繋がったら…忘れられなくなったから…
会社に戻った郷は社長室で書類を見ていた。
プルル
電話が鳴った。
「はい」
(社長、笠原先生がいらっしゃいました)
「通してくれ」
受話器を置くと、郷は覚悟を決めた表情を浮かべた。
しばらくして。
コンコン。
ノックの音に、郷は嬉しそうな顔をしてドアを開けた。
やって来たのは茜だった。
「急に呼び出してすまなかったね、どうぞ入ってくれ」
「失礼します」
郷に招かれ茜はソファーに座った。
「忙しいのに、急に呼び出してすまなかった。どうしても、話したいことがあってな」
「なんでしょうか? 私に話しとは」
いつもと変わらない目をして郷を見る茜。
その目を見ると、郷は胸がいっぱいになった。
言葉より先に、郷は膝をついて茜に頭を下げ土下座をした。
「ちょっと、なんの真似ですか? 」
「すまない、私を許してほしい」
「え? 何故謝るのですか? 」
「秋斗君の事だ」
え? と、茜は茫然とした目をした。
「秋斗君と君を無理やり引き割いたのは、私だ。5年前、娘の雪乃が乳がんで余命宣告されていた。交際していた男性との間に授かった子供がお腹にいて、雪乃は産むことを決めた。だが、出産すれば雪乃は余命がないと言われた。余命宣告された雪乃は、残された時間を子供と一緒に家族と言う形で過ごしたいと望んだ。その時、秋斗君の事が目に入って。この人と一緒に残りの時間を子供と過ごしたいと望んだ。だから当時、秋斗君が母親の手術代や父親の施設費用に、高額なお金が必要だと知って。お金を渡して、秋斗君に雪乃と契約結婚してもらったんだ」
茜は最後に秋斗が「他に好きな人ができた」と言った時の事を思いだした。
秋斗は遠い目をしていた。
好きな人が出来たわりには、どこか遠い目をしていて心がここにないようだった。
茜はギュッと拳を握り締めた。
「全て私が悪い。娘の最後の願いを叶えてあげたくて、お金で秋斗君を縛り付けたんだ」
「…どうして私に謝るのですか? 」
「雪乃が見ていたそうだ。君と秋斗君が、結婚する話しをしていたところを」
「それでは全部知っていて、彼をお金で無理やり縛り付けたわけですか? 」
「そうゆう事になる。許してもらえないのは、承知している。だが、秋斗君は何も悪くない。だから、私の事は恨んでも構わない。だが・・・秋斗君の事は許してやってほしい。彼は両親を護るために、私と雪乃の言いなりになっただけなんだ」
溢れそうな涙を、茜はグッと飲み込んだ。
「顔を上げて下さい…」
郷はゆっくりと顔を上げた。
「私、彼の事を恨んでも憎んでもいません。彼との事は…もう、終っているのですから」
「終わっていいのか? 」
ん? と、茜は郷を見た。
「終わらせていいのか? 君は、まだ結婚していないね? 」
「そんな事、貴方に関係ないじゃないですか」
「だが、結婚していないのに。君には子供がいる。北斗君という可愛い子がいるじゃないか」
「それが、どうかしました? 」
郷は茜の傍に行き、そっと手を取った。
「北斗君…。あの子は、秋斗君の子供じゃないのか? 」
「何言っているですか? そんなわけないじゃないですか! 」
「だが北斗君は、秋斗君と似ている。一緒にいるところを見ると、本当にそっくりだった。秋斗君も、北斗君をとても気にしていたよ」
「違います。全く関係ありません」
郷の手を振り払い、茜は立ちあがった。
「お話しはそれだけですか? だったら私、帰ります」
「茜…お前は、私の実の娘だよ…」
そう言われると、茜はそっと目を伏せた。
「知っていました。もう、5年前から」
「知っていたのか? 」
「試験を受ける前に、戸籍を見たんです。私は母の連れ子になっていました。それに、母が貴方の写真を持っていました。だからきっと、貴方が本当の父親なんだって思っていたんです。…でもなにも望みませんから。もう、私とは関わらないで下さい」
