一日目 『忠実な色欲』 その6


「……送れば、どこかに消えてくれるか」


「家に戻って、眠るだけ。小さな娘の寝ているベッドに、酒飲んで飛び込む」


「娘がいるか」


「可愛いわよ。売らないからね」


「そういう趣味はない。オレにも娘が―――いる」


 弱いな。オレも。エリーゼが死んだことを、認め切れていない。過去形で告げるべき事実を、誤魔化していた。自分の弱さが、情けない。


 車を走らせ始める。黙りこくっておこうか。そうしておきたいのに。彼女はそわそわと体を動かし始めて、聞きたくもない会話を始めた。


「……あんなのは、見たことがなかったわ」


「人生には時に、そんな経験をする夜もある」


「ないわね。アデリーと……えーと、友人の娼婦と一緒に、男に買われたの」


「娼婦を二人、一人占めかい。豪勢な遊びだ」


「大戦の復興事業で儲けてるヤツも大勢いるから。いい客だと思った」


「アデリーはどうした?君は一人に見えるが」


「…………」


「無言は語るものだな。死んだか」


「そ、そ、そうよっ。あのバケモノ……っ。何だったのかしらっ。アデリーと最初に寝てたんだけど……っ。い、いきなり、皮が剥げた……っ」


「体の奥から、抜け出して来たわけだ」


「そ、そう。せ、セミみたいだったわ。あれは、きっと、あ、悪魔なの。悪魔ね。ね、ねえ。私って、薬回っているのかな?妊娠してからは、使ってないんだけど?」


「回っていないさ。君は健康な女性だ。お腹の子もね」


「そ、そうよね。そうなの……で、でも。あのバケモノは、泣き叫んでるアデリーに噛みついて……そ、そうだ、そのまま……っ。た、食べ始めたのっ!!」


「生かしたまま貪り食った」


「そ、そう。あの子は、私に助けを求めたのにっ。私、た、助けられずにっ。あ、あのバケモノは言ったわ。み、見ていれば……っ。こ、殺さないって……っ。だ、だから……私、アデリーを、み、見捨て……たの……ッ」


