二日目 『慎ましき暴食』 その20


 しばらくのあいだ。無言のまま過ごす。コレットは世界のために祈っているようだった。膝を突いて、ただのシスターであるかのように祈りを捧げる。


 硝煙の香りと、腰の裏にある拳銃とナイフは、あまり似合っていないが。そんな指摘は、戦士でありたい彼女を否定することにもつながるのかもしれない。だから。オレも無言を選んでいた……。


 数分間の祈りが終わり。


 コレット・イルザクスは、バチカンの戦士の貌に戻る。


「アレク・レッドウッド。完全かどうかは私にも判断はつかないが、治療もし終わった。情報を提供して欲しい。ヴァルシャジェンの復活を阻止するために」


「……君もついてくるのか?」


「当然だ。私に、お前は何か他の誰かを色々と重ねているのかもしれない。かつて、お前のそばにいて、今はいない者たちのことを」


「……不服かい」


「私は、コレット・イルザクスだ。それ以外の、何者でもない。だから、私は戦いに行く。それが自分らしいことだと、信じているからだ」


「……危険なんだぞ?」


「分かっている。バチカンの戦士になると決めた時から、私は魔物との戦いの危険性など、理解しているんだ」


「……分かった」


「年寄りたちよりは、柔軟なおじさんで助かる」


「オレを猟犬だか番犬ぐらいに思って、前衛は任せるんだ」


「……お前は、私の上司じゃない」


「適性の問題だ。致命傷を負っても、オレは耐えられる。ヒーリングの奇跡を、君が自分のために使いながら戦うよりも、効率的だ」


「了解だ。お前を、盾として使う」


「それでいい」


「……情報をくれるか。バチカンの戦士は、協力して進むべきだろ」


「バイエルン。『蠅』は、マルジェンカがそこにいると言っていた。共産主義者とも関りがあるともな」


「共産主義者と?」


「『新しいカトリックの敵』だ。マルジェンカは、その力学を使って、バチカンからの妨害を遠ざけようとしているのかもしれない。政治的な力学で、結界を作る。身を隠して準備をするには、たしかに悪くない土地だ」


「『蠅』が、嘘をついているリスクは?」


「無い。『蠅』は、尊大だ。嘘をつくことを好むような性格もしていない。肌で感じた態度でも、そうだった」


「ベテランの経験?」


「信じてくれていい。魔物に対しての勘は、外れたことはないんだ。邪悪なところがあるからかもしれない」


 そこを買われたから、スカウトされたのかもな。伝説の包帯顔の戦士に……。


「了解した。バイエルンと、共産主義者だな。バチカンに連絡しておきたい情報だ」


「……政治的な対立を起こさないようにしておくべきだとも、注文を付けておくといい。それこそがマルジェンカの狙いだろうから」


「そうなんでしょうけど。出来るのかしら?」


「政情不安の土地だ。難しいだろうな」


「吸血鬼なんかの言いなりに、人間が動いてしまうことになるのね」


「可能性は高い。世界は、とっくの昔に政治と経済の動きに支配されているよ。戦争だって、シティで戦時国債を商品化してもらった方が勝つ。そんなものになりつつある」


「敬虔で善良あな神の下僕は減っているのかしら」


「嘆かわしいことに、そうかもしれん。神さまのために十字軍が編成されるのは、もう大昔のハナシだろう。神さまじゃなく、これからは金と権力のためだけに、殺し合うのさ」


「戦争帰りだから、悲観的になっているのかしら」


「……そうかもしれない。悲観論は若者に受けないよな」


「まあ、そうかもね」


「ラジオの国際放送だって、始まったんだから。たしかに、希望はある」


「ラジオとか聞くのね?」


「そうだよ。コレット。オレはね、科学を信じてもいる。あれは、政治や宗教とは違って、本当に民衆のための力になると信じているんだ。まだ空気からパンは作っちゃいないけど、アンモニアを合成しただろ。空気から肥料が作れるんだ」


「すごいことじゃあるわね。私にはよく分からないことも多いけど」


「……もっと、すごくなるぞ。きっと、科学は人類を祝福してくれるさ……いつか人類は、世界中で、いつでも同じ歌を聞ける日が来るんだよ……」


 君の受け売りでもある。未来を予想して、的中させた君の言葉が、もっと遠い未来を想像するときのオレを支えてくれた。夢を見るのは好きだ。人が、どんどん科学の力で、世界を革命していく様子を感じられるのも。楽しいことだよ。


「科学が好きなのは理解したわ。でも、アレク・レッドウッド。シスターでもある私に、信仰を否定するような言葉を使うのは、失礼な面もあるってこと、理解しなさい」


「……そうだったな。すまない。科学だけじゃなく、きっと、信仰も大切だよ」


「……ふう。心のこもっていない言葉に聞こえたけど。まあ、いい。罰当たりなアレク・レッドウッド。私は、バチカンに連絡を入れてくる。お前は、しばらくここで待っているか?」


