第13話 女装、潜入、家探し その3

「とりあえず犬くんギルティね」


「ええっ?」


 微妙な空気の中『幸運ラッキーガール』女史は画面上の犬先輩を指さした。


 言わんとする気持ちはわからないでもない。さすがの僕も鈴谷ありさの名誉のため詳しい描写は避けるけれども、日がたつほど彼女の失禁癖はより酷くなり、内密の話、本格的にオムツの着用を始めるようになっていた。おまけに近日に至っては人前で失禁する羞恥心に妖しい感情が芽生え、ちょっとここには書けない大変な事態になっている。これを書いたら成人指定本になってしまいそうだ。


 そもそも犬先輩が魔導書の中身をぶちまけるようなマネをしなければ、こんな失禁姫になることもなかっただろうに……。


「まあ……その、ケアはするっちゅうことで。一度開いた性癖の扉はもう閉じられないと思うけどな。ううむ、これは詫びの品を持って行ったほうがいいやろか」


「やっぱりオムツ、かしら? 愛宕くんはどう思う?」


「失禁症状の平癒を前提にした、履かせるタイプはいかがでしょう」


「どうせなら、女児向けの可愛いのを贈ってあげたいかも」


「キミらのあの娘への扱いも、たいがいギルティやと俺は思うなぁー」


 呆れ声の犬先輩だが仕方がないのだった。彼女は危険性を孕んだ得体の知れない生物をくだんの倉庫で創り上げ、今現在も、それは存在し続けているのだから。


 それはともかく本題に移ろうと思う。今後の探索部の行動について。


「まず最初にキミら三人に言わなきゃならんことがある」


 犬先輩はテレビ電話越しに、打って変わって真剣な表情で断ってきた。


「鈴谷ありさの叔父さんは、陰秘学的に言うところの、邪神ナイアルラトホテップの可能性が高い。人として生まれ、なんらかのきっかけで邪神として自覚したか、あるいは誰かの身体を乗っ取ったか、化身として降臨して人間社会に紛れたか」


「わかるんですか? というか、神様とかあり得るんですか?」


「普通にあり得るぞ。そのうち知り合いの、比較的人類に友好的な化身タイプのナイアルラトホテップを紹介すると思うから楽しみにしててくれ」


「えっ、紹介とか。というか、犬先輩の知り合いの邪神って……?」


「愛宕くん、かの邪なる神は千の相貌を持つ無貌の神とも呼ばれているの。だからね、あなたが知らないだけで案外すぐ傍に寄り添ってるかもしれないわ」


「さすがの邪神様もそこまで暇ではないのでは……」


「いやー、それはどうかしらねぇ。あの神だけはちょっとわかんないのよね」


「陰陽五行で表現するなら最狂の土の精。宇宙規模の愛すべき大迷惑。魔王にして宇宙神アザトースの従者であり、総じて外なる神とも呼ばれているな」


「宇宙規模にというのはもう想像もつきませんが、とにかく物凄いとだけは」


「で、彼女の叔父さんについてや。いくら仲が良いからってバイオハザード刻印のついた危険な神話生物をポンとプレゼントするやろか。普通なら、しないよな。やけど、ナイアルラトホテップなら、絶対に、やる。そのほうが面白いから」


「うちとこで拝んでる海神様を、ルルイエから目覚めさせようとしたわ」


「ああ、やるやろうなぁ。『幸運ラッキーガール』とこの神さんとか、星辰をそろえたら目覚めるし。この星がわだつみで沈むっちゅうねん。でだ、その混沌の神は人として生まれたり、身体を奪ったり、人そのものに化けたりする。特に最後のは化身と呼び、基本的に自らの発する黒き太陽の力で肌が色黒になるのが特徴やねん。まあ、どれもヤバさは半端ないけどな。ついでにどの手合いも揃って美男美女やで。……彼女の叔父、日に焼けてえらくハンサム度が上がったとか書いてなかったか?」


「書いていました。さらに男に磨きがかかったと描写されていましたね」


「せやろ。それで人の手に余る危険なものを人に与える迷惑な行動を取る。あれが関わると普通の人間はほぼ確実に破滅するんや。ある意味では鈴谷ありさも被害者やな。失禁オムツ姫になったのは俺のせいやけど……はあ、どないしよ」


 電話先の犬先輩は液晶画面の向こう側で、ふむ、と考えるポーズを取った。


「今日はこれで解散したほうが良さそうやなー。本当は今日中に全部ケリをつけるつもりやったんやけど、あの大迷惑が裏で糸引いているのなら話は別。本気でいかんとヤバい。ケイ、二度手間ですまんけど、ノートPCだけ元に戻しておいてくれ」


