二日目 『慎ましき暴食』 その22
マフィアの『スタッフ』か。国際的な悪事の数々を円滑に行うために、国境を越えてコーディネーターが配置されているらしい。バチカンの戦士と同じようなことをしているわけだ。
「悪人の仕事熱心さか……」
「不愉快なことかもしれませんな。レッドウッドさまのようなお方からすれば」
「当然だ。もっと、マトモなことに力を尽くし欲しいものなんだが……」
「悪人は、この世の中から消える日は来ないでしょうな。おそらく、世界の終わりの日が来ても、悪人はおります」
「……嫌になる。だが、利用させてもらうぞ」
「そうしてください。私も、あの悪魔の姿を見て……この痛ましい姿になられたドン・ドブロシを見て……悪魔どもが跋扈する世の中を見たくないと考えていました。恩には報います。それは、我々が最後に残している善性なのかもしれません」
「善意が残っているのなら、オレとヴァルシャジェンの脅威が消えた20世紀を、罪なく生きて欲しいものだ……」
「善処はいたしましょう。レッドウッドさま。貴方さまの遺言なれば……恩義を抱く我々の心にも、届きはします」
「そうだと、ありがたい」
「……貴方は、そこまでして戦えるのですな。世界が、それほど大切なのですか?」
「……世界よりも大切なものを持っているから。戦える。世界を救うのは、きっと、ただのついでなんだ」
「さようでございますか。それは、利己的である私どもには、納得しやすい言葉でございますな」
「ああ。長生きして20世紀が良くなっていく様子を、見ていてくれよ。オレは地獄の底で、君らが堕ちて来る日を待っている。土産話を聞かせてくれると、助かるぜ」
「……ええ。そういたしましょう。殉教者殿」
「そんなたいそうなものじゃない。ただの、殺し屋だ。バケモノ専門のな……」
ドブロシの乗る荷車を引きずって、新しくて美しいマフィアの屋敷にたどり着く。まだ意識の戻らない巨大な肉塊そのもののドブロシを、アルフレッドと一緒に抱えて、その豪勢な屋敷の中へと引きずっていく。
「……手下は、いないのか」
「ドン・ドブロシが、この醜い姿を見せたくないと。本来は、もっとスマートなお方ですので。ですが、ご安心を。バイエルンの件については、すぐに部下を動かしますので。あちらに到着される頃には、準備は完了しているはずでしょう」
「なるほどな」
「……さて。ドン・ドブロシを二階の部屋にお運びいたしましょう。私だけでは、とても不可能でしたが……レッドウッドさまが力を貸してくれるのであれば、実に容易いことでしょうからな」
「働くよ。悪人にも、やさしいのさ。君たちが搾取している、フツーの人間はな。ドブロシ。反省しろよ。お前は、罪深く地獄に堕ちる定めにあるが……それでも、運が良い。今日も助かった。その幸運を、オレが運んできた意味を、考えるんだぞ」
唸り声と脂肪で詰まった気道がゼヒゼヒと鳴る音ばかりが、脂肪のカタマリからは戻ってくる。きっと、意識はないままだ。オレのつまらない訴えなど、今までこの男が耳を傾けるべきであった数多くのアドバイスと同様に、聞こえやしないさ。
空しくはなる。
世界の不完全さにな。
それでも、エリーゼのために。オレは愚かで強欲な男を引きずって階段を上り、5人でも寝ることが出来そうな巨大なベッドに、豚の親玉みたいに醜く太ったドブロシを寝転ばせた。
「……まったく。手間をかけさせてくれるぞ」
「ですが。助かりました。私だけでは、こう上手くは行きませんでしたからな……ドン・ドブロシは、まだ眠り続けているようです。レッドウッドさま、ドン・ドブロシを眠らせて差し上げましょう。暴食の呪いゆえに、寝ることもままならなかったのです」
「だろうな。『蠅』に寄生されれば、そんな風になるものだ」
「こちらにお越しください。貴方のために、ささやかなおもてなしを」
「それもいいが」
「はい。もちろん。部下にバイエルンの仕事の指示も出しますゆえ。しばし、お待ちくださいませ」
「……わかった」
悪徳の稼いだ金で作られた、広くて華美なリビング。ルイ16世の真似事を本格的に楽しめそうなその空間に通されたよ。まったく。悪ばかり儲けてしまうのだから、世の中は不条理だった。
アルフレッドは紅茶と美味しいクッキーを用意してくれたよ。死者の体は、空腹を訴えることはなかったが。紅茶の香りも、甘いクッキーも好きだった。それらを生きている人々の真似をしながら、胃袋に入れる。
労働のあとの休憩は、死んだあとでも楽しめることを再確認したよ。オレの表情から好ましい感触をアルフレッドは得たらしく。微笑みを残して、悪徳のネットワークを機能させるために、この広い屋敷のどこかへと消えた。
軍隊のように無線機でも持っているのかもしれないな。電波は、国境を容易く越えられる。往年の歌姫の声だけじゃなくて、悪人どもの密談についても、軍隊と極右や極左の自衛組織が守る国境線を越えてしまうんだ。
世界は歪んで軋みながらも、進んでいる。
3000年も前から暴れているような怪物になど、破壊させてはいけないということは分かる。悪人どもとも手を結ぼう。
マルジェンカ。お前が政治を利用して、自分の砦を築こうと悪意を巡らせるのならば。こっちも同じく悪意を使う。吸血鬼だけが、邪悪だと思うなよ。邪悪さにかけたら、オレたち人類もなかなかやるんだよ。
貧しくて若い女を売るためのネットワークだとか、人も社会も堕落させてしまう麻薬を密輸するための道だとかを使う。
あるいは……方法論は物騒ではあるが、世の中をより良くしてやろうだとかいう革命の情熱を利用して、武器を売り渡すような悪魔より邪悪で欲が深い連中の作り上げた商売のルートを使うんだ。
オレたちの戦いには、うってつけなのかもしれないな。マルジェンカ。もうすぐ会えそうだな。会ったら…………エリーゼの遺体を返してもらうぞ。オレの手で、焼いてやる。二度と誰にも利用されないように……君のもとに送るから。
美しい刺繍の施されたカーテンを開いて。空を見た。君とエリーゼがいるはずの、神さまが約束してくれた天の国を見上げる。祈るべきなのかもしれないが、穢れ切った者の言葉は遠くまで響かないような気がしたよ。
まあ。いいさ。
さっき、オレの代わりに穢れなき娘が、祈ってくれていたからな。オレたち三人のために祈ってくれたから、もう十分だったよ。
エンジンの唸る音が響いて、あの三輪の怪物を乗りこなす聖なる乙女がドブロシの屋敷の前にたどり着く。
窓を開いて、オレはコレット・イルザクスを呼ぶのだ。彼女にも、もてなされる権利はあるのだからな。紅茶とクッキーを胃袋に詰め込んだら。きっと、長旅になる。若い彼女を守ることにするよ。
オレたちのために祈ってくれた彼女が生きる20世紀のために。復讐を成し遂げようじゃないか。銀色の長い髪が美しい、あの少女のためにも。悪魔よりも、魔王よりも、もっと恐ろしいものに成り果てながら、地獄に進むとするよ。
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