第12話 女装、潜入、家探し その2

「あっ、ケイちゃんこれ見て」


「これは……まさか侵入者対策の……?」


 レーザー光線らしきものが。

 慎重に確認する。


 入り口の柱の影から、二本のレーザー光が伸びていた。

 ブービートラップだった。


 それは足元から20センチ辺りと、ちょうど胸から腰の高さ辺りの1メートル20センチより、指向性のある発光で直線を結んでいた。


 おそらくは天井より落ちてきた微細な埃によって光の散乱現象が起き、人の目でも認識できるようになったものではないかと思う。


 なんてこった。僕は息を呑んだ。『幸運ラッキーガール』女史のくしゃみで引き止められていなければ、この隠されたレーザーセンサーに引っかかっているところだった。同時に、ハッとした。僕は彼女の異能の正体に気づいたのだった。


「そういうことですか。これが、これこそが幸運が幸運たるゆえん。『誰か対象を幸運で加護をして、それに付随して自分も幸運にあずかる』なのですね?」


「ビンゴ。わたしの二つ名の正体は愛宕くんの指摘の通り。基本的にわたし単体では幸運は降りてこなくて、誰かに触れて、誰かのためでないとダメなのよ」


「御利益が目に見える、実在する系の幸運の女神様なんですね……だからこそ、普通の女の子のはずなのに鍵士も舌を巻くような開錠ができた」


「そんな大したものじゃないわよ。でも悪い気はしないわね。うふふ」


 女史曰く、開錠技能は幼いころに曾祖父から手ほどきを受けたのだという。彼は故郷では変わり者の鼻つまみ者で、元々は冒険家という名の盗掘屋だった。なので故郷からは早々に飛び出して、某インディアナジョーンズよろしくお宝探しに邁進していたらしい。世界恐慌? 太平洋戦争? いいえ知らない子です。そうこうするうちに彼は極東の島国にたどり着く。ちょうど日本では、終戦直後だった。


「日本の戦後の混乱に乗じて上手く日本国籍を掠め取っちゃったのよ、大爺ちゃんたら。で、色々あって水産事業を開始。それが大成功。今は二代目に譲って、現在に至ると。まあでも未だに冒険家の血が騒ぐのか、わたしにサバイバル技能を仕込もうとしたり、海中の宝探しをしたりしているわ。わたしの腕はちっとも上達しなかったけれど、開錠ツール自体は家から持ち出して保管していたのよね。大爺ちゃんのこと好きだし。それで今回。あなた達はわたしに触れながらこう願った。扉よ開け、と」


 やはり二つ名の持ち主はただ者ではない。宝くじを当てたのも、かの魔導書暗唱事件を寝坊で回避したのも、犬先輩にじゃれて天井の血だまりを見つけたのも、今回の鍵開けとレーザーセンサーの看破も、この幸運あってのものなのだった。


『トラトラトラ。扉の開錠は滞りなく。部屋への入り口にレーザーセンサー有り。回避し、侵入せり。旗艦赤城の南雲提督ならぬ南條部長に次なる指示を請う』


 僕は犬先輩にメールを送った。するとすぐに、今度はスマートフォンのテレビ電話モードで返ってきた。……初めからそうすればいいのに。


「うまくいったみたいやね。そしたらケイ、最初に真正面と、ワークデスクのある側にセッティングされているだろう動体センサーカメラを見つけ出してくれるか。さっき寮内の通信を掌握したんやが、鈴谷ありさの部屋からいくつか稼働中のWi-Fi接続があってだな、小癪なレーザーセンサーを仕込むくらいやし、あの女ならそのくらいのことはやってのけているはずやで」


 言われてみればその通り。高度なハッキング技術を以って自らの行動痕跡を消す女だ。しかも部屋には用心深くレーザーセンサーまで取りつける。ならば監視カメラくらい当たり前に用意するだろう。恐るべし、鈴谷ありさ。


 僕は通話を維持したまま犬先輩の予想するポイントをくまなく探した。すると見よ、監視カメラは出てくるのだった。彼の言う通り真正面のカーテンの陰とデスクの小物置きの中、そしてなんと、偽装されたペットボトルの中にもさり気なく。


「じゃあケイ、ハッキング用に渡した補助端末の端子とそっちの監視カメラを接続してくれ。リモートでログの確認をした上で、ターミナル設定を丸ごとこっちの都合のいいように書き換えたるわ。これでこの機器は俺の隷下に収まるで」


