第7話 面白くなきことを面白く その3

 矢矧文香やはぎふみかは、いた。ちょうど昼間、僕と犬先輩が食事を摂っていた辺りにぽつねんと立っていた。こちらに気づいた。無表情。あるいは緊張でもしているのか。


「や、やあ。こんにちは」


 どう話しかけたらいいのかわからず、とりあえず挨拶だけしてみる。


「こ、こんにちは……」


 矢矧もおそるおそる挨拶を返してきた。


 女子にしてみれば長身である。身長が158センチしかない僕より少なくとも10センチは高く、伏せがちな視線ではあれど、顔立ちは鋭くも凛々しく整っていて、今にも躍動しそうなスレンダーな身体つきは猫科の大型肉食獣を思わせた。


 特徴的なのは黒く艶やかな髪を結ったポニーテール。連想するのは、男装の女武士。いや、女性剣士か。日本刀の大小を腰にした袴姿などとても似合いそうだ。


 しかし交わされた挨拶から推測するに、イケメン+武闘派染みた外見に反して、内気な女の子のようにも思われた。


「……」


 沈黙が、重い。軽く1分は二人とも無言でたたずんでいる。


「――え、えと。メールでお呼びしたのは、その、ですね」


「は、はい」


 まんじりとしているのもいかがなものかと考え出したそのとき、とうとう矢矧は行動に出てきた。とたん、心臓が踊りだすような動悸を僕は覚えた。


 この違和感。いや、切迫感か。これまで不思議と意識していなかったのだが。


 僕が突然動揺したのは犬先輩が何気に口にしたひと言を思い出したためだった。


『人生に三度は来るというモテ期とちゃうか?』


 なぜ今がそれなのか、理屈はいまいち納得いかない。しかし凡愚のわが脳みそが暴走したようにその可能性をはじき出してしまったのだった。


 なぜなら、一日中じっと見つめられて、追えば逃げて、メールで人気のない屋上へ呼び出し、そして、今。コンボが四連である。まさか、まさか?


 しかしそれは、別な意味での、まさかだった。


「昨日、見ました。その、あなたを」


「え?」


 矢矧はゆっくりと近づいてくる。自分より10センチは身長の高い女の子が、猫科の肉食獣の瞳でこちらを見据えて、なぜかすり足で。


 愚かしい妄想が吹き飛ぶのを感じた。これは違う何かだと。では、その正体は。


 嫌な予感に堪らず、僕は後ずさりした。


 だが矢矧の動作はゆったりとしているにも関わらずもう目の前にいた。早い。これが身長差か。否。あのすり足は体捌きの一種だ。それは戦いの動きである。


 腕を捕まえられた。反射的に振り払おうと力を込める。だが、どういうわけか上手く力が入らず、ほとんど腕が動かない。つまり、逃げられない。


「あれは、愛宕くん、だよね?」


「何を……」


「あの可愛い女の子は、愛宕くん、だよね?」


「なっ!」


 見られていた。見られていた!


 昨日、半睡して寝ぼけたまま、恵の格好で犬先輩の訪問応対にうっかり出てしまった、あの、わずかな時間を!


 なんて、間の悪い。目の前が真っ暗になりそうだった。先輩のみならず、こんな知らない女の子にまで目撃されてしまうとは!


「あ、あの。顔色、大丈夫?」


 大丈夫なわけがないだろう。思わず八つ当たりしそうになる。


「あれは僕には必要な儀式だったんだ。……それで、何が言いたい?」


 勤めて冷静に言葉を紡ぐ。ただその言葉尻にはトゲが隠しきれていない。この女性剣士のような少女は僕に何を要求しようとするのか、ひたすら恐ろしかった。


「その、ごめんなさい。だけど、あ、あなた……だったから」


 なぜかとても申しわけなさそうに矢矧は僕に謝った。


 しかし謝罪はすれど捕らえた腕を放しそうにない。どうやら彼女は武術の心得があるらしく、軽く掴んでいるようで、実際には重心移動を絡めた梃子の原理でがっちりと腕を固定して逃走を封じ込めていた。


「わたしの実家は兵庫県は神戸にあって、それでミスカトニック高等学校附属の寮生活をしていて、だからこの辺りの土地勘がまったくなくて。そ、その、入学してからはスマホの地図アプリを片手に歩いて少しずつ土地を覚えるようにしていたの。そうしたら、たまたま、愛宕くんの家の近くに来て。わあここが、と思っていたら『ミスカトニックの悪戯者』があなたの家に訪問してきたの」