それだけ言うと、茜は出て行った。
「茜…」
郷は力なくソファーに座った。
社長室をでて茜が歩いてくると、前方から秋斗が歩いて来た。
秋斗が歩いてくるのに気付き、茜は俯いた。
泣きそうな顔を見られてはいけないと思って…。
目を合わせないように通し過ぎようとしたが…。
「こんにちは」
優しい声で秋斗が声をかけてきた。
俯いたまま茜は頭を下げた。
様子がおかしいのに気付き、秋斗は茜を覗き込んだ。
「どうかしたの? 」
「いいえ…」
平然を装って答えた茜。
「ちょっと、来て」
秋斗は茜の手を引いて、副社長室へ入って行った。
その様子を、後から追ってきた郷が見ていた。
副社長室に入ると、茜はギュッと口元を引き締めて黙ってしまった。
「どうしたの? 何かあったの? 」
聞かれても茜は答えなかった。
「そんな顔しているときは、よっぽど辛いことがあったんだって分かるよ。社長に、何か言われたの? 」
ブンブンと茜は首を振った。
秋斗はそっと、茜を抱き寄せた。
驚いた茜は、秋斗を突き放そうとしたがギュッと強く抱きしめられていて離れることが出来なかった。
「いいから。しばらくこのままでいて。…僕も、落ち着くから…」
茜は黙ったまま、秋斗に抱きしめられていた。
「ごめんね…」
しばらく黙っていた秋斗がぼそりと言った。
「僕はずっと茜を傷つけている。…ずっと、この5年間。自分に嘘をついているから。…」
秋斗はそっと、茜の頭を撫でた。
「最後に言ってくれたよね? 自分を大切にしてほしいって。そして、自分には嘘をつかないでって言ってくれたよね? 」
「…覚えていたの? そんな事」
「忘れないよ。茜が僕に残してくれた、大切な言葉だから。その言葉がずっと、頭から離れなくて。…でも、いつ、当の自分に戻ればいいのか。いつ、自分に正直になればいいのか判らなくなってしまったんだ」
またギュッと、秋斗は茜を抱きしめた。
「北斗君が僕に思い出させてくれたよ、自分に嘘ついてはいけないって」
「北斗が? 」
「ああ。…北斗君、前にうちに遊びに来た時。お父さんの事は、知らないって言っていたんだ。それに思い出したよ」
そっと体を話して、秋斗は茜の左手をとった。
「この指輪。…僕が茜に、贈った婚約指輪でしょう? 」
そう言って、秋斗は指輪を外して内側を見た。
秋斗の言った通り、指輪の内側には秋斗から茜に送った誓いの言葉が刻まれていた。
「やっぱりそうだったんだ。…有難う、大切にしてくれて」
そう言って、秋斗は茜の左手の薬指に指輪をはめた。
茜は俯いて、何も言えなくなった。
「北斗君は僕と茜の子供…だよね? 」
否定しなくてはいけない。
でも茜は首を横に触れなかった。
少し観念したように、茜は頷いた。
「そっか…」
秋斗の目が潤んできた。
「有難う産んでくれて。そして、あんなにいい子に育ててくれて」
「…ごめんなさい。貴方に、迷惑はかけませんから」
「何を言っているんだ? 誰が迷惑だと言っている? 」
「だって…」
茜の声が上ずった。
「茜、もう嘘は終わりにしよう」
秋斗はそっと、茜の手をとった。
「茜の事を忘れるって言ったけど。忘れる事なんて、絶対できない。この5年間だってずっと、忘れた事なんてなかったよ。それにね、この前、茜の事を抱いた時気づいたんだ。僕にはこの人しかいないって。心も体も満足する人って、探したって出会えない確率が高いと思うけど。僕は、心も体も満足する人に出会えた」
「でも私…」
「バーティスと結婚しているって。あれは、嘘だよね? 」
茜はギュッと唇を噛んだ。
「指輪を見たからじゃないよ。茜を抱いたら分かったよ。僕以外の人の事、受け入れていないって。それにね、もう、バーティスに聞いているよ。茜とはただの同僚で、何どもプロポーズしたけど断られたってね」
え? っと、茜は秋斗を見た。
