわかりやすい時代解説から内容に入るのだった。
せっかくなので彼がつけたゴシップタイトルだけでも抜粋してみよう。かの有名な稀代の好色男、光源氏も犬先輩にかかれば形無しだった。
『熱愛! 想いが拗れて生霊に! 愛憎穿つ六条御息所と憐れ葵の上の惨劇!』
『光源氏計画! 裏山死刑! 至上のロリヰタ紫の上、週刊わらわのお兄さま』
『
面白くないと言いながら読んでみたい気持ちになるのは、たぶん僕はゴシップ好きの素養があるのだろう。週刊わらわのお兄さまとか、物凄い犯罪臭がする。
ともかくその時代の風俗や風習から始まって――、
さすがに考古学で博士号を持っているだけあって異様に詳しくてわかりやすく、その上でなし崩しに源氏物語の本文に移行、ゴシップ誌のスタイルのまま内容をすべて網羅するという離れ業で、補講の捗ること捗ること。
時間は飛ぶように過ぎて、はや下校時間の間際だった。
残りの二十分足らず、僕ら三人は学習を終えた弛緩した空気の中、用意していたペットボトルのお茶を飲んでいた。
文香は女装した僕が殊の外お気に入りで、先ほどからフリーダムにお尻に触れてきたり胸に触れてきたり、抱きついて頬ずりしてきたりと御満悦の様子だった。
そうだ、と僕は思いつく。
ちょうどいい機会なので前から聞いてみたかった事柄を尋ねてみよう。
「文香さんのボディコミュニケーションは過剰気味だと思うのです」
「ケイちゃんも、わたしに触れてきても良いんだよ? おっぱい、触る?」
ぶほっ、と茶を飲んでいた犬先輩がむせた。そして、こちらに向けてぐっと拳を前方に押し込むゼスチャーをした。行け、とのことらしいが。
「はいそこ、煽らないー」
「せやかて工藤」
誰が工藤なのだか。あの子供死神探偵の原作漫画ではそのセリフは使われていません。ネットスラングから派生し、劇場版で半公式みたいになったけど。
「犬先輩はよそに置いて何が言いたいかというとですね」
「えぇー。矢矧ッちもボティコミしても良いって言うてるやんー」
「……文香さんのその独特の趣味、初顔合わせのはずの『
「あ、うーん。それは、その」
おや、と思う。僕の質問に、文香はなぜか犬先輩を見た。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます