第14話 捕獲大作戦

 次の日の放課後。


 探索部部室に集合との学生コミュニティメールからの指示が届いたので、文香と誘い合わせて向かうことにした。


 すると柴犬のセトの愛想の良い出迎えの元、本日の授業を丸ごと欠席していた犬先輩と『幸運ラッキーガール』女史とハルアキさんが揃って部屋で待っていた。


「ゆうべはおたのしみでしたね」


 某超有名RPGの、助けた姫と宿屋で一晩泊まった際のセリフを第一声に、犬先輩は僕の脇腹を肘で小突いてくる。うるさい、とばかりに僕も肘でわき腹をつつき返した。その様子を文香が妖しい紫色の瞳で嬉しそうに眺めている。


「よし、そしたら全員揃ったところで本日の目的をご開帳や」


 部室にはどこから用意したのかミーティングテーブルが二脚引っ張り込まれていた。そしてその上には、各種道具類が鎮座ましましていた。


一、小型消火器ほどの大きさの噴射器らしきものが一台。

二、М79グレネードランチャーそっくりの中折れ式射出器が一丁。

三、黒くてすべすべの、独特の触感のある風呂敷風生地が三枚。

四、用途不明の、錆銀色をしたブレスレットが一つ。

五、物々しくも、顔全面を覆う軍用防毒マスクが犬用も加えて五つ。

六、丈夫な本革製の手袋が四つ。ライダーグローブであるらしい。


「謎の生物Xは、何らかの処理を加えたショゴスと可愛そうなハムスターのキメラと判明した。どうやら夜行性らしく日中は天井に張りついて休眠している」


 犬先輩は言って僕たちを見回した。


「そう。昨日見た天井の血溜まりこそ、キメラ化した血のショゴスの本体やったんや。夜になると不定形を生かして色々な形状になり、ボッチパーティをしていたのだろう。これが、ハルアキさんの聞いた、奇怪な声の正体」


「ショゴスはね、主従関係をきちんと叩き込めさえすれば有効な奉仕生物なのよ。わたしの曾祖父、大爺ちゃん――初代潮崎社長はショゴスを利用した画期的な漁で魚を獲って獲って獲りまくってそれを練りものに加工、水産会社を興したほどなの。生態系が壊れそうなほど漁獲があるので、今はしてないけどね」


 ショゴス漁……想像もつかない漁獲法である。関係ないが『幸運ラッキーガール』女史が教えてくれるには潮崎水産は社長に就任すると名前も受け継ぎ、潮崎陀権しおざきだごんと名乗るらしい。その襲名、古代メソポタミアの海神ダゴンと繋がりでもあるのだろうか。


「潮崎の練り物はお値段以上に旨いんやが、ともあれ話を続ける。目的は、くだんのショゴスを捕獲すること。殺傷処分は現行では無理やから考えなくていい」


「確かに物理耐性を持っていそうなリアルスライムって感じですものね」


「せやねん。だからアプローチを変える。そのための道具の説明をしていくで。まず一つ目。この小型消火器には液体窒素が封入されている。で、コイツを天井に向けてブッ放し、不定形のアイツを極低温で固めちまう」


 犬先輩は消火器を手に取り、放射ポーズを取って見せた。


「ヤツも生きモンや。僕らはみんな生きているってやつ。暑いと伸びて、寒いと縮こまる。そう、この一撃はヤツの身体をコンパクトにまとめる狙いがある」


 次いで彼は防毒マスクを手に取った。


「二つ目。捕獲実行時は、このゴーグルマスクを絶対に着用してもらう。こいつはショゴスの顔面張り付き窒息攻撃を防ぐと同時に酸素マスクも兼務している」


 さらに彼はМ79グレネードランチャーそっくりの器具を手にする。


「三つ目。こいつは40ミリグレネード弾発射器を3Dプリンターで樹脂コピーしたものや。動作保証は三発まで。榴弾の代わりに40ミリの液体窒素弾を放つ。ゴーグルマスクを着ける理由はこれで納得したやろ。そう、液体窒素をブッパするせいで、たとえ換気扇を回しても閉鎖空間では下手したら窒息しかねんからな」


 犬先輩は腕輪状の、謎の錆銀ブレスレットを手にする。


「四つ目。こいつは捕獲プランAや。腕にはめて、中央部にスイッチがあるやろ、目標を定めてスパイダーストリングス! と叫びつつポチるねん。そしたらこの銀の腕輪には蜘蛛の糸に酷似した性質を持つ液体が入ってて、そいつがぶわぁーっと出てくる。俺はこれをアトラク=ナクアと名づけている。分子レベルから合成した新素材で強度はなんと鋼鉄の120倍もある。弱点は射程距離が短いこと。最大で3メートルってところや。ちゅうわけで、ケイ、ちょっとそこに立ってくれ」


「……大丈夫ですか、それ。締めつけて苦しくなったりしません?」


 突然そこに立てと言われて僕は思わず一歩後ろに引いてしまった。単純に、そんな得体の知れないものの実験体など怖いだろう。


「巻きつきレベルは下げとくから、安心して緊縛プレイを楽しんでくれ」


「そんな風に言われたら余計に恐ろしいんですけど……」


 ここでゴネても話が進みそうにないので、言われたように彼の前に立つ。


「ふっふふ。キノコ狩りの男、スパイダーマッ」


 一部のマニアに絶大な支持を誇る東宝のスパイダーマン風に、犬先輩は独特の構えを取ってからそれを発射した。確か使う際にはスパイダーストリングスって叫ぶとかさっき言っていなかったか。そもそも実験体の僕はどうなってしまうのか。


 次の瞬間、そんな疑問がすべて吹き飛ぶような現象が起きた。


 飛び出た網状の糸束はまるで初めからそうであるかのように、的確に僕の身体に、幾重も絡みついたのだった。あっ、と叫ぶ間もなく、脚から胴に向けて蜘蛛の糸でぐるぐる巻きになってしまう。しかも、硬い。ああそうか、強度は鋼鉄の120倍だったか。苦しくはないが、手も足も身動きがまったく取れなくなってしまった。


「こ、これ。どうやって……?」


「そいつは直進してやがて絡みつく性質と流体力学とを掛け合わしてだな」


「そうじゃなくて、どうやって外せば? 物凄い強度なのでしょう?」


「ああ、それは心配ないで。特定の電磁波を受けると、そいつは簡単に蒸発するからな。本来の蜘蛛の糸は複数のアミノ酸からなるタンパク質やけど、こいつはもっと原初的で、とはいえ化学の基礎をきっちり修めている人でも原理から説明するとなると軽く10時間はかかるから割愛させてもらおう」


 ぽちっとな、とのかけ声の直後、絡みついた糸の塊はブルッと震えたかと思うとまるで煙のように蒸発し、なくなってしまった。手足が自由になる。


「以上、冷凍射撃で固めた不定形ショゴスをこいつで巻き取るわけや。そして最後の四つ目、捕獲プランB。見た目はなーんか妙にすべすべした黒い布。大きさは一片が120センチの正方形。しかしこいつが最終手段でもある」


 犬先輩は独特の光沢のある黒い布を、パンと広げて見せる。


「実はこれ、単層カーボンナノチューブの生地とザイロンを交互に分子レベルで10枚重ねにした、防弾効果もある超頑丈な特殊繊維やねん。ライフルの308弾でも貫けへんで。代わりに衝撃で死ぬけど。蜘蛛の糸でぐるぐる巻きになってなおヤバげな場合、こいつで憎いあンちくしょうを風呂敷包み捕獲してまう。別途に捕獲箱も用意してあるが、それだと機動性に劣るからな。これで固定して箱にポイする形で行く」


 要約すると作戦の概要はこうなる。


一、液体窒素噴射機で天井に張りつく不定形体ショゴスを凍らせ、下に落とす。

二、グレネード式液体窒素弾をショゴスに撃ち込み、捕獲の安全性を高める。

三、アトラク=ナクアと呼ばれる蜘蛛の糸型の素材でショゴスを絡め捕る。

四、もしくは頑丈な新素材布でショゴスを進物品の如く包み込み、捕獲する。

五、その後は爆弾爆破処理にも使える専用の捕獲箱に入れて、作戦終了。


 各員の装備は、僕と犬先輩が風呂敷担当に、文香はグレネード担当に、アトラク=ナクアは犬先輩のお気に入りなので彼担当に、先駆けとなる液体窒素噴射担当は『幸運ラッキーガール』女史担当で決まった。なお依頼者のハルアキさんは、彼女も捕獲メンバーに加わりたがったが怪異に対する耐性の低さから実行参加は危険と判断し、当部室にて鈴谷ありさの動向を監視と報告をする後方支援に回ってもらった。


