コレット・イルザクスの報告書:『色欲のオオカミ事件』
私がその場所に駆けつけたときには、すでに事件は終わっていた。殺害された娼婦は現時点で二名。狼男は三人目を襲おうとしたときに、アレク・レッドウッドと遭遇してしまったようだ。
アレク・レッドウッドの現状は不明だが。『不死者』として呪術的に蘇生された状況だという。身分を秘匿する気もないようで、殺し屋だと語ったらしい。名前とバチカンのことも口にした。規律違反だな。
……当人の師匠と同様に、アレク・レッドウッドはバチカンの伝説ではある。敬意を持つべき先輩ではあるが、あの男はゾンビなのだ。ヴァルシャジェンの影響を受けて暴走する危険性は高い。
そもそも彼は今回の事件の容疑者でもある。
ヴァルシャジェンの娘が、彼の娘に宿ったのは偶然なのだろうか?……バチカンの分析官は疑いを持っているようだ。だからこそ、私が呼ばれたのだから。
……魔王ヴァルシャジェンを復活させて、魔王が持つ特異の能力に頼ろうとしてはいないか?……復活の功労者には、魔王は何だって与えるだろう。我々が想像もしない見返りを用意できるのかもしれない。
彼には弱点があった。
妻が死亡しており、娘も死病を患っていたという。
悪魔の取引相手となるには、不幸な者はうってつけだ。魔王と契約した可能性がある。バチカンと連絡がつかない状況は、いかにも怪しい。スカー・フェイスによれば、蘇生後は分かれて行動することを決めたそうだ。
本当なのかどうか。
スカー・フェイスも、得体が知れないし、思想的にも反バチカン的要素が多い。異教かぶれとの評判だ。バチカン内にも敵が多い。有能でなければ、とっくの昔に異端者として破門されていただろう。
やっかいで警戒心を抱かせる人間関係に所属してもいる。アレク・レッドウッドの師匠であり義父でもある。
スカー・フェイスは私と連絡を取ってくれない。こちらを取るに足らない小娘だとバカにしているのかもしれないが、この危機的状況下でスタンドプレーなど……。
……腹立たしい。
アレク・レッドウッド。師匠ともどもマークされて当然の人物だ。
身分も良くはない。イギリスの孤児院で育ち、若いころからインドで傭兵まがいの仕事についていた。12才のころに30人は殺していた?……罪深い。その力量を、スカー・フェイスに見込まれ、バチカンの戦士としてスカウトされたらしい。
血なまぐさい経歴だ。
だが。たしかに。
伝説と呼ぶに相応しい戦歴だった。
世界大戦の最中でも、従軍し戦場を転戦しながらも魔物の討伐を行っている。記録があるだけでも230もの魔物を祓っている。スカー・フェイスと同じく、驚異的な数だ。10匹の魔物を祓えば一人前の戦士と呼ばれるのだが。
彼ら二人はどう扱えばいいのか……。
とにかく。私はバチカンから与えられた任務を忠実にこなすだけだ。
狼男の『本名』は分かった。『トマス・シモン』。免許証から判明した。戸籍もあるが、おそらく本当のトマスから奪い取ったのだろう。多くの狼男と同様に、人間社会に潜伏していた。納税記録もあるし、それによればかなりの資産家だそうだ。
社会的な地位を持つ魔物か。彼の消失はいつものように事故死か自然死と偽装される。『代わりの死体』は職人たちが運び込み、後々の問題が残らないように処理されるはずだ。
……私は、降霊術で呼び寄せた、彼の残留思念との対話により、いくつかの情報を得た。これが有効なものかはバチカンが判断し、有効であれば戦士たちに共有されることになるだろう。
1 ヴァルシャジェンの娘は『マルジェンカ』と呼ばれる吸血鬼である。マルジェンカの名前は聞いたことがあった。彼女はスペイン風邪と呼ばれることになったあの呪病をヨーロッパに広めた吸血鬼たち、その同盟を主催した魔物だと目されている。1880年以降肉体は無かったようだが、今回の事件でエリーゼ・レッドウッドの死体に宿った。
2 狼男トマス・シモンは十八世紀後半の生まれだ。マリーアントワネットの処刑に喜んだことがあるそうだ。初恋の相手を殺して、狼男として覚醒。以後は、各地を転々としながら何人かの身分を奪いなりすました。典型的な『悲しく孤独な狼男』の行動パターンだ。
3 没個性的な狼男であるトマスが『使命』を与えられたのは死亡する二日前。マルジェンカと遭遇し、彼女に性的な興奮を覚えたそうだ。追いかけたところ、敗北した。そして、一種の虐待を受けたあとで、軍門に下る。
4 マルジェンカは護衛を配置したがっているようだ。バチカンの戦士たちを厄介だと認識している。我々の行動が迅速さを増せば、ヴァルシャジェン復活を防げるのかもしれない。
5 マルジェンカは組織を作り、バチカンを迎え撃とうと考えている。バチカンに進言したいのは、早急に各部署の宗教的・政治的対立を停止し、霊的攻撃能力を有した軍隊を作り上げることだ。正教会側とも和解しろとは言わないが、協力は必須だろう。世界の危機だぞ?文明を終わらせたくはないだろう、正教会側だって。
6 エリーゼ・レッドウッドの遺体について。10才であるはずの彼女だが。トマスの残留思念はそれを否定した。10才には見えないと。私の能力では視界を再現することは出来ないが。マルジェンカの寄生により、エリーゼ・レッドウッドの遺体に変化が強制されているのかもしれない。父親を出産するために、肉体を成長させている可能性がある。
……以上だ。何か重要な情報があれば、戦士諸兄が共有できるように伝達を願いたい。協力が必要だ。スタンドプレーでは、対応しがたい状況になるのは目に見えている。
……私も、引き続き役目を果たす。
アレク・レッドウッドを追いかける。
……あの男は娼婦の女とその娘を助けたようだ。だが、それでは無罪証明にはならない。たんに感情移入してしまった可能性がある。あの男は、妻を亡くし、娘も死亡して吸血鬼の悪姫の囚われとなった……。
似ているな。だから、悪意を折り曲げても、助けただけかもしれない。魔王の手下であったとしても、トラウマには敵わないかもしれない。精神科の受診歴もある男だ。不安定かもしれない、ゾンビ化している男だからな。
安心はできない。結束が必要な状況だからこそ、『邪悪な身内』には気を配る必要がある。私がここにいるのは、そのためだ。状況次第では、お前を狩るぞ、アレク・レッドウッド。このコレット・イルザクスが。
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