二日目 『慎ましき暴食』 その13
「……追いつくぞ!」
「ああ。準備するよ、すまないな。レディーの体を触ってしまい」
「聖職者で、父親で、バチカン戦士なら、信じてやる」
「どうも」
ヴィーゴを操る彼女の腰に腕を回す。細い腰だな。君に似ているが、君よりも細いかもしれない―――すまないな。嫌いにならないでくれると助かるよ。弾帯を抜き去る。素早く機関銃にそいつを装着したよ。ヴィーゴの荷台にある備え付けられているそいつのロックを外し、持ち上げる。
重たいが。
まあ、生来の怪力と君の父親に刻み付けられた呪いのせいで、どうにか操れるさ。
若い青い瞳が、こちらをチラリと見た。怪力芸に怯えるサーカスを初めて見に来たガキのようにな。ああ、そんな言葉は使わない。
「世の中には、変なヤツもいる。気にするな」
「……軽量化してもらっていたけど、その重さは人間が操れるようなものでは……いや、そうだな。気にしない。バチカンの戦士だ」
「魔物を相手にしている殺し屋だよ。だからこそ、普通じゃない」
「……もう狙えるぞ。そいつの射程距離は長い」
「ああ。だからこそ、もっと近づく。あの『蠅』は羽化したばかりで経験が拙い」
「ルーキーを馬鹿にする」
「しちゃいない。君は考えすぎているぞ」
やはり、バチカンの戦士の全員が精神科に通うべきではある。もっと素直な生き方をすればいいのに。狂った神秘の世界に触れてしまった連中は、どうにも考えすぎている気がするよ。オレも君も、このレディーもそうだった。
「……引き付けて、精確に連射を叩き込むんだな?」
「分かりやすい作戦だと思うがね。もっといいアイデアが他にあれば、聞くぞ」
「……それでいい。でも。それをすれば、民間人のいる区域で……」
「バチカンの装備を見られたとしても気にするな。そんなルールに縛られていては、本当の仕事なんて出来ないぞ」
無言のままにらむ。青くて若い瞳が。それでも、すぐに運転に集中を戻した。若手扱いすることにコンプレックスを抱く。若手は絶対にそうだから困ったものだ。
オレもそうだったかな。いいや、オレはもっと素直だったし……デビューがこの娘よりも早かった。ずっとね。
機関が唸る。街並みに近づいたおかげで道が良くなったからだ。このヴィーゴという三輪の怪物も、本領をようやく発揮することが可能となったらしいよ。車輪を持つ者は、舗装された道を走るためにあるのだから。
『ぎぎぎいいいいいいいいいいい、いいいいいいいいいいい!!』
鳴いているな。怒りもある。恐怖もある。それが歯がゆいらしく、醜い口で『蠅』は鳴いていた。気分は良くなる。オレは魔物が基本的に嫌いだからな。差別するわけじゃないがね、3メートルの『蠅』だって……やさしければ殺さないのだが。
人肉を好むような厄介な魔物にまで、生きていることを許せるほど見境のない男でもなかった。
接近する。
接近する。
気づいていない、気づいていない、気づいて―――『蠅』が、こちらを向く!!
「アレク・レッドウッド!!」
「最高のタイミングだ!!」
両腕に抱えた機関銃をぶっ放す!!
インドの虎が戦いを楽しむような唸り声と、鋼鉄製の身震いがゾンビの骨格に襲い掛かって来るが―――耐えるのみだな。
町の人々が、この轟音に気づかないはずもない。可能であれば清く正しく生きていて欲しい慎ましい暮らしをする人々の耳には、あまりにも相応しくない轟音を放った。そのことは心苦しい。
誰もがトラウマを抱えているからね。世界大戦っていう生々しい痛みは、まだヨーロッパに住む全ての男と女に残っているだろうし……科学と常識の通用しなそうな魔物の姿になんて気づいて欲しくはないんだが。
迷える子羊の諸君。
君らの精神より、身の安全を救う方をバチカンの戦士は優先するよ。
ダガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガ!!!