 オカルト研究部はすでに犬先輩によって端末のすべてを掌握され、盗聴器はもちろん、隠しカメラまでを仕込まれて完全監視状態にあった。この天才少年、科学者ではなく諜報部員としても食べていけそうな気がする。


「よし、状況開始や」


 犬先輩の号令をもって出動する。

 装備は適当な紙袋に隠して持っていくことに。ハルアキさんが『幸運ラッキーガール』女史に抱き着いて何か囁いていた。僕は文香と肩を並べて部室を出た。


 問題の倉庫前、周囲を確認しつつ丈夫な革手袋を装着、無人を確かめて酸素ゴーグルマスクを被った。犬先輩は愛犬にもマスクをつけてやっていた。


 各自装備を構え、異様ないでたちの四人と一匹は倉庫内部に侵入する。入ってすぐの換気扇のスイッチボックスの電源を忘れずすべてONにする。ゴンゴンと変な音を立てて換気扇は稼働を始める。最終の、捕獲箱を出入口に設置する。


「後方支援班、応答を。こちら実行班、目的の建物に侵入した。実働に移る」


 マスクには無線が配備されていて、四人と一匹は互いに会話ができ、かつ、部室に待機しているハルアキさんとも通信ができるようになっていた。


「こちら後方支援班。了解です。なお、対象Sは変わらず部室にて活動中」


「了解。では、朗報を待っててくれ」


 僕ら四人と一匹は昨日見つけた天井の血だまり地帯へと歩を進めていく。やがて、昨日とほぼ変わらない位置に、それは、いた。


 ハムスターとショゴスの合成体。キメラ。血のショゴス。


 鉄錆の異臭を放ちつつ、天井に広がって赤黒い不吉な模様を作り出している。餌は猫用ドライフードだったか。今はまだその程度で済むかもしれない。


 だが、ショゴスは不定形であり、どんな姿にもなれる。聞けば己が特性を悪用し、自らの体内で疑似脳を作り知恵を蓄えることもできるという。いつかそれは賢しらに主人に牙を剥き、貪り喰い、人の味を覚える日が来るかもしれない。


「ほんなら『幸運ラッキーガール』さんよ。いっちょ開始の合図を頼むで」


「みんな準備と覚悟はいいかしら? それじゃあ、いあ、いあ、クトゥルフ!」


 一歩大きく前に出た女史は、天井に向けて噴射機を構え、液体窒素を噴射する。


「テケリ・リ!」


 悲鳴のような、怒り心頭のような、異様な声が倉庫に響いて、それは天井からぼとりと床に落ちた。どばんっ、グレネードを構えていた文香が間髪を入れずに液体窒素弾を叩き込む。最高のタイミングだ。


 衝撃でもうもうと舞い上がる液体窒素の気化煙。


「――よっしゃ、地獄からの使者、スパイダーやっべぇ!」


 さらなる攻撃を加えようとした犬先輩は急遽愛犬を抱え上げてのけぞった。赤い塊がまるで物理法則を無視するかのように跳ね飛び、どがっ、と彼の背後にあった倉庫を支える鉄骨に激突する。きしむオンボロ倉庫。大丈夫なのか、これ。


「あはんっ、こいつ冷気無効かよ? いや違うな、冷気で体が鈍くなってるのを、自らを喰らうことで強制的に熱量を作ってやがるぞ!」


 あんな一瞬の状況でよく見通せる。犬先輩は愛犬を床に下ろし、身構える。


「矢矧ッち、あの憎いあンちくしょうにもう一発かましてくれや!」


「わかったわ!」


 文香の動きは目覚ましかった。ガスマスクで顔は見えないが彼女の大型肉食獣を思わせる瞳は対象を的確に捉えているらしく、迷いなくグレネードを構えた。そして撃つ! 命中! まき散らされる液体窒素の気化煙! 