「いいや。ドブロシのところに、ちょっと顔を出してくる」


「『蠅』の犠牲者ね」


「ヤツも悪人じゃあるが、一応は犠牲者だ」


「……分かった。逃げるなよ」


「逃げないさ。君と組むことにする」


「……そ、そうか」


「喜んだのか?」


「……喜んでない。認めてもらったとか、思っていないから。でも、すぐに認めさせてやるぞ。私は自分の血も、体も……異能を保管するためだけの容れ物にはしない。私は、そんなことしなくても十分に価値があるって、証明したいんだ」


 色々な劣等感があって。やはり教会の説教よりも、カウンセリングのテクニックが普及していくことになるのだろうなと感じさせた。


 特殊な一族の出身者であるとはいえ、昨今の若者は悩み過ぎる。昔より、自分のことを深く考えるようになっていることは、良いことなのかもしれないが……そいつは、常に劣等感との衝突を起こしやすくもなっているように感じる。


「それでは、行動を開始するぞ。アレク・レッドウッド、被害者に……いや、ろくでもない悪人なのか……ほっといても良いような気がするぞ。ケアなんて、要らないような……」


「そうだな。だが。ドブロシの顔は広いらしい。新大陸にもコネがあるというのなら、ヨーロッパにもコネがあるだろう」


「まさか、悪人を頼るつもりなの?」


「政治よりも国境を越えるのが悪人の欲望だ。カトリックへの寄付も多額らしい。教会の上客だな。バイエルンのような本来は保守的な土地にも、顔が利いてくれるかもしれない。バチカンだけが、国際的な組織ではないしな」


「……邪悪な方法の気もする」


「より邪悪なものをどうにかするためなら、許容して行け。バチカンの戦士の先輩として、君に与えてやれる指導の一つになる」


「オトナになると、汚れちゃうんだ」


「そうさ。邪悪さも使った方が、強くはある。可能なら、潔白に生きたいところだが。人類の力を集めて戦うべきだろ。神さまの下僕だけじゃ、ちょっと分が悪い相手かもしれないからな」


「……ヴァルシャジェンは、それほどの脅威というわけね」


「ああ。とにかく、後で合流しよう。ドブロシも『蠅』から解放された。もう豚小屋にはいたくないだろうから……ヤツの罪深い豪邸の前で合流するぞ」


「了解した。はあ……ここの神父、どこに出かけているのかしらね。頼みたい雑用はいくつかあるのに。姿も影もない」


「街で機銃を撃ちまくったから、逃げ出しているのかもしれない。ドブロシの商売敵が襲撃して来たと考えれば……ドブロシから金をもらっている教会の神父は、逃げ足に力を込めてしまうのかもしれないぞ。見せしめに焼かれるかもしれないからな」


「聖職者も、俗世の力学からは自由になれないのかしら」


「庶民よりは、いくらかマシかもしれないぞ。世の中を渡るには、君が想像する以上に金が要る。金では、困ったことはないはずだ。君の潔癖さからは、そう感じる」


「あなたほどには、そうでしょうね。とにかく。アレク・レッドウッド。あとで、合流するわ。どうにかバチカンと連絡を取ってみる。確認するけど」


「逃げない。君と組む」


「それでいいわ」


 ……放置していると、かえって危ないことをしでかしそうだ。お嬢様の番犬として、守ってやるべきか。マルジェンカやヴァルシャジェンの眷属どもと戦いながら?…………なかなか、魔物退治の仕事というのは、ハードだ。いつもこうだ。


 我々は貴方から間接的に与えられたはずの任務に、いつも忠実な働きをしているんだぜ。


 もう少し、労働環境を改善してくれないかな、主よ。そのうち東方教会よりもプロテスタントよりも、もっと違う形の派閥が形成されて、カトリックを割ってしまうかもしれないぞ。


 教皇にでも、文句を入れておくか。まあ、ゾンビ野郎の陳情なんて、聖なる耳には伝わらないだろうが……。


 我々だって、正当に評価されたい労働者のはずなんだ。


 ああ、クソ。死んだ後になって考えてしまう。バチカンの戦士だって、労働組合をきちんと作っておくべきだったんじゃないかとかな。健気で働き者な若者と触れると、そんなことを考えてしまう……。


 もっと、生きているあいだに若者と交流を増やしていた方が良かったのかもしれない。死んでからの後悔を、少しは減らせていたはずだ。オレは、社交性に欠き過ぎていたらしいよ。あまり、良い殺し屋じゃなかったのかもな。



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