「見捨てたわけじゃない。どうしようもないことだ。『狼男』相手には、誰もが無力なものだ」


「狼男?……あ、あれが、そうなのっ?」


「そうだよ」


「い、いるのね……っ。いえ、信じるわ。見たんだもの。そ、そうか……っ。あれは、あの化け物が狼男……う、うぐううっ」


「車を止めてやるから、車内には吐かない方がいい」


「う、うん。で、でも、降りないから。降りたら、見捨てる気でしょっ!?」


「好きにするといい」


 路肩に車を止める。そうすると、彼女はドアを開けて。酒の香料が混じった嘔吐を始めた。


「……はあ、はあっ。あ、アデリー……っ」


「友人が食われている光景など、忘れてしまえ」


「酒も薬も男もなしに?……無理ね。あ、あの子って、親友だったもの」


「お悔やみを申し上げるよ」


「……いい子だったのよ」


「だろうな」


「あんなひどい死に方を、しなければいけない子じゃなかった……っ。大戦からこっち、ろくなことがないわ……っ」


「多くの者がそんなものだよ」


「……ね、ねえ。車」


「出すよ。まっすぐだったな。しばらく」


「ええ。二キロもすれば……クソみたいな、みじめな家畜小屋が見える」


「そうかい」


 運転を再開する。『狼男』と遭遇してしまった女性を、エスコートする仕事だ。無言でいたいが、彼女はそれを許さない。


「……あ、あのね。どうして、私のハナシを信じるの?……おかしくない?」


「バケモノどもには縁があってね」


「神父さまなの?」


「まさか。違うよ」


「何なの?……あなたって」


「……世の中には夜に働く、公には秘密な仕事もある。君だって、税金なんて納めないだろ?」


「まあ、ね。夜の仕事の分は」


「オレも、そういう仕事だ」


「殺し屋……?何人か、自称しているヤツは見て来たけど……雰囲気、違うわ」


「そいつらの方がニセモノかもな」


「こ、殺し屋なんだ。ま、まあ、ある意味、頼りになる」


 誤解されたままだが、説明は省くべきだ。心が壊れかけているほど憔悴した女性に、キリスト教会は戦士を秘密裏に運用して、邪悪な存在を狩り取っているとか。


 歴史からキリスト教以外の強大な神々の情報を排除したりして、世界の平穏を取り繕うために活動しているんだとか。


 ……そんなことを語るのは、不必要な行いだ。彼女を混乱させ、不安にさせるだけに違いない。殺し屋というのも、あまり間違っちゃいない気もするしね。


「……狼男を、殺したこと、ある……?」


「雇いたいか、アデリーの仇を取るために」


「う、うん……っ。狼男を、殺せるなら……とても、嬉しい」


「アデリーに家族は?」


「いない。大戦で死んだの。独りぼっち。父親の分からない子を一人産んだけど、熱病で死んだわ。ずっと前に」


「そうか。悲しむ者は、君だけになる」


「ええ。ダメかしら……そ、それは、ダメ、よね?……あんな本当のバケモノを、殺し屋だって殺せるはずがないもの……っ」


「……必要があれば、殺す」


「私の痛みは、必要にはならないの……?」


「考慮はする」


「考慮って……」


「狼男は、本来ならば狡猾な狩人だ。自分の正体をひた隠しにするから、一度、『食事』を楽しめば、どこか遠くに離れてしまうものだ。普通はね」


 今は普通ではない状況だ。そこだけが気がかりだった。ベテランの経験値が使えない。だからこそ、状況を確かめたくなる。決めつけて行動しちまう方が、ずっと便利なんだけどな。


「最近、娼婦が殺されたことはなかったか?」


「き、昨日。仲間が一人、殺されてるけど。そ、そうよ。だから、アデリーで、二人で行こうって、や、約束したのに……っ」


「殺された娼婦の死体は?」


「……て、手首だけだったみたい……それだけ、見つかってる。そ、そうか、あ、あれもっ」


「その通り。狼男に食われたんだ」


「……っ」


「……ふむ。どうやら行動が変容しているな。普通の狼男じゃない。あいつは君を逃がしたか」


「み、見ていたから……っ。『アデリーが食べられるところ』、ちゃ、ちゃんと、見ていたから……っ」


 見せていたか。アデリーを食事として消費する光景を。その反応を楽しんだな。お前は震えて怯えるアデリーを見ながら、興奮して……。


「た、食べながらも……っ。あ、あのバケモノ……っ。あ、アデリーのこと、だ、抱いてた……っ」


「食欲と性欲の境界線があいまいになっている狼男は多いからね」


 その結果として、多くの狼男が自分の出自に気づくのは。初めて異性を愛してしまったときだ。本能は理性では抑止し続けることは難しい。断食だって死ぬまで行えるのは狂人か極度の自己陶酔者だけだ。


 狼男の悲しいところだな。愛してしまった者への執着が、狩猟欲求と食欲へと変わる。殺して喰らって、性的にも満足してしまい……あまりの惨状にやがて気が付き、自己嫌悪していろいろなものから逃げ出す。


 誰にも知られたくないほどに。


 あいつら狼男は、自分自身を嫌っているんだよ。


 追い詰められて殺される前には、悲惨な自分語りをしてくれる狼男は多い。


 精神科医の適切な処方を受ければ、どうにかなると思うんだ……そんな貴重なアドバイスをバチカンに伝えてから、死んだヤツもいる。そいつの処刑はオレがした。あっちから頼んで来たから。


 悲しいところもある鬼畜だが。


 同情はしがたい。


 本能をむき出しにした姿となっているときは、実に下品で、あさましく、残酷だから。とても印象が悪いのだ。裁判には不利な状況証拠というヤツで、同情を集められる狼男は少ない。


 狂人にしかわからないさ。ナイフや牙で人を殺す瞬間の楽しみなど……。


 黙り込むオレを、娼婦はじっと見つめている。知りたがりの瞳というか、ただ怯えているだけだ。


 不思議で怪奇的な猟奇事件の中心にいれば、状況を把握したい気持ちにだってなるものさ。彼女の指がはさむタバコの灰が落ちる。もったいないな。オレの生前の労働が購入したタバコなんだが。まあ、今さらどうでもいいことか。




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