 極低温の空気の層が瞬時に出来上がったらしく、血のショゴスの周りだけ明確に見通せるようになる。犬先輩は今度はかけ声なしにアトラク=ナクアを放つ! 鋼鉄の120倍の強度を持つ蜘蛛の糸束は生き物のように『それ』に絡みつく!


「こいつ、まだ動くぞ! 油断すんなよ!」


 狂乱の血のショゴスは赤と黒のぞっとするまだら模様に変貌していた。目玉らしきものが次々と現れては萎んでいく。気持ち悪い。まるでピンボールでも見るように、がんっ、がんっと、手当たり次第に鉄骨や壁にぶち当たってもがいている。


「あっ、『幸運ラッキーガール』さん! そこ、危ない!」


 僕は叫んだ。僕は次なる動向を未来視のように予測していた。ショゴスのもがき角度を代数幾何的に計算すると、数秒を待たず女史の元へ跳ね飛ぶと!


「任せて!」


 彼女の決断力に脱帽する。瞬時に文香は武器を捨てて駆け、『幸運ラッキーガール』女史の肩を掴んで伏せさせていた。反動で女史のブレザーから捕獲用の予備の生地が漏れ落ちる。突発的に文香は拾い放り上げる。広がった生地にズボッとショゴスが突っ込んだ。そこは今しがたまで女史の女史の頭部があった位置だった。


 と同時に文香はしゃがみの姿勢のまま――、


「――ふっ!」


 彼女は空中の生地越しに躊躇なく手刀をめり込ませた。ビキっと致命的に弾ける音。御美事。とある死に狂いて戦う剣術漫画では素晴らしい技に対し『美事』と表現していたが、まさにそれだった。


「ケイちゃん、犬先輩!」


 文香は叫んだ。弾けるように僕は動いた。犬先輩も動いていた。


 捕獲布を広げ、墜落するまだら色のショゴスを自分でも驚くくらいの速さでくるみ、ぎゅっと縛りつける。犬先輩も同じくして、その上からさらに捕獲布をくるみ、同じくぎゅっと縛りつける。血のショゴスの風呂敷包みが完成する。


「テケリ・リッ!」


 悲鳴のような異音が袋の中から聞こえた。冷却され縛られて武道――いや、武術+手刀のクリティカルを受けてまだ動く気配を残しているとは。


 文香が犬先輩の持つ捕獲した袋を欲しがった。何をするのかと思えば、床に置くや否や袋に向けて腰の入った鋭い一本拳を叩き込んだ。ぎうっ、と悲鳴らしきものが聞こえ、やがてそれは、完全に沈黙した。


「はい、どうぞ。怪物はまだ死んでないけど、当面は静かになると思う」


「お、おう。ありがとな」


 流石の犬先輩も文香の戦闘に対する冷徹なありように若干腰が引けていた。残心を忘れないそのスタイル。彼女は、家の伝統で戦闘術を修めているのだった。


 目的は果たした。迅速に倉庫から撤退する。


 酸素マスクを外して外の空気を吸って吐いた。空気が、おいしい。


 解放感で嬉しいのか柴犬のセトがぴょんぴょんと跳ねて犬先輩にじゃれついていた。その彼はドライアイスを詰め込んだクーラーボックス大の捕獲箱を足元に、支援班のハルアキさんに作戦の成功を伝えていた。


 鈴谷ありさはこちらの動向には終始気づかず、部室から一歩も出てこなかった。行動班の四人と一匹は、凱旋気分で、探索部の部室へ戻っていった。


 ハルアキさんは皆を出迎え、礼を言い、そしてたまりかねたように『幸運ラッキーガール』女史に抱き着いた。僕ら探索部の面々も心配だったが、やはり一番心配だったのは親友の彼女であったようだ。美しいかなこの友情。晴れ晴れとした気持ちだ。


 その後、残務処理としての鈴谷ありさの処遇は、犬先輩が彼女の失禁癖をケアするに併せて他の問題も何とかするとのことだった。図らずも元凶の一端を彼も担いでいたため、その辺りはすべてお任せモードである。


 ともかく、依頼は完了の段に行きついた。


 ハルアキさんと女史は再び礼を言い、部室から立ち去って行った。部活内容をレポートにするのは明日に回すとして、残る自分達も、本日はこれで帰宅した。

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