第4話 本当の自分に戻る時
翌日は変わらない顔で朝を迎えた。
北斗と幸弥はお風呂に入らず寝てしまったため、朝風呂に入った。
幸弥が北斗の体を洗ってくれて、子供同士仲良くお風呂に入っていた。
朝ご飯が用意されて幸弥は大喜びしている。
ご飯とお味噌汁、そして卵焼きとウインナーが焼いてある。
シンプルな朝ご飯を喜ぶ幸弥がかわいい。
北斗も沢山食べてごきげんだった。
「こんな朝ご飯初めて。いつもうちは、パンだから」
幸弥が言った。
「そうなんだ。うちは朝はご飯なの。パンだとお腹すいちゃうからね」
「うん、ご飯の方がお腹もいっぱいになるね」
楽しい朝ご飯。
秋斗は茜の事を忘れると言った。
茜も秋斗の事を忘れると言った。
それはもうお互いに愛を感じないようにすると言う事。
でも・・・
茜の心には、前よりも秋斗への想いが募っていた。
しかしその想いは封じようと決めた。
お昼からは茜は北斗を病院に連れて行くと言った。
幸弥と秋斗はそのまま家に帰ることにした。
幸弥と北斗はまた保育園で会えるね、と喜んで手を振った。
だが秋斗と茜は、子供を通して会う事があっても、そこにはもう何も感情を持たない事にすると約束した。
夕方になり、秋斗と幸弥が家に帰って来ると紗矢が出迎えてくれた。
「幸弥お帰り。楽しかった? お友達の家は」
「うん、ご飯も美味しかったよ」
「それはよかったね」
「お帰り秋斗君」
郷がやって来た。
「すみません、突然外泊して。幸弥が寝てしまったので」
「いいよ、今まで外泊もしなかったんだ。これからも、遠慮することなく外泊しても構わないよ」
「そう言ってもらえると、嬉しいです」
郷はじっと秋斗を見ていた。
秋斗の顔が前より嬉しそうで、笑う顔も自然になっていた。
そんな秋斗を見て、郷はなんとなく何かを感じた。
「秋斗君。ちょっと、話しがあるんだ」
「はい、なんですか? 」
郷は秋斗を自分の部屋に呼んだ。
ソファーに座ると、郷はまたじっと秋斗を見つめた。
「秋斗君、何かいいことでもあったのか? 」
「はぁ? 」
「いや、とても良い顔をしているから。その顔は、5年前と同じだ。雪乃との結婚を決めていなかったときの、君の顔と同じだ」
秋斗はそっと視線を落とした。
「秋斗君。そろそろ、契約は終わりにしたいと思っているんだ」
「え? 」
「幸弥がすっかり君になついてしまって、離れられなくなってしまったようだな。本当は3年だったのに、気づいたら5年も経っていた。もうすぐ、雪乃の3年忌もくる。もういいだろう? 君も自由になってほしい」
「それは、僕に雪乃さんと離縁しろと言っているのですか? 」
「離縁も何も、雪乃はもう亡くなっている。死別している状態なんだ。だから君が、望む人が居るなら再婚しても構わない。私はどんな人でも賛成する、これは紗矢も同じ気持ちだよ」
「それは嬉しいのですが。・・・僕は、幸弥を育てる義務があるので…」
「好きな人が居るんじゃないのか? 」
図星を指されて、秋斗は黙ってしまった。
「いや、もうずっと前から知っていたよ。雪乃が亡くなる前に言った。君には、結婚を約束していた人がいたと。自分が死んだらもう、自由にしてあげて欲しいと亡くなるまでずっと言っていたんだ。だから、もう君は自由になっていい。幸弥を育てる義務は、もう君に強制はされない。君と雪乃は、籍は入っていないからな」
「はぁ? どうゆう事ですか? 」
郷は婚姻届けを見せた。
それは雪乃と秋斗の婚姻届け。
日付は5年前になっている。
「これはずっと私が持っていた。雪乃がそうしてほしいと言ったんだ。君は私と紗矢の養子になっているだけだ」
「じゃあ幸弥は? 」
「幸弥は雪乃が一人で産んだことになっている。戸籍上は君とは伯父と甥っ子の関係になる」
秋斗は思いだした。
雪乃が結婚式はしない、入籍だけでいいと言った事を。
秋斗の両親が来れない事もあったが、雪乃が妊娠していて、着られないドレスが多い、着物もきゅうくつで嫌だと雪乃は言った。
身内だけで食事会みたいにお祝いをした。
妊娠している事もあって、雪乃は一度も秋斗に関係を迫って来なかった。
同じ部屋で寝ていても、ベッドを2つ置いて別々で寝ていた。
幸弥が産まれてからは、雪乃はずっと闘病生活で。
