第10話 推理と推測

「――とまあ潜入して調べた見たところ、いかにも不審な血痕が残されていた。いや、血がどうとか以前に発見した場所に問題があると考えるべきかもしれへん」


 とりまこいつを見てくれ、と犬先輩はスマートフォンで撮影した写真画像をハルアキさんに見せる。まずは倉庫内部の全体写真、次いで天井に張り付いた血痕、最後にその真下の、床に垂れたらしい小さな血痕の三種類だった。


「最初の画像に説明はいらんな。問題は次からや。これ、二枚目は床と違うで、こいつは天井の血痕画像や。三枚目は天井と違うで、その小さな血痕は床の画像。……おかしいやろ? まるで天地がひっくり返ったみたいになっているよな」


「そのようですね……」


「加えてこの倉庫、内部全域に鉄錆に泥を混ぜたみたいな異臭で充満していた。おそらくは今話題にしている血痕のニオイだと推測される。……何かが棲みついているのは確かやな。だが、その何かの正体は、まだわからん。まあ、怪異や」


「……ですか」


 ここは『幸運ラッキーガール』女史とハルアキさんの住むマンションの一室、リビングフロア。ソファーに座り、リラックス効果が得られるというカモミールのハーブティーを頂いて僕たち探索組はひと息ついたところだった。


 ハルアキさんの顔色はすぐれなかった。依頼現場に得体の知りない何かが確実に居ると知ってしまったのだから、当然と言えば当然か。彼女は犬先輩の説明を聞きつつ、微かに震えながら写真を見つめていた。


「ハルアキ、膝枕をしてあげるからちょっと横になりなさい。顔が真っ青よ」


「だ、大丈夫です。わたくしは大丈夫ですから」


「ほーんとこの子、変なところで意地っ張りなんだから」


 心配する『幸運ラッキーガール』女史の提案をはねのけたハルアキさんは、それではどうするべきかと犬先輩に話の続きを促した。だが彼女の手は正直で、さまようように『幸運ラッキーガール』女史の右手を求めていた。あらあらと女史は言い、身を寄せて空いた左手でハルアキさんの頭を優しく撫でてやるのだった。


「このまま学園に報告してもいいけど、やっぱり実際的な被害がない以上、対応に出るまで相応の時間がかかる。俺としてはすぐにでも怪異の大元を見つけ出して、速攻でブッ叩く前提で対策を練るのを勧めるが……どうする?」


「危なくないですか? いえ、わたくしではなくあなた方部活動のメンバーが」


「うちのメンバーは全員怪異に対して高い精神対抗力を持ってんねん。ケイはさっき見てて確信したんやが観察力と推理力に優れ、矢矧ッちには武術の心得があり、俺は自称とはいえ『最強万能魔術師』やで。イプシシマスって知ってる? 知らん? まあいいけどな。猟犬柴犬のセトもいるし、ライトスタッフってやつよ」


 いやいや、僕みたいなのに期待されても困るのです。口には出さないが僕はフリーダム犬先輩に辟易する。あの天井の、物理法則を無視したような血痕の、その大元を叩く? 誰が? 僕らが? ウソォ? なのである。


「しかも現場の確認がなされた次の一手も、すでに考えてるねん」


「どういったことをされるのでしょう?」


「あの倉庫はハッキングによって学園の管理から外されていた。その上で何かろくでもないことをやらかしている。断ずるに、これは自然に湧いた怪異ではない。確実に人が絡んでいる。しかもこいつは十中八九、単独での犯行やで」


「わかった。犯人は、また犬くんね。もー、ダメじゃないのー」


「なんでやねん。うかっとしている部分があるのは認めるが、俺ならもっと上手くやる。怪異は桐生の施設を借りてきちんとした設備の中で管理する。なんの怪異なのかはまだ分からんけどな。仮に協力者がいても一人やで。なんでかって? 言ってはなんやが13回の探索経験から鑑みるに、いまいち怪異の規模が小さいねん。複数人数が絡む怪異はもっと陰惨で、被害と規模が累乗拡大するからなー」


「それで、犬くんの考える次の一手は、何?」


「ハッカーと怪異の元凶を作った犯人Xは、同一人物と見なして対処する。それやったら、アプローチの方法を変えようやんけ、ちゅうわけやな。目には目を、ハックにはハックを、や。学園中の監視カメラに侵入し、倉庫へ向かったやつのログを徹底解析してやろう。いっちょ電脳戦と洒落込もうやないけ」


「犬くんハッキングもできるの?」


「当然。しかも俺の持ち寄るツールはほとんどチートレベルやで」


 言って犬先輩は何か黒い端末機器を鞄から取り出した。一見すればスマートフォンのようにも見える薄型の金属板で、外部接続にキーボードだけが付属された、極めてシンプルな構造をしている。なんとこれ、デスクトップPCなのだそうだ。画像は空気中のチリを光反射利用する、空間投影式であるという。


