雪待ちの人

新巻へもん

雪が降ったら

「うう~。さぶ」

 小夜は色気の欠片も感じられないどてらを着て、のそのそと部屋の中を歩き回っていた。まるで檻の中の熊のよう。

「そんなに寒いならエアコンつけようか?」


「いい」

「我慢して風邪ひいたら本末転倒だよ」

「だってさあ。エアコンて空気が乾燥するじゃない。喉もひりつくし、お肌もかさかさするし、あんまり好きじゃないんだよね」


 小夜はそう言いながら俺の方にもそもそと寄ってきた。

「半分ちょーだい」

 俺の手を温めているマグカップに手を伸ばしてくる。出来立てのミルクココア。それを作ったミニキッチンは玄関に通ずる廊下に面しておりこの部屋よりさらに寒い。


 それでも愛しい妻が所望するなら、もう1杯のココアを作るのはやぶさかではない。

「欲しいなら小夜の分も作ってくるけど」

「やだ。それがいい」


 僕の手の中から水色の厚手のマグカップを取り上げると小夜は口をつける。

「んー。おいし」

 目を細めて小夜はこくんと喉を鳴らした。もう数口温もりを楽しむようにして飲むとようやく俺にマグカップを返す。


「ご馳走様。お陰で遭難せずにすみそう」

 大げさなことを言いながら小夜は窓辺に戻って行った。俺はちょっと冷めたココアを飲む。結婚してからも小夜のシェアをしたがる性格は相変わらずだ。これからの人生をシェアするんだし、というのが彼女の理屈。それを見越して大ぶりのマグカップを買ってあるのでいいのだけれども。


 俺自身は自分のものは自分一人で食べたい。夏にはそのためにこっそり一人でアイスを食べたのがバレてひどい目にあった。その点をのぞけばまさに琴瑟のごとくぴったりな俺達は、つい先月入籍を済ませて夫婦となった。時節柄式はあげておらず、揃いの指輪を買って写真だけ取った。その姿を思い出すだけで目頭が熱くなる。


 小夜と並んで窓からの景色を見た。どんよりとした曇り空の下、北風が窓ガラスをガタガタと揺らす。冷気がじんわりとしみ込んでくるようで思わずぶるっと震えた。窓ガラスに小夜と俺の吐いた息がまあるく曇りを作る。空を見上げていた小夜が、あ、という声を上げて窓を開けた。


 部屋の中とは比べ物にならない寒気が押し寄せてくる。

「うわ。寒いのになんで開けるんだよ」

 小夜は俺の恨みの声を気にせず、その手を窓の外に出してはしゃいだ声を上げた。

「ほら。やっぱり雪だ。悠斗。雪だよ」


 小夜の手にぽつんと落ちた白い物がすうっと水滴に変わる。子供じゃあるまいし、雪だからってそんなに喜ぶことか? 小夜を見やると窓をぴしゃりと閉めて、押し入れに突進した。んふふ~。ご機嫌で押し入れのふすまを開けて大きなダンボール箱を引き出す。

「悠斗。手伝ってよ」


 小夜に言われるがまま部屋の片隅にそいつを据え付ける。コンセントを差し込んでスイッチを入れると小夜はミニキッチンの方へ向かった。籠に山盛りになった蜜柑とおしぼりを手にしていそいそとやってくると炬燵の中に潜り込む。

「悠斗。そんなところに立ってないでおいでよ」


 俺が小夜の座っている横の面から炬燵に入ると小夜は半分に割った蜜柑を手渡してくる。

「やっぱり炬燵は最高だね」

 目を細めて小夜は蜜柑の甘皮を丁寧に剥き始めた。


 俺も甘皮を剥いて口に入れる。

「だったら、さっさと炬燵を出せば良かったんじゃないの?」

「うちの家訓で、炬燵は雪が降ってからというのがあるんだよね」

「なんか随分と緩いというか、家訓としてそれはどうなんだというか」


「悠斗はさあ、炬燵の怖さを知らないんだよ。これははっきり言って人類を堕落させる悪魔の申し子。一旦入ったら2度と出られないブラックホールなのよ」

「シュワルツシルト半径が1.5メートルとか随分小さなブラックホールだな」

「またなんか小難しい言葉並べてる」

 小夜はふふっと笑った。


「まあ、背中が寒くなるという弱点はあるんだけどね」

 小夜はおしぼりで指についた蜜柑の汁をぬぐうとごそごそと炬燵の中に潜り込む。何をしているんだと思う間もなく、俺の座っている面から頭を出した。背中を俺の胸にぴたりと押し付ける。


「でも、こうすれば無敵だね」

 しなやかに体を捻じ曲げると唇を合わせてくる。ちょっぴり甘酸っぱい香りと共に暖かいものが唇を割って入って来る。こんなにダサいどてら姿でも、小夜はやっぱり可愛かった。 

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