二日目 『慎ましき暴食』 その3


 悪臭が漂い枯草がなびく農地にある、古めかしい地主様のお屋敷。大悪人の生誕の地が、こういうどこにでもある地方の小金持ちの家とは。悪が世の中にはびこる理由が分かる気がした。


「こちらです」


「ああ」


 アンティークな車から飛び降りて、執事のアルフレッドに導かれながら歩いた。お世辞にもこの屋敷は手入れが行き届いているとは言えないな。朽ち始めている。壁も床も天上も、真っ黒な染みの浸食を受けてしまっている。


「悪がバレないように、隠れ家的に使っているのか」


「そのようなところで」


「……専門家に依頼したいのなら、情報は共有しておいてほしいものだね」


「……私もドン・ドブロシに口止めされていることもありますので」


「ワガママそうな男の手下をやるのも大変だ」


 誰かに命令されることが大嫌いな男からすれば、執事という職務を選択した者の気持ちが分からない。


「このお仕事には大きなやりがいを感じますよ」


「人それぞれか」


「ええ。足元にお気をつけてください」


「貧しさを知っているから大丈夫だ。腐った床板を踏み抜かないコツには詳しいよ」


「バチカンの戦士になる前に、過酷な日々を送られたようで」


「その通り。慎ましさというものを知ったよ。おかげで、色々と忍耐強くなれた。清貧であることは強さだ。悪への誘惑を断ち切れる」


「……こちらのお部屋でございます」


 アルフレッドの白手袋に覆われた紳士な指がドアを開いてくれた。客間ではない。豚の遠鳴きと歯ぎしりと、さまざまな悪臭が混ざりながらあふれてくる、サイアクな場所が開いたよ。悪人がいる。悪臭の渦の向こうに……。


「豚小屋のなかにキングサイズのベッドを運び込む。なかなか重症じゃないか、ドン・ドブロシよ」


「……貴様がああ……っ。バチカンのおおおお……っ」


 ベッドの上に、何か赤くて湿ったものを貪る脂肪の塊がいた。ちょっとした小屋のような大きさ。300キロ以上はあるんじゃないかな。豚と呼称することが豚に失礼な気がするほどの、醜く肥え太った全裸の白人男性がいる。


 彼はこちらをムダに鋭い瞳でにらみつけたまま。赤いものにかぶりついた。食欲が止まらないらしい。哀れなことだ。ガリガリにやせ衰えた子供を見るときと異なり、大して悲しくはならないが。


「なにを……笑ってやがるっ!!」


「生肉を食む男が、マフィアの長とはな。それは、豚の内臓だろ?……命がけだぞ、そんな食生活は」


 アラブ人や北インドの連中に見せたら発狂するか、激怒しながらその不浄を避難したに違いない。でも、こいつは生の豚の内臓を、こっちが侮蔑を込めた視線で観察している最中でさえ、再び口に運んで噛み始めた。


 弾力のある内臓の脂肪がついた腸の管。そんなものを、グチャグチャと噛む。女性がこの場にいたら、卒倒しかねないほどグロテスクな光景だ。


 マフィアの親玉は、未調理の豚の腸管を巨大化した口で噛み千切って飲み込むと、会話を続ける気になれたらしい。


「おおい。バチカンの戦士……っ。金はいくらでもやるからよお……っ。オレから悪魔を祓ってくれよおおおっ」


「悪魔ね。どうして、『そいつ』に憑かれた?」


「……知らねえよお」


「そいつは困ったぞ。その悪魔―――『蠅』はな、お前の心と体に食い込んで、ゆっくりと孵化していくんだ」


「どうにしかしろおお!!プロだろうがああああ!!」


 醜く肥え太った腕がショットガンをこちらに向ける。ベッドの上にショットガンを持ち込むか。なかなかワイルドな趣味だよ。オレなら暴発が怖くて、ナイフだけにしておくけど。勇敢なバカだ。


「笑うんじゃねえええ!!ぶっ殺すぞおおおおおおおおおおッッッ!!!」


 ショットガンがさく裂して、散弾の群がりが豚小屋の隅に肥育されている巨大な豚の一頭を撃ち殺していた。


「ぶひいいいいいいいいいいいいいい……」


 血と脂を飛び散らしながら、巨大な豚が倒れ込む。食事を与えていないのか、他の豚どもは、死んだばかりの豚に食らいつき、その肉と内臓を噛み千切っていく。


 オレに対する怒りが、ムダな殺生を招いたか。少しは反省するよ。豚は好きだ。豚の皮をなめしたアンティークのバックは、つやがよくて使用感が最高だし、食べても美味い。生食だけは死んでもごめんだがね。


