二日目 『慎ましき暴食』 その16
「……わかった。私たちはヴァルシャジェンを追わないといけない。今は、それが最優先すべき事項だ。協力する」
「ありがとう。とりあえず……どこか人気がないところに移動すべきだな。オレたちは、目立ちすぎている」
「今さら市民を気にするというのか?」
「……少し、手当もしたいからというのもある。少しばかり、疲れてはいるんだ」
「……教会を借りるとしましょう。私たちは、同業者のようなものだから。連絡役も頼みたいところだし……ああ。あとは、ドブロシについてのことも聞かなくちゃならない。そうか。仕事は、多いのね」
マジメな娘だと感心する。20世紀生まれは違うよ。オレが彼女の年代のころには、もっと雑な考えをしていた。仕事に縛られるなんてことは、もっとオトナになってからで十分なはずなのだがな。
とはいえ仕事の情熱のおかげで、こちらへの攻撃性が削がれてくれるのならば好都合というものである。
「あっちにあるな。アレク・レッドウッド、先に行くんだ。私は、お前の背後にいるから」
「信じているよ。いきなりオレを撃つようなことをしないって」
「撃たなくちゃならないことをすれば、撃つ。お前は自分がどれほど信用されていないのかを、自覚して行動すべきだ」
「骨身に染みてはいるよ……」
仕事熱心な乙女の前を歩く。戦火に焼かれなかった鐘楼は、きっと中世のころから人々の中心にあったのだろう。すぐに見つかるよ。支配の象徴でもあり、まだ人々が科学よりも神秘を信じていた時代の産物に向けて、歩き出す。
信心深い田舎の村人たちは畏れたままだな。19世紀よりも、もっと昔の人々のようにも見えた。祈りの声が、あちこちの家から漏れてくる。怯えた瞳が放つ、あの弱々しい視線も背中に浴びる。
無視する。気にしていられるほど、健康な状態でもない―――健康?ゾンビには、あまりにも遠い概念のはずだった。笑えるな。君の上手な皮肉を聞きたくなったよ。オレのこの現状を、君はどんな風に評価してくれるのか。
ずいぶんと人類に貢献して来たつもりだったが。
何にもないな。
後輩の小娘なんぞからも、疑われたまま。神さまの住んでいるらしい家へと向かった。背負っているのは原罪じゃなくて、不信の重みだよ。主よ、オレの日々の行いは、そんなに悪かっただろうか?
嘆きにひたる時間は長いものではなかったよ。小さな集落の中心にたどり着くには、ゾンビの脚でも時間はかからない。
ああ。ドブロシはカトリックには多額の寄付をしていたと自称していただけはあり、ヤツの地元の教会は古いが、荘厳さを保っていた。鐘楼だって手直しされたばかりのようだな。免罪符でも売っていたのかな、女を食い物にして来たようなクズ野郎に。
主よ。オレより悪人で、貴方にお仕えするための服を着て過ごしている連中は、この地上にたくさんいるらしい。
穢れた指を握って作った拳を使い、誰のためにも開かれているはずのドアを押した。鍵はかけられてはいなかったよ。開かれた教会の中の空気は、それなりに澄んでいる。ドブロシの贖罪のための気持ちが、形となった芸術品がステンドグラスという名の芸術品となり、日の光を浴びて輝いていた。
聖母マリアがいる。
幼児を抱いているな。主よ、生まれてからそう歳月が経っていない貴方のことを。ガキのころには、何も感じなかったのに。いや、数日前まで、大して心を揺さぶりはしなかったのだがな。今は、ドブロシの免罪が作ったはずの芸術に、感情移入してしまう。
今は、きっと尊くない運命に呪われたような赤ちゃんにだって泣けるよ。今まで以上に、きっとな。
「……どうした、アレク・レッドウッド?」
「……神父さまが不在なんでね。吐かなくちゃいけない罪の告白の出し場がないとか、考えているんだよ」
「私に言えばいい。罪も。情報も。吐けばいい」
「シスターだからか」
「そうね。それに、バチカンの戦士だから。懺悔も聞いてあげてもいい。お前を殺す役目も、私は放棄するつもりはないから」
「状況が良くなったら、いつでもしてくれてかまわない」
「……そうする。どこでもいいから、座りなさい。とりあえず、傷を見せて。痛むの?」
「全身、ボロボロじゃある。自分の師匠とも殺し合って、ヴァルシャジェンの娘に殺されて、動く石像やら狼男、マフィアに『蠅』に……生前よりも、オレはよっぽど忙しく戦いまくっている」