亡くなるまで夫婦らしいことは一切なかった。
雪乃は亡くなる寸前に秋斗に「有難う」と言った。
契約結婚に対してのお礼だったのかもしれない。
「秋斗君、君が望むなら。養子縁組も解除してかまわないよ」
「いえそれは望みません。でも、僕に恋人がいると知っていて、契約結婚を持ち掛けて来られたのですね? 」
「娘の為だった。後悔してもしきれない・・・。だが、もう自分の気持ちに正直になってほしい。私も、自分に正直になると決めた。紗矢もそれでいいと言ってくれたよ」
自分に正直になる。
それをあきらめるために、昨晩は茜と一夜を共にした。
自由になれといわれても…。
秋斗は心の整理がつかなかった。
「とにかく、秋斗君。これからは自由だ。もちろんこの先、君に社長になってもらう事は変わりない。どんな形になろうとも、その絆だけは切りたくないと思う」
秋斗はすっと立ち上がった。
「少し考えさせてもらっていいですか? 」
それだけ言うと、秋斗は部屋を出て行った。
夜になり、幸弥が眠った後。
秋斗は窓から夜空を見ていた。
契約結婚をここで終わらせるのは、秋斗も望んでいる。
だが幸弥を置いてはいけない。
何故だか判らないが、本当の親子じゃなくても絆が深まってしまった。
幸弥はどう思うだろう?
一緒に着いて来てくれるのだろうか?
このまま宗田ホールディングにいて、社長になってもいいのだろうか?
秋斗の心には迷いが生じていた。
ずっと5年も自分に嘘をついてきた。
だから本当の自分にもどるきっかけが判らなくなっているのだ
一息ついて、秋斗はお水を1杯のんだ。
その頃。
郷と紗矢は話し合っていた。
それは…
「貴方、これは私からのプレゼント」
紗矢が郷に差し出したのは、離婚用紙と小切手だった。
離婚用紙には紗矢の分は記入してある。
そして小切手には1億円の金額が記載されている。
「貴方には感謝しても足らないわ。赤ちゃんの雪乃と、ボロボロだった私を受け止めてくれて嬉しかった。こんなに長い年月一緒にいられるなんて、夢みたいだったの」
「紗矢…」
「ずっとお金持ちで、何も苦労しなくて育ったから。夫の失踪と突然死は、ショックを通り過ぎていたの。貴方が他に好きな人が居たのも、知っていたわ。それなのに、私なんかと政略結婚してくれるなんて。ずっと辛かったわ。雪乃の事も、悪役を買ってくれて言葉にならないくらいよ」
郷は離婚用紙を手に取った。
「私と離婚して、どうするつもりだ? 」
「好きな人がいるの。もうね、3年前からずっと交際しているの。その人、奥様が亡くなって今年で5年になるの。そろそろ再婚したいって言っていたわ。私が離婚する話をしたら、ちゃんと離婚したら結婚しようって言ってくれたの。私ね、その人に出会って本当の恋を初めてしたの。心からときめいて、愛しているってこんな感じなんだって思ったくらいなの。だから、貴方とはこれからも幸弥を通して関りはあるけど、もう夫婦じゃなくて友達としていたいと思うの」
「そうか…」
紗矢はもう一枚紙を郷に差し出した。
「これ、もう1つのプレゼント」
差し出された紙には、病院の名前と笠原霞(かさはら・かすみ)と書いてあった。
「これは…」
驚く郷に、紗矢はそっと微笑んだ。
「貴方の心から愛している人でしょう? 知っているわよ。霞さん、とっても素敵な人だもの。今ね、肺を悪くして入院しているの。病気の時って、薬より愛する人の支えが何よりも必要なのよ。これからは、霞さんの支えになってあげて欲しいの」
「ここまでしてくれて…有難う…」
「せめてもの、お詫び。霞さんと…貴方の本当の娘さんの為にも、これからは自分に正直に生きてね。私もそうするから」
「分かった。これは、私の分を記入して明日にでも出しておく」
「お願いね。お互いいがみ合って別れるわけじゃないから。困った時はいつでも、頼ってくれていいわよ。幸弥だっていつでも、会いに来てくれて構わないしね」
「ああ」
郷と紗矢は円満離婚をした。
お互い納得して自分に正直なる事を決めて。
翌日。
郷はさっそく離婚届けを役所に提出した。
これで紗矢との離婚は正式に受理された。
紗矢は荷物をまとめて新しい新居に行ってしまった。
もう既に新しいマンションを購入していて、そこで好きな人と暮らすことにしていた。