「桐生グループのPCはすべて自社開発した独自のOSで制御されている。窓も喰われたリンゴも使わへんで。ほんでアレよ、俺の持つ黒いコイツは桐生直下のOS開発企業、カオスシード社の依頼で俺と西博士が作った世界でも有数の演算力を持つPCやねん。名はハナコ二世。スペックは人間の脳の半分ほど」


「人間の、脳? 頭? それって早いのかしら?」


「めっさ早いぞ『幸運ラッキーガール』さんよ。昔、神戸の理化学研究所に京ってスパコンがあったやん。あれが人の脳を模倣したら、脳の秒間処理を40分もかけんとあかんねん。ところがこいつは2秒弱で処理してしまう。単純に考えて京の1200台分の演算力があるわけ。最新の富岳っていうスパコンとやったらどうなるか、楽しみやな」


「……どういう機構なんですか、それ」


「ケイ、いいとこ突いてくるな。それは秘密、と言いたいところやけど特別やで。こいつのCPUは、粘菌。粘菌のDNAを回路に見立て、分子レベルから作り上げた、生体演算機なんや。生きてるから環境などをきちっと整えてやればスゲェ長持ちするぞ。しかも独力でスペックアップもするで。わぉ、スゲェや」


 なんだか物凄いものが出てきたのだった。それにしても別件の依頼品を第三者の前に出しても大丈夫なのだろうか。主に守秘義務的な問題とか。


「さてこいつをやな、手始めに俺謹製の演算精霊プログラムを電脳界にばら撒いて情報をかき集めさせるとして、はーい、デデーン、ここで問題でーす。条件づけをしてより効率的に情報を集めようと思います。なので、いくつか収集の条件を上げてください。つーわけで、矢矧ッちに答えをドン」


「えっ。その、ハッキングとかさっぱりで。なのでケイちゃんお願い、助けて」


「おっとと、そうですね。僕が犯人Xなら――必ず自分の痕跡を消しますね。となれば、まずは防犯カメラに細工は外せません。ただし、それは倉庫近辺のみとなるでしょう。ハッキングで広範囲かつ常時データ改ざんを続けるのは、犬先輩は例外として、個人の持つ力ではあまり現実的とは言えません」


「ふむ。続けて、どうぞ」


「あ、はい。ここから想像力をたくましくして推測するに、犯人Xはミスカトニック校の高等学校方面に深く関わりのある人物ではないか思うのです。倉庫管理者の定年退職なんて内部情報、外部からは早々手に入らないし、わざわざ廃倉庫と通称される場所を選ぶのもちょっとね。こう、ピンポイントが過ぎるんですよ」


「まだ何かあれば、忌憚なく頼むで」


「はい。最後、検索の細かい条件として、手提げ以上の荷物を持つ人に限定しましょうか。少なくとも倉庫の管理者が変わる三月の末から現在に至り、倉庫には謎の何かが存在しています。……餌は何でしょうね? あの血だまりからして、それ相応の食物が必要ではないかと思うのです。犯人Xは、育てるためか何かは知りませんが、それなりにかさばる量の餌を与えていると思うのですよ」


 まとめるとこんな感じになる。


一、前提として防犯カメラでの人物選別は学園関係者のみとする。

二、ミスカトニック高等学校に関わりのある、もしくはあった人に限定する。

三、差異を見定めるため防犯カメラは倉庫周辺を中心に、広範囲にハックする。

四、ピックアップした人物の持ち物に注目する。かさばる荷物を持っていないか?


「思いつきなので明らかに穴だらけですが、ひとまずはこんなところです」


「いいねいいね。ほんなら最初はそれで情報収集をかけてみようか。今は優秀な顔認証プログラムがあるから、かなりの精度で個人の行動ログが掘り返せるぞ」


「ただ、僕の上げた条件だと一番怪しいのは定年退職した教頭先生ってことに」


「それはそれで。なんでお前ここにいるねんって全方位ツッコミを入れたるわ」


「むふっ、あはははっ、犬くんそこでツッコミ宣言とか不意打ちだわっ」


 どうも笑いのツボにはまったらしく『幸運ラッキーガール』女史が吹き出していた。彼女の魅力は愛らしい顔立ちに加えて、何にも縛られない奔放な性格だなと、ふと思う。


 犬先輩は口頭で生体PCのハナコ二世に命令を与えてゆく。2019年現在、世間で知られる人工知能はとりあえず会話をこなす程度までには漕ぎつけていた。


 とはいえしょせんは疑似的な、哲学的ゾンビ相手のつまらない会話でしかない。彼の命令を冷徹に遂行する人工知能は、僕が挙げた四つの条件を満たす参考人を次々と提示した。当然、話題の元教頭も混ざっていた。


「うふふ。教頭センセ、しっかり参考人になってるじゃないの。そっかこの人、大学で基礎教科の嘱託講師をしているのね。きっと人に自分の知識を教えるのが生きがいなのね。なんでいるねん、いや講師ですからって、むふふ、むふふふふっ」