「本気でだなんて、神様相手に大丈夫なのでしょうか?」


「あー。心配いらん、俺を信じろ。20分後、保管袋を回収しに寮に寄るわ」


 決断すれば行動は迅速に。僕らは再び鈴谷ありさの部屋に侵入し、ノートPCを元の場所に返して何食わぬ顔で女子寮前で犬先輩がやってくるのを待った。


 彼は指定時間キッチリにやってきた。荷物を手渡し、僕も一緒に行こうとする。


 しかし、残念。文香にがっちり捕まってしまった。どうも彼女は、自然な流れで逃げようとした僕を見逃すつもりはないようだ。


「頑張れ、超頑張れ。そして末永く爆発しろ。ふはははっ」


「終わったらマンションに来てね。その恰好のまま帰っても面白いけれど」


 二人してニヤニヤと冷やかしめいた嫌らしい笑みを浮かべつつ、まったく助けるつもりのない犬先輩と『幸運ラッキーガール』女史は手を振ってそそくさと帰ってしまった。


 今の僕は、極上の料理と毒入りの火酒を同時に出されたような気分である。


 部屋の主の文香と僕は、二人っきりで向かい合って座布団に座っている。二人きりになった瞬間、てっきり僕は女生徒の格好のまま文香に組み伏せられ、縫いぐるみの如く弄ばれるものとばかり思っていた。また、ここだけの話、そう言う展開をわずかばかり期待している自分もいた。だって、その、えっちとか、興味あるし。


 が、彼女はモジモジと恥ずかしそうに俯いていた。いつもならば煩悩全開、男子の思春期リビドーをも上回るパワフルな欲望を滾らせるあの文香が。


 本当に、どうしたものか。僕など女性遍歴なんて皆無なので動くに動けない。


「……」


「……」


 この微妙な空気。耐え難きを耐えるにも限度がある。どうしようどうしよう、目の前の猫科の大型肉食動物みたいな文香が、ピクリとも動かない。


 もしかしたら向き合って座っている自体が、変な空気を醸し出す原因になっているのかもしれない。やったことはないけれど、お見合いなどのアレな状況を連想してしまうのだった。なので、いっそ彼女の隣に座ってみてはどうかと考える。


 僕は座布団を彼女の隣に、横座りする。文香はピクッと反応して、しかしそれでも俯いたままだった。そしてひと言、こぼした。


「み、皆がいないと、その、急に恥ずかしくなって。せっかくケイちゃんと二人きりなのに、わ、わたし、どうしちゃったんだろう……?」


 いやはや、女の子の心の移り変わりはまるで猫の瞳のようだ。本当に恥ずかしいのは女子寮に忍び込み、あろうことか文香の部屋に二人きりでいる、現在進行形で大和撫子風に絶賛女装中の僕のほうだろうに。変態具合では、全裸の犬先輩にバックドロップを喰らわされた覗き&下着ドロの不審者と大差がないと思う。


 それにしても、羞恥に耐える文香というのもなかなかどうして趣がある。彼女のヘタレ具合を見てなんだか却って頭が冷えてきた。僕は胸の内で、ふむ、と頷いた。冷静に対処を。たぶん、ここは僕から動くべきなのだろうが、さて。


「大丈夫、恥ずかしくない。僕ら……いえ、わたし達は共犯者でしょう?」


 僕はメラニーボイスにより気を使って、恵そっくりに囁いた。そして腕を開いて、文香を誘ってみる。僕からわたしへと一人称を変えたのも考えのうちだった。


 するとどうだろう、文香はフワッとこちらへ身を寄せ、その身体を預けてくるのだった。こつんと互いの額が軽く当たる。彼女に両腕を手に取られ、するりと腰に回された。僕は、うん、と頷いてほとんど力を入れずに文香を抱きとめた。


 少女の甘やかな体臭としなやかな肉体の感触を自然と受け入れる。光風霽月。晴雲秋月。明鏡止水。虚心坦懐。心頭滅却。まるで熟達した禅僧の如く、心に揺らぎを作らない。童貞と嘲るがいい、このような状況下で何もしないとは。


 だが考えてみてほしい。


 僕と文香は、昨日からのつき合いなのだった。彼女は4月の事件から何やら悶々としていたらしいが、こちらとしては現状こそギリギリの対応だろう。二人の仲を本気で育みたいなら、焦らずにつき合っていくべきだと考えるのだが、どうか。


 そして二人は何をするでなく、互いに体を預けあったまま、無言のときを過ごした。それはそれで大変心地の良いものでもあった。


 夕方遅く、僕は女子寮を離れ『幸運ラッキーガール』女史の自宅にて男子の制服姿に戻り、帰路についた。

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