一日目 『忠実な色欲』 その7


「お話しを続けるか。その狼男は、君のことを逃がすつもりはなかった」


「え?……ど、どういうこと?ちゃ、ちゃんと、見てたのにっ?」


「そんなルールは性欲を満たすための遊びだよ。本気の約束じゃない」


「そ、そんな……あ、あれは、最初は、いいひと、そうだった。気が弱そうで……前金だって払ってくれたし、いい車に乗っていた……」


「君たちに声をかけたときの姿から感じた紳士な態度は、偽りに過ぎないものだよ。本物の彼は、そういう動物じゃない。おそらく君のことを、つけて、娘ごと殺そうとしたんだろう」


「そ、そんな……っ。じゃ、じゃあ、ついて来ているのっ!?」


「来ているだろう。それに、彼はオレにも用があると思うんだよ。さて、車を止めるぞ。家に招き入れるわけにはいかないだろ」


「と、とうぜん。あ、あなた、あれを……こ、殺して、くれるの?」


 化粧の溶けた黒い涙を流す瞳は、不安げに揺れる。うなずいたよ。安心させたいわけではないと思う。たんに、事実を認めるために。


「殺すよ。きっと、あれはオレの娘に至るための道に立ちふさがる、障害の一つだ」


 間違いはないさ。あまりおかしな偶然というものは連鎖することはない。変な人生を歩みすぎて、魔物に出遭う確率は常に高いとしても……出来過ぎだよな。


 ……ああ、知っているよ?数学的な錯誤の存在もね。思い込みから認識が非科学的になってしまうこともある。確率というものには、認識上の落とし穴がたくさんあるものだ。


 オレみたいなヤツは、連日にわたってバケモノに出遭っても不思議じゃない。ちゃんと、君から教わったものな。


 確率論的に、いつバチカンの戦士は魔物に殺されたとしても不思議ではないと。毎日だって、変なことに巻き込まれても当然なのだと。


 「安心しちゃダメ」らしいよ、魔物を殺しても次の瞬間には、別の魔物に気を付ける必要がある。そんな確率をオレは生きる……いや、生きたんだ。


 長くもないし、危なっかしいことばかりの人生だけど。それなりに濃密で、経験は積んだ。


 判断できるよ。自信を持ってね。


 行動変容を起こした狼男と、『ガーゴイル』の刺客に半日以内に遭遇するなんてことは、やっぱり異常事態だった。せめて、フツーの狼男ならば、『確率上起きえる、ただの偶然』だと判断してもいいんだが。


 きっと、そうじゃない。


 ……車を停めると、怯えて丸まった娼婦を助手席に残して外へと出たよ。紳士的に振る舞うつもりじゃないが、上着は渡した。


 毛布代わりにでも使えばいい。バチカンの護符も生地の裏側には縫い合わされているから、少しは悪しき者の敵意から彼女を守れるかもしれない。効果はなかったとしても、お守りは必要なものだ。不安なときには。


 夜の森が放つにおいを嗅ぐ。


 冷たく整えられた風は、不快感を覚えることは少ない。


 だからこそ、風に紛れ込む異臭には、素早く気づけた。


「隠れるつもりもないか。どうせ……お前は、『オレたち』への刺客なのだろうから」


『はあ……はあ……っ。はあ、はあ……っ。はあ、はあ、はああ、はあ、はあ』


 夏の犬みたいな呼吸音が闇から響く。走って車を追いかけてきたようだから。少しは疲れていてくれると楽だが。どうやら、体力を疲弊した結果というわけではなく、どちらかと言えば性的な興奮による呼吸の乱れだと感じた。変態とか殺人鬼の呼吸だな。


『ぞくぞくするよおお……っ。いい夜だあああっ。マルジェンカさまああっ。すばらしいお仕事をくださり、ありがとうございますうううっ!!』


 闇から狼男が現れる。2メートル半はある背丈に、レスリングのオリンピアのような肉体。岩のように厳ついその筋肉のカタマリからは、無数の獣毛が刺々しく生えている。顔は、見事に犬面で、耳元まで口が大きく裂けていた。


 これまで出会ったなかで、間違いなく最大の狼男。


 長年生きた個体?……というか。


「ヴァルシャジェンの娘……マルジェンカから、力と任務を与えられたか。巨大化し、この土地で、バチカンの戦士を待ち構えろと」


『……ああ。そうだよお。よく分かるじゃないかね』


 歪んだ笑い顔の端っこからヨダレを垂らしながら、狼男はあっさりと認めた。


 ……何のためにマルジェンカはそうしたのか?……『ガーゴイル』は『オレだけ』を狙っていたが、こいつは無差別にバチカンの戦士を狙いたいらしい。一つの土地にとどまり、事件を起こしてバチカンの戦士を呼ぼうとしている。


「『罠』となれと命じられたらしいな。バチカンの戦士たちは、マルジェンカが北上した痕跡を辿ることになる。我々の予知は確実だが、いかんせん限定的だ。マルジェンカが歩いた通りの道を追う必要がある」