「……マジか。いや、違う。そうじゃない。まだ慌てる時間ではない」


「どうしたんですか犬先輩」


 未だクスクスと笑う『幸運ラッキーガール』女史は横に置いておくとして、犬先輩は出された参考人像から何か思い立つものがあるらしかった。


「オカ研の部長が参考人に出てやがる。これ見てみ、3年E組、鈴谷ありさ」 


 確かに一覧に彼女の名前と写真が映っている。犬先輩の評価ではオカルト研究部は非常に低いものだった。魔術素養がないの魔術に傾倒していると聞くが。


「いやいや、待て待て。まだまだ慌てる時間ではない。落ち着け落ち着け」


「さらに発見でも?」


「今更って感じやが、退職した教頭センセ、名前は鈴谷敏郎っていうんよ。で、鈴谷ありさと来る。元教頭とオカ研の部長、苗字が同じなのは単なる偶然かいな?」


「鈴谷というのはかなり珍しい苗字だから疑問に思った、ですか?」


「せやねん。ちょいとばかし葛城市役所の戸籍データバンクにハックをかけるか。公的機関のセキュリティってザルやから秒でデータを抜けるで」


「ストレートに犯罪なんで、堂々とハッキング宣言するのはいかがなものかと」


「まあちょっと見るだけや。大丈夫。先っぽだけ、先っぽだけやから。天井の染みを数えてる間に終わるってー」


「あはは、犬くんその先っぽってどこの先っぽなのさー」


 果たして、元教頭こと鈴谷敏郎氏とオカルト研究部部長こと鈴谷ありさは、祖父と孫娘の関係であると判明した。ただし二人は同居せずに、鈴谷敏郎氏は当学園近辺の一戸建て住宅住まい、鈴谷ありさは学園内の女子寮住まいになっていた。


 さらに調べていくと鈴谷敏郎氏の住所は『幸運ラッキーガール』女史とハルアキさんの住むマンションのごく近所にあり、ただし僕の挙げた条件のすべてを満たしてはいれど倉庫そのものに近寄るようなそぶりはまったくなく、断言まではできないけれども、無関係な気配を濃厚に感じられるのだった。


 いや、しかし、そうなればこれは、もしかして。僕は思考を巡らせた。


「こいつをどう思う? 何か結論づけた顔のケイ、意見をどうぞ」


「あ、はい。では、皆さんの代表ということで、鈴谷ありさがクロの可能性を提案します。これだと内部情報の流出も納得いきます。元教頭先生は、孫の彼女に知らぬまま良いように利用されている。同居しないのは教職者が身内を贔屓しない外面的処置でしょうが、家族間での交流はあるはずです。今知る限りでは、前提条件+αを満たす彼女がもっとも嫌疑に近い存在だと判断します」


 他の三人も同意らしく、僕の提案に息をそろえて頷いた。


 受けて犬先輩も頷き、鈴谷ありさ一人に絞ってより詳しい彼女の行動を学園内の防犯カメラログを通して調査を始めた。


 超高性能なPCと顔認証プログラムは的確に彼女の行動をトレースし、次々と報告を出してくる。個人レベルでもその気になればここまでできるとは末恐ろしい世の中である。ストーカーになんて、ならないでくださいね犬先輩。


「廃倉庫近辺には彼女の姿は見られない。が、それが逆に不自然に思える。ほらほらこれよ。ケイの挙げた条件に荷物の有無があったやん。見てみ、この画像の鈴屋ありさは右手に二キロのドライキャットフードの紙袋を下げてるやろ。一時間後のログにはその紙袋は、ない。猫の餌はどこにいった? しかも一度や二度とちゃうぞ、確認するだけで18回、猫の餌はどこかに行っている。野良猫に喰わせたのか? こんな大量に? そもそもこの辺にそんなに猫なんておらんぞ」


「有名どころの犬や猫の話ならいくつか聞きますけれどね。犬先輩のセトとか」


「怪しいな。ケイの意見も踏まえて、彼女は容疑者Xに格上げやな」


 もっとも疑わしい人物は定まった。しかし、ここからが大変なのだった。


「さて、映像からの状況判断はなされたとして、次の問題」


「物証を手に入れて、根源を叩く、ですね」


「まあ、そうなるな。ケイ、やる気満々じゃん。お兄ちゃん嬉しいよ」


「犬先輩がお兄ちゃん……ケイちゃんが弟くん……ふふふ」


「あははっ、矢矧さんの目の色がなんだか紫色に変わっているわよ?」


「それ絶対にロクでもない系ですよね? 早く妄想内の僕と犬先輩に救助の手を」


「別に俺が受けでも構わないで? 良くほぐしてから優しく突いてな?」


「それはそれで本当に洒落になってないのでやめてください」


 と、仲睦まじくじゃれるのは良かった。実際問題として、どうするかとなると。


 結論から言えば、女子寮の鈴谷ありさの部屋へ侵入し、物的証拠を盗み出すことになるのだった。矢矧と、『幸運ラッキーガール』女史と、そして僕。……僕?

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