一日目 『忠実な色欲』 その8


『ぎゃあああああああうううううッッッ!!?』


 毛皮を掴み、オレは自前の牙を揺さぶった。狙ったのは右の肺だ。左の肺に続いて、壊してやるよ。


 毛皮を貫き、肋骨と肋骨の間隙に狙いを定めつけて、刃を通す。肺に達すれば、ねじり、傷口を広げてやりながら、乱暴にまた深く貫く。


 何度もぶっ刺して、そいつを繰り返してやるのさ。


「なあ、ナイフってのは官能的だろう?お前なら、分かるんだろうな!この背徳的な感覚が!この、人殺し野郎め!」


『があああう!!あああううううっ!!ぐあああああうううッッッ!!!』


 暴れて、背中を振り回す。それでもオレは剥がれない。だから、転がって地面にオレを叩きつける。それでも当然だが、離れるつもりはない。肉食の獣のように、牙はしつこく突き、祟るかのように暴れ、魔物の内臓を壊し続ける。


 返り血にまみれて、赤く染まる。問題ない。とっくに呪われている身だ。そもそも死体だよ。うずくまった狼男の背中を、さらにナイフの乱打で破壊していく。左手は、ヤツの脇腹に食らいついている。指で、銃弾が開けた傷口を広げて、出血を促進しているんだ。


『があ、うああ、やあ、だ、あ……し、しに、しに、しに、たく、ねええええええええええええええッッッ!!!』


 邪悪が生存を願い。意志を行動に変えた。全身を揺さぶり、圧倒的かつ瞬間的な力を使った。一瞬でもタイミングが遅れれば、空高く投げられていたかもしれない。だが、数メートル投げ飛ばされるだけで済んだよ。


『ひい……っ。ひいい、ひいいっ。く、くそおおおっ。ふ、ふくしゅう、してやるううううううう、ぐええうッッッ!!!』


 ナイフを投げつけて、ヤツの無防備になりがちの腹に突き立ててやったよ。死の女神のくれた怪力の投げるナイフは、まるで銃弾のようだ。


『ぐう、うううう!!』


 臆病さは変わらない。二世紀どころか三世紀をまたいで生きていたとしても、逃げ続けて来た習慣は行動を支配した。狼男が逃亡を始める……だが、向こうは。


「……クソ!!」


 車へと向かう。戦いを見ていた娼婦が、こちらに叫んだ。


「お、追い払ったのっ?」


「いいや、狩り損ねた。状況は悪くなるぞ」


 娼婦の顔は暗くなる。不幸な者はそうだ。不幸に過敏に反応出来た。これ以上の不幸がイヤすぎるからな。


「こ、これ以上、何を……っ」


「あいつは君の家に行くようだ」


「え、ええ!?な、なんで!!?」


「八つ当たりさ。近くまで来ていたからにおいで分かるさ。車で追うぞ、君の娘は、殺させはしない!!」


「お、お願いっ!!……ああ、あああ。か、神さま……っ」


 神さまか。あんたはいつもオレの周りのヤツを助けちゃくれないよな。だから、あんたの尻ぬぐいをしている。別にいいんだがね。


 車を走らせる。狼男を追いかけて。血の跡が車道に続く。それを追いかけながら、アクセルを全力で踏み抜いた。エンジンがうなり、狼男に追いつく。後ろから轢いてやろうとしたが、ヤツは路肩に身を投げて躱しやがった。


 そのまま、小さな家が立ち並ぶ、古ゆかしい貧村へと走って行く。畑を踏み荒らしながら、血を吹く呼吸で、ヤツは走った。


「そこの道から、入れるわ!!」


「分かっている!!」


 母親の言葉に従い、ハンドルを切った!!細い道で舗装も適当。ガクンガクン!と愛車が飛び跳ねていた。色々と壊れてしまいそうだ。だが、迷わず走る。


「あの、赤い屋根なのっ!!ああ、神さまっ!!」


「……守ってくれるさ。神さまは、小さな女の子の味方なんだ」


 そのはずだ。


 そうでなければ……エリーゼ。エリーゼよ……っ!!


 家の玄関の前に、停車して。ドアから飛び出し、無様なまでの全力で走った。


「まりいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいッッッ!!!」


 感情にあふれて壊れた声が、娘の名前を叫んでいた。それと同時に、クソ狼男が窓から飛び込む。ガラスの割れる音がして、幼い悲鳴が、響き―――オレはドアを蹴り破り。ベッドに近づく巨大な影に、体当たりしていた!!


