三日目 『強欲なる祈り』 その2
政情不安なバイエルン……。
本来は保守的でカトリックの強い土地であったが、世界大戦を前後してさまざまな混沌が訪れた。コレット・イルザクスの言う通り、革命は血なまぐさくもある。権力を巡り、主張の違う人々が暴力を使い合うのだから。
極左も極右も入り乱れて、ドイツの皇帝は廃位された。世界大戦をしながらも国内で政治的な対立と闘争にもみ合うこともあれば、その後、世界大戦の敗戦のストレスが飛び火したように、みんなで不仲を究めることもある。
カトリックの土地のはずなのに共産主義者が小さな国を作ることだってあるさ。そして、すぐに消えちまうこともね。右を向いていた信心深い土地が、左を向いて新しい秩序を求めたが、そいつも失墜してしまった。今度は以前よりも保守的で極右化しつつある。
何が何だか分からない。
それが混沌というものの本質だし、きっと世界大戦の後遺症でもあった。誰もが痛みと苦しみと恐怖に狂いながら、自分たちの歴史も立場も、求めた未来さえも見えなくなっている。この土地もそんな場所なんだよ。まさに混沌だな。
戦争は政治的に強い葛藤を生むものだ。
工業化した労働に、国際化していく経済と、思想的な革命……数百年続いて来たヨーロッパの古い王朝も滅び去っていき、乱暴にも見える再編が行われている。土地も民族も混ざり合い、住民が自らの帰属を理解しにくくもなっていた。
精神分析や不条理な文学が流行るわけだよ。ドイツは大変な土地だ。
混沌の果てに、新しい価値観も生まれている。
神は死んだと哲学は語り、神の奇跡の幾つかが科学で再現されてしまったからだろう。
歌姫の声が空を電波に乗って空を飛ぶ時代なんだぞ。神さまから啓示を受けた預言者たちの伝説も、すっかりと色褪せてしまうじゃないか。聖書は歌わない。聖歌隊に頼れば別だが。
世界は大きく変わったから。色々なヤツが思想と仕事の枠からこぼれ落ちてしまっている。犯罪が増えた。現状からの悲観から、世界の果てにでも逃げ出したくなったのか、国を捨てて新しい土地を目指すヤツも大勢いた。
ますます、融け合い混沌が深みへと向かう。
みんな自分が何なのか、誰なのか、どうしたいのか。
それらの全てが分からなくなる。
文化も民族も価値観も宗教も思想も、すべてが混沌のままに融け合っていた。ごちゃ混ぜになりながら……国の形を求めて人は争った。神さまから解放されてしまった広い世界の中で、人類は新しい形を求めたのさ。そいつは別に国境だけを求めていたわけじゃない。国家の形もだな。
みじめな貧乏暮らしと、変わって行く不安が、『強欲な祈り』を産んでいる。我々は何なのか。我々はどうすべきなのか。我々は、どこに向かうべきか。
自分たちを幸せに導くための、『死んでしまった神さまの代役』を求めて、知恵を絞って抗っているんだよ。暴力に頼りながら、血と失敗で確かめ合っているように見える。
……『新しい世界に適した形質』を求め、人類は思想の力を頼っている。その結果、衝突がやたらと激しくなり、間違いも深刻になって……壊し合いながらも、今までは何とかやって来た。
神さまも王様もいない科学的なヨーロッパが持つ、歪みの一つなんだと、世界大戦に焦げる地球を旅した者には思えるんだよ。大変な時代ではあるからこそ、科学が持つ美しく豊かな部分に、恋焦がれてしまうのだろうか……。
この貧しさも、この空虚さも。
豊かな時間だけが、きっと補ってくれるものだと信じているよ。
……バイエルン王国が消え去り、選帝侯もいないただのバイエルンになった街の片隅で、労働者向けの早朝から開いているレストラン。
焼いただけの卵に、シンプルなトースト。大きくて雑な味がする粗挽きのウインナー。質素で値段も安いが、素早く食べられる。余韻も気にせず仕事に行けそうな味だから、きっと朝食には向いていた。
