二日目 『慎ましき暴食』 その21
静まり返ったままの街路を歩いて、あの冴えない豚小屋の近くへと戻る。アルフレッドの仕事は早いようだった。老人のくせに、どこからか見つけて来た荷車を引いている。そこにはドブロシが寝転んでいたよ。
鋭い執事の目が、こっちを睨みつけるが―――それも瞬間的なことだった。初めて会ったときのような、温和を繕った顔に戻る。
「役者になれるぞ。それだけ、素早く表情を変えられるのなら」
「なりませんよ。私は、ドン・ドブロシの恩に、残りの人生を捧げ切るだけです」
「……そうか」
「あの悪魔は?」
「オレがぶっ殺してやった。怯えながら死んだぞ」
「……私が気絶した後、ドン・ドブロシはどうしたのです?」
「『蠅』のことがどうにも我慢ならなかったらしくてな。立ち上がり、オレと『蠅』の戦いを邪魔しに来た。オレのことを、ショットガンで撃ちやがった」
「元気そうですな。貴方も……ドン・ドブロシも」
「『蠅』が、ドブロシを殴り、気絶させたよ。オレじゃないからな」
「……なるほど。貴方は、とても正しい仕事をしたというわけですか」
「プロフェッショナルとしては当然だよ。やれることは尽くした。あらゆる幸運に恵まれていたとは言わない。それでも、全力で正しい道を選び続けたのは事実だ。それに、アンタに代わって、肥え太ったドブロシのことを運んでやる。紳士的だろ、バチカンの戦士は」
「ええ。アレク・レッドウッドさま。先ほどは、申し訳ございませんでしたな」
ルイ16世の執事のような服装の老紳士は謝罪して来た。謝罪の理由は分かる。
『蠅』の言いなりとなって、オレに銃弾を撃ちこんで来たことについてだな。常識的に考えれば、殺人未遂だ。暗殺者である彼だからこそ、極めて冷静さを保っているのだろうが……。
「当然だけど、許すさ。アルフレッド、君の行動は、ドブロシの命を守ろうとしてのことだ。責めにくさがある。何より、結果として、オレは無事だったしな」
「……ありがとうございます」
「だが。報酬は弾んでもらうぞ」
「……ええ。きっと、ドン・ドブロシも喜んでお支払いになる。しばらくは、意識が戻らないかもしれませんが……脈も、正常でした」
「『蠅』の魔力が、しばらくは残っているだろうからな。数日程度で、全て消える。それからは、ダイエットの時間を数か月でも過ごせば、元通りの体形になるぞ。可能なら、悪さをすべきではないがな。また、『蠅』に憑りつかれたくなければ」
「そう伝えてはおきましょう」
「何とも、素直な言葉だ」
「嘘をついても、誰も救われそうにありません。我々は、やはりマフィアですからな。善良な暮らしを送れるとは、とても思えないのです」
「オレも期待してはいなかったがね……」
口をとがらせる。正しいことをしているのか、何だか分からなくなる。この罪深い連中の首を、この場所でへし折ってやった方が、世の中は良くなるんじゃないだろうかね。
……だが、バチカンの戦士は法の番人じゃない。ただの魔物専門の殺し屋に過ぎない。
「司法が、ちゃんと機能して、君たちを逮捕してくれることに期待しておくよ」
「なかなか、賄賂を受け取ってくれない警視正も少ないものでしてね。誰もが、悪徳との対決よりも妥協して利益を求める。良くない時代ですよ」
「……そうかよ。まあ、いいさ。ちょっとは君たちが改心してくれることを祈ろう。悪魔や魔物に、恐れながら生きてくれたらありがたい」
アルフレッドに代わり、荷車を引き始める。重たくはあるが、生前からある怪力は更に強化されているせいで、いくらでもこれを引くことは可能になったよ。
「牡牛のような、というより。馬のようですな」
「褒めてくれてありがたい。ああ、そうだ。アンティークの車を壊してしまった。『蠅』との戦いにどうしても必要だったからだぞ。悪気があったわけじゃない」
「ええ。そうでしょうとも」