 要領が掴めないが、どうやら矢矧は必死で昨日の出来事を彼女視点で説明しているようだった。それはまるで僕に対する言いわけのようにも聞こえた。


「それで、愛宕くんが可愛い女の子になってて、急いで彼を家に押し込んで」


「何かを一生懸命に伝えようとしているのはわかります。が、もう少し要点を掴ませてくれると嬉しい。後、少し話は変わるけど、何か武道や武術の心得が?」


「う、うん。家の伝統で、阿賀野流戦国太刀という介者剣術――古武術を、多少。可愛くないし、本当は習いたくなかったのだけど」


 なかなか聞き慣れない武術の系統だった。何にせよ僕より彼女のほうが物理的優位にあるのは間違いない。となれば、どうするべきか。


「約束する。絶対に逃げないから、その手を離してくれないかな」


「えっ、あっ、ごめん。痛かった?」


「痛くはないけれど、まるで捕らわれているような気持ちが」


 猫科の大型肉食獣に身体を前足でふんじばられて、喰われる寸前というか。


「腕、見させてもらっても?」


「いえ、大丈夫です。繰り返すけど、痛みはありませんから」


「そう……」


 どうもお互い微妙な立場にあるようだった。理由は見当もつかないが、昨日の僕の女装をネタに強請る目的ではないらしい。


 どちらかというと、恥を忍んで何かを僕にお願いするつもりでいるような、そんな低姿勢すら感じられた。


 なので、僕は、悪いとは思いながらも自己保身のために、やむなくその微妙さを利用して話の主導権を奪うことにした。


 現時点で僕に課されたタスクは、サッと思いつくだけで三つある。


 一、矢矧の口止め。もちろん昨日の僕についてである。

 二、そのために矢矧が求めているものを叶えてやらねばならない。

 三、その後、ずるずると弱みを盾に関わってこないよう対策を立てる。


 彼女の拘束から解かれた僕は、数歩下がってからわざといかにも男らしく胡坐をかいて座り、その上で矢矧にも適当に座るよう勧めた。


「やっぱり、その格好だと胡坐なんだね……」


「これでも男だから。矢矧さんみたいに女の子座りはちょっとできないかな」


「う、うん。それで、あの。覚えてる? 入学して次の日の、毒ガス事件のこと」


 昨日の出来事についてだったはずが、4月始めに犬先輩がやらかした魔導書暗唱事件(表向きはミスカトニック高等学校体育館ガス漏洩事件)に話題が飛んでいた。


「あのとき一年生で無事だったのが、わたしと愛宕くんだけだったの」


「言われてみればそうだったね」


「あの事件から、愛宕くんとはただの同級生とは思えなくなって」


「えっ。あ、うん」


「その、愛宕くん。怒らないで聞いて欲しいんだけど、凄く、可愛くて」


 女子が同級生の男子に対してその台詞は、最大級の侮辱に相当しますよ。かろうじて突っ込みを堪え、僕は目を閉じて、そう、とだけ返した。


「ずっとあなたのことが気になってて。でも人前でお話しするのは恥ずかしくて。今まで周りが求めてきたイメージも壊したくなくて」


「周りが求めてきたイメージ?」


「わたし、見た目がこんなだから。中学は全寮制の私立女子中学校だったんだけど、『寡黙な王子様』って皆に慕われて、凄い内容のお手紙貰ったり」


「それってもしかしてラブレター的な?」


「まさに、月夜の百合が官能をわれと匂い立たせるかのように」


「し、詩的ですね……?」


 外見が高身長の凛々しい女性剣士風で、さらに周りの求めるイメージに応えて無口さも演出していたと。


 なぜそのような事態に至ったのかは知るべくもないが、わざわざ『見た目が』と断言する辺り、ともかく内面さえ隠し通せれば女子だけの閉鎖環境下でならなおさらだろう、下手な美男子よりもよほど女子にモテそうなのは理解できる。


「それで、昨日、可愛い女の子の愛宕くんを見ちゃって、も、もう、溢れ出る気持ちが抑えられなくなってしまって」


「あ、うん。……うん?」


「本当に可愛くて、目に焼きついたようになって、気持ちに抑えが……っ。むしろ爆発寸前……っ。だから、らしくないとか、恥ずかしいとか、どうでもいい。蛹から蝶になるように、わたしは自分の欲求に、正直に……なる!」


 あれ? あらあら? 彼女の様子が、これは。


 矢矧の猫科の肉食獣を思わせる目つきがうっとりと、妖しい紫色に染まり始めた。僕はそんな彼女の様子に、若干、腰が引けそうになった。


「愛宕くん。まずは、わたしとお友達になりましょう」


「は、はい」


「それで、あなたの秘密を知ってしまった代償に、わたしの秘密を告白します」


「えっ、そんな」


「後々のためにも相互理解は大切だと思わない?」


「なんだか、すでに理解の次元を軽く超えているんですけれど……」


 というよりその積極性がどうにも対処不能というか、怖い。


「わたしだけ秘密を抱えたままだなんて、ああ、王様の耳はロバの耳になりそう」


「わかりました、わかりましたから。こっそりと大声で吹聴だなんて」


「ありがとう、愛宕くん」


 捨て身なのか脅しなのかその両方か、矢矧は目の色を妖しく変えたまま、頷く僕に柔らかく微笑んだ。あまりの迫力に圧倒されそうだ。イケメン系女性剣士かと思ったら、そんなことなかった。これが彼女の地の部分であるらしい。大型肉食獣改め、まるで擬態する捕食者。そう、プレデター矢矧。狩りの時間である。