 これも電子戦である。言われるままに預かっていた端末と監視カメラをすべて繋ぎ、待機する。すると数秒を待たずに、それら機器の管理者権限はすべて犬先輩の元に降るのだった。念には念をとログを確認し、今し方の三か所以外にも監視の目はあるか調べてみる。もう、ないみたいだ。これで一安心といったところか。


「それでは家探しモード発動や。これから挙げていくものを見つけてくれ」


一、ノートPCなどの電子機器。

二、日記帳や手記の類。その他の書類。

三、猫用のドライフード。もしくは犬用でも可。

四、水槽、バケツ、手袋。個人で持つには不自然な医療器具類。


「大別すればポイントはこれら四つや。どうせ部屋が1Rやし、わりと簡単に見つかるはず。荒らさず、慌てず、しかし急いでやってくれ」


 頷いて僕は二手に分かれて捜索を開始した。僕は犬先輩が電話越しについてくれているので、文香には『幸運ラッキーガール』女史とペアを組んで貰った。狭い部屋である。明確な目的をもって目星を立てると、すぐに目的のものが次々と見つかった。


 まずは私物のノートPCが二台。次いで物々しいバイオハザード刻印がなされたペン入れみたいな金属製の細長い小箱。中身は空の注射器と、同じく空のアンプル。他には手術用の手袋。猫用のドライフード。サセックス草稿と銘打たれた、中身が英文と日本語で交互に書かれた大学ノート。どうやら写本のさらに写本であるらしい。


「……こいつはやべえな。特にその小箱がよろしくない。バイオハザード刻印の横についてる記章はテリオン社のものや。桐生を一方的にライバル視する欧州企業連合の盟主会社。うわ、きなくせえ。ここだけの話、テリオンのやつら俺を拉致ろうとしたことがあってだな。まあ全員のSAN値をまるっとブッ飛ばしてやったけど」


「一体、犬先輩は人生のどこに向かっているのですか……?」


「男ってのは世間に出たら、七人の敵に常に狙われるもんやでぇ」


「えぇ……」


「ま、それはいい。チンケに負けるブタもあるってな。そしたらケイ、注射器セットの中身だけ専用の袋にボッシュート。それと二台のノートPCも接収を頼む。サセックス草稿はゴミやから放置。撤収準備を。矢矧ッちの部屋へ転進してくれ」


「了解です」


 僕ら三人は指示通り撤収し、扉に鍵をかけ直し、文香の部屋に速やかに戻った。


 さて、さて。


 以下はオカルト研究部部長、鈴谷ありさの、二台のPCより抽出された日記である。日にちに穴があるのは僕達が読み飛ばした部分と考えていただきたい。


 4月9日。晴れ。本日は新入生の入学式。わたしは最高学年生徒として、受け継いだオカ研の部長を全うしようと思う。まずは部員の増強を。さあ、この世の不思議を求めるわれらが同志は一年生に幾人いるだろうか。玉石混合を見極めたい。近年、慢性的に部の質が低下している。なんとかせねばならない。


 4月10日。晴れ。なんなのあいつ。南條公平、サセックス草稿を諳んじた男。否。そんな生易しいものではない。あれはネクロノミコンだ。体育館で天才帰国子女の話を伺うはずが、気づけばわたしは病院に搬送されていた。クラスメイト達も同じく体調を崩して病院にいた。汚れた制服と下着。まさかこの歳で失禁してしまうとは。奴は混沌の使者か。あんな天災男とは絶対に関わらないようにしよう。


 4月15日。くもり。聞き及ぶに、くだんの天災こと南條公平は微分子工学のほかに陰秘学も博士課程を修めているという。陰秘学とはオカルト学のこと。つまりあの男は科学と魔術を両立させている。心が揺らぐ。二度と関わりたくないはずなのにオカ研に誘いたい二律背反が。迷いに迷って部に誘ってみた。秒で袖にされた。ファック! だめだ興奮すると漏れる。あの事件以来失禁癖がついてしまい、気が高ぶるとお漏らしするようになった。生理用ナプキンではだめなので介護用失禁パッドを当てている。この年でオムツだなんて、ファック! ああまた漏れる! もう!


