二日目 『慎ましき暴食』 その14
『ぎぎぎいいいいいい!!?ぎゃはあ!?ぐああ、ぎゃああう!?』
今となっては自分が人間とも言い難い立場であるのは承知の上で、人間全般を代弁するような言葉を使うことをお許しください、主よ。
人間の指は原罪にまみれているのですから。どうにもこうにも残酷な作業に向いているんです。ナイフというものは、とてもシンプルな道具で、それゆえに表現可能なテクニックの幅が広くあります。
裂いて、刺して、斬りつけて、貫いて、えぐって。それを操る者の感情や行動原理を体現してしまうものです…………なんてね。そんなことを考えている。頭の片隅で。集中とは別の方法でも、戦士は行動を洗練させられた。これも、その一つだ。
目の前で暴れる醜く巨大な『蠅』の脚、そいつを軽々と躱すためには。その回避を行った後に、何の感情も抱かずに反撃の刃を差し込むためには。燃料仕掛けのミシンみたいに淡々と動くことも有効なんだ。
躱して、痛めつける。
それを繰り返す。雹の女神に祝福された腕力で、研ぎ澄まされた刃を振るった。狙う場所はいくらでもある。『蠅』はタフだから、とにかく片っ端から壊してやることもいい。
機関銃のおかげで穴だらけになって、緑色の汁が噴き出すその巨体……可能なら、傷口を狙ってやるのが良いのですよ、主よ。そうすれば、より傷が広がり、あふれる魔物の血も増えるのですから。
『ぎゃがああ!!?があああああうう!?』
ミシンの針みたいに、淡々と黙々と。銃痕近くにナイフを刺した。刺して、手首を回す。えぐったら、肘を重りにするように振って……裂きながら抜く。魔物の悲鳴などは、おぞましい叫びではあったとしても恐れることはない。
もうとっくの昔に、科学の時代なんだから。
人間は美しいものも作る。酷いものも作る。色々と、学んだよ。自分の人生は光と
影のどちらもある。光の方が、まあ、少な目だけど。
なあ。魔物よ。お前をあの機関銃は、ここまで深く撃ち抜いてみせたぞ。霊験もなければ祝福も捧げられていない、バチカンが消し去った魔女たちのまじないとも無縁な、ただの工業製品ごときが、お前を撃ち抜き墜落させた。
お前に追いついたヴィーゴもそうだぞ。科学が造った傑作たちが、オレやお前のようなファンタジックな怪物の必要性を減らしている。
「そろそろ、みんなで引退しようぜ。オレも、お前たちを一匹でも多く道連れにして逝くからな。さみしくなんて、ないさ。なあ!消えちまおうぜ、『蠅』よ!!」
『ぎゃひゃう!?い、いやだああっ!?ふ、ふざける―――ぎゃはああうう!?』
『蠅』のメロンみたいに大きな眼球をナイフで貫く。
無数の赤いぶよぶよとした何かで構成されたその部分が、オレを見ている気がするな。ああ、それでいいんだ。笑う。恐怖を与えてやるために、牙を剥いて。獣のような悪人面を選ぶ。
弱いからな、人間は。
道具を使わなければ魔物とも戦えない。だから、色々な工夫を戦いに持ち込んだ。アジアの武術には、卑劣さも許容するものがある。弱いヤツは、そうでもしなければ勝てない。弱いヤツが強いヤツに勝つために、強さを鍛えるより別の方法を探せと言う。
カッコ悪い?
いいや、やさしくて器が大きいのさ。弱いままでも勝つ方法を与えてくれるなんてさ。フェアじゃないか。弱さを許容してくれるやさしさのように思えてからは……オレは好きになれたよ。君は、オレに物事の本質を教えることが、本当に上手かったね。
『わ、わらうなああああああ!?』
怯えても、怒ってもいい。弱者ゆえに、お前の感情を揺さぶるための小細工をしているのだ。表情一つ。唇を狼の口みたいに大きく開くだけで、お前の感情に影響を与えてくれて、こちらの攻撃が一つでも多く当たるのならば、素晴らしいトレードじゃないか。
赤い目玉にナイフを突き立てて―――反撃をもらったよ。
『蠅』の脚がブブブブと振動と音を放ちつつ、顔面に当たった。額に当たる。脳が揺れたな。さすがに、威力に耐え切れず、体が吹っ飛ばされた。古びた石畳に投げ倒されてしまう。
ああ。敗北はいつだって戦士を誘惑してきた。このまま、倒れたって、きっと誰も文句を言わないだろ。ずいぶん多く、魔物を殺して来た身なのだから。怯える市民の脚が見えた。『蠅』か、オレを見た恐れている。
怪物扱いだ。
自覚はあるよ、恐れられてもしょうがない。だって、たくさん殺すんだから。魔物も人間も、殺してしまった。罪に穢れた赤いものが、血管を走っている。鏡を見れば、古傷の多い怪物の貌と出逢えた。
オレは……大嫌いだよ、自分の顔のこと。
ああ。向精神薬が切れたのか、ゾンビの体には元から利きやしないのか。君の白い墓とか、エリーゼの笑顔が、頭に浮かぶ……何て魅力的なのだろう、死という場所に、飛び込んでいきたい。このまま、沈んでおきたいのにな。あちこち、痛いんだぞ。
でも。
君の手を感じるよ。
差し出されるんじゃない。そういう性格じゃない。起き上がろうともがく背中を、押してくれるんだ。なあ、働くオレのことが、好きかい?