「させないっ!!この子は、エリーゼは……いや、させるかよッ!!」


『は、ああ、あああ!?な、なんでだあ、こ、この力あ……っ。ど、どうして、力で負けてるんだああ……っ!?』


「……負けるかよ。娘は、オレが取り戻すんだ」


『ひいいっ!?お、お前ええ、そ、その、『牙』あああああああッッッ!!?』


 霊鉄の拳銃を抜き放つ。神罰の青い焔が、オレの指を焼き、手も腕も燃やしていく。


「い、いやあああああああああああああああああ!!こわいよおおおおおおおおおおおおおおおお!!ままあああああああああああああ!!」


 悲しい子供の声を聞く。怯えて、孤独で……不幸で。それでも。だからこそ、痛みを噛み潰して、邪悪なはずのオレは、狼男に燃える銃口を突き付けて銃弾を与えた!!


『がああああああぐうううううううッッッ!!?』


 バチカンの僧侶たちの祈りが捧げられた、邪悪の破滅を願う『呪い』。そいつが青い爆発へと変わり、狼男を中から壊した。狼男の巨人のような圧倒的な力が消え去る。そいつを引き倒して、床に転がした。


『はああ、あああ……し、しに―――』


「―――人殺しには、それを祈る権利は、許されていない」


 殺すものは、殺されてもしかたがないんだよ。イギリスでも、インドでも、どの戦線でも、絶対のルールだった。


 そういう覚悟をしながら、邪悪は生きるべきだ。たとえ、たとえ、お前が……愛する者を喰い殺した罪から、永遠に逃げ続けるだけの哀れな存在であったとしても。


 拳銃を押しつける。魔力を喪い、ヒトの姿へと戻りつつある邪悪なる者の額に。終わりを悟り、罪深き邪悪は唇を歪めた。


「祈れ。お前に、愛する名があるのなら。それに、助けを乞え。邪悪にも、愛は許されている」


『…………ごめんね、たべたくなかった……それくらい、だいすきだけど。ごめんね、あいしてたんだよ……めりっさ―――――」


 焼かれる指を動かして。銃弾を放つ。


 音が全てを消し去って。狼男の悲惨な人生の物語が詰まった、悲しい頭部を撃ち貫いていたよ。脳漿がどす黒い影となって飛び散り、おしまいだ。


 ……拳銃をしまい込み。神罰の炎は、燃える腕のことを解放してくれた……。


 ……探す。探したんだ。君とオレのエリーゼを――――――うん。いや、違うんだが。子供を見つけた。


「こ、こわいよおお、お、おばけええええっ」


「オレは…………いや」


「まりいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいッッッ!!!」


「ま、ママあああああああああああああああああああああああああああ!!!」


 抱きしめ合っていた。娼婦の母親と、青白いほど寒い部屋で、貧し気なパジャマに身を包む小さな少女が。君とエリーゼを思い出す。ぜんぜん違うのに、不思議とね。


 微笑んだのだと思う。死にゆく狼男の見開いたままになっている瞳を閉じてやりながら。オレは、きっと……微笑んだのだ。


「助かってくれたな……」


「……おじさん……?」


「ああ、ありがとう!殺し屋!……そ、その……もっと、他の呼び名がいいわよね?」


「アレク・レッドウッドだ。警察が来たら、バチカンのアレク・レッドウッドがバケモノを倒したと説明してくれ。全ては上手く運ぶようになる」


「……まほー、みたいだね」


「魔法みたいだろ。魔法使いと似たようなものなのさ、オレは」


 ―――そう言うとね、君にそっくり無邪気な顔で、笑ってくれたよな。オレと君の、エリーゼ・レッドウッドは。


 ……さあ。魔法使いのおじさんは立ち去るとしようか。近隣住民が起きて、武装して近づいてくるだろうから……。


 そういうのは、ちょっと苦手なんだよ。あらゆる孤児だった男は、警官と武装したオッサンにぶん殴られた記憶があるものだ。いつだって、ヒーローからは遠い立場だよ。バチカンの戦士―――だった男も。ゾンビ野郎もね。


 神さまの出番だ。


 神さまに祈れば、もう怖くないだろう。いつでも守ってくれるらしいからな……善良な者の魂を。




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