『ぎひゃあああああああああああああッッッ!!?』
『蠅』の体に無数の弾丸が撃ち込まれていく。いい機関砲だ。秒間14発以上じゃないのか。バチカンのガンスミスの努力が利いて、設計性能限界まで能力が引き出されているのかもしれないが。
なるほど。ルーキー……いや、コレット・イルザクスの懸念は正しくもあるな。人々の恐怖を、この機関砲は揺さぶり返す。とても強く、大戦を思い出させてしまう。
「ひいいいいいいいいいいいいいいい!!?」
「に、逃げろおおおおおおおおおおお!!?」
「子供たちを隠すんだあああああああ!!!」
もはや。魔物よりも恐怖の象徴は、こっちの方に移ったのかもしれない。科学が『迷信であったら良い化け物ども』を駆逐した世界で、人間を多く切り裂いてしまったのは機関砲の方だから。
魔物に暴れられるよりも多く、殺されている。我々は、ひどい時代に生きているよ。
尼僧姿の乙女が運転する謎の車もどきの上で、ゾンビ化した大男が機関砲を振り回す。世界の終わりを連想させてしまったようで、主の貧しい子羊たちは普段以上に哀れに逃げ回る。
だが。いいさ。行動としては正しい。恐れるべきだ。恐怖に駆られて、可能な限り遠くに逃げろ。子供を隠せ。女もだ。やわらかい肉の方を好むのは、オレたち―――いや、『人間たち』だけじゃない。『蠅』も、そんな対象を好む。
嫌だよ。
女をえぐって『蠅』の卵を取り出すことも、子供相手にそれをすることは……もっと嫌だ。
「隠れなさい!!悪魔が来たわよ!!」
コレット・イルザクスが叫んでくれるが……次世代の戦争兵器の唸り声が、彼女の言葉を邪魔して子羊の耳には届かなかったんじゃないだろうか。いいセリフじゃある。悪魔が来たわよ。そうだな、本当にそうだった。
真実を知るべき時代だからね、市民階級の子羊だって。
弾丸の嵐に切り裂かれた羽が宙に飛び散り、魔物を万有引力の常識に捕らえてしまう。『蠅』が落下していくよ。貧しく静かな街並みのど真ん中に。牛よりも巨大な醜いそいつの落下音は、ずいぶんと大きなものだった。
それゆえに多くの人々の視線を集める。まいったな。もっと素直に逃げてくれたらいいのに。
こっちの機関銃は、しこたま弾丸を叩き込みつづけたおかげで、熱を持って動きやしない。常識的な科学で作ったものの、限界ではある。科学の囚われなんだ、バチカンの神秘どもも。
「な、なんだ、あれえええええ!!?」
「化け物だあああああああああ!!?」
「悪魔だあああああああああああ!!!!」
『ぎぐぐぐうう、ぎいいい、いいい……っ』
目立つ魔物は悔しそうに鳴く。感情移入はしなかった。忙しいから。
「踏み込め!!加速してヴィーゴの前輪で撥ねてやれ!!体当たりを喰らわせるぞ!!」
「……そんなスペックは―――」
「―――やれ!!!!怯えすぎて、逃げられていない市民もいる!!!!」
「……っ!!わ、わかった!!やるぞ!!」
素直なのはルーキーの良いところだな。ヴィーゴは加速したまま、屈辱と人々の視線に怒り震える醜い肉塊へと迫る。
「うわああああああああああ!!!」
前輪を浮かばせるテクニックを使った。オレたちの後輩はヴィーゴにそんな動きをさせる。まるで、鋼の獣のようにヴィーゴは起き上がり、重量と速度を乗せた前輪を『蠅』の体に叩き込む。
上出来だ。
だからというわけじゃない。一応は大英帝国国籍の紳士として―――いや、たぶん。一人の父親として体が動いた。
この強烈な衝突事故のせいで、体を宙に飛ばされてしまった後輩に抱きついたよ。腕を使う。背中を使う。小さくて儚い命を抱えながら。とっくの昔に死体となった体の全てで、守る。彼女の代わりになって、オレは地面に叩きつけられる。
ああ。かなりの痛みだな。
……生身じゃ、さすがにつらいかもしれない。それでも経験と、悲しいかなゾンビの体がオレに意識を保たせる。だから、動き続けた。意識があるのかないのかは知らないが、コレット・イルザクスのことを地面に置いて。
バチカンの戦士の脚で立つ。折れた肋骨が何かに刺さって痛い。アダムじいさまと同じで、女のために肋骨を失っちまったのかな……ああ、聖職者ぶりながら歩こう。
ナイフを抜いて、牙を剥き。自分を轢いて来たヴィーゴを押しのけようともがく機関銃を生き残った魔物に向かう。ただの『古い迷信』であるべき魔物に、飛び掛かるよ。
こんな風に魔物を殺す獣ならば、聖職者ぶった態度がお似合いじゃないか。悪いね、主よ。いつも皮肉を使いながらでしか、貴方を見れません。ダメな聖職者もどきだ。
『そ、そんな、小さな刃で!!?』
赤い『蠅』の眼が、こちらを見ていたが―――攻撃は、早い者勝ちだ。卑劣さが威力を生む。奇襲して、畳みかけて、有効打でえぐり続けてやるんだよ。相手の言葉に耳を貸すことはない。苦しみの呻きも、痛みに輝く涙も無視した。
それが人間の攻撃性を最大限に発揮させる。
アンフェアで野蛮で、主がお嫌いそうな悪魔みたいな作戦の有用性を、オレたちは世界大戦で証明したばかりだ。科学的かどうかは知らない。
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