第9話 手際が良過ぎて手品の如く その2

 そうこうしているうちにお昼休みは終了し、放課後、さっそく現場を確認にいく約束だけ取りつけて、ひとまず解散となった。


 午後のすべての授業中、犬先輩は愛犬のセトを膝に抱き、教師の話にはまるで無関心な様子で何かに思いふけっていた。しかし教師から質問されれば一分の隙も無く的確に答えるのだから性質が悪い。


 そうして放課後、僕ら四人と一匹はくだんの倉庫前に集合していた。

 依頼だけしてその後はノータッチというわけにもいかないと『幸運ラッキーガール』女史が臨時探索メンバーに加わったのだった。


「ハルアキに探索は無理そうだからね。犬くん犬くん、何かあったら守ってね」


「逆に俺がお前さんに守られそうな気がするけどなぁー」


「それで、初見でどう思った?」


「ふむ。まあ、せやなぁ」


 犬先輩は顎に手をやって倉庫を眺めた。


 通称では廃棄された倉庫のように呼ばれてはいるが、それは40年前の学園建設当時から使われて非常にボロに見えるからであって、現在も各種資材などが保管されているとのこと。この倉庫は、ちゃんと現役なのである。


「んー、せやなぁせやなぁ」


 やがて犬先輩は歩き出し、倉庫に目星を当てたまま唸りだした。彼の足元では柴犬のセトが随伴していた。残る僕ら三人も、彼の後に続いた。


 倉庫は規模を持たせた大きな建物ではなく意外と小振りだった。


 年月の積み重ねで汚れたトタン壁、前面には車庫大の零から伍まで旧漢数字を振ったシャッターが六つ、背面に換気扇が四つ、前面から見て右の端――零番シャッターには電子錠つきの扉、高さは一般的な二階建て住宅とほぼ同等。


 と、そのとき。


 何かの確認のためにスマートフォンをいじっていた犬先輩が歩みを止めた。


「この倉庫、管理者の名前がないなー」


「ないんですか?」


 思わず僕は聞き返していた。


「通常なら、こういう建物って管理者をつけるよな。消防法とか、なんやその辺の法律的な兼ね合いで。確かに名札はかかってはいるんやが……教師用コミュアプリではその名前が登録されてない。しかも廃棄された扱いになってるなー」


「そうなんですか……って、なんで教師用を持ってるんですか」


「あはは。愛宕くん、犬くんはね、大学で特別講師もやってるのよ。工学部、微分子工学科、の。と言っても大阪梅田の理工学キャンパスではなく、この学園の放送施設を利用してのネット配信講義だけれどね」


 理工学系学部は、10年ほど前に大阪梅田の一等地にある45階建てビルにまとめて移転されていた。ちなみに医学および医療系学部は、学園発足当初から大阪府千早赤阪村の桐生先端医療大学病院に併設されている。


「そうなんですか『幸運ラッキーガール』さん。ああ、そういえば……」


 ときおり公欠扱いで授業を欠席しているのはそういうことか。

 彼は微分子工学で博士号を持っていると聞いてはいたけれど、まさか特別講師までやっているとは思わなかった。僕は犬先輩を見つめた。どこかに電話をかけていた彼は、その視線に気づいて僕に軽くウインクを返してきた。なんとも小憎い。


「どうやらここを管理していたのは高等部の教頭センセらしいで。ただそのセンセは前年度末に定年退職していて、本来ならこの建物は次の教頭に引継ぎがされないといけないのに、それがなされていなかったみたいなんやな。つーかまとめてデータで引継ぎするのにここだけ抜けるはずないやろー。嘘やーん。アホやーん。あー、たぶんこれ、悪意を持った第三者にハッキングされてるなー」


 犬先輩は言いながら、にたあ、と笑みを深めた。


 それは性質の悪い悪戯を思いついた子どものようで、耽美な美少年が浮かべるにはあまりにも不吉な様相だった。曰く、ドン引きの一歩手前である。すると今まで影のようについてきていた矢矧がぴたりとこちらへ密着し、そっと耳元で――、


「大丈夫、わたしが必ず守ってあげる」


 と囁いてきた。少し低めの声がとても心地よく、思わず身を預けてしまいそうになる――預けてしまいました。矢矧は満足気に、ほふふ、と声を漏らした。


 女の子に守られる男の自分ってどうなの、とは思えど矢矧には武術の心得があるのだった。ここは素直に感謝を表し、彼女に頼るのが合理的というものだろう。


「おおう、仲が良いことで。うっふふふ、やっぱり愛宕くんがオンナノコなのよねぇ。彼女さんとネクタイとリボンタイを交換してるだけあるわ」


「僕が女の子って。別にネクタイ交換にそういう意味合いは……」


「ケイちゃんは、わたしが、守ります」


「おっほ、ケイちゃんときたかそうきたか。まあ愛情の形は千差万別。別に女の子が男の子を守ってもいいじゃない。良きかな、良きかなー。うふふふ」


 ちゃかされて顔が熱い。おまけにどういうわけか股間の辺りがもじもじする。矢矧を見上げると、力強く頷かれてしまった。男子として如何とも表現し難い恥辱を感じたが、それを口にしては完全敗北なのでぐっと堪えた。


