二日目 『慎ましき暴食』 その10


 衝撃を喰らった。体が揺さぶられながら、吹き飛ばされる。わずかばかり、自分で飛んでもいるからな。ゾンビの体は、どうにも緩慢だったよ。死体だから、別にいいか。瞬間的にどこかで計算してしまった。


 生への執着が消え去った結果が、この鈍重だ。


 生きていたころのシティ株に夢中な意地汚いオレなら……エリーゼを扶養しないといけないオレなら。『蠅』なんぞ放り捨てて、即座に飛び退いてしまったというのに。何たることか。情けない。君の父親にどやされるぜ。


 マルコが、この場所にいなくてよかった。


 死してなお名誉への執着はある我が身が、何とも間抜けで可愛かったよ。


 痛みと揺れに撃ち飛ばされながら、ゴロゴロと豚小屋の床なんぞの上を転がる。土とホコリの匂い。ショットガンの残響が、鼓膜を揺さぶりやがった。ほんとうに、最低な状況だな。


 マフィアのバカが、ガンスミスに違法改造させた一点物のショットガンは、呪われたゾンビの骨まで砕いている。筋肉も損傷しているはずだった。


 引きつる鼓膜にケンカを売るように。動こうとしたんだが、口からどす黒い血液なんぞを吹き出しちまうだけに、その試みは終わる。内向きに折れた肋骨が、肺を傷つけていたのか、衝撃が伝搬して気道の内側が裂けただけだったのか。


 あるいは。


 それらの症状のどちらも兼ねそろえているのか。ああ……死んでいるのに。それでも、なんだろうな。神経だか、骨格だか、筋肉だか、関節だかが、しびれてしまう。


 動けん。


 肉が、骨が、バリバリと妙な音を立てて、元通りになろうとしているのが分かるのに。


 動け。


 まずいぞ。


 聖職者みたいなオレを撃つ、あのクソ外道の命には興味がないが。


 『蠅』が逃げる。ショットガンの散弾は、オレばかりに当たっちまっていた。


 『蠅』のヤツは、ほとんど無傷……。


「ぶっ殺してやるぜええええええええええええ!!!クソ悪魔がああああああああああああああああああ!!!オレから、オレから産まれやがってえええええッッッ!!!」


 嫌悪の叫び。実に共感を抱けるものだが。そんなに叫んでいる暇があるなら、ショットガンに弾を込めろ。さっさとしろ。早く。じゃないと、『蠅』が……。


 動いていた。


 羽を自分の強酸で溶かしてしまった『蠅』は、もはや自慢げに飛ぶことは出来ないが。ボロボロにしてやった腕と脚を使い、這うように動いた。魔物の底力。どんなに死へと近づいても、動きやがる。ドブロシは、腹を裂かれているし太り過ぎていて動きが遅い。


「く、くるんじゃなあああああああああいいいいいいいいいッッッ!!!?」


『そう嫌うなよ、私の繭よ』


 『蠅』が、ドン・ドブロシに飛びついて床へと押し倒すと。そのまま腕一本で殴りつけて、マフィアの親分をぶん殴りやがった。ドブロシはみじめに豚小屋の床へと大の字に伸びる。生きているようだ。わずかに動いているが、かなりの重傷だろう。タフな悪人だ。


 誰のために、生きている命なのか。


 多くの命を食い物のように奪って来た極悪人のくせに。どうして。


 不条理だぞ、神々よ。


 どこの神さまだって、あんなクズが生きていることを許容し。オレの妻と娘が死んでいる定めを構築するなんて。間違っていることぐらい、分かるじゃないか。


 大嫌いだ。


 それでも。


 立つさ。痛みをこらえながら、犬みたいに両手両足を突いた四つん這いのみじめな姿勢になりながら。噛みしめる。色々なものを。イヤなことが多すぎる状況だからな。


『……撃たれたのに、動くか。人間では、すでに無いとはいえ……っ』


「待ってろ……クソ雑魚が。すぐに……ぶっ殺して、やるからな……かかって来いよ。オレを狙って来い」


 大サービスだ。ショットガンで撃たれたばかりで、体中がクソ痛いんだぞ。弱っている。弱っているんだから。襲い掛かって来い。


 祈りはしないが、願っていた。魔物なんかに願うからか。現実はいつものようにオレを裏切るんだ。


『は、ははは!!……ま、待っていろ。私は……まだ、『先』があるんだ!!』


「とにかく、黙って。オレを殺しに来いよ」


 怯えるな。逃げるな。くそ。『蠅』め、ズタボロの体でも、豚小屋の屋根裏へと続く、小汚いハシゴを這うようにして登っていきやがるんだ。逃げるなよ……逃げるな。それに、そのハシゴを、蹴り壊すんじゃない。