とても幸せそうに出て行った紗矢。
郷も、自分に正直になり前に進もうと決めた。
秋斗にも郷と紗矢が離婚した事は知らされた。
幸弥には紗矢は別の所で暮らすことになったと話した。
幸弥は特に気にしていないようだった。
何もかも吹っ切れた郷は、さっそく紗矢が調べてくれた霞のいる病院に行くことにした。
金奈総合病院。
「失礼します」
個室部屋に看護師が入って来た。
「笠原さん、体調どうですか? 」
ベッドを起こして横になっている女性が居る。
栗色の髪をショートにして、年齢は50代後半に見えるが、とても綺麗な肌をして若々しく見える。
随分とほっそりした顔とやせ細った体から見て、重い病気のようだ。
枕元の名前には、笠原霞(かさはらかすみ)と書いてある。
そう。
この女性は郷が結婚する約束をしていた女性、霞であり、茜の母親である。
昔のまま綺麗な女性のままの霞。
まだ小さな北斗に似ている感じがする。
数日前に肺炎になり入院してきたのだ。
もともと肺を悪くしていた霞だったが、風邪を引いているのに無理をしてしまったようだ。
視力もかなり低下して、ほとんど見えなくなっている霞。
「はい、今日はとても楽です」
青白い顔で笑う霞。
検温をする看護師。
霞は一息ついて目を閉じた。
コンコン。
ノックの音に看護師は目を向けた。
「安定していますね」
霞に微笑み看護師は入り口のドアへ向かった。
ドアを開くと…
そこにはスーツに身を包んだ郷がいた。
看護師はハッと目を開いた。
「あ、すみません。こちらは笠原霞さんの病室ですね? 」
「お身内の方ですか? 」
「はい…」
「そうでしたか。笠原さん、おうちお方が来てくれましたよ」
霞に声をかけると、看護師はそのまま別の病室へと向かった。
霞は目を開いてゆっくりと見る。
足音が近づいて来て…
「あら? 颯太? 珍しいわね、こんな時間に来てくれたの? 」
優しい声で霞が言った。
郷は何も言わないまま、霞に歩み寄ってそっと手を取った。
「…霞…」
今にも泣きそうな目で、郷は霞を見つめている。
霞は耳を傾けた。
「その声は…もしかして…」
「私だよ」
「え? どうして? 」
驚く霞の手をギュッと握って、郷は愛しそうに見つめた。
「ずっと君の事を遠くから見守っていたよ。とても立派な人と結婚して、安心していた。ずっと幸せになったと信じて安心していた。だが…すまない、こんなに苦労させてしまって…」
上ずる声の郷に、霞の目も潤んできた。
「霞。私を許してほしい…」
「何を言っているの? 私は、貴女を恨んでなんかいないわ。ずっと感謝しているの。貴方のおかげで私は、茜を産むことが出来たんだもの…」
「霞…茜が我が社に入社してきた時、もしかしてと思った。昔の君にそっくりだったから。だが私は、茜の事も深く傷つけてしまった…」
霞は黙ったまま郷を見つめた。
「貴方が何か手を回していたの? 茜が急に、結婚を辞めると言い出してとていたわ」
「5年前。娘の雪乃が心から愛した人がいたのだが、その相手が事故死してしまった。その時、雪乃は妊娠していた。それと同時に、乳がんが見つかり。子供を産めば余命は3年も保証はできないと言われた。雪乃は子供を産むことを決意して、自分は死んでもいいと言った。だが、産まれてくる子供にちゃんと父親を用意してあげたいと言い出したんだ。子供が産まれて、きっと自分は闘病生活に入るから何もしてあげられない。だから父親を用意してあげたい。余命が終わるまででいいから。家族と言う形を作ってあげたいと言い出したんだ」
郷を見つめていた霞は、そっと視線を落とした。
「雪乃が選んだのは、秋斗君だった。彼の優しさに惹かれたと言っていた。当時彼は、病気の母親の入院費や手術代に困っていた。同時に父親の施設費用もかなり高額で、困っていた。彼の両親を助けるために5000万を渡して。雪乃と契約結婚をしてもらったんだ」
「そうだったの…」
「その時は、私は知らなかったんだ。秋斗君と茜が婚約していた事。秋斗君は何も言わなかった。だが秋斗君が、雪乃との結婚を承諾してくれてから。茜の姿を見なくなって、そのまま退職してしまったのを知って。何かあったのではないかと思っていた。秋斗君と茜が婚約してたのを知ったのは、雪乃が亡くなる前だった。余命が残り少ないと悟った雪乃が、私に話してくれたんだ。秋斗君に、茜と言う婚約者がいた事を。2人でこっそり話してたのを、偶然聞いてしまったと言っていたよ」
