第二話 千太郎と忠治

 そう言えば暫く逢っていない。受験生ということで道場も休んでいたし、外出も控えていたからだ。忠治さんは俺が生まれる少し前から屋敷の主治医になったという。

 もしかしたら父さんが若いころの写真に、忠治さんの今より若い姿も残っているかもしれない。そんな考えに思い至ったのは勉強に疲れた冬のある日だった。


 思いついたまま、父さんが死んだ時にそのまま鍵を掛けられた書斎へ向かった。殆どが引き戸のこの家の中で、父さんの部屋だけは西洋風に手前に開く扉になっている。


 鍵はなくとも、針金が一本あれば俺はどこの扉も開けることができた。昔から近所の子どもと際どいことをして遊ぶことが多く、そんな中で身につけた特技だった。


 広い廊下で白い息を吐き出しながら、まんまと針金を使って書斎に忍び込んだ。実はここに入るのは初めてのことではない。小さいころから、婆さんを怒らせたり女中の目を欺いたりする時に、頻繁に隠れていた場所だった。


 不思議と埃と湿気の香りすら心が落ち着くのだ。父親が好んでいた場所だからなのかもしれない。父さんの部屋は鐙色の木目の床に、それに合わせて机や重厚な椅子なども木でできている。


 部屋の中央にある大きな机の引き出し。その一番下を開けると、目当てだった父さんの古びたアルバムが一発で出て来た。そこにそれがあるのは何年も前から知っていたけれど、不思議と興味を引かず、中を見ることはなかった。


 でも今日は寒さのせいだけではなく、その先の期待でぶるりと背中が震えた。


 一番初めのページを捲ると、俺にそっくりな少年が二人の女性に挟まれて写っている。高等学校に入学した記念だろうか、父親と思わしき青年は、真っ黒い学生服を着ている。


 父さんを挟む片方の狐顔の美人には心当たりがあった。婆さんの若いころの姿であろう、面影がある。しかし彼女よりも、反対側に立つ外国の少女のような顔をした丸い目の女性に、なぜだか懐かしさと親しみを感じた。


 目的を思い出してアルバムを捲る。父親は笑顔が多い朗らかな青年だったようで、俺がこんな爽やかに笑うことはそうそうないと思い、おかしな気分になった。


 暫く進むと、父さんは母さんと祝言を挙げたようだった。薄い唇の、何だか余り印象の良くない女性が俺の母親で、知っていたとはいえ俺は少しがっかりしながらページを捲った。


 すると、赤子……恐らく俺を抱いた母親と、二十代ぐらいの父親、少しだけ若い婆さん、そして皆と少し離れた所に四十代ぐらいの男性が立っていた。皆一様に真顔で、微笑んでいるのは薄い唇の母親ばかりだ。


 その男性と父親は似ていた。とてつもなく似ていた。そしてその人物こそが『忠治さん』だと気づくと、俺は思わず声を上げそうになった。


 今日は意を決して婆さんに真相を聞くつもりだ。それと一緒に『第一高等学校』に合格するのを条件に、忠治さんの家に居候することを認めてもらおうと、思っている。

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