『た、立ち上がったのか!?く、首の骨が、お、折れなかったのかよ!?狙ったんだぞ!?狙って、研ぎ澄ました一撃を、叩き込んでやったというのに!!?』
「……うるせえ。クソ昆虫野郎。お前たちは、いつもいつも……おしゃべりで……オレをいらいらとさせるんだ」
『……ッッッ!!?ど、どうして!?どうして―――』
うるさい。うるさいヤツだよ。
『―――どうして、お前から、『その魔力』があふれている!?……お、お前、そ、その、『牙』は……っ!!?』
獣みたいな貌していて、悪かったな。ああ、そうだ。君と―――エリーゼにしか、愛を込めたキスなんてしてもらったことのない、凶悪な顔なんだよ。スラムなんかで生まれ育った孤独なガキは、どうにも愛想が悪くてな。
まったく。
好きで、こんな過酷なことをしているわけじゃない。バチカンの戦士である理由は、ああ、そうだよ。父であり夫であり―――愛のためだね。オレの愛に、それほど怯えるな、罰当たりな虫けらめ。
霊鉄のリボルバーを抜いた。
さっきよりも激しく神罰の焔が暴れて狂う。火葬にでもなってしまいそうな勢いで、オレの右腕が燃えるんだ。右腕どころか、半身も焼け落ちてしまいそうだな。無機物な聖なる相棒に毛嫌いされながらも、浄化の痛みが激しい雨みたいに降り注いでも。
笑顔のまま。
君の夫は、引き金を絞るんだ。愛って、強いから。神罰の痛みにも勝るよ。
炸薬が歌声を放つ。いつもよりも酷く大きい。神秘の力は化学反応も促進するらしい。次の世紀に解明されるのかもしれない現象を帯びて、弾丸が放たれる。
ベテランだから。
ちょっとぐらいは知恵も使っていた。貫通させるつもりはなかったんだよ。直線的に最小限の損傷を与えるんじゃなくて、もっと派手に『蠅』をぶっ壊してやるために。ああ、さようなら。オレの牙の一つ。
信頼できる古い鋼で打たれたナイフ。『蠅』の目玉に刺さりっぱなしになっていた働き者の殺し屋に、霊鉄のリボルバーが放った弾丸が衝突した。いや、命中させたよ。ちゃんと狙い通りにね。
だから。
鋼が割れて、ナイフが吹き飛び。神罰の青い焔をまとった弾丸も、砕けて散る。『蠅』の頭の中でだ。弾丸とナイフの欠片が、高速で暴れたのだと思う。『蠅』の頭のあちこちから青い焔が吹き上がっていたから。
『ぎひゃ、ぎ、ぎぎ……っ!!?た、た、卵おおお―――』
ぐちゃぐちゃになった『蠅』の頭が、オレを無視した。探す。探す。卵を産み付けるべき者を探しやがる―――オレのエリーゼの腹を狙うみたいに―――。
噛みしめられた牙が鳴った。
霊鉄のリボルバーが、手から落ちる。
弾丸もそろそろ切れかかっているから。それに、もう……指が限界なものだから。このヘタレっぷり、君に叱られるかもしれないけど……でも、安心してくれよ。オレと君のエリーゼは、オレが守るから。
「お前ごときがあああああッッッ!!!うちの娘を探すなああああッッッ!!!!」
『ち、ちが――――』
「うるせええええ!!!死にやがれ、昆虫野郎ッッッ!!!!」
神罰の焔に焼かれる右腕で、鉄槌を打ち放つ。
焼かれたせいで骨が見えていた気もするが、焼かれて鋭さを帯びていたのか。あるいは神罰が味方してくれたのか―――もっと、困ったことが主たる原因なのか。何にせよ。オレの青い焔を帯びた鋭い『爪』が……。
ぐちゃぐちゃになっていた『蠅』の頭を粉砕しながら引き裂いた!!
深く深く深く、ヤツの内部に潜り込んだその奥で。神罰と、何かそれとは『別のもの』が相反して反発するように力強く炸裂していた。
『蠅』の頭が、四方八方に飛び散って、この無数に分身を持つ魔物の一匹が、また死んだ。またオレに殺され地獄に落ちる。ああ、何度も何度も、オレたちはこれを繰り返しているな、『蠅』よ……。
「……地獄の底で、待っていろ。すぐに……マルジェンカと一緒に、オレも行ってやるから」
いいんだ。罪の重さのせいで、天国に行けなくたって。
世界を守るよ。
愛が支える邪悪な笑顔があるからね、いつもみたいにぶっ殺すんだ。
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