第4話 カオスよ、世界に届け! その3

「恵一くんが可愛いくて、なんか俺が超辛い」


 胸のうちで、盛大に僕はずっこけた。


「僕、男の子ですよ」


「はいっ。僕、男の子ですよ頂きましたっ。うひょーっ、やったぜっ。最近になって世間に認知されてきた男の娘おとこのこモノの漫画とかでの定番台詞だぜ! 俺、感動!」


「……もう」


「個人的にやけどさ、アレよ。気が済むまでやったらいいんとちゃう? これだけ似合っていたら誰も変に思わん。男の娘もまたイイもんや。むしろ積極的にするべし」


 犬先輩は出されたお茶をぐっと飲んだ。そして一口まんじゅうの封を切って中身を半分に割り、柴犬のセトと分け合って食べた。


 話はひとまず決着を迎えた形に――同時に、僕は根本的な疑問が頭に浮かんだ。


「犬先輩は今日、どんな用事でうちへ来てくれたんですか?」


「ああ、うん。……アレ、なんやったっけ?」


「えぇ……」


「思い出した。アレや、うん、たぶん。恵一くんここ2日ばかし休んでるやん。俺のタブレットから二日分のノートのデータ、コピーさせたげよって思って」


「えっ、いいんですか?」


「クラスメイトやん、別に遠慮はいらんで。そもそも恵ちゃん経由で知らん間柄でもないし。ここまで超絶可愛らしく変装できるとは思ってもみんかったけど」


「あははは……」


 僕は羞恥心を笑って誤魔化して膝上の猫たちを降ろし、少し失礼して自室から自分のタブレットを持ってきた。当校では4年前の2015年より、テキストやノートを廃止して折りたたみのできる高性能な二面式タブレットを使って授業を行なっていた。


 僕はWi‐Fiで犬先輩とネット接続し、クラウド内からデータを呼び寄せて2日分の授業内容をすべてコピーさせてもらう。内容を確認する。かくして飛び級で既に院卒までした彼のノートデータは驚異的なほど丁寧で、パッと見ただけでも理解できそうな内容に仕上がっていた。


「これは、凄い……」


「え、そうか?」


「読み進めるだけで学習が自然となされていくような。まるで魔法みたい」


「まー、こう見えて俺は『自称最強万能魔術師』やからな。うはは」


 照れ臭そうに笑う犬先輩。ちなみに自称最強万能魔術師は、イプシシマスと読むらしい。……変な読み方である。


 それはそれとして、頭が凡愚の僕などと隔絶しているというか、さすがだった。


 すべての用事を済ませた犬先輩は立ち上がり、うぅん、と背伸びをした。柴犬のセトも立ち上がり、前かがみ気味にぐぅっと背伸びをする格好をする。彼と愛犬の共時性が、妙に微笑ましかった。


 そして、まるで不意打ちのように、彼はとある質問を投げかけてきた。


「――仮に、の話やけどな。もし、恵ちゃんを害して逃げたやつがどこの誰か、警察よりも早くわかったら恵一くんはどうしたい?」


 僕は、言葉に詰まった。


「いや、仮の話や。すまんな、俺も悔しいんや。犯人逃げくさってからに」


「コソコソ隠れている犯人を警察より早く見つけたら、ですか」


「うむ」


「殺します」


「……そうか」


「ええ、必ず殺します」


「……そうか」


 微妙な沈黙が僕と犬先輩の間に漂いだした。


 しまった、と後悔した。思わず過激な本音を漏らしてしまったことに。


 が、犬先輩はニコッと希少宝石アレキサンドライトのような微笑を浮かべ、バンバンとちょっと痛いくらい肩を叩いて親指を突き出し、サムズアップした。


「どうせやるなら社会的にも、もしかくまっているヤツがいたらそいつも、完膚なきまで破滅させてやろうぜ! SAN値直葬、カオスよ世界に届け、や!」


「は、はい……うん? カオス?」


「よぉし、そしたら俺は帰るわ。明日は学校に来いよ。一緒にアホなことしよう」


「はい」


 言い残して犬先輩は帰っていった。


 確か彼の自宅はミスカトニック校の南東方面、近鉄当麻寺駅のごく近所にあるらしいのだが、もっと近くて、しかもそこそこ美味しい食事も出る大学区内の職員用寮で寝泊りしていると、入学後しばらくして何かの折に聞いた覚えがあった。


「――ふふっ」


 僕は彼との会話を思い返して苦笑と恥ずかしさを覚えた。面倒くさいヤツ、と思っていた人は意外なほど良い人だった。そしてやっぱり、変人だった。


「変な人だけど、超がつくほどの美少年で、やっぱり変な人……うふふ」


 芸術の神か美の悪魔に祝福でもされたかのような美少年で、ただし喋りはひと癖もふた癖もあるコテコテの似非関西弁である。


 なるほど『残念なイケメン』の二つ名は伊達ではないらしい。


「男の娘、むしろ積極的にするべし、か」


 どんな形であれ、人に認められるのは嬉しいものだった。これを承認欲求を満たすと考えていいのかは分からない。ただ、嬉しいものは嬉しいのだった。


 今日はもう恵のブレザーを着たままに、父にも今の僕を見てもらおうと考えた。


 父がどういう反応を見せるだろう。おそらくこれまでの自分たち双子の生活を知る以上、黙ってを受け入れてくれると思うのだが。

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