「もっと、落胆するかと思ったが」
「私はアンティークな品よりも、ドン・ドブロシの方が大切なので」
「……忠誠心だけは、見上げたものだよ。さあ、どこに引けばいい?」
「こちらに。新しい邸宅がありますので。そこに運んでくだされば、幸いです」
「先導してくれ」
「かしこまりました」
老人ながら健脚なアルフレッドは、ぬかるむ地面が広がる古い土地を健康的な速度で歩いていく。オレの膂力がこの荷車も弾けんばかりに太ったドブロシの体重も、車輪に絡みついてくるぬかるみについても、気にせず進めると理解したようだ。
戦いの感性も優れてはいる。
これだけの才能を洗練させる努力を、どうして人は正しく使えないものなのか。うんざりするよ。生涯の悪を決め込んで、迷うことなくその道に突き進んでいるような男を見るのは……。
こんな悪人どもに未来があるのにな。どうして、マジメで無垢な者たちは、未来が奪われているのか。悪人どものせいで沼地に沈んだ魂たちが、嘆いて恨みの声を上げている気がした。
少しは、君らの対価も悪人どもに支払わせてやるよ。
「アルフレッド。君らの悪徳のネットワークか、バイエルンにもつながっているかい?女や麻薬、武器の密売なんてこと、君らは得意だろう」
「ええ。政治的にも色々と混乱していましたからな。暴力を求めがちです。左派政党も滅びた。これからは、あの土地はかつてのように極めて保守的な右派勢力が支配するでしょう」
「君らのような悪人は、どちらの側にも武器を売るかな?」
「……ええ。敵にも味方にも、武器を売れたなら。二倍の稼ぎになりますからな」
「サラリと言ってくれるものだ」
「聖職者の方と、恩義を持った方に嘘を使うことに背徳の快楽を得られていた年齢は、とっくの昔に過ぎ去ってしまっていますから」
「素直に話してくれるのなら、オレは構わないことにする。オレも、薄汚れたオトナだからね」
「何をお望みなのでしょうかな、アレク・レッドウッドさま。北に蘇ろうとしている魔王と戦うのに、近代的な銃火器が必要なのでしょうか?」
「あって困ることじゃない。そいつも、少しばかりはいただいていく」
「かしこまりました」
「そして。それ以上に欲しいのは、バイエルンの左派勢力。共産主義者たちについての情報だ」
「ふむ。それは、どうしてですかな?」
「君は、秘密を守れるかな。君や、このドブロシの子孫が生きている世界を、魔王に壊されないために、忠誠心を使えるかい?」
「もちろん」
「ならば、信じて話す。悪人である君のことを、信じてね」
「どうぞ。裏切ることはございません。貴方への感謝は、私にそれを選ばせません」
「バイエルンの左派勢力のもとに……オレの…………」
言葉に詰まってしまったな。悪人へ話しかけることへの抵抗ではなく、マルジェンカへの特別な悪感情のためにだった。老人は、人生経験の豊かさを使って何かを察してくれたのかもしれない。アルフレッドは、悪人らしからぬ紳士的な声で訊いてくれる。
「……貴方の?」
「……オレの、宿敵だ。マルジェンカ。魔王を産もうとしている、魔王の娘だ。吸血鬼の少女だ。何十世紀も生きているが。そいつが、バイエルンの左派勢力の中に紛れこんでいるらしい。『蠅』が自慢げに語っていた」
「ふむ。彼らは窮地にあるらしいですがね。右派側は隆盛ですし、有能な猟犬のような男もいるとか」
「少数の状態というのなら、好都合だ。探す場所が少なくて済む」
「ええ。武器の密輸に使っている場所を、いくつかお教えいたしましょう。あちらの敏感な情勢に反応できるように、こちらが送り込んでいる『スタッフ』とも、貴方が会えるように手配します。その『スタッフ』ならば、上手く貴方の要望に応えてくれるはずだ」
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