第8話 手際が良過ぎて手品の如く その1

 翌日、昼食後。文化系部室棟203号室。『探索部エクスプローラー』部室内。


 一体どうやったのか。通常なら早くても3日はかかるものを、犬先輩は謎の手腕を発揮して部を設立させ、その上で部室までちゃっかり確保をしていた。


 そんな彼の笑い声が、部屋一杯に満ち満ちていた。むっはっはっはっはっはっ。


 昨日の矢矧との出来事を、僕は犬先輩にすべて打ち明けたためだ。


「そうかぁ、俺と恵一くんが恋人関係かぁ。これはルパンダイブ事案やな!」


 仮設置のパイプ椅子に胡坐をかき、むっふふふと未だ笑い続ける犬先輩。腹を抱え、ずいぶん腹筋を鍛えていらっしゃる御様子である。


 まさかそこまで笑うとは思っていなかったので僕としては不満でならない。隣で座る矢矧は、あっけに取られたような顔だった。


「恵一くん、これは一から説明せんといかんわ。むっふふふ。矢矧ッちの中で誤解が誤解を呼んで、そのうち学園中の野郎どもがキミを妊娠させたいと願うオモシロ妄想にハッテンしかねんぞ。まあそれはそれでオモロイけどなー。うっふふ」


 こみ上げる笑気で憎たらしいくらい肩を震わせながら彼は言う。


「もう、そんなに笑わなくても。分かってますよ。そういうわけで、矢矧さん」


「は、はい」


「かなり重い話ですが、相互理解のためにも聞いてください」


 僕は矢矧のほうへ向き直り、主に双子の恵と自分との関係性について、丁寧に語って聞かせた。最後には、自分自身、未だ恵の死を受け入れられないことまで。


 正直、自分史に削除不能の恥を上塗りしているのを自覚している。こんな話を人に語るとは、どれだけ僕はトチ狂っているのか。莫迦なのか。莫迦なのだろう。羞恥系マゾヒストも御満悦のレベルである。


 矢矧はそれでも、そんな僕に腰を引くことなく聞き入り、最後は涙を流して僕の両手をぎゅっと握ってくれていた。なるほど、人が求める姿を自らの気持ちを殺してでも演じられる特異な優しさを持つ彼女なら、そういう反応にもなるらしい。


 この子、実は聖女か何かですか。


「――でも、女の子になった愛宕くんが可愛いのは揺るがない事実だし、わたしのお手伝いもしてくれるし、なんにも問題ないよね? 今度一緒に、素敵な夏服を買いに行きましょうね? 水着なんてのもいいかも。フリフリなのを買いましょう」


 絶句した。涙を拭き、まったく悪気のない顔で矢矧は言うのだから。


 どうやらこの聖女は腐女子の聖女でもあるらしい。腐ってやがる早すぎたんだ、なのである。腐女子が何かは腐れ女子で検索するればすぐに出てくるのであえて解説はしない。むしろ僕の男としての心意気が、解説を頑として拒んでいる。


「恵一くんの話で涙しながらも、条件つきとはいえ『動じない』スキル持ちか。これはこれ、それはそれってか。こいつはバランスブレイカーな凄い娘やで」


 犬先輩がニヤニヤといつもの道化顔で、足元で侍る柴犬のセトの頭を撫でてやっていた。個々の特性をスキルとして見てしまえるとは、まるでテレビゲームのキャラクターステータスでも閲覧しているかのようだった。


「恵一くんの内情は御理解頂けたと思う。ちゅうわけで次。ここに来てもらった目的、第一回部活会議を俺こと南條公平の部長権限を以って開くと宣言しまっす」


 彼の宣言で、ひとまず僕は自己の来歴を彼女に教える恥の上塗りを終了できた。


 部長は犬先輩。副部長は、僕と矢矧。

 矢矧は幽霊部員ではなく正式な活動部員としてここにいてくれている。ヒラ部員は不在。初期メンバーに役職を当てただけの部活会議だった。


「まず定義するに、探索部とはフィールドワークを良しとし、ここ、桐生学園日本ミスカトニック大学付属、ミスカトニック高等学校を中心に必ずや起こるであろう不思議や異変を実地調査、研究、可能なら解決を目指していく、やりがいのある明るくアットホームでエクスプローラーズな部であるとする」