 犬先輩はニヤニヤといつもの道化染みた笑みを浮かべたまま扉に近づき、用意周到に革手袋をはめ、慎重にドアノブに手をかける。


 果たして、扉の鍵はかかっていなかった。


「管理から外れりゃ電子錠も管理外になるってか。ハッキング能力がある癖に詰めが甘い気もするな。うーむ。念を入れてちょいと先行するから周囲警戒を頼む」


 そう残して犬先輩は自らの愛犬と共にするっと中に侵入していった。


「不法侵入は探索者の華なのよねぇ」


「あ、あの……『幸運ラッキーガール』さん。そういう反社会的な危ない発言はなるべく自重していただければと……」


「あらあら、うふふ」


「わたしのケイちゃんは、わたしが守る……っ」


 不穏なセリフやそのツッコミ、聞かなかったことにしたいセリフなど三者三様に周囲を警戒をする。幸運にも、周辺には人影も気配もないようだ。


 この古い倉庫と、学園との区分けの壁を隔てたすぐ西側に『幸運ラッキーガール』女史こと初霜優実はつしもゆうみと、依頼者のハルアキこと初春晶子の住処があった。アイボリーレンガが小洒落た五階建てデザイナーズマンションだった。


 40年前、奈良県の北西部に位置する北葛城郡當麻町といういかにもパッとしない片田舎に、桐生の、桐生による、桐生のための当学園が誘致され、豊富な資金をバックに学園都市として異常な発展を遂げてきた。


 それはやがて、隣町の新庄町を呑み込んで葛城市と名を変える。


 そうして當麻寺をはじめとする歴史物と発展する都市模様が入り交じり、当初1万人にも満たない小さな田舎街が現在は16万人まで膨れ上がっていた。

 意外と少ないようで、元當麻町地区の大部分を当学園で埋めた現状では、その街の規模からして結構な人口過密状態になっていた。


 マンションのさらに西側には万葉集にも詠まれた二上山が鎮座している。旧き歴史と新しき都市の両立。地元民として、僕はこの街が好きだった。


 数分後、先行していた犬先輩が扉のすりガラス越しにぬっと現れた。


 コンココンと小気味よいノックをして、すりガラス越しに手招きで後に続くようゼスチャーしてくる。


 僕ら三人は小さく頷きあって、周囲を警戒しながらも扉の中へ入っていった。


「――ざっと見たところ、怪しげなモノはないみたいや。言うて、あくまでざっと、やで。念のため各種探知アプリも起動させてみたんやが、無線式盗聴器や監視カメラもなさそうや。まあでも、警戒は怠らんでくれな」


 内部は用途不明の細手の鉄骨資材がプラスチック製の強化結束バンドで幾つも結合され、埃は被ってはいれど几帳面に積まれていた。


 それらを躱しながら表のシャッターでいうところの零番位置から伍番位置へと、こちらの主観では奥に向かって歩を進めていく。 


 内部を移動する分には支障はない。ただ、一つ、問題を残して。


 四人と一匹は、総じて顔をしかめていた。見回したところでは確かに犬先輩の言う通り怪しげなものはなさそうだった。しかし、酷く、臭う。


 これは年月が過ぎた鉄骨の香りなのだろうか。日に焼けた鉄とペースト状になった汚泥が合わさったかのような。ともかく独特の臭気が倉庫内部に充満していた。ふと、何かを思い出しかけて、それが形になる前に霧散してゆく。


「目星を立てましょう。犬くんはわたしと。矢矧さんは可愛いケイちゃんとね」


「お前さんと組んだら、その絶大な幸運で思いもしない手掛かりを拾えそうやな」


「ケイちゃん、慎重にいきましょう。ケガの元だからわたしから離れないように」


「なんだか僕、姫扱いされている気がしてなりません……」


 言いたいことは多々あれど、まずは行動である。口より態度で漢を示せ、である。しかしどこから調べていくべきか。何か指針があれば。


 ふと、犬先輩にそうするのが当然と随伴する柴犬のセトが気にかかった。見れば地面をずっと嗅いでいるのだった。犬の嗅覚は人のそれを遥かに超えて鋭い。たとえ強いニオイが部屋に充満していても嗅ぎ分けるくらい簡単にできる。