「働き者用の勤勉な味だよ」
「……そうかしら。とてもマズいんだけど」
窓際のテーブルに座っていて良かった。店員から情報も得たいというのに、お姫様の言葉から飛び出したのは素直で尖った一言だ。カウンター席での発言だとすれば、店員はへそを曲げてしまうかもしれないし、マズさに共感してくれるような店員を見るのも楽しくはない。
19世紀生まれの男としては、職人気質で自分の仕事に誇りを持っているヤツが好きなんだよ。
「やっぱり、ドイツの料理ってダメなんだわ」
ドイツ人にケンカを売るような言葉をお姫様の口が吐いていた。フォローをするよ。間抜けな護衛役としてね。
でも……困ったことに、長い言葉でフォローすることが出来ない。この簡素な味には、悪口はそれなりに似合っていたからだ。少ない社交性を駆使して、一言だけ吐いておく。
「そうか?その、空腹時に食えば、食えるだろ?」
「それはゾンビになっているからね。きっと、味覚に影響が出始めているんだ」
「……かもな」
上品に口元を拭いたシスター服のお姫様は、オレの顔を観察し始める。
「どういかしたのかい?コレット・イルザクス?」
「血色が、昨日よりも良い気がするのよ」
「オレがか?食後に言うのはアレだが……オレは死んで三日目だぞ。変なにおいがしてくるはずだ」
「……ゾンビじゃないのかもしれない」
「なら、何なんだ?」
「……それより、怖いモノかも。そんな自覚があるんじゃないのか?」
「……どうだかな。何であれ、ちょっと情報収集をしよう。ドブロシの手下と合流するまでには時間に余裕がある」
「夕方近くまである……」
「君はこの新聞を読んでおくといい」
「さっき道端で小さな子から買っていたやつか」
「地元紙さ。世界のことも少しは書いているが……ゴシップや嘘くさい噂話も含まれている。フットボールの結果もな。それについては詳細に経過まで書かれているぞ」
「スポーツはするものよ。見ているなんて、つまらない」
「かもしれないね。だが、全体的に目を通しておくといい。どんな街にいるのか把握しておくことは有利になる。嘘くさいゴシップのネタや噂話だってね、オレたちの商売が相手するヤツらのことが書いてあるかもしれん」
科学と縁遠いところがある我々の仕事。その仕事の始まりとなる情報は、胡散臭い噂話がもっぱらだ。
怪死体が見つかったり、怪事件が起きたりすると、地元紙の記者は新聞に載せたがる。大手と違って守るべき名誉もないし、地元民が噂話で伝えるよりも早くに記事にしないと読んでもらえないからな。
だから、地方紙を読むことは、オレたちの職務上、意外と有益だったりもする。もっと精密で科学的な仕事になったら良いのに、現状は昔ながらの間抜けさを伴っていた。
「吸血鬼に吸われて干からびた怪死体のことを探すわ」
「そうしてみてくれ」
「ええ……でも、本当にこの新聞、胡散臭いことばかり書いてあるわね。ラスプーチンの亡霊が現れたって?」
「君の親戚のか」
「すごいわね。遠縁よ」
「……それは、ユーモアなのかな?」
「どうでしょうね」
「どちらにしても笑えないかもな」
「あのね。うちの一族について、からかったりしないこと。アレク・レッドウッド、ビジネス上の関係しかないけれど、人間関係は円滑さを保った方がいい。理解したかしら?」
「了解したよ」
「じゃあ。お互いの仕事に戻りましょう。私は、胡散臭い記事を探ることにするわ」
新聞紙を不慣れな扱いでムダに大きく広げると、彼女は美しいお姫様の青い瞳で印刷技術にやや問題がある新聞記事を読み始めていた。マルジェンカの手下が無数の怪死体でも作っていれば、そこを調べに行くという仕事も見つかる。
働き者のためのエサを食った我々は、きっとたくさん働くべきなんだ。
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