「戦い過ぎているな。それで、よく生きて……いや、死んでいるのか。とにかく、私にやれることはあるかどうか、確かめるためにも見てやる。上着を脱ぎなさい」
「……ああ」
久しぶりに若い女性の前で服を脱ぐが。君と主と主の母親に誓ってね、悪さをするためじゃないよ。教会なんぞで、罪深い体を晒してしまい、申し訳ない。主の家のはずなのにな……。
燃えた上着を脱ぎ捨てて、傷だらけの体を晒す。若い瞳が、険しさを増した。
「……古傷だらけだ」
「バチカンの戦士なんて、やるものじゃない」
「お前は、傭兵としても罪深かったと聞いているぞ」
「否定はしない。貧しくてみじめな育ちをするとな。ろくでもない人生に堕ちてしまうこともある。神さまの光が届かないのは、地獄だけじゃない。ロンドンの路地裏で蛆虫みたいに這いずり回っている孤児のガキどもにだって、そんなものだ」
「……私には、想像はつかない」
「だろうな。君は、良い暮らしをしていただろうから」
「だから、弱いとでも?」
「いいや。良いことさ。君は、多くの恵みを運命に与えてもらっている。人を殺さなくても生きていていけるのは、誰かから盗まなくても生きているのは……とても幸運なことだぞ、コレット・イルザクス」
「……私のことを、何も知らない男が」
何かしらのコンプレックスに触れてしまったのかもしれない。尼僧姿の小娘に睨みつけられる。若さゆえに、自分のことを特別視したいのか……一般論に収めてなど欲しくないと願っているのか。
あるいは。
彼女の瞳が強く主張している怒りは正当なものであり、オレよりも苦悩を抱えるべき身分であるのかもしれないな。バチカンの戦士に、しかも処刑を司る役割を与えられた小娘か。装備はオレよりも最新だ。何か、特別な地位か高名な家のご令嬢ではあるはずなのだが……。
もっと、バチカン内部のどうでもいい人間関係を気にしておけば良かったかもしれない。そうすれば、彼女の苦悩に対しても、少しは理解が及んだのかもしれないな。
でも。主よ。
罪深くて愚かで。ガキの頃から盗みや殺しばかりしていた。ドブロシよりも、ずっと邪悪な行いをすることでしか、生きてこれなかった罪深く愚かなオレには、彼女の瞳が主張する何かを理解できないままだった。
罰当たりなのかもしれない。
教会になんて、来なければ良かったかもしれないな。君と、エリーゼのことを思い出させるステンドグラスなんて、見なくても済んだし……。
「とにかく。座れ……診てやる」
「……ああ」
若い娘の命令のまま、信者のための長イスに座る。焼けただれた右腕に、コレット・イルザクスは近づいて来た。あの主張を秘めた瞳で、オレの傷を観察し始める。
「……骨にまで達しそうなほどの、深い裂傷があるは。というよりも、この場所なんかは、骨まで見えてしまっているのか」
「白いヤツが見えたら、骨だな」
「……深い傷だ。それで、動けるのか」
「動けた。あちこちの傷も、ゾンビにされてからは、早く治る。『雹の女神カーリー』の祝福は、グルカ兵だけじゃなくオレにもあるらしい」
「スカー・フェイスの異教の秘術を、刻まれているのか。愛されているように見える。それは、祝福でしょ?」
「祝福?……だと思うが。それならば、バチカンに嘘の報告をしてまで、オレを狩り立てる理由も分からないな」
「スカー・フェイスは、お前をどうしたいのだろうか」
「分からない。もっと、協力し合えば、おそらくヴァルシャジェンの復活だって、阻止できるはずなのにな……バチカンの伝説だぞ、マルコは」
「スカー・フェイスの動向も気にはなるな。報告は入れておく」
「オレのことは、どうする?」
「監視下に置くことにする」
「……ついてくるつもりか?」
「娘のために、『ヴァルシャジェンの娘』を追いかけるんだろう?」
「追いかける。エリーゼを、世界を滅ぼすかもしれない邪悪の……母親になんて、してたまるかよ」
「……その怒りは、きっと、信じられる」
「ありがとう。邪魔しないでくれ……というか、そうだな。この世界を守ることになる後輩よ。君の力を貸してくれると助かる……君の装備とコネは、オレをエリーゼのもとにより早く導く」
「……嫌な言い方だ」
「君の力も評価しているさ。だが、それよりも。君の装備やコネの方が、オレには必要なんだ」
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