「どうして知っているか? って言いたい? 」
茜は頷いた。
「偶然ね、バーティスと会ったんだ。彼は宗田ホールディングのアメリカ支社の顧問弁護士だろ? 僕の顔は知っていたようだよ。声をかけたら「やっと声をかけてくれた」って言ってくれて。とっても気さくに話してくれたよ」
「バーティスが…話したのね、全部」
「ああ。でも、バーティスは僕が自分に正直になれるまで、茜の夫を演じているって言ってくれた。だから、茜には黙っていたんだ」
「そう…」
「でもね、指輪を見た時なんか変だと思っていたんだ。見覚えあったし、結婚指輪にしてはちょっと違う気がしてたから」
茜はフッとため息をついた。
「バーティスもお喋りなのね」
「とっても良い人じゃないか、茜の事ずっと見守っていてくれているんだよ。だから彼の事、安心させてあげよう」
「…少し、時間をもらえる? 今日は、一度に色々ありすぎて。頭が混乱しているの。…答えはもう自分の中ではでているんだけど、まだ、頭がついてこれていない感じなの。5年間の蓋が一度に開いてしまって。…北斗にも、ちゃんと話をしなくちゃいけないし」
「分かったよ。茜がちゃんと、答えを出せるまで待つ。でもね、僕の気持ちはもうブレないよ。それだけは信じて欲しい」
「ええ、分かったわ。有難う…」
少しだけ茜の表情に笑顔が戻った。
その後、秋斗は茜を1階まで送った。
茜が帰った後、郷が降りてきた。
「秋斗君」
「社長」
郷が歩み寄ってくると、秋斗はいつもより厳しい顔をした。
「社長。…笠原先生に、何を言ったんですか? 」
「はぁ? 」
「さっき、社長室から出てきたらとても傷ついた顔をしていました。何も話してはくれませんでしたが。何を言ったのですか? 」
いつも穏やかな口調の秋斗が珍しく怒っている。
「ちょっと待ってくれ。その事は、帰ってからちゃんと話す。そんなに怒らないでくれ」
「彼女を傷つける事はしないで下さい。もし、今後も何かあれば。僕はいつでも、ここを去ります」
大切な人を傷つけられて怒っている秋斗を見て、郷は胸が痛んだ。
「大丈夫だ、そんなことしないから。でも、ちゃんと話をさせて欲しい。私は、彼女の幸せを願っている。それが、雪乃の願いでもあるあからね」
「…分かりました」
まだ半分怒っている表情のまま、秋斗は去って行った。
そんな秋斗を見て、郷は昔の秋斗に戻ったような気がした。
その頃、保育園迎えを待っている北斗と幸弥は2人で内緒話をしていた。
「北斗君。僕と、ずっと一緒にいたくない? 」
「ずっと一緒って?」
「うーん。あのさ、僕、お母さんが居ないから。北斗君のお母さんが、僕のお母さんになってくれたらって思ったんだ」
「僕のお母ちゃんが、幸弥君のお母ちゃんになったら。僕のお母ちゃんは、いなくなるの? 」
「違うよ。北斗君のお母さんは、北斗君のお母さんのままだよ」
ん? と、北斗はちょっと判らない顔をした。
「だから。僕のお父さんと、北斗君のお母さんが結婚したらいいって事だよ」
「幸弥君のお父さんと、僕のお母ちゃんが結婚したら。幸弥君のお父さんは、僕のお父さんになるの? 」
「うん、そうゆう事だよ」
「それならいい! 僕、幸弥君のお父さん大好きだもん」
「だろう? 僕も、北斗君のお母さん大好き! 」
「でも、どうしたら僕のお母ちゃんと幸弥君のお父さん、結婚してくれるの? 」
「うーん…」
幸弥は考え込んだ。
「そうだ! 2人でお願いしてみるのはどうかな? 」
「え? 」
「僕は北斗君のお母さんに、僕のお母さんになって下さいってお願いするから。北斗君は、僕のお父さんに、お願いしてくれないかな? 」
「うーん。いいよ! 」
「決まりだね、じゃあ…」
幸弥は耳元でヒソヒソと、北斗に話しをした。
「うん、分かった。そうしよう」
顔を見合わせて、2人はニコっと笑った。
