二日目 『慎ましき暴食』 その4


 無言のままアルフレッドに続いた。豚とその内臓と『蠅』の臭気が混じる朽ちかけの屋敷を抜け出したよ。


 馬でもいれば、それに乗りたいところだ。この牧場だった場所を走り抜ければ、爽快さを手に入れられるだろうし。ぬかるんだところもありそうな地面を、クラシックな車のタイヤで走破するのは難しそうだと感じる。


 だが。アルフレッドには経験があるようだ。この場所を、あの古い車で走り抜けた経験というものだ。それは一つの事実を予想させてしまう。ゾンビなんだから、世の中のことに、もっと鈍感であればいいのにね。


 君の夫は、本当におせっかいというか。野蛮でバカなくせに、ときどき神経質なところがある。君の言っていた通りだった。いつかアタマがおかしくなる。考えすぎない方がいいと、科学者の君に言われたので、そのときは笑えたんだけど。


「乗ってください」


「ああ。タイヤを泥に取られるなよ」


「心得ておりますよ」


 自信をそんな言葉に変えて、アルフレッドはその車を走らせていく……。


「……何度もこの道を走り、その沼に埋めてきたわけか」


「……懺悔を告げるべき相手でしたかな、レッドウッドさまは」


「聞いてやらなくもないよ。事情を把握したほうが、より『蠅』を祓うことは簡単になるだろうからね」


「我が主人が法的に不利にはなりませんかな」


「警察や法の執行機関と連携して、あんたの親分を逮捕しているヒマなどない」


「……ヴァルシャジェンとやらのため」


「そうだ。バカの戯言のように聞こえるかもしれないがね、これでも世界を救う任務をしている最中だ。バチカンに追われている男なら、悪人だとでも思っていたか?あんたたちと仲良くなれる、利益に誘導される倫理観の乏しい男だとでも」


「……要らぬことは話しません。気分を害されたら、大変ですから」


 ルイ16世の手下はそう語り、オレを楽しくさせてくれる。皮肉屋は好きだよ。きっと、オレも性格が悪いからだ。この世界を斜に構えている。影に沈んでいる場所が、お互いに見えすぎているんだ。


 ……ああ、認める。オレも悪人になれる才能はあると思う。君にも指摘されたことがあるからね。でも、続けて否定もしてくれたな。オレのは偽悪らしい。悪に理解があるフリをしていて、その実、とても憎んでいる。


 正義が濃いと、自虐をしながら倫理観を騙したりして、世渡りをするしかなくなることもあるんだ。そういう面倒な人間なんだよ。だから、精神科医からも処方箋をもらえる男になってしまう。


「……貴方さまに私どもが考えていた評価ではなく、先ほどの質問への答えを」


「どうぞ、アルフレッド。教えてくれよ、この道がどれだけ血塗られているのかを」


「私が把握しているだけでも、15人ほど」


「大量殺人だな。築一年目の墓地のような勢いだぞ。どんなヤツを棄てた?」


「……我々の組織の裏切り者ですよ」


「エミリアンと同じか」


「ええ」


「エミリアンは、どんなヤツだったんだい?」


「……若い流れ者でした。まだ子供にも見えるほどの年齢でした。栄養失調の子供時代を送ったのでしょう。それなのに。ドン・ドブロシに拾っていただいたというのに。忘恩の輩が数多く出て困りものですよ」