「では告白します。実は、その、わたしはオトコノコに目がありません」


 ド直球。時速で言うなら160キロ超えの大リーグボール。これはフォローを入れないと僕自身が彼女に呑まれてしまいそうだ。


「お、女の子なら男子が気にかかるのは、別に普通では?」


「えっと、その。わたしの言うのは、男の娘と書いて、オトコノコ、なんです」


「えぇ……」


 ド直球に見せかけて、実は消える魔球でした。僕としては動揺を隠せない。あまりにもニッチかつピンポイント。捕食者の好物はまさにオマエ、と表明していた。


「ただ、同時に、わたしは可愛い女の子にも憧れています。なぜならそれは手に届かぬ高嶺の花。自分には乙女チックな白のワンピースなど想像つきません」


「そんなことは、うん、ないと思うけれど……」


「愛宕くんはそう思ってくれるんだ。でも、現実は非常だった」


「……」


「愛宕くん。わたしとあなたは、もうお友達です」


「え、ええ。そうですね」


「互いが互いに、社会的致命傷を与えかねない秘密を共有しましたね?」


「相互理解は類を見ないほど急激に深まるでしょうね……」


「ならば早速、ひとつ、わたしのお願いを聞いてもらえませんか」


「は、はい。どうぞ、おっしゃってみてください」


「あなたのように、可愛くなれる方法を、教えてください」


「……はい?」


「周りのイメージを壊さず、外面がダメなら内面から可愛くなれる方法、です」


「う、うん?」


「女の子には訊けないけれど、わたしの秘密を知る『女の子の』愛宕くんなら、わかってくれる、よね? だって、誰よりも可愛い男の娘なんだから」


 これはどうしたものだろう。なんだか無性に腹が立つやら、目まいがするやら。SAN値がガリガリ音を立てて削れて行くような、この始末におえない現実を。


 今日二度目の視界の暗転を感じ、もうダメ逃げたい、と僕は思った。思うだけで、どうせ逃げても『しかし、まわりこまれてしまった!』となるのは火を見るより明らかだろう。そもそも、僕は彼女に逃亡しないと約束してしまっていた。


 先ほど立てた三つのタスクは棄却。


 無理やりにでも気持ちを奮い立たせねばならない。


 矢矧の目の色は妖しい紫色に変化すれど、その瞳の奥底にあるのは必死の気持ちが七転八倒しているようにも見えなくはない。考えてもみよ、僕を玩弄したいだけなら自己の語り難い秘密など暴露する必要はないのだ。となれば、これは。


 矢矧文香は、僕と対等の立場になりたがっている?


 なぜ、どうして?


 この、必死にすがりつくような瞳の真意は。好みの男を捕食するようで、その実、裸一貫で助けを求めるような、二律背反とも言うべき得体の知れない真剣な気配の正体は。異形ではあれど、まさか恋の……いや、本当にまさかのまさか。


「……矢矧さん」


「は、はい」


「僕については、後ほど、よくお話ししましょう。その上で、内密にしてくれるというなら、矢矧さんの願いを叶えられるよう僕は可能な限りお手伝いをします」


「せっかく掴んだ至宝を手放す真似なんて、できるわけないわ」


「というかこれはもう、友人というより共犯者ですよね。どんな過ちを犯しているかはともかく、僕らの関係は確実に歪んでいる。だって、皆まで言わずとも、そうでしょう? なので、二人は共犯者、ということで契約を」


「はい、共犯者、ということで契約を」


 僕は立ち上がり、矢矧に手を差し出した。矢矧はためらいがちに、僕の手を握った。武術の心得があるにしては、そのたおやめぶり、細く繊細な指先だった。


「あっ、そうだ。今度犬先輩が部を立ち上げるつもりでいるのですが、それが僕も強制参加らしくて。よければ幽霊でもいいので部員になってもらえませんか」


「い、いいの? わたしなんかで、二人の仲の邪魔になったりしない?」


「……? いえ、別に邪魔になんてならないかと」


「だって昼間もここで抱き合って、キス、してたよね? こう、お姫様抱っこで優しい感じにお互いの愛情を確かめ合っていたし」


「してません。確かに横抱きはやられましたけれど。キスまでは」


「大丈夫。絶対に言わない。アレな人だけど稀有な美少年の彼と、女の子になれる愛宕くん。うふっ、うふふ……薄い本が分厚くなる……。これで滾らないわけがない……。その関係、女子の間では確実に需要あるから……っ」


「えぇ……」


「愛宕くん。一緒に女の子、がんばりましょうね……っ」


 ここで極めて良い笑顔で話す矢矧を見て、僕は後悔に近い多難さを感じた。

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