 やがてセトは、地面のニオイを嗅ぎつつ、何か黒い染みのようなものに行きあたり、飼い主の犬先輩のほうを見上げた。


「犬先輩、セトが何かを見つけたかもしれません」


「マジか。おお、これか。黒い液体か? ふむ、なんや新しい感じやな。んー、なんやろうなこれ? 油の類? よし、ひとまずスマホで写真を撮っとこか」


 犬先輩はセトが鼻で見つけた染みとその周辺を調べ始めた。

 僕は僕で、新たな気がかりを察知していた。


 これら鉄骨資材から臭気が発されていると判断するには、どうにもしっくりこない奇妙な感覚があるのだった。倉庫に籠っているにしては生々しく、あえて表現すれば『鮮度があり過ぎる』ような、何か記憶が蘇るような。……そうだ、妹がたまにこんなニオイを漂わせていた気がしなくもない。


「それ、もしかしたら血ではないでしょうか? しかも別なところに、さらに大きな染みがあるかもしれません」


「なるほど、血か。重油みたいにどす黒い色をしてるけど確かに有り得るな。やけど別に大きな染みがあるって推測する根拠ってなんやろか?」


「鉄骨資材の臭気にしてはあまりに生々しく、また、その小さな黒点を臭気の源泉にするにはあまりにも広範囲に充満し、比重が重くてしかも濃厚です。ニオイの種別とその規模を両方満たすには、第三の可能性が必要になると考えます」


「思考の運び方が上手いな。ケイ、いい感じに推理を進められるやんけ」


 ちょい待ってな、と言って犬先輩は鞄から何かを取り出した。

 それはハンディタイプの蛍光灯式ランタンだった。

 スイッチを入れる。青い光。どうやらブラックライトであるらしい。


 僕達は揃って黒い染みを注視した。それは、青白い蛍光色に輝いていた。

 これまで目には見えなかったが、光を投射すると他にも点々と、その独特の反応光を浮かび上がらせていた。


「このライトに照らされて蛍光反応を出すのは必ずしも血とは限らない。アミラーゼを大量に含むもの、例えば唾液でも普通に反応するし、精液も酸性フォスターゼに反応する。日用品だと、蛍光剤入りの洗剤とかな。しかし黒い染みを鑑みるに、ケイの言う通り、血痕の可能性が高いように感じる」


「言われてみれば犬くん、このニオイ、わたし嗅ぎ慣れてるわ。だいたい月一で」


「お、おう。言わんとするものは分かったから自重しような」


「女の子の口から言って欲しい癖にー。この『変態という名の紳士』さん?」


「その二つ名で俺を呼ぶなっちゅうにー」


 犬先輩の腕を取って密着した『幸運ラッキーガール』女史は緊張感のない様子で彼をからかった。彼女が言わんとするのは生理時の女性の体臭だった。経験上、恵も月に数日ほど、ふっと鉄臭い香りを漂わせていた。それは近しく生活する以上はどうしても嗅いでしまうもの。女の子は、男が思うほど良い匂いはしないのだった。


 と、次の瞬間。


 犬先輩と女史は二人してこむら返りを起こした。互いに腕を組んでいたので転びはしなかったが体勢を崩し、中腰になった反動で二人同時に上を向いた。


「――むむっ」


 これまた二人同時に、今度はハモって声を上げた。


 僕と矢矧もつられて上を向き、むむっ、とこぼした。


 それは本当に盲点だった。人間の瞳は眼筋の構造上、基本的に横に動くに易くできている。縦移動は横に比べればいささか弱い。そして天井である。


 無骨に張り出した鉄柱と簡易なプレハブ板を組み合わせて作られた天井に、明らかに不自然で大きな黒い染みが広がっていた。


「これ全部、まさかの血痕かよ。やべーな。まあ、なんにしろ撮影しとこか。にしても床に滴る量が極端に少ないのはなんでやろ?」


「レジャーシートでも用意していたのでは? 百均屋で簡単に手に入りますし。第一、ハッキングの事実から何者かの介入は明らかですし」


「有り得るな。で、その必要がなくなったので、何者かが取り払ったと。んー、ちょっとモヤモヤ感が。つーかなんで天井に血ぃつける必要があるんやろ?」


「いずれにせよ、ここになんだか変なのが存在するのは確実ね。そんなわけで提案。一度、現場から離れないかしら? さっきから嫌な予感がするのよねぇ。なので、ひとまずわたしの家で今後の対策を立てましょうよ」


「幸運の二つ名を持つお前さんの予感は予言とほぼ同意義やし、従うで」


 撤退は風の如く迅速にが基本とのことで、四人と一匹は外の様子に気を使いつつも手早く倉庫から出ていった。屋外に出てすぐに全員で辺りを見回したが『幸運ラッキーガール』女史のおかげなのだろうか、人影はまったく見当たらない。


 ふう、とため息をついて、僕ら四人はまとわりついていた血臭を払うにようにぱんぱんと制服をはたく。そのうちこのニオイも散っていくだろう。


「じゃあ、わが家へ御案内ね。こっちよ、ついてきて」


 僕達は『幸運ラッキーガール』女史のお誘いに乗って、二百メートルほど南下した西通用口より彼女の住むマンションへと向かうのだった。

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