「最後のほう、微妙にブラック企業の求人募集みたいになってません?」


「その、提案いいでしょうか」


「どうぞ、矢矧ッち」


「わたしのリボンタイを、愛宕くんのネクタイと、あの、交換したいですっ」


「はい、了承」


「矢矧さん、いきなり話を頓挫させないでくださいよ。え、本当に交換するの?」


「うん、本当。はーい、つけ替えましょうねー」


 するりと僕のネクタイを外し、矢矧は自らのリボンタイと交換させた。


「あの、これだけでも結構恥ずかしいんですけれど……」


「学園系の男の娘モノ成人漫画ってさー、たとえ制服を脱いで全裸になっても胸リボンだけはつけてるよなー。アレが女装の最低ラインなのかもしれへん」


「そう、まさにそんな感じ。愛宕くん、良く似合ってる」


「えぇ……」


 何事も諦めが肝心である。そういう風に達観しないとこの先生き残れないと、キノコる先生もおっしゃっておられる――嘘です。いずれにせよ弱みを握られた状態の僕に拒否権などない。軽く目まいを覚えたとだけ書いておく。


 それはともかく少し本道から逸れるに、ネクタイには年度ごとに固定の色があり、今年度の一年生は赤のタータンチェック柄であった。そしてこれがまた少女向けの大振りで愛らしいデザインなのだった。なお、男物のネクタイを崩して装着した矢矧は、凛々しさという観点から異様にサマになっていた。


「うむ、これは流行るな。矢矧ッち、他に提案があれば先に聞いておこう」


「いいのですか? それじゃあ愛宕くんの呼び名を、あの、その、わたし達の間ではケイちゃんにしたいですっ」


「はい、了承。じゃあ次から俺もケイって呼ぶことにしよう」


「それからケイちゃんの可愛さをより理解するためにも、ケイちゃんが女の子になったときは、普通に女の子として触れ合いたいです」


「ん、どゆこと?」


「ええと、女の子同士のボディコミュニケーションについて、みたいな?」


「あー。手洗いに行くときも二人は仲良しなサムシングってか。はい、了承」


「二人とも、それは部活動に微塵も関係ありませんよね?」


 あれよあれとよ僕という存在が改造されていっている気がする。

 ケイと呼ばれるのは家族間で慣れているので構わないけれど、ボディコミュニケーションって、あなたそれ本気ですか。


 と、そのときだった。部室扉が小気味良く三回ノックされた。


「おっと、予定通りのお客さんやな。どうぞ、開いてまっせ」


「予定って?」


「昨日のうちに学コミュを使って、知り合い全員に部の発足を案内したんや」


 準備が良いな、と思っていると二人の女生徒が部室内に入ってきた。リボンタイの色を見る。青のターターンチェック柄。共に二年生らしかった。


「まーた面白そうなこと始めたんだって? 『変態という名の紳士』くん?」


 開口一番に片方の女子が犬先輩に笑いかけた。

 くりくりしたつぶらな瞳に、少し低めの鼻、若干インスマス面。国民的アニメ、サザエさんに出てくる花沢さんを髣髴とさせる娘だった。


「さすがにその呼び方はやめーや。『幸運ラッキーガール』さんよ」


「全裸で変質者にバックドロップをカマした人がなーにをおっしゃる」


 その話は概要だけ知っている。先月の4月中ごろ、ミスカトニック校区内の女子寮に下着泥棒と覗き魔(後に同一犯と判明)が出没していたのだった。その事件解決の功労者が犬先輩で、全校生徒から尊敬と戸惑いを一身に集め、結果、ちっとも名誉ではない『変態という名の紳士』という異称が彼に贈られたのだが、さて。


「バックドロップを決めた瞬間の犬くんの息子さん、大暴れだったわねぇ」


「さらっと下ネタを組んでくるのは年頃の女の子的にどうかと思うんやが……」


 あの犬先輩を弄っている『幸運ラッキーガール』と呼ばれた女子は、初霜優美はつしもゆうみという。

 二つ名の保持者というのは犬先輩と同じく、他の一般生徒とは何かが決定的に隔絶した異能持ちの人物、という意味合いが強い。


 しかし彼女は連れ合いに過ぎず、僕たち探索部に本当に用事があったのは、もう一人の女生徒なのだった。


 先立ての花沢さん――いや失礼。犬先輩と談笑する『幸運ラッキーガール』女史に比べれば、こちらの彼女は清楚な黒髪の長髪に眼鏡、無改造の制服、万事控えめを前提とした佇まいと、まるで小説に出てくる昭和時代の女学校の生徒を見るような人物だった。


 僕は二人のために予備のパイプ椅子を用意し、席を勧める。


 すると清楚な彼女は、ありがとうございますと小さな声で謝辞を述べ、楚々と座席につくのだった。行動の一つ一つから香り立つお嬢様臭が凄い。

 ややあって、当の大和撫子さんはそっと『幸運ラッキーガール』女史の手を握っておとなしくさせ、柔らかく席へ誘導し、自然と座らせた。なんだか不思議な関係に見えた。


「初めまして、探索部の皆さん。わたくしは優実の古くからの友人で、初春晶子はつはるあきこと申します。ハルなのにアキ。なので、気軽にハルアキと呼んでくださればと思います。それがわたくしの愛称になっていますので」