「悪の道を誰もが耐えられるものではないようだね」


「そうかもしれません。あらゆる仕事に、向き不向きがあるものです」


「殺人も仕事か。どうにも、その点だけには共感できなくもない」


「貴方は無罪なる魂を殺さないと?」


「戦争帰りだぞ。そんな言葉を吐ける立場じゃない」


「……いつの時代にもありますからな。気になさる男は、とても多くを殺してしまったマジメな兵士が多い。経験則で、学術機関の発表に基づいてはおりませんがね」


 マジメな兵士だったと予想されてしまったよ。君の旦那はそうらしい。反戦主義的なところもある。政治のためにする人殺しのストレスで、ゲロまで吐ける男なのにね。


 この件は、本題とは関係ないから掘り下げることはしないよ。


「……15人のマフィアを殺して、あの臭そうな沼地に捨てたというわけか」


「利点があります。腐りが早いのです。あっという間に骨になる」


「そうかい。ここは、つまりは証拠隠滅用の泥プール」


「見せしめは必要です。それが掟を保つ」


「マジメだね」


「そうでなければ、組織に貢献できませんからな」


 アンティークのタイヤは回転を止める。ここから先は地面の湿り気が強すぎて、この細めのタイヤでは沈み込んでしまうだろう。ルイ16世の手下に続いて歩くよ。沼地をな。


「もう一つ質問していいかい、アルフレッド?」


「どうぞ」


「エミリアンは女を逃がそうとしたわけだ」


「そうですね」


「その女性は、どうなった」


「……私たちには法則がある。女を売り買いすることは金になりますが、口も達者な彼女たちが逃げ出せば大きなリスクとなる」


「強烈な見せしめが必要。恐怖で彼女たちを縛るために」


「その他の手段で縛るよりも、安いものです。愛や貢物に比べて、脅すことの経費はとても安価なものだ」


「経済動物あつかいかよ」


「……貴方は、予想されているのですね。嫌悪と怒りが、表情に浮かんでおられますよ」


「まあ、そうだな。悪魔崇拝者だとか、欲望のために邪悪に堕ちたヤツだとか。ただのクズだとか。色々と、そういうのに詳しい最底辺の人生でね」


「私の主はそのどれでもありません」


「そうだな。より最悪な男らしい。女たちを、豚に食わせたか」


「……ええ。豚の胃袋も、証拠隠滅の能力が早いものです」


「あの男を助けることの罪深さを、知ったよ」


「それでも、貴方は助けて下さる」


「断言するのか?」


「もちろん。プロフェッショナルだ。世界を救うのでしょう?……我々は、恩義には報いる。貴方がしたいことに、何でも捧げますよ。この事件を解決してくれたなら」


 悪魔よりも邪悪な言葉を使う男もいる。知っているよ、世界のあちこちを旅して、世界のあちこちでそういう男を見かけて来てしまったからね。


 倫理と利益の天秤を、悪人は見せつけて来るものだ。分かりやすい欲望の説明だよ。罪を許容すれば得られる利益がどれほどあるのかを、悪人は提示する。誘惑の道。そういうものを多く与えていれば、ヒトは遠からず悪へと堕ちる。


 堕落を防ぐことは難しいものだよ。


 正義であることの苦労を棄てて、ただ悪を見過ごすだけでもいい。誰にでも出来ることだから、悪人は世の中に多いんだ。


「世界を人質にして、マフィアの親玉を助けろと脅すのかい?」


「私たちも慈善的な顔を持ってはいます。カトリック教会に対して、実に多くの寄付をしていますので。私たちは、バチカンに対しても顔が利くであろう人物を、『応援』させていただいております。いつも、熱心に」


「そいつらがオレの『悪事』をバチカンに報告すれば、『処刑人』は世界の危機よりも、オレの討伐に集中するとでも?」


「組織とはそういうものですから。秩序のためになら、正義も歪める」


「ははは。まったく。悪魔みたいなことを言う執事さんだ」


「お褒めにあずかり、光栄ですな」


「はあ。罪深き者が多すぎるよ、この世界は大戦を乗り越えたはずだったのにな……さてと。ここかな、アルフレッド」


「ええ。ここでございます」


 沼のほとり。腐敗した草木と、酔狂なことにこの場所を墓に選んだカラスの死体が沈む沼が見える。そこには、たくさんの白骨も沈殿しているのだろうな。少なくとも15人分の死体。


 魔物にならば―――ヴァルシャジェンの娘であるマルジェンカならば、この沼地を漂う恨みだって見つけるだろう。魔物は、絶望を帯びた亡霊の嘆きに、どういうわけか耳が利くものだ。


「……それで、どうするのですか?」


「お祓いの方法には色々とあってね。実にたくさんの方法を、バチカンの戦士たちは開発して来たのだが―――オレは合理主義者だからな。この秘策を使うんだ」


 スーツの内ポケットから、バチカンの神秘な錬金術の傑作を取り出す。


「手榴弾、ですか?」


「聖なる呪いが、無数の欠片となって飛び散ってね。『蠅』の贄となっている、エミリアンくんの死体を、爆破してくれるんだよ。ただの手榴弾じゃない。今後、真似しようとなど思わぬことだ。祟りも、それなりに怖いぞ」


「……祟りですか」


「すでにあんたの主が晒しているな、醜く苦痛に染まった姿を。だが、この沼の奥にいるものは、もう少し活動的で危険なヤツだ」


「……援護いたしましょうか?」


「自分の身だけ守るといい。離れた場所で、待機してくれると助かる。善良なオレは、どんな悪人にも傷を負わせたいとは思わないんでね」


 そうだよな。


 君もそう思っているはずだよ。


 オレが罰するべきではない。もっと相応しい存在が、罰を与えてくれるだろう。楽しみだよ。どんな罰になるのか。




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