三日目 『強欲なる祈り』 その4


「ナチ党?……ゾチ党じゃないのか?」


「それは別の党だ。あっちの方が有名だな。オレのじいさんがガキだったころからあるぜ。ナチ党の方は最近になって出来た」


「略称なのかい?」


「そうだ。長い名前で覚えるのが面倒だ。だから、ゾチ党になぞらえるようにナチ党って誰かが言い出したのさ。短くて覚えやすくていい。たくさんの党があるから、大手の党と比べやすい呼び名ってのも、覚えやすくていいじゃないか」


「無数の党が生まれているとは聞いていたが、名前も覚えきれないほどなのか」


「ちょくちょく名前も変わるしな。党首も変わったり、党是も色々と動いていたり……最近のバイエルンの政治は忙しいったらない」


「大変そうだ。それで、ナチ党ってのは、どんな党なんだい?」


「さあな。ウインナーをフライパンの上で転がすような日々しか送って来なかったオレに訊くようなことじゃないのは確かだ。」


「印象でいい」


「血の気が多い。戦争帰りからの支持も多いし、トップも戦争帰りになった。兵士として前線で戦ったことも売りなんだよ、連中のね」


「乱暴者ということか」


「あらゆる政党がそうであるようにな。まだ小さな党だが、勢いと人気はある。演説も上手いぞ……所属しているメンツは、色々といすぎて……たまに左っぽいようなことも言っている気がするものの、基本的には極右で武闘派」


「何が何だか分からないぞ」


「言い得て妙ってところさ」


「なるほど。何が何だか分からない政党か」


「外れちゃいない。どの政党も、今じゃ形が分からなくなりつつある。お互いを激しく拒絶してはいるが、よくよく聞けば、似ているようで、言っていることもあべこべなようだ。高度で精密な政治的な造形として分析すれば、確かな違いがあるのかもしれないが、オレのような無学な男には分からないこともある」


「素人を納得させられない論理は、きっと嘘が含まれているものだ」


「かもしれないな。だが、ナチ党の明確に良いところもあるぜ、フランスもプロイセンも嫌い!オレたちを不幸にするよそ者は、大嫌い!!素晴らしい考え方だ!!」


「プロイセンは……君らの国の一部だぜ」


「いいや。プロイセンはプロイセン。バイエルンじゃないだろ?」


「……ヨーロッパらしい複雑さだよな」


 ガキの時分に聞いていた国境線は、いつのまにか消えていたり、増えていたり。国の名前も、土地の所有者も多くが変わった。


 みんながそれぞれに自分勝手な国家の定義を求めて、殺し合っている。それが世界大戦を戦うハメになった、オレの個人的な印象だった。インドもそうだったが、ヨーロッパも酷いもんだ。


 地獄とかスラムにいそうな飢えたみすぼらしい共食い犬、アレにみんながなっているように感じちまう。


「『オレたちじゃないヤツら』が始めた戦争に巻き込まれて、勝手に負け犬にされちまった。雄々しくオレたちバイエルン軍が戦ったのに……けっきょく、欲深いフランス野郎どもから、天文学的な賠償金をせびられる……ろくでもないことばかりが、起きている。だから誰かにどうにかして欲しいのさ」


「……神さまに祈らない時代だから、政治家を頼る」


「アンタたちには悪いがね、そうなっていくよ。神さまは全ての労働者の願いを聞いてくれるヒマはないんだろう。資本主義も国際的な経済も、オレたちから搾取するためにある巨大な構造で、そんなものが世界を支配しているというのに。それを焼き払ってもくださらないんだ」


 ここにも神さまに何もしてもらえなかった男がいるらしい。レッドウッド家以外にも残酷なところを知れたな。だが、そんなものが何かの癒しになるわけでもなかった。神さまの無力さを思い知るほどに、誰もがそうだろうがビールが飲みたくなる。


 もちろん。午前の内から酒に逃げることはしない。逃げるよりも、戦う方が好きだ。情報収集先として、向かってみる候補も出来たからな……。


「……科学の進歩を待っているといい。そうすれば、仕事も増える。豊かさも、きっと得られるぞ。フランスからの賠償金にも、きっと君らは負けないさ」


「どうかな。ますます世界はせまくて苦しくなるんじゃないのかね。オレには、そんな気がしちまっているよ」


「安心しろ。神さまよりも政治家よりも、科学の進歩は、大きい力を持っている。長生きすれば、月にだって飛ばしてもらえるかも」


「ジュール・ヴェルヌはフランス人だから嫌いだね。大砲で月に向かって飛ばされるなんてな」


「ファンみたいにも思える。詳しいじゃないか」


「それは……ガキの頃は、嫌いじゃなかったよ。まだバイエルンが誇りを失わずに、堂々としていた頃はな。だが……もうフランス人のことを嫌いになったんだ。連中に押し付けられた賠償金は、ヴェルヌの面白い小説のことだって、嫌いにさせる」


「それでも、楽しむべきだ。国境になんて、囚われることなくな」


「そうかもしれないが、難しいよ」


「どうせ家にはあるんだろう。ホコリをかぶっているかもしれないが、久しぶりに彼の作品を読んでみるといい。辛い今を乗り越える力をもらえるさ」


「嘘の物語なんかに、そんな力があるかね?」


「ある。娯楽は大きな力を持っているよ」


「断言するか」


「当然のことさ。ヴェルヌの書いた物語のように、科学はもっと進歩する。行きたいところに行けるようになって、やれることも増えるんだ。世界は、ちょっとずつ良くなっていく。君の孫たちがフットボールとかバレエを習いたいと言い出すころには、月にだって誰かが行っている」


「ハハハ!……大砲で行くってのは、ちょっと勘弁してほしいがね」


「もっといい技術を、誰かが思いついてくれるよ。いいか?聖職者みたいなオレが、教えておいてやるよ。粘りついて、絡みついてくる。そんな怒りの時間に囚われた時は、素晴らしい未来のことを考えるといい。ちょっとは、明るい気持ちを見つけられるだろ。それは、君の魂を救う」


「……そうかもな。まあ、たまには。フランス野郎の書いた本でも、読んでみてもいいかもしれない」


「そうすることをすすめるよ。怒りに囚われることは、君の人生から楽しいことを奪うぞ。子供がいる父親は、そういう傾向を深めない方がいい……夫であり父親である君は、家族のためにも笑うといいさ」


 さっき渡した金で、何か楽しいことを企画して欲しい。


 本当に。


 そう願うよ。


「……オレには、もう出来ないことだから。君はしてやれ」


 そんな家族があるのなら。世界を救うよ。


 かつて夫であり、かつて父親であり、かつて誰かの息子であり―――今では、そのどれでもない立場になった男でも、世界を救えるよ。


 そうすれば、どこかの誰かがオレの代わりに自分の家族を幸せにしているのだろうから。会ったことのない家族の、笑顔が聞こえる。そんなことに微笑みを捧げる行為は……まるで、未来を教えてくれる物語と同じように。オレの魂を救う。


 ヴァルシャジェンとだって戦うんだ。自分の娘の死体に憑りついた、ヤツの娘と殺し合うことで……孤独じゃないよ。未来があるから。オレのじゃないけど、神さまが奪いきれていない、誰かの未来が。




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