「わたしは名前からユウ、または二つ名で呼んでくれて構わないわよ。ふふふ」


「愛宕恵一です。どうぞよろしく」


「矢矧文香です。よろしくお願いします」


「この流れだと俺も混じったほうが良いんかいな……?」


 自己紹介した二人は目くばせし合い、ややあってハルアキさんが再び口を開く。


「早速ですが現状から。わたくし達は徳島から来た県外の人間で、本来はこの学園へは寮暮らしの予定でした。が、ユウこと『幸運ラッキーガール』と折半して購入した宝くじが奇跡の高額当選を決め、二人で相談して彼女のお父様を後見人に、とあるマンションの一室を購入したのでした」


 なんとも羨ましくも思い切った話から部活動への依頼が始まった。ここからは要約して僕が書いていこうと思う。


 彼女ら二人の住むマンションは葛城市の染野地区に建っていて、ちょうどミスカトニック校区に軽くえぐりこむ形で立地していた。そもそもこの学園の敷地は、開校した40年前から基本的に北から南へ伸びる形で広がっているのだった。


 学区を大きく東へ迂回するように国道165号線が流れ、北は二上神社口駅すぐ傍から、南は当麻寺山門裏に至るまでの土地を確保し、校区外周をぐるりと回ると20キロは足労するかなりの規模を持っている。ゆえに校区内には無料の巡回バスが常時走っていて、学生の交通の助けとなっていた。


 そして問題はこのマンションのすぐ東側、それはミスカトニック校区西の端でもあるのだが、通称で『廃倉庫』と呼ばれる施設から最近になって夜な夜な妙な鳴き声を聞くようになったとのことだった。

 それはいかなる生物をも否定する明らかなる異声で、ときに人間の赤子のような散発的な悲鳴、根源的に恐怖をかき立てるおぞましい鳴き声がするのだという。


 もう、この時点で僕の中では嫌な予感しかしなかった。可能なら聞かなかったことにして教室に戻りたかった。そのような得体の知れないモノの調査だなんて。


「わたしは平気なんだけどね。潮崎のお爺ちゃんの先祖がインスマスの住人だったし、多少の怪異なんてね。でもハルアキは違うから、何とかならないかなって」


 頼もしき『幸運ラッキーガール』女史は言う。

 ちなみに潮崎のお爺ちゃんとは『旨くて安い』をモットーとする水産加工会社、東証一部上場の潮崎水産株式会社の二代目社長を指している。彼らは自らをギルマンではなくサハギンと称し、日々海に潜っては旨い練り物の開発に余念がないらしい。


「そんなわけで、ちょうど折り良く探索部なる学園の不思議を発見し、また、研究する部を発足させたと聞き及び、依頼に参った次第です」


 話し終わったハルアキさんは、上品に頭を下げた。

 と同時に、はらり、と黒く艶やかな髪が顔にかかった。それを『幸運ラッキーガール』女史がそっと手をやって髪を整えてやっていた。


「質問やけど、実質的な被害などはどうなん?」


 さっそく犬先輩が口を開いた。やる気は満々のようだ……。


「今のところ形容し難い鳴き声以外、特にありません。ですが、こう、芯に迫るおぞましさがありまして。正直に申しますと、夜がとても恐ろしいのです」


「なるほど、鳴き声だけだと学園側もさすがに動きが取れんな。よし、ほんなら探索部としては廃倉庫に潜む謎の存在Xを調べて、可能なら追い出すなり捕獲するなりの処理をするってことでいいんかな?」


「あ、いえ。学園側が動けるだけの材料を集めてくだされば。かの『学園の黒幕』さんならば、『姫君プリンセス』を始めとする桐生一族との太い繋がりがあるとお聞きしていますので。これを以って学園へ報告という形でお願いを」


「いやー、俺、黒幕ちゃうよ? ただの帰国子女やし。微分子工学方面での研究でちょっとだけ協力はしてるけど、それだけやから。まあ、うん、そしたらハルアキさんの期待に沿えるようにやってみよか」


「ありがとうございます、よろしくお願いいたします」


 もう一度頭を下げたハルアキさんは静かに席を立ち、そうして『幸運ラッキーガール』女史と手を繋いで部室から出て行った。しばらくして、ふうむ、と矢矧は右手を口に当てて何やら意味ありげに鼻を鳴らした。


「矢矧さん、何か気になることでも?」


「大したことではないの。ただ、あの二人、とっても仲が良いみたい」


「みたいですね」


「……」


 矢矧は何かが引っかかるのか、再びふうむと鼻を鳴らして小首をかしげていた。

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