「はあ、はあっ」


「呼吸が苦しいんだろ?無理に動くんじゃない。オレは仕事を受けた。そいつはがんばって退治するよ、お前に憑いた『蠅』はオレたちバチカンの戦士全体の敵だからな。しかたない」


 世界を守るよ。


 君もエリーゼもいないのに。それでも守る。復讐だって、その原動力になる。


「……早く、どうにかしろおっ!!……はあ、はあ……っ!!もぎゅうう、もぎゅうう!!」


 言葉をしゃべりたいのだろうが、ヤツの体内の『蠅』が食欲を優先させる。『暴食の悪霊』か、なんとも意地汚い。


 豚の内臓を噛み潰しながら、マフィアのボスは叫んだ。


「頼むっ!!……オレは、死にたくねえんだあっ!!このままじゃあよお!!狂って死んじまいそうだよおおおお!!!」


「はあ。死にたくないか。世界がダメになっているんだろうな。よく聞く言葉だ。さて、ドン・ドブロシ。お前にも事件解決のために協力してもらうことがあるぞ」


「なんだ……っ」


「『蠅』はね、お前に恨みを放ち続ける死体に、呪いをかけることで生み出される」


「呪い……っ?オレに、呪いをかけただとっ!!誰がだ!!」


「そいつを知りたい。それが分かれば、その死体にオレが浄化の秘術を施して、『蠅』はお前の体から解き放たれる。それを殺せば、終わりだよ」


「オレから、孵化するのかっ」


「おお。いい認識の仕方だ。そうなる。なあに、死にはしない。外科的手術で、お前の肉を斬り裂きながら、体内の奥底を自由に駆け巡る『蠅』を捕まえて殺すより、よっぽど健康的な除霊だろう」


「……わ、わかった。と、とにかく、この溺れそうな食欲を、止めてくれっ」


「いい子になったな。ドブロシ。さて質問だ。最近、殺したヤツはいるか?恨まれて当然な行いをお前がしたあげく、おそらくお前自身が手にかけたヤツだ」


「…………いる」


「だろうなあ。そのことについて懺悔をしろとまで期待しちゃいない。だが、そいつをどこに埋めたかについては教えてくれないか?」


「…………この牧場の反対側に……3キロも進んだ場所に、汚げな沼地がある。そこに、埋めたよ。エミリアンのバカを」


「どうして殺した?」


「……警察になったつもりか?」


「いいや。バチカンの戦士なだけだ。常世のことには関わらんよ」


「……エミリアンは顔がいいからな。女を『スカウト』させていた。それ以上は、言わなくても分かるだろ、バチカン勤めでも、男だもんなあ……っ」


 脂肪の塊はニヤリと笑う。くちゃくちゃと豚の内臓を噛み続けながら。


「顔が良くて女を釣れそうなビジネスパートナーのエミリアンくんを、どうしてお前が殺したんだ?」


「……あのバカ、情にほだされた。せっかく集めた女どもを、売り払う前に逃がしちまったんだよ」


「ほう。善良な行いだ」


「どうかなあ?投資した女どもを、逃す?太らせた家畜を野に放すような行いを、僧侶さまは正しいとおっしゃるようだ……」


 きっと。君がこの場にいたら、あの豚をぶん殴っているだろうな。夫としてオレもそうすべきか迷ったが、背後で拳銃を構えている執事さんがいてね。なかなか不自由さを強いられている状況なんだ。ゆるしてくれ。


「ミスター・バチカン。我々には、意見の違いがある。どうにも職業が違うと、色々と世の中の見方というものが変わってしまうなあ」


 好きになれん男だが。こいつを殺したところで、『蠅』は他の男を祟るだろう。手近なところで言えば、執事のアルフレッドあたりを。ヴァルシャジェンの魔力を与えられた『蠅』だ。孵化すれば、脅威となりえる……。


 世界を守るためには戦力を減らしている場合じゃない。狩れる魔物は倒しておくべきだ。


 『処刑人』を手配され、バチカンには誤解されているようだが、戦略的に正しいことをすれば誤解も薄まるさ。敵を殺すことは。他の戦士がタロットの占いを『蠅』に誘導されて、ムダな時間を取られることもなくなるだろうから。


「……死体を棄てた場所に案内してくれるか、アルフレッド。あのざまじゃ、ドン・ドブロシはベッドから動けんだろう」


「分かりました。こちらについて来てください。ミスター・レッドウッド」




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