「お金と相手の弱みを利用して、結婚させたのね? それじゃあ、私の時と同じだわ。貴方のお父様が、会社の経営が傾いていてお金が必要だったから、資産家の紗矢さんと政略結婚を選んだ貴方と同じじゃない」
「そうだな…」
「それで、私の所に来たのは何故? 娘まで傷つけたから、償いたいなんて言わないでね。そんな事は望んでいないから。茜は、貴方が父親だとは知らないもの」
「ああ。だが…愛しくてたまらない。君の事も、茜の事も。雪乃は私の、本当の子供ではないから」
え? と、郷を見つめる霞。
「雪乃は紗矢の連れ子だよ。まだ赤ちゃんの雪乃を置いて、紗矢の元夫は失踪して、発見されたときは凍死していたそうだ。私とは再婚で、その時、雪乃はまだ10ヶ月だったよ」
「複雑なのね。お金持ちになると、色々とすんなりとはいかないのかしら? 」
「そうみたいだな。だが、私はこのままではいけないと思っている。雪乃が亡くなってもうすぐ3年になる。だから、秋斗君の事をもう解放しようと思うんだ」
「でも、子供がいるんでしょう? 子供にとっては、秋斗君が父親なのよ」
「ああ、そうだが。子供は、私が引き取るよ。これ以上、秋斗君も茜も苦しめたくはない。それに、茜には可愛い子供もいるじゃないか」
「知っているの? 茜の子供の事」
「偶然だが、雪乃の子供と同じ保育園でね。先日、遊びに来てくれたんだ」
霞は一息ついた。
「血のつながりが呼んだのかしら? 」
「そうかもしれん。だが茜の子供、北斗君。あの子は、秋斗君と似ているな」
霞はギュッと唇を噛んで黙ってしまった。
「心配するな、何も邪魔はしない。秋斗君も茜も幸せになれるようにしたいだけなんだ。この続いている過ちを、ここで終わらせたいと思っているんだ」
「北斗の事は茜から聞いて下さい。私からは、何も言えません。・・・私もそれほどもう、長くはありませんから。茜に、今のままではいてほしくないと思っているの」
「分かった。では、秋斗君と茜が幸せになれるように全力で協力する。だから、こうして会いに来てもいいか? 」
霞はフッと笑った。
「私、目が見えなくて。貴方の顔が判らないの、それでもいいかしら? 」
「構わないさ」
「でも、紗矢さんが知ったら怒るわよ」
「紗矢とは、離婚したんだ」
「え? 」
「紗矢が選んだ事だ。君の事も紗矢が調べてくれたんだよ」
「紗矢さんが・・・」
「だから私は、何も後ろめたい事はない。残りの人生、君を愛する事を許してほしい」
郷はそっと霞を抱きしめた。
抱きしめられると、霞の目が潤んできた。
「霞。私はもう、自分に嘘をつくことはやめる。だから君も、自分に正直に生きて欲しい」
「私はいつも自分に正直よ。茜もそうやって、自分に嘘はつかない子に育ててきたわ。茜の弟の颯太君は、夫の連れ子なの。奥さん、颯太君を産んでから育児ノイローゼになってしまって子育てできなくなってしまって離婚したって言っていたわ。でも素直な子で、颯太君はずっと私を支えてくれて、茜の事もお姉さんとして慕ってくれていたの。夫も茜がいるのに、私と結婚してくれて。感謝いっぱいよ」
「いいな、君はとても良い人に恵まれているな」
「おかげで、助けてくれる人ばかりに恵まれていたわ」
「そうか。それを聞いて、安心したよ」
他愛ない話をする郷と霞は、ずっと離れていた時間を取り戻すかのようだった。
昔と変わらない霞に会って、郷は1つ壁が取れたような気がした。
だが、実の娘に自分と同じ想いをさせてしまた事は悔やんでも悔やみきれない郷だった。
病院から帰る途中。
郷は電話をかけた。
「もしもし・・・。すまないが、本日時間はあるかね? ああ、じゃあその時間に来てもらえるか? 少し話があるんだ。・・・いや、そんな事ではないが。どうしても、会って話をしたい。忙しい中申し訳ないが・・・分かった、待っている」
電話を切ると、郷は一息ついて歩き出した。
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