 4月20日。晴れのちくもり。叔父に久しぶりに会った。彼は桐生グループの実質的なライバル企業でもある、欧州連合企業のテリオン社で働いている。わたしと叔父はとても仲が良く、オカルト嗜好の同志でもあった。合言葉は、現実主義などクソ喰らえ、だ。世の中にはもっともっとロマンが必要だった。実効性のある魔術とか、人類以前の超古代文明とか、宇宙人とか、異界の神々、異世界転移、転生。


 そんな叔父は、わたしに誕生日のプレゼントをくれた。ちゃんと覚えてくれていたのだった。4月18日が誕生日なのだ。それはバイオハザードの刻印がなされた長方形の小箱。中には注射器と黒い液体で満たされたアンプルがセットになっていた。


 この液体はキマイラ溶液と呼ばれ、中に特殊な処理を施したショゴスという粘性生物が科学的に封印されている。これを、例えば小動物に注入するとショゴスはその生物を遺伝子レベルから喰らい、同化、進化、新たな神話生物となると叔父は教えてくれた。神話生物。なんと心の踊る響きか。明日、適当な小動物をペット屋から買ってきて溶液を注入してみようと思う。興奮して思わず叔父の前で失禁してしまったのは内緒だ。幸い尿パッドがギリギリそれを受け止めてくれた。もしかしたら雰囲気でバレたかもしれないが、それは考えないようにしよう。


 4月21日。晴れ。あまり大きな動物にキマイラ溶液を使うと後の飼育が大変だというので、ならばハムスターを購入し、そいつにショゴスを注入してやろう。


 4月22日。晴れ。凄まじかった。驚いて尿パッドの許容量以上に小水を漏らしてしまった。あまりにも無残な自分を前に愕然とするも、幼きころの記憶が蘇って、妙な塩梅に恥ずかしくも懐かしい気持ちになった。まあ、それはいい。ともかくショゴスについてだ。叔父の勧めでは自室飼いは危険なのでどこか廃屋みたいな場所が良いとのこと。具体的には、この学園内で人の来ないような倉庫などがあらまほしい。なぜそんなところで? と尋ねると学園内の方が部外の人間が来なくて飼育しやすいだろうとのこと。なるほど、一理ある。前年度で定年退職し、今年度からは嘱託講師となった祖父が『廃倉庫』と通称されるボロ倉庫の管理者をしていたので、そこに趣味で覚えたハッキングをかけて管理権限を盗んでしまおうと思う。


 ときに、叔父に経緯を電話で連絡するとわがことのように喜んでくれた。しかも今度機会があれば欧州テリオン本社の生物研究施設に招待しよう、とまで請け負ってくれた。わたしは叔父の姿を思い返した。最近南米に出張していたとかですっかり日焼けして、ハンサムに精悍さが加わった男ぶりは真夏の太陽の如く上々。男子三日会わざればアテンションプリーズ! なのだ。うーん、イケメンは眼福。


 話が横道に逸れた。どうも浮かれているな、わたし。ハッキングでミスカトニック校区の西の端、祖父が管理するボロ倉庫のデータを滞りなく改ざん、破棄建築物に設定を変えてやる。ここなら人も来ないし、老朽施設なので乱暴に扱っても誰も不審に思わない。念のため学園の防犯カメラをハックして隷下に置き、この近辺だけ過去映像を延々と流すようにした。そして真打。やっとわがショゴスの現状が書ける。


 ハムスターに注入したショゴスは、その後の数分間は何の反応も示さなかった。不審に思ってよく観察しようとしたそのとき、ハムスターは弾丸みたいにバンッと上に跳ね飛んだ。ガンッと天井に勢いよくぶつかる音。驚いて本格的に失禁してしまったのは本日最初に書いた通りだ。いっそ女児用のLLサイズオムツでもいいかもしれない。わたし、小柄だし。むしろちょっと楽しみ……いや、それよりも続きだ。


 天井に跳ね飛んだショゴスハムスターは赤黒い血だまりに変わり果てていた。それは血の粘液体――スライムのようだった。天井に飛び散ったそれは、小刻みに震えながらまとまろうとしていた。ここで叔父の忠告を思い出した。用意した魔術演算の複合された幾何学模様、いわゆる魔法陣を書きつけた布を広げ、教わった通りの詠唱をする。血のスライムはどろりと円陣上に垂れ落ちてきた。


 やがて、詠唱は、完了する。グネグネとうごめくそれは凄絶な血色のグラテーションを結び、この世ならざる何かがわたしの元に像を結んだ。わたしはゆっくりと息を吸い、命令した。われこそはお前の主人。奉仕生物、新しき神話のショゴスよ、と。血のショゴスは、わたしの声に反応して、テケリ・リと答えた。


 ……まだまだ日記は続くが、ここで終わらせようと思う。文香の自室、僕ら三人とテレビ電話越しの犬先輩は、そのおぞましい日記を前にため息をついた。

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