この日は幸弥も北斗も普通にお迎えに来てもらって、何も変わらないまま帰って行った。
なにか2人だけの秘密の約束をしたらしいが今は内緒らしい。
それから3日後。
茜は母霞の病院へやって来た。
先日郷から聞かされた話を霞に話した茜。
「そう。全部聞いたのね」
「うん。正直言って、ショックを受けなかったわけじゃないの。お父さんの事は、知っていたから」
「茜がショックを受けたのは、秋斗さんの事? 」
「うん…」
ギュッと、拳を握り締める茜。
「彼がそんなに、ご両親の事で大変だった事に。私、全く気付いてあげられなかったから…。いつも、とっても優しくて。彼は一言も、お金に困っている事も言わなかったの。婚約指輪だって、お金を気にしないで買ってくれて。…ただ、別れるときに高額な慰謝料なんかは、払うお金はないから指輪を代わりにって言っていたくらいで。私がもっと彼の事、気づいてあげられたら。こんな結果には、ならなかったのかな? って思ったりしたの」
霞はそっと、茜の肩に手を置いた。
「茜。もう自分を責めるのはやめなさい。誰も悪くないの。ただね、みんな自分が選んだ道を頑張って来ただけ。それが、自分に嘘をついている選択だったとしてもね」
「それは分かるの…」
「じゃあ、許してあげましょう。自分の事も、相手の事も。こうやって、離れていてもお互いが巡り会ってしまう。そして、また愛し合ってしまうのは。運命で繋がっているからよ」
「運命で? 」
「そう。間違った選択をした道を歩いて来た時間、その時間は決して無駄じゃないわ。そこで学んだ事も沢山あったはずよ。貴女は、その中でも北斗という宝物をもらったでしょう? そのおかげで、きっと、また秋斗さんにも会えたと思うの」
茜は北斗を身ごもった事を知った時の事を思いだした。
弁護士の試験に合格して、これからだと思った時。
茜は体調の変化に気付いた。
月のものが来ていない事を知って、もしかしてと検査してみると陽性反応が出た。
産婦人科に行くとすでに四か月目に入っていると言われて茜は驚いた。
間違いなく秋斗の子供だった。
だが秋斗は別の人を選んで結婚した。
そんな秋斗に何も言えないと茜は思った。
一人で産む決意をした茜は霞にだけは本当の事を打ち明けた。
霞は茜の味方で全面協力してくれた。
遠い北の地で茜は北斗を出産した。
それから北斗が4ヵ月になったときに、茜は北斗を連れてアメリカに渡って国際弁護士への道を目指した。
国際弁護士になり茜が日本に戻って来たのは、北斗が4歳になった頃。
日本で事務所が決まり、普通に働いて平凡に暮らしていくつもりだった茜だが。
突然、宗田ホールディングの顧問弁護士を頼まれ秋斗と再会した。
顧問弁護士くらいなら、秋斗と会う事もそれほどないと思っていた茜だったが。
偶然にも北斗と秋斗の子供幸弥が同じ保育園だった。
まるで再会することが導かれたような流れに思える茜。
「お母さん、自分に正直になっていいのかな? 」
「もちろんよ。私も自分に正直になると決めたの。だから茜も、幸せになりなさい。お母さんは、反対しないから」
「有難う、お母さん。北斗の気持ちもあるから、少し話してみる。北斗には、お父さんの事は何も話していないから」
「そうね。でも、きっと大丈夫よ」
霞に励まされ、茜は背中を押してもらった。
病院を後に茜が歩いていると。
茜の携帯電話が鳴った。
「はい、もしもし」
(すまん、私だ)
郷からの電話だった。
(時間をとらせて悪いが、少し話がしたい)
「私もお話ししたいと思っていました」
(本当か? )
「はい」
(じゃあ…)
「今から、お伺いしても宜しいでしょうか? 」
(ああ、大丈夫だよ。待っている)
「はい」
電話を切った茜は、なんだかスッキリした顔をしている。
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