 地道な捜査と同じでね。あのタロットを使っても、いきなり敵の本拠地が分かるわけじゃない。行くべき道が示されて、それを辿るだけのことだ。


 つまり、マルジェンカにはバチカンの猟犬がどこを通るか、バレている。そこにバケモノを配置すれば、背中を守れた。


 この狼男は、マルジェンカを守る護衛でもあった。それを、誇らしく思うようだ。


『わかるかい!!この充足感!!150年も生きたけどね!!闇の霊長の一族に、使命を与えられたことなんて、これが初めてだ!!素晴らしい!!美しい姫だった!!性欲の昂りを見抜かれ、指摘されて、叱られてしまったが……っ』


「そいつが、どこに向かったか、知らないかな?」


『……北だね。北欧こそが、姫さまの本拠地!……いや、ヴァルシャジェンさまの本拠地だから。そこで目覚めるのさ、姫さまの子宮を使い、ヴァルシャジェンさまは蘇る!!』


「使えん。耳新しい情報はない。多くを知らない、ただの雑魚か」


『はははははははははははあ!!バチカンの戦士い!!愚弄するか、マルジェンカさまに仕える騎士の一人をおおおおおおおおお!!』


「コンプレックスを満たす肩書が欲しかったか。闇の一族にも招かれず、ヒトを喰らう身でありながら、ヒトに融け込み生きるしかなかったみじめな裏切り者が?」


『……っ』


「ハハハハハ!!笑えるな。しょせん、使い捨ての駒の一つに過ぎない男なんだよ、お前なんぞ!!この犬野郎め!!」


 言葉は選ぶべきだ。敵の心に突き立てたいときは、コンプレックスを逆なでするような言葉を選ぼう。そうすると、魔物と酔っ払いは襲いかかって来るものだ。怒りに衝動された動きは、シンプルになる。


 筋肉の特急列車のようだったよ。この浮かれていた食人鬼はな、荒々しくも単調。スピードと力に頼る動き。寝起きのゾンビならばともかく。半日リハビリしたオレならば、苦もなく回避できてしまう。ステップを軽やかに使い、右へと跳んだ。突撃する巨体の脇腹が見える。がら空きだ。


『ぐうう!?』


「速いが、それだけだ」


 二丁拳銃だ。左右に取り出した拳銃を使う。狩猟用にデザインされた大型の殺しの道具どもだ。霊鉄を使ってはいない、ただのスイス製品。とはいえ、高級品だ。厳選された素材、こいつらはそれぞれ200の兄弟の中から、選別された頂点たちだ。


 精度と完成度、そして……銃弾のヒットポイントに純銀を使っただけの拳銃たち。神罰はオレに下ることはない。だから、思い切り使える。狼男のがら空きの左わき腹目掛けて、銃弾を速射した。


 右で3発、左で4発。銃種の異なりから、来るものだ。あらゆる拳銃が速射性能だけを重視しているわけではない。


『ぎゅあぐうううっ!?』


 狼男が逃げやがる。脇腹を壊されて、その痛みに驚いているか。バチカンの戦士の装備とテクニックを舐めていたらしい。霊鉄製じゃなくても、魔物を殺すに至る武器はいくらでもあるんだ。


 狼男は痛みから逃れるために、跳躍し……距離を取ろうとした。20メートル近く跳んだな。巨体でだ。恐るべき怪力ではある。だが、的が大きいからね。着地ざまに右指を搾り、銃弾を一発その左の後背部に命中させてやる。


 肋骨をぶち抜いてやるつもりだったが、そこまで深くは届かなかったか。オレは走る。


『はあっ!?せ、接近戦っ!?』


「勇気のないお前とは、心の出来が違う」


『ば、バカにするなあああああ!!』


 馬鹿にしたよ。テクニックの一つとしてね。あえて煽った。


 襲いかかって来い。ああ、来ているが。それでいいんだ。右の腕を躱し、左の捕まえに来るようなフックも地面に寝転がりながら躱す。


 右の残弾4、左の残弾6……合わせて十発の速射だ。左の脇腹をえぐっていく。銃弾が肋骨を穿ち、肺を切り裂き、背骨にあたり体内で跳弾していく。あちこちが傷つくだろう。知っている。オレたちは魔物を痛めつける方法を、とても効率的に学ぶ。


 君に教わった通り。


 今日も、解剖学と運動学に基づいた、『とても近代科学的な殺しの哲学』をもって、闇に潜む邪悪なオカルト的存在に銃弾を浴びせてやったよ。極めて至近距離からね。


『ひぎゃうううう!!』


 また逃げた。逃げ続けた人生は、ヤツにそれを選ばせたがるのさ。みじめなものだが。分からなくもない。お前も、愛する者を殺したのか?……そうだとすると、ムカつくことに、オレと似ているところがあり過ぎた。


 拳銃をホルスターにしまいながら追いかける。逃げようとしたが肺からこみあげて来る血液に溺れた狼男は、みじめにせき込む。灰色熊のような大きな背を、ゲホゴホと血を吐くために揺さぶった。そこに飛びついたよ。


 右手にナイフを逆手にしたまま。傲慢な虎のように。牙をイメージする。いつものようにな。お前と同じだよ、狼男。オレもまた残酷な猛獣の一匹なんだ。




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