 いやなことばかり、やっぱり起きた。


 蹴り崩されたハシゴの木っ端が舞い散って。屋根裏に向かうための、最も簡単なはずのルートが無くなっちまっていたよ。


「……ぐ、ううう……っ。おおおおおおおおおおおお!!!」


 ようやくだ。ようやく、体が、まともに動き始めた。腕を上げる。拳銃を握ったそいつを、怒りと共に、軋みながら逃げていく屋根裏の気配に向けて。当たり散らすように、引き金を絞った。


 三発撃って。弾切れになる。


 腹立たしい。一発だって当たったのか。銀の弾丸だ。魔物の体を苦しめるが、天井板一枚を貫く時にも、やわらかさのせいで潰れてしまう。魔物以外には、あまり有効な弾丸ではない。


 それでも、弾丸を補充する。体中、痛むのに。地面に転がる、このサイアクの状況を招いたマフィア野郎のことを、恨めしくにらんでしまったとしても、許されるんじゃないか。君なら、きっと、この悲惨な姿になった自業自得な悪人を、蹴り飛ばすかな。


 ああ、代わりに、蹴り飛ばして欲しいよ。


 呪いで強化されたゾンビのオレでは、簡単にこの悪人を殺してしまいそうだから。


「くそが……っ!!」


 悔しくてね。床なんぞを踏みつけていた。ガキの頃からの悪癖が抜けない。洗練された紳士には、けっきょく、なることが出来ないまま死んじまったことが、我ながら残念でもある。


 怒りを、押し殺す必要があった。


 よくない状況だからな。『蠅』を、仕留めそこなった。並みの『蠅』なら別にいいんだが。あの『蠅』は、マルジェンカ/ヴァルシャジェンの娘から、力と役目をもらっている。自分でも口にしていたしな、『次』がある。


 厄介なことだ。


 せっかく、情報を得たのに。バイエルンに迎えばいい。何もかも、気にせず。そこへと向かって、マルジェンカを見つければいいんだ。それなのに…………いや。落ち着け。怒りに心を埋め尽くされている状況ではない。どうにかして、さっさとあの屋根裏に上るんだ。


 見つけろ。


 探せ。


 何かがある。


 あるはずだぞ。ここは豚小屋だ、色々なものがあるだろう。何か足場になるようなものが……ああ。クソ。良さそうな足場が無いと来ているな……っ。だから、しょうがない。しょうがないから、アレを使うことにした。


 まだ本調子にはなっていない体を引きずり、豚小屋の外に出る。屋敷の外周を、ぐるりと大きく回るんだ。足場は、すぐに見つかった。どれだけの値段がするのか分からない、アンティークの車。


 人類の歴史的な発明の一つで、こんな状況じゃなければ、オレだって大切に扱おうとするはずなんだがね。その乗りにくい座席に、よじ登る。鍵はかかったままだから、ありがたい。無ければ、車泥棒の真似事をして、エンジンを無理やりかけるところだった。


 時間を無駄に使う。


 急ぐべきだ。


 『蠅』を、もう一段階、上にしてはならない。未熟ではあるが、学ばせてしまった。殺しかけたせいで、ヤツも経験値というものを得てしまっている。自分と同一のような過去の個体どもの知識を、さっきよりも上手く使うようになっているさ。


 面倒なことにな。


 ドルルル!と番犬みたいな低い声でエンジンがかかる。かかりにくいエンジンだ。アンティークのせいだ。どうでもいいさ。アンティークの高級車を、オレは運転する。ろくでもないドライブはすぐに終わるよ。


 屋敷を半周させて、豚小屋の裏口に向けて。アンティークを突撃させた。豚小屋の扉が壊れて、アンティークも当然のように壊れる。それでもいい。あと4メートルだけ走ってくれば良かったし、それぐらいは走ったんだ。


 煙を上げて。変な音をあちこちからさせながら。二度と動かなくなったとしても。別にいいんだ。賠償金なんて心配する必要もない。死んでるんだからな。アンティークの屋根に足を引っかけて、無理やりに豚小屋なんかの屋根裏へと這い上がる。


 そうまでしたんだ。


 色々と犠牲を払って、無理やりに急いだのだが。


 神さまは、いつものようにオレが大嫌いなんだ。


「主のクソ野郎……っ」


 屋根裏で大きく膨らむ繭は、ビリビリと裂けていきながら、巨大でより完成した姿になった『蠅』を産み出しているところだった。赤い瞳が、こちらをにらむ。人間の要素を消し去った、本当の魔物がな。さっきの5倍は強い。厄介な魔物だ。




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